ミズーリ州セントルイス
読売アメリカ紙 旅レポート
(2002年秋)
ジョージ マハリスー車の運転中に、長い間記憶の片隅におしこまれていたテレビ俳優の名前が不意に口に上った。古いテレビ番組の名は「ルート66」1926年に開通したシカゴーロサンゼルスを結ぶ大幹線道路である。現代シカゴからこのルート66(現在は55号線)を南下すること約5時間、イリノイとミズーリの州境であるミシシッピ河を越えると、車はそのままセントルイスの街路にすべりこんだ。
1764年、当時まだスペイン領だった地に、フランスの毛皮商人たちが建てたセントルイスはかつて、ルイス・クラーク探検隊をはじめとする、未知の大西部に挑むあまたの人々が第1歩を印した街である。 「苛酷な生活になるのは分かっている。でもただ座って、食べさせてくれる誰かを待っているつもりはない。」
ミシシッピを越えて西に拡がる原野で新生活を築こうとした人々の果敢なフロンテイア精神に敬意を表しようと、アメリカ国内最大のモニュメントが1965年に完成した。河岸にそびえ、セントルイスに足を踏み入れる人々を最初に迎えいれてくれるゲートウエイアーチである。63階建ての建物に匹敵する、高さ192メートルのアーチはメタリックな銀色に輝き、青空を流線形に切り取る。その高さゆえにアーチは薄く鋭く空を切り裂くかのように見えるが、実は内部を狭い5人乗りの観覧車が昇降しており、観光客は、アーチの頂点に立つことができるのである。
妙な緊張感があった。狭い観覧車の中で、背をこごめ、身を寄せ合い、小さな窓から見えるアーチを支えるケーブル群に感嘆していると、約4分後にはがたがたと頂点に着いた。アーチから見下ろすと、セントルイスの街の向こうに、ぼんやりと藍色に地平線が浮かんでいる。どこまでも続く平坦な空間の拡がりーその形こそが、日本に来航した黒船にまで託されていたアメリカ人の心の原風景なのだろう。
セントルイスの魅力は、さまざまな民族文化と歴史が織りなすカラフルでパワフルなエネルギーだろう。フランス人がやってくる前の先史時代のインデイアン遺跡、カホキア・マウンド歴史センターがあるかと思えば、ニューヨークのセントラルパークより広いフォレストパークには、全米最大の日本庭園がある。アーチの向かいにある旧裁判所は、アフリカ系アメリカ人にとっては民族的誇りを象徴する記念碑に違いない。1846年、奴隷制廃止に先立つ20年前に、奴隷だったドレッド・スコットが妻ハリエットとともに、その後、11年間かけた闘いとなる、全米最初に自由を求める訴訟を起こしたのがこの裁判所である。
そして愛飲家にとってうれしいのが、19世紀後半に大量に移入したドイツ系移民が持ちこんだものービールだろう。1860年にはすでに40あまりの醸造所がセントルイスにはあったが、その中の1つ、アンハイザーブッシュは1876年から、アメリカビールの代名詞「バドワイザー」を、1896年から「ミケロブ」を製造している。現在全米で販売されているビールの47パーセントを製造している世界最大のビール会社である。
無料試飲ツアーがあると聞いて、早速参加した。どこかのカレッジを思わせる瀟洒な赤いレンガ造りの工場で、その内部はシャンデリアも輝く豪華さである。約1時間をかけて製造工程を一通り”学習”したあと、ただひたすら我慢強く待ち続けた試飲室へ。おつまみつきでゆっくり好みのビールを何杯か味わうことができる。好奇心でギフトショップをのぞこうものなら、罠にはまりつつあることを確実に意識しながらも、奇妙にうれしい時間を過ごせるから不思議だ。
工場見学のあと、ほろ酔い気分で、近代ビルとレンガ造りの古い建築物が混在する、歴史の薫りあふれる通りをぶらつくと、さらに深い世界に誘うものがある。「犬も歩けば教会にあたる」と言わんばかりに教会が多い。地元の人によると、通った学校名を聞けば、その人のすべてが分かるとか。それほどまで宗教は、しっかりと人々の人生に根をおろしている。それだけに、のちに映画化されたエクソシズム(悪魔払い)が、セントルイスで実際に行われたと聞いても納得がいく。
1949年5月、イエズス会のカソリック神父は、悪魔ののりうつった14歳の少年と2ケ月間のあいだ寝食をともにし、30回に及ぶエクソシズムの儀式を行って、少年を救った。そのイエズス会の大学、当地最古のセントルイス大学の教会には、日本とゆかりの深いセント・ザビエルの名が冠されている。
たとえクリスチャンでなくとも、足を運び一見の価値に値するのが、カセドラル・バシリカ・オブ・セントルイス(新カセドラル)である。ロマネスク様式の重厚な建物の厚いドアを押して、中に入ったとたん、思わず息をのむ。69メートルの高さをもつ6つのドームの天井や壁、ビザンチン様式のアーチ、大理石柱など、約83000平方フィートを埋め尽くした光り輝くばかりの鮮やかな世界が広がっている。微妙な輝きを見せる金、青、赤、白、緑など7000色のガラスモザイク壁画は世界最大のコレクションである。1912年に始まり、1988年に完成したモザイク芸術が語るカソリックの歴史の重みは、門外漢にも深い感動となって心に染み入っていく。
旅の終わりに再び、街中を走るルート66に戻った。ルート沿いにある1929年創業の「テッド・ドリュース・フローズン・カスタード」の超有名な、コンクリート並みに固いカスタードをほおばりながら、ミシシッピ河以西で最も古いスーラーズ・ファーマーズ・マーケット(1779年)をぶらぶら歩いてみる。アイスクリームコーンが世界に初めて紹介されたのも、セントルイスだったなと思い出した。1904年のワールドフェアのことである。 セントルイスー広大なアメリカ大陸の中西部にある、感慨深い、歴史再訪の街である。