アメリカ人女性の目
ニューズウイーク2005年12月12日号に、次のような記事が載っていると、友人から記事のコピーをもらいました。ニューズウイークのウエッブサイトとリンクできたら便利だな、と思って調べてみると、何と記事全部を引き出すのにお金がかかるとか。。。仕方ないので、簡単に私の訳まじりでご紹介です。
Newsweek December 12, 2005
My Turn − At 5 Feet 10
Inches, I Was Too Tall for Tokyo
I took up too much space in a city designed to fit as much as possible
into every conceivable inch.
筆者は、日本アルプスにある小さな旅館でお風呂に入ったときの情景からエッセイをはじめています。他の客からじろじろ見られて、くすくす笑われたとか。「出る釘はうたれる」という諺があるけれども、これは単に日本人の集団主義を意味するだけではなく、仲間に入れてやらないぞという罰のことだとも筆者は言う。
Because I was a foreign woman, I stood out; the fact that I am
5 feet 10 made it worse.
筆者も背が高くていやな思いをしたが、これは結局は、日本が狭い国で、何もかも小さくつくらねばならず、大きな人間はスペースをとるので具合が悪いのだろう、と分析。また、農民文化のメンタリティをひきずっているので、個人主義は育たなかったとも。
そして、日本人が「違う」ということに寛容になれないことも指摘しています。
My Japanese
was good enough for me to understand when men would mutter to each other,
"Se ga takai, ne!"
彼女は、「人と違う」とは間違っていること、と日本人の態度から感じたという。それでも、仲間に入れてもらおうと、日本の贈答の習慣などいろいろできるだけのことをして、日本社会に溶け込もうとした。が、外人だから。。。。
アメリカに帰ってきて、東京というところは、身体的にも感情的にも非常に息のつまるようなところだと知った。背が高くて、外国人で、女であることは深刻な障害というわけではないけれど、自分を新しい目で見るいい経験をしたと思う。
I know what
it's like to be stared at in the subway or laughed at in a sushi bar... Now
that I do, I am much more ready to accept others who may be different - but not
necessarily wrong.
5フィート10インチというと、私と同じ背の高さです。こういう経験を読んでいると、やっぱり私の「シンデレラ本」はまだまだ有効だな、と思います。背の高いタレントがいっぱいテレビに登場し、人気が出るようになったから、という理由で、私の悩みは時代遅れ、とおっしゃる人もけっこういらっしゃいますけれど。。。
白人女性つまりアウトサイダー、「お客さん」だから、彼女もある程度耐えられたんだと思いますね。でも同じ日本人同士で、アウトサイダーではないとなると、日本人の口さがなさ、自分たちとは違う異質なもの・人間に対する態度には、相変らず苛酷なものがあるようです。東京ですら、今だにこういう感じかと思うと、がっくりしますね。 何が「時代遅れ」なものか。。彼女が、「背が高い」を「異質なもの」という視点でとらえてはいるのは刺激になりました。私も今後、その線でも考えてみることにします。