「大きい女の存在証明」
〜もしシンデレラの足が大きかったら〜
(彩流社)
2005年9月16日発売
私の身長は自称176センチ。日本に住んでいた若い時から、身体が大きいということで、学校時代はもちろんのこと、社会に出てからも常に好奇の目と差別的な言動にさらされてきました。今なら、「セクシャルハラスメント」という言葉もあり、社会的に認知されるようになってきていますが、私が若かったときは、セクハラという言葉もなく、人々の意識も非常に低く、31歳で渡米するまでの私の日本での生活は、日常そのものが「セクハラ」ともいえるような時間でした。電車の中、道、エレベータの中と、見知らぬ人に平気で「大きいねえ、そんなに大きかったら結婚できないね」と声をかけられました。そのうち、自分でも気づかぬうちに、そんな他人の無神経な言葉やレッテルを無意識のうちに内面化させてしまっていました。そして、「自分は女ではない」と自分のセクシュアリテイすら自分の手で否定するまで追い詰められたのです。
29歳の時に、日本で知合ったアメリカ人と結婚、渡米し、18年のアメリカ生活で私が獲得したのは、「自分は女なんだ」という至極当然のセクシュアリテイと自尊心の回復でした。
あれから30年。今日の日本において、背の高い女の子たちの状況はいかに、とインターネットで検索したところ、背の高い女の子の数は増え、人々の意識は変りつつあるといっても、やはり平均から大きく逸脱している女の子たちは、私の30年前と同じようにおいつめられていることを知りました。時間が流れ、社会がどんなに変っても、人はそれほど変っていない。いや、本人がどんなに望んでも絶対に変えられない身体的特徴に言及することが、実は、人種差別同様、人権無視の差別意識であり、言葉の暴力なんだ、ということが全く理解されていないのではないか、と思いいたったのです。
責めるのではなく、必要なのは教育である、という立場に立って書きました。私という「大きな女」の経験を一例にしながら、私自身も含めて、人々に自らの心に巣くう暴力的な意識を認識してもらい、社会に問題提起し、すべての人がありのままの自分を大切にできる社会を願って書いた本です。
目次
プロローグ
第1章 個性の国アメリカから
第2章 日本というムラの片隅で
第3章 大きい女にとって外見とは
第4章 大きい女にとって”女らしさ”とは
第5章 新しい”女らしさ”をめざして −男に選ばれなくとも女は女ー
あとがき
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