「私考―国際結婚なんてするもんじゃないよ」
(3)老後
フェミニストジャーナル「Fifty
Fifty」1998年 10月号
芥川賞受賞作「寂寥郊野」の主人公は、夫の前で日本語が話せなかったのに、痴呆症にかかり突然日本語を口走る。アメリカ人になりきれたように見えても、存在の根っこから無意識に「日本」がほとばしる時、国を離れた者の悲哀がにじみでる。
中国残留孤児の肉親探し、北朝鮮日本人妻里帰りとてしかり。日本で生まれ育ち、生きて、過去からの生活世界と時間の断絶を経ることなく一生を終える人にとっては、海を渡った者が「日本」を振り向くのは、「望郷」「祖国」「生まれた国への思い」といった言葉で表現しうるものかもしれない。
しかし私には、「老い」がいやおうなしに、受け継ぎ、受け継がせていく命の深いいとおしさをつきつけてくるようで、目頭が熱くなる。そして、国じゃないのよ、自分とつながる祖先たちが眠る土地への絶ち難い思いなのよ、とつぶやっく。
アメリカのこどもたちは普通、18歳で家を出ていく。そして残された夫婦に、「老後」が静かにしのび寄る。異文化を背負った夫婦が、心静かに落ちついた時間を過ごせるだろうか。アメリカ白人と離婚した友達は言う、「再婚するなら、今度はアジア系がいいね。儒教精神を共有しているというか、あうんの呼吸というのかな、ウンと言えばカーと通じるというところがある人。白人みたいに、一から十まで言わなくちゃわからないのは、二度とごめんよ。」
身体に染みこんだ「日本」は、年齢を重ねるにつれ、言語に食事、自然観に人生観と、心の充実を求めて、生活のあらゆる面に顔を出す。夫と共有できるとは限らない。 「自分一人になったら、アメリカの老人ホームには入りたくないのよね。毎日チーズやミルクをベースにしたものなんて、食べられないもの」と、子育てを終えた女性が言う。
では、日本に帰れるのだろうか。年金や福祉・医療の問題、帰る家の問題。たとえ老親はいても、兄弟と同居していれば、長居はできない。やっぱり子供のそばで、と老身に鞭打って、外国生活を続けることになる。
ある50代の女性はこんな心情を語る。
「もうダンナなんかどうでもいいの。お互い好きなことをしてね。日本にはまだ母がいるから、帰れないこともないんだけど、私が日本に帰ったら、子供が経済的にも時間的にも会いに来にくくなるでしょ。やっぱり子供が結婚して、孫ができた時に、じゃあ今度の休みにおばあちゃんのところに行こうかと楽しみにして、気軽に帰ってこられる場所を作っておいてやりたいのよ。それだけの理由で、このアメリカにいるの。」
自らの祖先とのつながりは絶ち切り、自分の後に続く命のために、異郷の地にふみとどまり骨を埋め、家族の歴史を新しく書きかえるのが、移民の国アメリカに嫁ぎ、母となった女の役目なのか。彼女の将来の落ちつき先はもう決まっている。死んだら、軍人墓地に夫といっしょに埋めてもらえるんだって、と笑った。
そして私。厳しい冬には、零下30度まで下がる、固く赤い粘土質の、草しか生えないサウスダコタの不毛の土地には埋められたくないと思っている。思いは、海と山に囲まれた、若い日に夢を描いた故郷の空のもとへ。アメリカ人は「家」の墓をもたず、転職のたびに住む土地を変える。骨を埋めるまで愛着が感じられる場所にめぐりあえるだろうか。娘の生まれ育つ異郷の土地か、それとも懐かしい故郷の土地か。自然に環るという、キリスト教とは異なる価値観を身につけた我が身の「老い」のディレンマを、一体誰が教えてくれただろう。
やっぱり国際結婚なんてするもんじゃないよ。