「リンカーンの国から」
(4) ニューセイラム
1831年3月、親から独立したリンカーンと従兄弟たちは、スプリングフィールドで出会った投機師デントン・オフットに雇われて、近くのサンガモンタウンで平底荷船を作る仕事についた。1ケ月12ドルの賃金だったそうな。4月から7月にかけて、その平底荷船でニューオーリンズまで豚や豚肉、とうもろこしなどを運び、オフットとともに帰ってきて落ち着いた先が、スプリングフィールドから北西へ18マイルほどのところにあるニューセーラムだった。できて2年目のフロンテイアの町である。
サンガモン川のそばのニューセーラムに将来を見たデントン・オフットは、新しい店を開くことを決意、リンカーンはそこで事務員となって働きはじめた。働きながら、私塾へ行って簡単な算数を学び、シェークスピアを読み、地元の人々と政治論議をした。小さい時から鍛えた力仕事と話のうまさが、リンカーンを若くして村でひとかどの人物にしていたようだ。
リンカーンは、前年の1830年の夏にはじめて会ったときから、著名な政治演説家でメソジスト派の巡回牧師、ピーター・カ−トライトを論敵にしていた。そして、偽名や匿名を使って彼を批判する記事をウイッグ党の機関紙「サンガモン・ジャーナル」に書いていたらしい。二人の議論を聞いた人は、「確かに農場で働くリンカーンはみすぼらしい格好だったが、立ちあがって話をしだすと、その議論の上手さにはびっくりした」という感想を残している。
ニューセーラムに来たわずか1年後の翌1832年3月には、すでにイリノイ州議会に立候補しているのだから、相当な議論の達人だったのだろう。が、地元のサンガモン川の航行改善と教育改革を訴えた初めての選挙には、候補者13人中8番目という戦績で負けている。オフットの店がつぶれると、ウイリアム・ベリーとパートナーを組んで店を購入、ビジネスをはじめたものの、2度ともうまく行かず、リンカーンは借金を抱え込んだ。べりーは、店の儲けを全部飲んでしまうし、リンカーンは座って本ばかり読んでいてビジネスには関心がなかったというからつぶれて当然だろう。
1833年から3年間はニューセーラムの郵便局も引き受けた。といっても、切手のなかった時代のこと、局長リンカーンは、手紙を帽子に入れて配達するのが仕事である。受け取った人が代金を払う仕組みで、30マイル以内なら6セントだったとか。1834年に入ると、郡の測量技師代理も務め、3年間地元のあちこちを測量した。法律の勉強をしながら、生活のためにさまざまな職業を経験したのが、リンカーンのニューセーラム時代である。
1834年、24歳の時にいよいよウイッグ党の党員として、念願のサンガモン郡選出州下院議員に当選、この時に、のちに大統領選にまでもつれこむ宿敵の民主党議員、当時21歳のステイーブン・ダグラスに出会っている。
1835年、パートナーのベリーが死んで、借金がますますふくれあがる一方で、1836年、リンカーンは再選され、ウイッグ党の党首となる。翌9月には弁護士の資格も得た。1837年2月、イリノイの州都を州南部のバンダリアから中央部のスプリングフィールドに移すという、リンカーン自身が尽力した法案が下院で成立すると、弁護士リンカーン自らもニューセーラムを去り、スプリングフイールドに移っていった。 ニュ−セーラムで過ごした6年間のあいだに、リンカーンは、サンガモン郡を地盤にした政治家としての基盤を築いたのだった。
現在、ニューセーラムは、当時の村を再現したテーマパークである。テーマパークといっても、デイズニーランドや日本におけるそれのように、非日常の空間を創り、いやにごてごてと飾りたて、客が遊び、お金を落とすのを第一目的とするものではない。1920年代にはすでに州の史跡に認定されていた場所で、訪ねた者を1830年代の世界に自然に誘っていく教育の場となっている。
うっそうとした森の中を一本の道が通り、その両側に23軒の家や店が建ち並んでいる。1830年代に建てられた建物も一つだけそのまま残されている。リンカーンがベリーと組んで始めた店も二軒とも再現されている。鍛冶屋に酒場、雑貨屋、粉ひき場、学校に教会、医者と小さな建物がのんびりと続く。道端では昔の服装をまとった女の子が機織りをしたり、バイオリン弾きを演じている男の人もいる。昔のパイオニア時代の村の生活を想像しながらぶらぶら歩いていると、ここから生まれた政治家リンカーンの才能と、歴史に自分の名前を残したいと渇望したリンカーンの意志力と野望に改めて感嘆する。リンカーンとベリーの店では人々が集まり、天気から政治までさまざまな議論がえんえんとたたかわされたに違いない。
リンカーンがいた時代のニューセーラムは活気があったが、彼がスプリングフィールドに移るころにはそろそろ斜陽の影が落ちていたという。そして現代のニューセーラムにはー。こもれ陽がさしこむ森の中を恋人と手をつないでぶらぶら歩いてみたい、そんな若き日の初々しい思いにふとかられるような、古い映画の一シーンを思いださせる、のどかな古き良き時代がある。