第5回 子供たちの日常
年末年始を日本で過ごした。3学期の始業式前だというのに、1日8時間、12時間と小学生が塾通いをする状況に、暗澹とした思いで帰米した。
翻ってアメリカの子供たちは、確かにのびのび勉強している。自分のやりたいことをやりたいようにやりたいだけやって、教師も何も言わない。受験戦争がない代わりに、子供たちの関心は容姿や異性に向けられる。どうすればクールになれて、異性にもてるか、である。髪の毛の長さと色、服装、マニキュア、ピアス。。。もちろん学習能力の優劣も、異性との力関係で評価されるから、勉強ができるのはむしろマイナス効果である。
「クラスのサリーは金髪で、男の子の間で一番人気がある。遊び時間も、男の子の後を追っかけて、校舎の陰でくすくす笑いしているよ」という小学5年生の娘に向かって、「男の子のことなんて、知らん顔しておくのよ」と言ってきかせながら、内心ではリバウンドを心配している。アルコールや性を過度に警戒するキリスト教風土が逆に、中学生への避妊具配布や多発する性犯罪の土壌を生んでいるのと同様、異性への過度の抑制はむしろ逆効果になるような気がするからだ。
といって、人気者になりたいがために娘が、「勉強なんかできなくてもいい」と言うのを聞くと、日本全国の子供たちが、幼稚園入園からただひたすら同じ目標に向かって、日夜切磋琢磨している状況がうらやましくなる。ここの小学生の親も子も、有名大学に入学せねば、といったプレッシャーとは完全無縁である。それでも大学の入学競争は全米単位で行われるのだから、サウスダコタの学校の授業時間数は全米で一番短いと聞くと、日本の親としては、お〜〜い、何とかしてくれよ、と言いたくもなる。
「かっこいい」が子供たちの日常生活を支配しているから、はやっているものと言えば、フットボールや有名選手の話、英国女性グループ「スパイスガールズ」の歌や、テレビ番組「ホームインプルーブメント」(毎日放映されている30分のホームコメディ)のジョナサン・テイラー・トーマスといったところか。
子供たちに人気のテレビ番組といっても、ケーブルテレビの普及で、ディズニーチャンネル、マンガチャンネルと無数にあるため、特定の番組だけに人気が集中することはない。ましてやそれを見ていなかったから、友達の話についていけず、仲間はずれにされるといったこともない。
学校で一日に2度しかない遊び時間では、「オクテ」の少女たちは、wallballという壁にボールをぶつけて取り合うゲームやブランコ、少年たちはバスケットボール、となかなか「健全」である。
今、学校でどんな言葉が流行っているの、と娘に聞くと、娘は手をひねって回し、体をくねらせ、ムーンウォークのように頭を振って、”whatever” と言った。 “Who
cares?”(「どうでもいいよ」)の意味だそうで、なにやらしらけ気分が、アメリカの子供たちの間でも蔓延しているのだろうか。
とにかく勉強に追いたてられないから、週末や夏休みは宿題もなく、友達との遊びや町の各種団体が主催するスポーツやキャンプ、家族とのキャンプ旅行などに費やされる。週末は「ファミリータイムだから」と、友達と遊ばせない家族もあるくらいだ。特に日曜の朝は、町全体が教会一色になるので、教会に行かない我が家は、“異端”ぶりがばれないよう、娘には日曜の朝に友達に電話しないように諭さねばならない。
日本では、中学生になると、通知表に点数を加えるために、数回散発的に、児童館や老人施設を訪問するボランティア活動があると聞いた。実際は、あいさつもできず、身辺自立ができていない子供が多く、きてもらっては困るというのが本音だとか。
アメリカでは、ボランティアは本当にボランティアである。誰も「しなさい」とは言えない。クリスマス前に地元紙に大きく取り上げられたのは、他校に通う娘のサッカー友達が、福祉施設でクリスマスを過ごす子供たちやホームレスの人々のために、自分の学校の生徒会を動かして200枚以上のセーターを集め、施設に寄付をしたことだ。
そこにあるのは、”make a difference”(社会にさざなみを起こす、変化を起こす、の意。たった一人でも社会を変えることができるという意味でよく使われる)という自分と社会との関わりあいの訓練と社会的合意であり、「やりたい、やってみたい」という信念と自主性、そして行動力である。
ボランティア活動を通した子供と社会との関わり方には、親の生き方や考え方が測り知れない影響力を持とう。社会的訓練に経済的動機も加わって、ベビーシッターのアルバイトをする小学生もいる。家庭の事情で、お小遣いをもらえない子供もいる。だからといって何も卑下することはない。親の信念が肝要なのである。