イリノイこぼれ話
キャサリン・オレアリー
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二万近い建物が燃え落ちた大火事ですが、なんと驚いたことに、キャサリンと夫パトリックが住んでいた木造の家というか小屋は燃えなかったのです。 風向きが違うとはそういうことなんでしょうか。
家は焼けなかったけれど、もちろん二人は評判を落としました。現代の多民族文化尊重主義とは縁がなかっただろう当時、アイリッシュは酒飲みだの、馬鹿だのと罵詈暴言が思いっきり投げつけられただろうことは十二分に想像できます。どんな思いで生きたのでしょうか。日本人なら耐えきれずに。。という結末も十分に考えられる「風向き」のわざです。
ところが、その評判を落としたキャサリンさんたちのお墓がいやに立派で、これまたびっくりしました。 まるで市の名士並みに立派なのです。 墓は、シカゴ市の南、ブルーアイランド近くのマウントオリベット墓地にあります。
キャサリンさんの納屋は、今でこそイリノイ大学シカゴ校があって再開発が進んでいますが、当時は東や南ヨーロッパの農村出身の貧しい移民が集中して住んでいた大きなスラム街の一角です。 スラム街に住んでいたけれど、やっぱり歴史に残る大火事を起こした有名人だから、こういう立派なお墓があてがわれているのかな、とか首を傾げながら、ちょっと調べてみました。
そしてわかったのが、これだけ立派なお墓を建てられる資金の出所です。 「ビッグ・ジム」と呼ばれた息子のジェームズさんが、これまたスラム街のど真ん中、ホールステッド通りで酒場を経営、なんとシカゴのギャンブル王だったんですね。 なるほどと、墓の大きさを納得しました。墓石によると、キャサリンさん夫婦は大火事のあと、四半世紀も生きたようで、それはそれで大変だったかなあ、と日本人としては思いました。
キャサリン・オレアリー 1895年7月3日死亡68歳、
パトリック・オレアリー 1894年9月5日死亡75歳
ジェームス・オレアリー 1925年1月21日死亡 62歳
アンナ・オレアリー 1948年10月9日死亡 80歳
アンナさんって誰かなあ。。 ジェームスさんの娘かなあ。。 アル・カポネがニューヨークからシカゴに移ってきたのが、禁酒法が実施された1919年。 アイルランド系とイタリア系のギャング抗争の時代、ジェームスさんもきっとアル・カポネと接点があったに違いありません。 殺されたかなあ。 立派な墓石の前で、しばし思いをめぐらしました。ある夏の午後のことです。