「イリノイ探訪」
トロイグローブ
その名を、地図の上で偶然見つけたときは、うっそおおおって感じだった。まさか、そんなはずが。地図の小さな字がよく読みとれずに、虫めがねをかばんから取り出して、もう一度見た。確かにそう書いてある。思わず、やっぱりなあと一人ごちた。どうしても私はサウスダコタから逃れられないんだ、つまりサウスダコタはいるべくしていた場所だったんだ、私の運命だったんだ、と大仰に考えて勝手に納得してしまった。
私はかつてその人の墓を、サウスダコタ州ブラックヒルズの山中に訪ねたことがある。回りを山に囲まれた谷間の小さな町は、今なお狭い通りのあちこちから、酒場で騒ぐ男たちの怒鳴り声や、胸を大きくはだけた女たちの嬌声が聞えてくるかと思いきや、突然ガンマンの放った銃声と甲高い悲鳴がとってかわるような気がしてくる、そんな西部劇の世界が売り物の町である。男はそこの酒場「ナンバーテン」でポーカーをしているときに、後ろから頭を撃ち抜かれて死んだ。男が死んだ時、嘆き悲しんだ西部の荒くれ女がいた。男の死後27年が経って、女は、男のそばに埋めてくれ、と言い残して53歳で死んだ。今、二人は町を見下ろす小高い丘の上にあるマウントモリア墓地で並んで眠っている。町の名は、全米最後のゴールドラッシュに湧き、大西部一の無法者が集まったと言われるデッドウッド。女の名はカラミテイ・ジェーン、そして男はワイルド・ビル・ヒコックである。
まさかワイルド・ビル・ヒコックがイリノイ生まれとは知らなかった。地図によると、なにやら州政府が造った記念碑まで建っているというではないか。懐かしさにかられるようにして、翌日早速私は39号線を南に車を走らせた。80号線とぶつかるちょっと手前に、ヒコックが生まれたトロイ・グローブの村がある。1990年の国勢調査によると、人口259人、家屋数96とのこと。が、今はもっと少ないに違いない。風雨にさらされ、壁が落ちた空家が目立ったし、何せコーラ一杯飲みたくても店一つ、自動販売機一つない、入ったと思ったらもう出ているような村である。
農場に囲まれた、平和を絵に描いたような小さな村で、大西部を駆け抜けた男、ワイルド・ビル・ヒコックのメモリアルはすぐに見つかった。大木が数本立っている、公園とも呼べない空き地にあった。土曜の午後だった。時折、静まりかえった空間の一角から聞えてくる母子の楽しげな笑い声が、動きをとめた空気をさざめかせて聞えてきた。その空き地の中央に、州政府が1929年に建てた立派な石の記念碑があった。
「ジェームス・バトラー・ワイルド・ビル・ヒコック グレートプレーンのパイオニア。1837年5月27日にここに生まれる。1876年8月2日にデッドウッドで暗殺される。南北戦争で北部支援のため、西部諸州でスカウトやスパイになって働き、またフロンテイアではエクスプレス・メッセンジャーとなり、法と秩序を守るために貢献した。とりわけ、大西部が女子供にとっても安全な場所となるように努力した。いつも正義のために勇気を振るった。」
荒くれの大西部に、39年の短い人生をかけた「正義の味方」ワイルド・ビル・ヒコックである。記念碑の横に、1999年にビル・クラフトという人が鎖のこで作った、ヒコックの木像がおいてあった。その大きな顔を見た途端、私は思わず大笑いしてしまった。明日のわが身も分からぬ、フロンテイアの荒野を生きた一匹狼の男の精悍さは全くなし。何やら、チャールズ・ブロンソンが幸せを照れ隠ししながら、それでも喜びを隠しきれないといった風情の、垂れ目で間延びしたくずれた表情だった。これが”フロンテイア・ダンデイ”と呼ばれたワイルド・ビル・ヒコックなの。がっくりもいいところだった。が、まあ、男まさりのカラミテイ・ジェーンが惚れた色男ヒコックさんも、時にはこんな顔になった瞬間もあったかも知れない。
よく見かけるヒコックの肖像画によると、ヒコックは6フィート3インチの長身で、カスタムメードのブーツをはいている。人をひきつけて離さない灰色の目は見る者をまっすぐ射抜く。黒い帽子をかぶり、金髪を肩まで垂らしている。肩幅は広く、腰は細い。猫のように身軽で、決闘ではどちらの手にコルト銃を握っても正確に的を狙い、敵を撃ち殺した。一つコンプレックスと言えば、ダックとあだ名されるような、前に突き出た薄い唇だったとか。唇を隠すために口ひげを生やしていたらしい。プロのギャンブラーでもあり、とにかく”クール”を地でいく早撃ちガンマンが、この平和な村トロイ・グローブで生まれている。
165年間それほど変わったとも思えないこの村は、ヒコックが生まれた時はホーマーと呼ばれていた。現在もその当時のものと思われるような、古いレンが造りの建物が1つだけあった。父親は、長老教会の執事をしていたウイリアム・アロンゾ・ヒコックで、1801年ヴァ−モント生まれ。英国ストラットフォードで、ウイリアム・シェークスピアと隣人だったヒコック家の子孫だそうで、先祖は1635年にアメリカに渡ってきた。母親の名はポリ−・バトラー。第41代アメリカ大統領だったジョージ・ブッシュは、このバトラーの子孫とか。そうなると、今の大統領もワイルドビル・ヒコックとどこかでかすかに血がつながっているということになるのか。が、シェークスピアにブッシュと並べられると、思わず、「ほんまかいな」が私の口をついて出てきた。
1827年に二人は結婚、1833年にトロイ・グローブに移ってきた。”ワイルド・ビル”ことジェームス・バトラー以外に、男女二人ずつ計5人の子供をもうけた。最初一家は、「グリーンマウンテンハウス」という雑貨屋を始めたが、のちに農業に転じた。その一方、父アロンゾは長年、奴隷の逃亡を助ける「アンダーグラウンド・レイルロード」の”駅”も提供していたというから、かなりリベラルな家庭だったのかもしれない。痩せていたが屈強だったジェームスはおとなしく農業と“駅”の仕事を手伝ったが、同時に銃や射的、決闘に異様な興味を示した。そして村にいる時からすでに、狙撃の名手として知られるようになっていた。そのため両親、とりわけ父親とはあまり仲がよくなかったようだ。
大西部のロマンチシズムにとりつかれて、ヒコックが兄のロレンツオといっしょに、この村を出たのは1856年、18才の時だった。一度2ケ月ほど戻ってきた以外、二度とトロイグローブに帰ってくることはなかった。冒険に満ちた広い別世界を見たあとでは、もうこの村の平和で単調な暮らしに落ち着くことはできなかったろう。
カンサスでは農業を手伝いながら、奴隷制反対運動に参加。モンテイセロという村で保安官に。南北戦争時代には、駅馬車の御者や斥候やスパイになって活躍、のちに連邦保安官代理にもなった。その卓越した銃さばきと”鉄の宰相”並みの強力な治安維持能力が、フロンテイアの無法地帯に秩序をもたらしたとか。ネブラスカでの撃ち合いの話が1867年に「ハーパーズマガジン」に掲載されてから、ワイルドビル・ヒコック伝説が創られていく。1868年頃にはコロラドで陸軍のスカウトとなり、キオワインデイアンと闘ったこともあった。が、すぐに除隊している。陸軍の駐屯地は酒場もない僻地で、気晴らしのギャンブルができないから、ということらしい。自分に正直な人はなんとも気持ちがいい。
私の中で、サウスダコタとヒコックが再び結びついたのは、ダコタで殺された第7騎兵隊のカスター将軍がヒコックと出会ったことを知ったときだ。カスターのヒコック評(1874年)は、「ヒコックは男の中の男だ。自分のことは、尋ねられるまで絶対にしゃべらない。会話は決して卑しくも無礼にもならず、彼の言葉は法律と同じだ。」 うーん、”男は黙って・・・”を地でいく伝統的な男らしさにキューンとなる自分に一瞬驚いたものの、やっぱりな、とちょっとがっかりしたのは、ヒコックもまた女性問題で失敗して、人生を見失ったらしいと知った時だ。カンサスで連邦保安官だったときに、高級売春宿のおかみがらみで決闘したらしい。相手の男は撃ち殺したものの、間違って自分を助けに来てくれた友達も撃ち殺してしまった。それからのヒコックは、人に銃を向けることはなく、代わりにアルコールとギャンブルにのめりこんでいったという。治安維持の役目でありながら、ギャンブル好きな自分に疲れてもいたというから、根はすごくまじめな人だったに違いない。晩年は、緑内症かトラコーマか、とにかく目の病気をわずらい、サングラスをかけていたというが、その絵を私は見たことがない。
1874年あたりにワイオミングのシャイアンで、サーカスを興行するアグネス・レークという女性と結婚したという資料に、再び「ほんまかいな」とつぶやきながら、女の私としては、ヒコックの横に埋められているカラミテイ・ジェーンのことが気にかかる。カラミテイはヒコックの命を助け、結婚し、娘をもうけて離婚、娘は養子に出されたという一説もあるぐらい、カラミテイとヒコックの仲は伝説的だ。が、亀井俊介はその著「アメリカンヒーローの系譜」(研究社出版)の中で、ヒコックは「“名保安官”の代表」「非常な伊達男だった」と好意的だが、なぜかカラミテイに関しては、ヒコックと連れ立ってデッドウッドへ行ったこと「が事実としても、二人が“恋人”だったことにはならない。」「ヒコックとしては、せいぜい面白がって、このあばずれ女とともにデッドウッドに乗りこんだのではないか」(277ページ)と非常に冷たい。思冬期に入った中年女は、男が世を去ってから4半世紀経ってもまだ、自分が死んだら横に埋めてほしいと言い残せた女の気持ちをうらやましく思い、その一方で、もしかして好きでもなかった女に、伝説とまでなって永遠に慕われた男の気持ちを想像する。
トロイ・グローブにあるヒコックのぶざまなまでの照れ隠しの表情は、案外、伊達でクールで鳴らした男が天国で感じている、己れの末路を女で飾った自分への照れかもしれないなあ。