「イリノイ探訪」
フランクリン・グローブ
もう四半世紀も前、飛行機の格安チケットを扱っている大阪の旅行代理店で、「アメリカでも行こうかな」と話したことがある。するとカウンターの若いお兄さんが、顔をしかめながら「アメリカで何するの」と聞いた。「別に。ただ見に行くだけ。」と私。「あそこは見るところじゃないよ。見るものなんて何もないよ。何かをするところや。」と、間髪を入れずに返事が返ってきた。
「ふーん」と妙にその言葉に納得した私は、その後1ヶ月のインド旅行に出た。今、アメリカ生活も16年を数えるようになると、あの時のお兄さんの言葉がつくづくと身にしみる。アメリカは、私のように身体を動かすのが苦手な人間には、実に退屈な所と思う。全米のいくつかの都市を飛行機で飛びまわらねば、日本人には観光旅行した気分にはなるまい。
ただだだっ広いだけの土地で、何の変哲もない日々が淡々と過ぎていく。たまに家の前を通る車の音に驚く田舎生活であろうと、無機質のコンクリートの巨大な帯が空に交錯する都会生活であろうと、私は、乾いた即物的なアメリカから逃げ出したくなって、家族から離れよく一人旅をした。南はユカタンからコスタリカへ。東は、アジアの雑踏のぬめりに焦がれて、フィリピンや台湾へ。
やがて加齢とともに、飛行機に乗るエネルギーも期待感も失われてしまったが、それでも時々いてもいられない気持ちに襲われる。私が、人口950人の村、フランクリン・グローブをめざして、リンカーンハイウェイ(イリノイ38号線)をデカブから西に車を走らせたのは、そんな気分の一日だった。
リンカーンハイウェイは、全米最初に東のニューヨーク・タイムズスクウェアと西のサンフラシスコ・リンカーンパークを結んだ大陸横断道路である。全長3389マイル、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、オハイオ、インデイアナ、イリノイ、アイオワ、ネブラスカ、ワイオミング、ユタ、ネバダ、そしてカリフォルニアと12州、1928年にはルートが変わって、ウエストバージニアが加わり、通過州は13州となった。
高速料金をとらない、アブラハム・リンカーンを記念する大陸横断道路の構想は、1912年企業家カール・フィッシャーから生まれた。1913年7月に、デトロイトでハイウェイ協会が発足し、企業と個人からの資金募集運動が始まった。最初の工事は、1914年9月、イリノイ州のマルタ近くで始まっている。完成は1928年、協会は1935年に解散したが、1992年に再結成された。フランクリン・グローブにあるのは、その全米事務局である。
なぜフランクリン・グローブなのか。村にハイウエイが通っているのはもちろんだが、イリノイがハイウエイ通過13州のちょうど真中にあたり、かつ事務局となっている建物を1860年に建てた人物がなんとヘンリー・リンカーンという名前で、その当時雑貨屋だった建物にリンカーンの名前が刻み込まれているし、かつ店の前を通っていたのがリンカーンハイウェイだというので、と、なにやら「リンカーン」づくしで、ここが全米事務局に選ばれた、と現在の家主、ジョン・ニコルソンさんが言った。もちろん村にしてみれば、観光振興の一端を担っている。事務局には、各通過州に置かれたそれぞれの支局から送られてくるハイウェイに関する資料が集められていた。泥や砂漠、悪天候と、ガソリンスタンドもモーテルもない時代に、大陸横断道路の建設には大変な苦労があったに違いない。
今、リンカーンハイウェイは、連邦政府によって、ナショナル・シーニック・バイウェイとして認知され、歴史的な価値が認められている。「協会にはたくさんのメンバーがいるのですか。」との私の問いに、ニコルソンさんはいます、いますと相好をくずした。「ほら、よくぴかぴかのクラッシックカーが連なって走ってるでしょう。メンバーはああいうタイプの人たちが多いですね。みんなノスタルジアに駆られて、リンカーンハイウェイを愛してるんです。現在の高速道路ができる前の時代のことですから。」
そうか。アメリカ人の身体に宿る、アメリカ人としての誇りをかいだような気がふとした。かれらの歴史は「移動」の歴史でもあるんだ。フロンテイアを求めて、そして新生活を求めて動き続けること。そのエネルギーが誇りなんだと。馬、幌馬車、そして車と道路。
私は、とうもろこし畑の横に車を止め、旅人の目でハイウェイを走り抜けていく車、車を見つめていた。ターバンをしたシーク教徒の男性が、私にもの珍しそうな視線を投げて走りさっていく。彼や私がアメリカで直面する人種差別やその他さまざまな社会問題なんて、存在すら認める必要のない無責任な旅人同士の目が一瞬交感する。
いつか、リンカーンハイウェイやルート66のでこぼこ道をたどって、アメリカ大陸を横断してみたいと思った。その時はじめて私の「アメリカ」は、人生という旅の甘酸っぱい思い出となって、私をゆったりとくつろがせてくれるのではないだろうか。退屈なアメリカの日常にかすかに芽生えた深い旅心への、小さな期待と夢である。