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朝日新聞掲載の林真理子氏のコラム「猫の時間」から
1)1994年9月18日付
当時林氏は、ダイエットをされてたようです。で、かなり成功した。。すると。。以下、引用です。
「しかし、この喜びには多少の憂鬱が伴うものだということを最近つくづく知った。
会う人なり、「あらあ、痩せたわねえ」「ダイエット、うまくいってるのね」と言われるのである。
二人きりになったときに小声でささやかれたら、にんまりとした気分になるであろうが、喫茶店やレストランに入ったとたん、人前でこれをやられるから私はかない閉口している。
先日は、ある場所でお茶を飲んでいる最中、突然後ろから大声がした。
「いやあ、ハヤシさん、ずいぶん痩せましたなあ」
知り合いの男性が通りかかったのである。その声の大きさに、近くのテーブルからくすくす笑いが漏れた。(中略)しかしまわりの女性たちにも聞いたところ、こういう経験はよくあるという。出会いがしらに「太った」「痩せた」「疲れてるみたい」をやられるというのだ。
今年の夏はバンクーバーで過ごしたが、あちらに住んでいる人は、私の体型の変化についっては何も言わなかった。まったく一言もだ。(中略、で自分から口にすると)「あ、そういえば、ちょっと痩せられましたかねえ」と言うのは、喫茶店で大声を出した日本のあの男性とまったく同じ世代の友人である。
「でも、どうしてそういうこと、今まで言わなかったんですか」私は不思議に思い質問をした。
「だって、もしかしたら、病気をしていてやせたかもしれないじゃないですか。少なくとも僕のまわりで、人のことを痩せた、太ったっていう人はいないと思うなあ。。そんなことをまったくプライベートなことですからね。」
なるほどと納得とすると同時に、日本でのあの無神経さはいったい何だろうかとつくづく考えてしまうのである。自分がその立場になって本当によくわかった。質問したり、大声を出して叫ぶ人々は何の邪気もなく、ほんの挨拶かわりにしていることであろう。しかしその奥にデリケートな深い理由や、さまざまな事情は山のようにあるであろう。(中略)
こうした無邪気な質問の背景には、実は断固とした価値観が潜んでいるのである。(後略)
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無名の、どこにでもいるおばさんが言っても、いろいろと意地の悪いことを言われるかも、ですが、林真理子さんが言えば、そうなんだあ、と納得してくれる人が出てくるかもです。(笑)
「大きいねえ、身長何センチ」と、出会いがしらに言われるのはほんとにいやでしたよね。もしまた聞かれることがあれば、やっぱり、それは「プライベートなことですから」で、返しましょう!!!
それはそうと、林氏はこういう文章を書いてお金はもらうけれど、日本人の無神経さをどう直していくべきか、については、一言も書いてません。やっぱり社会を厳しく批判すると、自分の本が売れなくなるから??? となると、プライベートなことを挨拶がわりに聞くな、運動は、売れないライターがやるしかないですね。。。失うものが何もありませんから。。(笑)
2)1994年5月8日付
日本の女の歩き方が悪いことに言及して。。
以下、引用です。
「そして私はそのさらなる原因は、連れの男性にあるのではないかと思うようになった。背がぐんと高い男性ならいいのだが、普通の日本人男性だと、5、6センチのヒールをはいた女性とそう差がなくなってくる。女性のほうはそれを気にして、自然と上半身がかじかんだようになる。この国の女性は、すらりとスタイルがよくなることを望んでいるくせに、男性よりも高くなりたくないという不思議な真理を持っているようだ。大股で闊歩することよりも、可愛らしく庇護されるように歩きたいと望んでいる。(後略)
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林氏がこの文章を書いてから、ほぼ四半世紀。時代は完全に変わりましたね。不思議です。もしかしたら、女の本性の部分は、変わってないかも、で、この林氏の文章はまだまだ「その通り」といわざる部分はあると思うのですが、少なくとも今は、こういう文章はもう書けないと思います。書けた時代があった、というのが、大きな社会変化ですね。
そういえば、シカゴで、生身の林氏を見る機会がありました。どうやら、日本国総領事とお友だちだったようで。。(笑)あの時、会場から何か質問がありませんか、という問いかけがあって、もうちょっとで、そういえば、昔、林氏は、アグネス・チャン氏と論争をやって、職場に子供を連れてくるなんてことをするから、女の地位は上がらない、男になめられるんだ、みたいな発言をされましたが、今、母親になって、当時のご自分の論争をどう思いますか、と、手をあげて聞いてやろうかな、と思いましたが、やめました。(笑)
人間、流れ続け、変わり続ける存在ですから、あんまりそこの部分を突っ込んでも、意地悪いととられるだけだろうな、と自制が働いたのです。よかった、です。(笑)