リンカーンの国から

 

(48)第7回ディベート(最終回) アルトンにて

1858年10月15日

 

Text Box:  ああ、やっと読み終えた。ディベート7回、リンカーンさんもダグラスさんもご苦労さん。二人のよく分からぬ英語を必死で分かろうとした自分にも、「ご苦労さん」である(笑)。読み終えた直後の感想ーリンカーンの勝ち、である。ダグラスの演説からは、もう長年連邦上院議員を務めてきた大物政治家という自信とエゴが前面に出て、とにかく自分の権威を振りかざしている臭いがぷんぷんする。読んでいても、鼻をつまみたくなるぐらいだ。一方、リンカーンのほうは、ダグラスとは比べようもなく無名だから、理想を掲げ、問題を真摯に考えようとする新鮮さ、誠実さが感じられた。社会的地位へのエゴはない。それが、演説にもくっきりと表れていた。

 

最初のころは、リンカーンさんも緊張していたのだろう。演説の英語は修飾にまみれ、私の力ではよく理解できなかった。ところが、前回あたりから、リンカーンの演説のほうが格段にわかりやすくなった。つまり論点がはっきりしているのである。ところが逆に、ダグラスの演説がぐちゃぐちゃレトリックが多く、わかりにくくなった。本人も自分が何を言ってるのかよくわからなくなっていたのではあるまいか。つまり論が保身に傾いているのである。「終わりよければすべてよし」で、私の判定はリンカーンの勝ちである。(笑) そういえば、7回ともディベートを聞いたのは、二人にずっと付き添ったそれぞれの党の幹部と選挙運動員、それに各地から集まった新聞記者と私だけ?(笑)。イリノイのお百姓さんたちが、州の北から南まで各地を回って、二人のディベートを追っかけたとはとうてい思えない。物好きなのは私ぐらいだ(笑)

 

Text Box:  それにしてもまあ7回も、憲法やら独立宣言の解釈をめぐって、ああ言えばこう、こう言えばどうのと、素人には足挙げ取りにも似た議論をやるもんだ。すごい。アメリカの歴史は短いから、とアメリカを馬鹿にする口調の人はけっこういるが、やっぱりアメリカではアホでは勝てぬ。私のような普通の頭では、アメリカはほぼ理解不能ぐらいに思っている。リンカーンといいダグラスといい、オバマといいクリントンといい、法律家が国を作るからだ。日本の歴史は長いけれど、日本の政治家で、憲法解釈をめぐる議論で政敵に打ち勝って、選挙に当選した人はいるの? 二世議員で、名前だけで「選ばれ」、"誰がやっても同じ"の政治に、「先生」と呼ばれて胡坐をかいている人間がほとんどじゃないの。

 

1858年10月15日金曜日、クインシーでのディベートのわずか二日後、港町アルトンに次々と人々がおしかけはじめた。クインシーから車で2時間ほど南へ、現在は「グレートリバーロード」と呼ばれる、ミシシッピ河沿いの景観のいい道を走ったところにある、人口3万5千人の町である。高い絶壁と、イリノイ川との合流点となったミシシッピの流れにはさまれた、河川交通の要所の町だった。ニューオーリンズの北で一番大きな奴隷売買の町、セントルイスの対岸にあって、自由を求める多くの奴隷たちの姿が身近にあった。1820年代から多くの自由黒人が住み、1837年には、奴隷制廃止論者のイライジャ・ラブジョイが殺された町である。ディベートは、ミシシッピ河を見下ろす、ラブジョイが殺された倉庫があったところから、ほんの300ヤードほど離れたところで行われた。今は、リンカーン・ダグラス・スクウェアとなっている。

 

Text Box:  ディベート前の数日間、ミシシッピを行きかう船は、セントルイスから、長い黒髪をしたインディアンのような人間や、ミズーリやケンタッキーの奴隷所有主、奴隷売買人を運んできた。一方、北から船や鉄道でやってくる人々は、奴隷制廃止論者や共和党員たちである。南から来る人間たちとは、あきらかに違った風貌をしていた。CA & St.Louis 鉄道は、アルトンから各地の市までの運賃を通常の半額にして、人々をディベートに呼び込もうとした。朝10時40分アルトン着、夜6時20分アルトン発という列車が記録に残っている。アルトンに人々の視線がこれほどまで集まったのは、イライジャ・ラブジョイが殺されて以来のことだったが、ディベートそのものには、これが最後であるにもかかわらず、それほどの熱気は感じられなかった。新聞が過去6回のディベートを丹念に報じてきて、人々は二人が何をしゃべるかだいたいの見当がついたからである。

 

ディベートの開始は午後1時。5000人ほどの人が市役所の前に集まっていた。その中には、リンカーンの妻メアリと長男ロバートもいた。まあ最後だから、聞いておこうか、といったところだろうか。ロバートは、スプリングフィールドの陸軍士官学校生とともに行進した。音楽が始まり、礼砲が響いて、最後のディベートの口火を切ったのはダグラスである。ダグラスは風邪をひいたのか、連戦がたたっているのか、声はしゃがれ、1時間の演説はかなり痛々しいものだったらしい。遠くからは、番犬が短く鋭くほえているように聞こえたという。

 

この国が奴隷州と自由州に分かれても、国としてやっていけるのか否か。独立宣言には黒人の平等は含まれているのか否か、憲法を制定した人々は奴隷制の将来をどのように考えていたのか、将来のまだ見ぬ新領土に奴隷制を導入するか否かを決める力を持っているのは何なのか、連邦政府か州政府か、連邦法か州法か、州憲法をつくるのは誰で、いつなのか。州に昇格する前の準州に、州憲法を決定する力はあるのか。準州が採択した州憲法と連邦法と、どちらが優先されるのか。連邦政府は準州を拘束する力をもつのか。。。二人の論争はえんえんと、8月のオタワでの第1回ディベート以前、具体的には6月のスプリングフィールドの州議会での演説から、4カ月に及んでいた。あんたは、あの時あそこでこう言った、ああ言った、私はこういう意味で言ったのに、あんたは人の言葉をわざとねじまげて解釈している、とかなんとか、考えようによっては、どこにでもある「けんか」である。(笑) が、アメリカ憲法も独立宣言も読んだことのない私には、ほとんど分からず。(悲) 結局ダグラスは、(準)州民が住民自治で、自分たちの土地に適した州法ー憲法を決める権利がある、を主張し続けた。しかし思うに、住民自治というのは、多数決で決まる選挙の結果、という意味だ。それでは、不満分子がいつもくすぶろう。とりわけ、奴隷という「私有財産」ーつまりお金の話になると、いくら住民自治−選挙による多数決ーという民主主義的なプロセスを経ようと、どちら側であっても不満分子がいつまでも納得しているわけがない。リンカーンはそこを突いた。奴隷制は、いつも我々を争わせてきた、いつまで争うつもりなのだ、と。その通りである。金銭問題を凌駕できる普遍的な価値観はないのかーそれが、リンカーンの問いかけだったように私には思える。

 

Text Box:  ダグラスは、憲法なり独立宣言の解釈で、この国は白人の国だと宣言したが、「人種」を持ち出すことで、演説が低俗化したように私には感じられた。それは、現代においても言えることではないだろうか。が、リンカーンは、この部分に関しては一言も言質をとられていない。つまり、白人の優位性は一言も口にしていないのである。さすがリンカーン、である。ダグラスのほうも、思うところあってか、黒人が市民でなく、我々と平等ではないとしても、それがそのまま奴隷でなければならない、という意味ではない、とうまくすり抜けてた。そして人道主義やキリスト教が、彼らにも特権を与えねばならないとすることは認めるとし、しかしその特権が何か、そしてその性格と範囲を決めるのが州である、というのがダグラスの論理である。これだけ聞いていれば、確かにその通りだな、と納得してしまうのが、凡人の悲しさである。(笑) 

 

リンカーンは凡人ではないから、さっそく言い返しはじめた。長い腕をあげたり下げたりしながら演説する姿には、気品があって、美しい魔法にでもかかっているようだったとか。まあ、共和党員の感想だろうけれど(笑)、それでも話しはじめると、聴衆がすぐにひきこまれていったというのは十二分に信じられる。そのぐらい、演説集の言葉には力があるのである。師匠である大政治家、ヘンリー・クレーの言葉をひきながら、独立宣言のall menが黒人を含まない、などと言った人間は、3年前にドレッド・スコット判決を出したテイニー判事以前にはいなかった、この国を創った人間は、いつか奴隷制が消えることを願っていた、そうでなければ、どうして奴隷貿易を禁止しただろう、奴隷をさす言葉は、憲法では2度か3度出てくる、がslavery もしくは negro race という言葉は使っているわけではない、free persons, including those bound to service for a term of years, and excluding Indians not taxed, three-fifths of all other persons. という文の中で, 自由人、奉公人、インディアンを除いて、それ以外のpersonsで5分の3の選挙権をもつ人が黒人という意味である、negroとは言っていないではないか、personsと言っている、なぜこのような暗にほのめかす表現をとったか、憲法を起草した人たちが奴隷制がいつかなくなることを願っていたからである、ダグラス判事は、選挙に勝ちたい人間が戦争をしかけていると言うが、確かにそんな人間がいることは認めよう、聖書は(リンカーンが聖書を持ち出すのはこれがはじめてのような気がする。。)人間はみなどうしようもなく利己的だという、私は聖書の言葉がなくても、それを知っている、私は、平均的人間ほども利己的ではない、とは言わないが、ダグラス判事よりははるかに利己的ではないと確信を持って言える、哲学は、政治家としての信義はどこに行ったのか、ダグラス判事は奴隷制を善とも悪とも言わない、気にしないと言う、そんな無関心さの上に作られる政策なんて何の意味があるだろうか、これは世界中に訴えねばならない、正誤を問う二つの原則論の永遠の闘いである、一つは、人間の普遍的な権利、もう一つは王が持つ神権である、神権とは「あんたが働き、パンを作って、私が食べる」という意味である、国民に馬乗りになって、国民の労働によってもたらされた果実を食べようとする王の口からであろうと、ある特定の人種を奴隷にする人間の口からであろうと、どちらも同じ専制的な原則であることには変わりはない、逃亡奴隷はどこで捕まえられても、所有主に返されねばならないという連邦法があるのに、その一方で、準州の住民が奴隷を所有する権利を所有主から取り上げる法律をつくることができるという詭弁には、私は徹底的に抗戦する、結局のところ、ダグラス判事のような奴隷制廃止論者はいないのである、と皮肉たっぷりで、リンカーンは1時間半のスピーチを終えた。

Text Box:  リンカーンの論調ははっきりしており、彼が奴隷制の将来そして国の運命について、深い確信をもっていることを聴衆ははっきりと悟っていた。

 

ダグラスは最後の30分の演説で、受けて立たねばならない。国を創った人間が奴隷制の将来を考えていただろうか、電信の発明を、鉄道の発明を考えていただろうか、そんなことが政府の基本原則ー憲法のことだろうーと何の関係があるだろう、大事なのは原則ー最高裁が出した判例なり憲法のことだろうーに従うことである、この論争は、政治的野心のある人間が仕掛けているだけだ。。。何やらほぼ愚痴に近いなあ。。。でも、ああ、やっと終わったなあ。。。ディベートのすべての演説の最後はこんなものかあ、と思ったのは、私だけだろうか。

 

共和党の新聞記事からだろうか、その後、興奮した聴衆は大声で叫んだそうな、「エイブ・リンカーンを次期大統領に!!」「もう昔のエイブじゃないぞ」「リンカーンよ、永遠に」 あたりが暗くなるころには、バーもホテルも街角も店屋もすべてリンカーンの支持者でうずまり、町はリンカーンの勝利に酔っていた。