「イリノイ探訪」

アルトン

 

 女はすっと自分の手をの手の中にすべりこませた。その瞬間、不思議なあたたかさが女の身体の中を走った。の手は大きく、暖かかった。ふうん、自分より背の高い男性と並んで、手をつなぐって、こういう感じなんだあ。先の見えた人生で、初めて経験した小さい女の感覚に、中年女は30年は若返った気持ちで微笑み、に身を寄せた。

 

 以前、インターネットの、背の高い女の子の悩みサイトに載っていた言葉を、女はふっと思いだした。「マンガチックだけど、一度背伸びして、男の人とキスしてみたい。」

 

 となら、たとえ背伸びしても、映画のシーンのようなキスは無理だ。

 美しい人が平均の人より有利になる率はすごく小さい、しかし平均的な人が醜い人より有利になる割合はものすごく大きい、つまり美しくなるより、平均的になるほうがずっと大事である、と学者が本の中で言っている(「ミラーミラー」355ページ)。つまり、「普通」が一番価値ある外見だというわけだが、も何度「普通」になりたいと思ったことだろうか。時には激しく思いつめただろうが、わずか22歳の若さで、は世を去っている。の名はロバート・パーシング・ワッドロウ。

ミシシッピ川をはさんで、セントルイスの対岸にある街、アルトンに、ワッドロウの実物大の像が立っている。

 

 

 セントルイスの友人に、世界一背が高い男性の像があるよ、と聞き、ぜひ見たいと思ってからちょうど一年が経っていた。無事にと対面したとき、やっと会えたという喜びがまず最初だった。自称1メートル76センチ、英語ではファイブテンと言っている私が見上げる大男である。亡くなったときの身長は8フィート11インチ、体重は490ポンドだった。並ぶと私の顔がちょうどのお尻のあたりに来た。

 

 1918年にアルトンで、長男として生れた時の体重は、平均的な8ポンドだった。ところが、生後6ケ月で体重は30ポンドに。5歳の時にすでに5フィート6インチで、17歳用の服を着ていた。10歳までに6フィート5インチ、体重は200ポンドを越えた。13歳で7フィート4インチ。世界で一番大きいボーイスカウトになった。成長ホルモンの異常で、毎年3インチから5インチ伸び続けた。下にできた二人の妹、二人の弟は発病していない。1937年に8フィート4インチを越え、1877年に死んだアイルランド人の記録を塗り替えて、歴史に残る人物となった。直接の死因は、足にできた水ぶくれの化膿で、手術・血液交換のかいもなく、高熱が続き、そのまま亡くなった。現代医学では、ホルモン調整で直せる病気だが、当時は治療不能だった。

 

 像の前に立つ碑には、ワッドロウは、その前向きな姿勢とやさしい物腰で知られていた、とある。「前向きな姿勢」−彼はできるだけ通常の生活を送るために、切手集めや写真を趣味としたが、非常に物静かで、「ジェントル・ジャイアント」と呼ばれていたとか。資料には、旅行しても、彼だけが船遊びができなかったとか、車に乗るのが大変だったとか、ホテルではダブルベッドを3つ並べて斜めに寝たとか、千ポンドもの棺おけを運ぶ人間が大勢必要だったとか、映画館で苦労したとか、とにかく「大きい」ことの苦労がいろいろ書いてあった。1936年の高校の卒業写真では、彼一人、一番後ろで富士山のようにそびえている。

 

 「大きい」ことの苦労は現代も変わらない。まず自分に合う服と靴がなかなかないこと。棺おけを運ぶ人間の数の心配は、現代の老人介護で、大きい人間は重いと嫌われるといったところだろうか。ワッドロウは、1937年にインターナショナル・シュー会社の親善大使となって、アーカンソーなどの近隣の州はもちろんのこと、ハリウッドなど西部まで旅行するようになった。以後、サイズ37の靴は会社がただで作ってくれるようになったとか。親善大使といえば聞えはいいけれど、真実は、世界一でっかい男の「見せ物」であろう。

 

 サンデイエゴに住む、身長6フィート1インチのアメリカ人女性と話しをしたことがある。日本人観光客は彼女を見ると必ず、「わあ、大きい。いっしょに写真をとらせてください。」と言って、彼女の横に並ぶという。「出る杭はうたれる」と「平均的」を尊ぶ土壌で育った日本人観光客に、自分たちの行為がいかに人間の尊厳を傷つけるものかは想像もつかない。

 

 「見せ物」になる苦しみは、ワッドロウの死後、家族が彼の服や持ち物をほとんどすべて処分したという事実が、すべてを物語っている。ワッドロウが有名になることは、家族にとって耐えがたいものだったに違いない。

 

 若かりし頃、「大女総身に知恵は回りかね」「馬鹿の大足」といった言葉に悩んだ私は、ふと思った。ワッドロウをたたえるとは一体何なのか、と。病気で世界一大きくなった人間の何を称えるというのだろう。もしこれが女だったとしても、ワッドロウと同じように称えられただろうか、とも。日本語には、一人前、立派という肯定的な意味で「大の男」という言葉はあっても、「大の女」という言葉はない。「大女」という言葉は差別的な意味をもっている。(佐々木瑞枝著「女と男の日本語辞典上巻」東京堂出版、30ページ、251ページ) 英語にも同様の差別語があるのだろうか。

 

 かつて「ジャンボ」とあだ名された女は、握っていた「ジェントル・ジャイアント」の大きくて、冷たい手を静かに離した。男がなぜ「ジェントル」だったのかその気持ちを、たぶん「ジャイアント」とは呼ばれたくなかっただろうその気持ちを、そっとしておいてあげたかったからである。