イリノイこぼれ話

 

夭施牙蘭

 

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日本との接点も多い東西海岸ではなく、海から遠いハートランドに住んでいると、とうもろこし畑の真ん中で「日本」に出会うと、なにやら小躍りしたくなります。ミシシッピ河に近い観光地ガリーナで、ユリシーズ・グラントの家を訪ねたときがそうでした。

 

明治日本からやってきた岩倉具視使節団一行は、1872年1月、ワシントンに向かう途中、シカゴに立ち寄り、大火事の見舞い金を渡したとか。それから2ケ月後の3月4日、ホワイトハウスで、第18代グラント大統領と謁見、その後、条約改正交渉を打ち切ったあと、ヨーロッパに向かう前の7月24日にも会って、離米の挨拶をしたとのこと。

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その時のお公家姿の日本人の印象がとてもよかったのでしょうか。グラントさん、大統領職を退いた1877年から2年間の世界旅行に出て、ヨーロッパからインド、ビルマ、タイ、シンガポール、中国を経て1879年6月、日本はまず長崎に立ち寄っています。日本には2ヶ月ほど滞在し、あちこちで大歓迎を受け、日本を満喫した様子。アメリカ独立記念日の7月4日には明治天皇に謁見。天皇は洋装で、グラントさんがちょっとおじぎ気味で握手している図が残っていますが、なにやらグラントさんが、映画「ラストサムライ」のトム・クルーズに見えなくもないなあ。(笑)明治天皇の口と唇は何やらハプスブルグ家のそれに似ていたそうですが、ハプスブルグ家の唇ってどんな形。

 

ガリーナにあるのは、この旅行中に日本人からもらったおみやげの数々です。ダイニングルームには、横浜でもらったという立派な龍の彫刻がほどこされた花瓶、部屋の一つには、東京の大学で行われたレセプションの古い、灰色がかった、ぼけた写真が壁に飾られています。キャンパスには、6000ものさまざまな色の堤灯がつるされ、大半には日の丸と星条旗が描かれていたとか。町の博物館では、グラント歓迎のために日本人に配られText Box:  たうちわやら、天皇から贈られたという薩摩焼の花瓶、古い神社の絵葉書も展示されていました。

 それにしても、グラント日本滞在で私が気になったのは食べ物です。今でも、日本食なんて食べたくもない、と顔をしかめるのが、シカゴの外、畑の真ん中に住む普通の人々の感覚です。19世紀を生きたグラントが日本食が好きだったはずがない。

 

 グラントは馬は好きだったが、家業の皮なめしは大嫌いだったとか。南北戦争で功を遂げ、陸軍最高司令官まで上りつめたくせに、戦争や軍隊を忌避する発言を繰り返していたようです。食べ物は、魚も鳥肉も鹿も食べず、口にいれるのは牛肉だけでしたが、それも柔らかいものはだめで、こげるぐらい肉を料理させたらしい。要するに、家業やら戦場で倒れた血だらけの兵士を思い出させるようなものは大嫌いだったのではないでしょうか。

 野菜や米を主食にする明治日本でグラントはいったい何を食べたのか。長崎では、まずフランス料理が出されたようです。その質や、パリのレストランにひけをとらないものだったと旅行記にはありました。読みながら、ああ、よかったね、と私。

Text Box:   ところが翌日は、長崎の中心地にあったお寺で、大名スタイルの食事だったそうな。干魚に海草が出て、食欲が半減した、と正直に書いてありました。ああ、パンがあって、ドライシャンペーンがあったらなあ、出てくるのはシェリーにも似た甘い酒だけだ、とぶつぶつ。そうでしょ、そうでしょ。8月に三島市で開かれた静岡県主催の歓迎セレモニーでは、近隣の村から上等の牝牛1頭を取り寄せ、料理は鶏肉、魚、牛肉を使った18品目の料理、菓子と清酒、洋酒という豪華なものだったそうですが、日本人がグラントさん好みに黒焦げになるほど肉を焼いたとも思えず、グラントさん、毎日きちんと食事をとっていたのだろうかと、今頃心配になってきました。(笑)

 

ワシントンのスミソニアン博物館にも、グラントさんが日本人から受け取った絹のタペスリーや大きな花瓶が展示されていました。そこで私が学んだことーユリシーズ・グラントを漢字で書くと、夭施牙蘭のようなのです。グ・ラ・ン・トではなく、牙蘭。明治日本人って、小学校から習わなくても、英語が上手だったのでは。。(笑) 牙蘭さん、日本食、好きでしたか。

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