蝶の夏

 

あれは、春3月はじめの頃だった。零下30度の凍てついた冬の大気もいつしか柔らぎ、生命の息吹きがあちこちで感じられるようになってまもなくだった。

 

玄関前のポーチの近くで、四匹の野兎の赤ちゃんが、一心不乱に草を食べていた。冬の間に、ポーチの下で生まれたらしい。手のひらにのりそうな、小さなころっとした体、ふさふさとした灰色の毛、尻尾のあたりだけ丸く白いのが愛らしい。小さな物音に耳をそばだてながら、必死で草を食べる四匹の姿はほほえましく、見ていると心が優しく和んだ。

 

それから1週間も経っただろうか。ある夕方、庭の片隅で、四匹のうちの一匹が無雑作に草の上にころがっているのを見つけた。

死んでいた。血が出たり、体が傷つけられていたわけではない。近所の猫か犬かに、前足で一振り、叩き殺されたかのような死に方だった。

真ん丸い小さな黒い瞳は、しっかりと見開かれたまま、灰色の毛は、生きているかのようにふんわりと柔らかそうだった。私がどんなに見入っても、体は微動だにしなかった。止まった時間を、私は、死体を取り巻くわずかな空気から感じ取った。

 

しかし、兎の死以上に私が驚いたのは、そこから1メートルばかり離れた草の上で、残りの三匹が、まるで何事もなかったかのように忙しく草を食べていることだった。殺された一匹の姿など目に入らないのか、目を一点に固定したまま、ただ黙々と口を動かしている。

 

彼らにとって「死」とは何なのだろう。ただころがっているだけの体と、そのすぐそばで必死で生きようとする体を見比べながら、私は不思議な感覚にとらわれていた。自然界では、死は何の意味も持たないらしいという思いが、実に新鮮に、奇異に感じられたのだ。

 

翌朝、もう一度同じ場所をのぞいてみた。驚いたことに、死体はもうそこにはなかった。少し離れた木のそばに、その残骸が無残にも散らばっていた。もう兎の形はとどめていない。肉は引き裂かれてほとんど残っておらず、灰色の毛は、草のあちこちに散っている。まばゆい朝の光にさらけ出された白い骨格と、その回りにわずかにまつわりついている灰色の毛と白い尻尾の残りが、かろうじて私が見た動物を思い起こさせた。たぶん、近所の犬か猫、それとも夜、人間が寝静まった頃、近くの森から足をしのばせて出てくる狐かコヨーテに、食いつかれたに違いない。死んだものにすら、生きていくものの情容赦ない執念が襲いかかるのだ。私は無意識に、手を合わせていた。

 

そのまた翌日、もう一度庭に出てみた。もう骨も毛も、跡形もなく消えてしまっていた。風で吹き飛ばされてしまったのだろうか。あとで隣人から、大きな黒いカラスが二羽、兎をくわえて飛んでいったよ、と聞いた。

忙しく草をはみ、大きくなろうと必死で生きていたあのかわいい兎は、最後の最後まで食い尽くされ、消えてしまった。自然に還るとはこういうことなのだろうか。

 

それから3ヶ月近くたった夏の初め、あの電話は夜の11時ごろ鳴った。受話器をとると、

「もしもし、多佳子」

日本の母からだった。

「はい」

私は寝ぼけていた。

「多佳子」

「はい」

「多佳子、えらい事になったわぁ」

母がおろおろしているのが感じられた。

「どうしたん」

「お父さんがねえ、倒れてねぇ、そのまま息を引き取ってしもうたぁ」

その時の空白感は、今も私の視界をおおっている。

 

葬儀が済み、火葬場に父を送って二時間後、私たちは再びあの厚いドアの前にいた。係官が頭を下げた。父が出てきた。

 

私が最後に見た父の顔は、もうそこにはなかった。下向き加減にうっすらと開けた目、黄色い粘膜におおわれたような瞳、わずかにあけた平たい唇、ほおのこけた薄茶色の顔、路上で倒れたときに、したたかに打ってできたらしい右目の下の赤黒いあざー父らしさは何もかもなくなって、乳白色の骨がかろうじて、人間の形に並んでいるだけだった。触れれば、今にもぼろぼろと崩れてしまいそうだった。

 

私は父の骨を無表情に拾いながら、あの朝庭で、骨をさらした兎の残骸をまのあたりにした時の感覚を思い出していた。そして死体の横で、平然と草を食べていた三匹の兎たちのことも。

今、平然と草を食べ続けていかなければならないのは、他ならぬこの私だった。

 

葬儀が済んで2,3日してから、私は父の畑に初めて行った。

畑は、谷間の小高い山を切り開いた斜面にあった。回りはきれいに耕され、段々畑と田んぼが広がっている。谷間の向こうには、紺色にかすんだ山々が連なっている。そのふもとで、住宅地が小さな三角形をつくり、家々の窓が陽の光を反射して、きらきら光っているのが見えた。遠い。人間の煩雑な日常生活は遠く、もう考えられないほどかなたにあった。

 

近くの木から、鳥のさえずりが聞こえた。足元では、父が精魂こめて育てたトマトやきゅうり、白菜、キャベツ、玉ねぎ、なすび、じゃがいも、里芋、ごぼうが父を待っていた。

父は野菜の世話に疲れると、木の根元に腰をおろし、ビールを飲み、空を仰ぎ、時には昼寝をすることもあったという。畑が隣で、偶然にも父と同郷だという川端さんが、この日も畑に出ていた。

「お父さんは、本当に楽しんでいらっしゃいましたよ。ビールを飲みながら、郷里の話や昔尋常小学校で芋を作ったことや、エッチな話なんかもしました。ここでこうしているのが天国ですなあ、と言っておられました」

 

私は畑に座りこんで、玉ねぎを思いっきり引っこ抜いた。土の下から立派な玉ねぎが出てきた。長く太く育ったきゅうりも、あちこちつるの間から顔を出している。ひとしきり抜いたり切ったりして、持ってきたリュックサックを父の野菜でいっぱいにしたあと、私は畝に腰をおろし、缶ビールをあけた。一仕事したあとの解放感とともに飲むビールはおいしかった。そして、同じように飲みながら「ここは天国だ」と言った父が、その時何を見、何を聞き、何を考えたかを、私は全身の感覚をとぎすませて想像していた。優しい空、輝く陽光、柔らかい風、かろやかな鳥の声、父が掘り起こした深い土、父が作った小さなため池の水、そしてこの風景とともにどんどん育っていく野菜たちー自然との一体感こそ父の至福だったと確信した時、父は私の中にいた。

 

たまに話をしても、視線を合わせることは決してなかった父に、うまれて初めて優しく呼びかけるかのように、缶のそこに残ったビールを畝の上にふりまいた。その時だった。それまで見たこともなかった、熱帯産のような蝶が羽を一杯に広げて、畝に止まったのだ。強烈なだいだいに、黒の複雑な線模様を太く細く鮮やかに刻みつけた羽が、五秒ほど動きを止めたかと思うと、ふわりと飛び去っていった。

蝶の不思議な姿を目で追いかけながら私は、硬骨漢の父の思いもかけなかったあどけなさに、思わず微笑んでいた。

 

夏の終わり、私は義理の家族といっしょに、大西洋上の小さな島で一週間を過ごした。

 

義母が借りた家は、居間の二方が湾に向かって大きく開かれていた。目の前には、沼地の潅木がしっとりとした緑をたたえて広がり、その向こうには、帯状の碧い水が、輝く銀波を浮かべている。白い家が点在する対岸の小高い緑の丘の前を、白い帆を風にまかせたヨットが、忙しげに銀波を縫ってすべっていった。時折かもめがカアカアと鳴いて、沼地を横切っていく。

 

広い居間の奥深く、くっきりと影のできた空間に身を沈めた私は、海から吹き渡る風に目を細めながら、四角に切り取られた安穏な風景をぼんやりと眺めていた。

そのうち、夏の間押し込めてきた感情がゆったりとあふれ出て、海にふりそそぐ陽の輝きは、私が父の畑で仰いだそれに重なった。それは、崇高なまで突然に逝った父の死の輝きでもあった。完璧な死を手に入れることで自分の美学を全うした父に、その強靭な意志を感謝するとともに、嫉妬にも似た静かな苛立ちが、私をゆっくりと満たし始めていた。

 

と、静止していた風景を切り裂くかのように、義母が私を呼んだ。

「多佳子、ちょっとこっちへ来てごらん。見せたいものがあるの」

近づいてみると、義母のTシャツに、大きな蝶がとまっていた。灰色がかった薄いクリーム色をしていた。

「こんな蝶、見たことないわ。こんなところに止まるなんて、もうすぐ死ぬんでしょうね」

と、義母が愉快そうに言った。

 

今にも消え入りそうな命の色に染まった蝶は、夏の初め、父の畑で邂逅した血のたぎるような蝶と呼応しあって、父の声をよみがえらせた。

「忘れたらいいんやで。生きていくことの方が大事なんやから」

たまらなく長かった夏が、とうとう終わったことを私は知った。(了)