「告白」
先日、見慣れぬ筆跡で表書きされた1通の航空便の封筒が日本から届いた。封筒左上の差出人には、中学時代の英語教師の名が記されてあった。やっぱり来たか。その時私は、一種の勝利感に似た心の高揚に軽いめまいを覚えていた。そして、早く何が書いてあるか知りたいとはやる心をわざと押しこめるかのように、私は封を切る鋏を探して、ゆっくりと部屋の中を見回した。
あの日から永い永い時間が経っている。何も今更あせることはない。
鋏をさがしながら、私はそう自分に言い聞かせていた。が、その一方で、返事はこなくてもよかったのに、というわずかな落胆にも似た陰りが、弾む心に交錯し、私は戸惑ってもいた。
やっとの思いで封を切り、焦点が定まらぬ、ちらつく視線で斜め読みした手紙からは「お詫びします」という言葉が何度も目に飛びこんできた。30年を経て聞いた教師の詫びの言葉―透明な悔恨と不思議な敗北感が目頭に満ちた。
あの時、私は中学2年生だった。学級委員に選ばれ、庶務係をしていた。クラスで校外学習の費用を集めたり、週に何度か、校内にある小さな一畳ほどの売店で、雇われの中年女性といっしょに、ノートや消しゴムを売る係である。当番の日は朝早く登校し、熱心に仕事をした。私は仕事が好きで、当番の日を楽しみにしていた。
そんなある日のこと、英語の授業が終わって教室から出たところを、突然、売店の責任者でもある英語教師に、後ろから呼び止められた。
「今日の放課後、ちょっと宿直室に来るように」
声はそっけなく、乾燥した響きがあった。
何事かといぶかしく思いながら、私はその夕方、友達もみんな下校して、静まり返ったコンクリート校舎の1階下にある薄暗い空間をおずおずとのぞいた。奥の4畳半ほどの狭い部屋で、教師がすでに待っていた。引き戸の敷居のところでためらっている私に気づくと、入ってくるよう手招きした。
私は、午後の柔らかい光線が低く差し込み、空気中の埃がきらきら輝いているコンクリートの小空間を通り抜けて、畳の部屋まで行き、靴を脱いで、遠慮がちに小部屋に上がった。それから、教師にすすめられた薄い座布団に腰を下ろした。
入れ代わりに教師が立ちあがり、小部屋の戸を閉めた。宿直室は完全に外部から遮断された。校舎の中庭をのぞむ小さな窓は固く閉められ、乳白色のガラスが暗い壁を四角に切り取っていた。
お互いの顔すらはっきりと見えない小部屋で私は、真四角な小さな机をはさんで教師と向き合っていた。奇妙な沈黙が流れていた。が、そのうち教師は、深く淀みかけた空気に耐えられなくなったらしく、身にまとわりつく澱みを振り払うかのように、突然重苦しい声で話を切り出した。
「こんな事、ほんとは言いにくいことなんやけど」
言葉が不器用にいったん途切れたのに、教師は思いきったように一気に続けた。
「君がクラスや売店でお金をちょこちょこ盗んでいるのは、前々から分かってたんだ。売店のおばちゃんも言ってる。君が当番の日に限って、おばちゃんが店を閉める前に大体数えておいた額より、いつも百円ぐらい少なくなっているって。担任の先生も、このあいだの遠足のお金が五百円足りなくて、自分で出したと言ってたし」
身に覚えはなかった。盗みの濡れ衣とは、あまりにも唐突だった。思いもかけない言葉に目の前が真っ白にはりついた。口はショックで動かない。ただ訳のわからぬまま、涙が私の意志に逆らうようにして、一気に溢れ出た。
教師はその涙を悔恨の涙とでも思ったらしい。折り目のしっかりついた、四角に折りたたまれた白い大きなハンカチを私に差し出しながら、予期した結果に満足したような無感動さで話し続けた。
「何か家で嫌なことでもあったのか。君は成績優秀だし、これを表沙汰にすることで、君の将来を壊すようなことはしたくないと思っている。担任の先生もこのことは了解しているから。」
私はただうなだれて、涙の流れるままに任せ、一言も発しなかった。教師は私に言葉を促すわけでもなく、ただひたすら時間を埋めるべくしゃべり続けていた。が、その言葉は何一つ私の耳に入ってこない。教師の低い声はまるで、パチンコ屋から通りに流れでてきた、けばけばしい音楽の残響が、通りすがりの者の意識の底に虚しさを刻みこむのに似ていた。
私の脳は単調に同じ言葉を繰り返し、つぶやきつづけていた。
「どうして私が疑われるのだろう。私が一体何をしたというのだろう。なぜ私が。」
ただひたすら、疑われた自分が悲しかった。疑われるような自分が情けなかった。それだけの理由で、私は静かに涙を流し続けた。しかし、言葉は一言も口にしなかった。疑われてしまった以上、何を言っても無駄だし、何も言うことはないとかたくなに思いこんでいた。
突然頭上で、もう売店には来なくてもいいからと、突き放したように発せられた教師の声を聞いた。私は黙ってうなずき、それから申し訳程度に目の下を押さえた白いハンカチを無言のまま教師に返した。茫然としたまま立ちあがった私は、教師に挨拶もせず、黙って宿直室をでた。廊下のコンクリートは足音を長く引きずり、涙に濡れた目には痛々しいほどまぶしかった。
私はよろよろと、廊下の窓から差しこんでくる穏やかな光の流れに導かれるようにして窓に近づき、ガラスに額を押し付けた。そして、慰めを求めるかのように、優しい夕空を仰いだ。
と、その時だった。まるで啓示を授かるかのように、言葉が天から降りてきたのは。
「真実はこの世にただ一つ。そしてそれを知っているのは私だけ。もしこの世に神が存在するなら、私の真実を見てくれているはず。この私は何一つ恥じることも、心配することもないのだ。」
光の言葉が14歳の無感覚の身体にしみ通っていった時、涙は驚くほど軽やかに乾いていった。心地よさを覚えるほどの軽さだった。
そしてふと我に返ると、私は人っけのない、細長く伸びた灰色の無機質の空間の真ん中で、一人微笑んですらいたのだった。
「先生、あんたの負けよ」
暗い宿直室に一人取り残されている教師を小気味よく思いながら、私は口許に笑みを浮かべ、胸を張って校舎を出た。そして校門に向かって、風を切って駆けた。
それまで経験したことのなかったような奇妙な喜びが、14歳の私を満たしていた。
あれから30年。今、私はアメリカ中西部の蒼い雪の中で暮らしている。
午後3時、13歳の娘エミが中学校から帰ってくる。
「ただいま!」
元気な声が家中に響く。英語世界で育つ娘が何とか使えるわずかな日本語の一つである。
娘の日々の成長に、私は自分の来た道を重ね合わせてみる。テレビの音楽番組に釘付けになった娘の後ろ姿に、ああ、私にもこんな時代があったなあ、と、部屋にアイドルの写真を貼っていた10代の頃を思い出す。そして、あの日の夕方のことも。
こんな小さな時から私は、あの重荷を背負ってきたのかー。
人は言うかも知れない。私じゃないと、はっきり言えばよかったじゃないの、と。確かにそうかも知れない。どこに私が盗んだという証拠があるんですか、と言い返せばすむことだったかも知れない。確かにそれで、私への濡れ衣は晴らせたかも知れない。
しかし、濡れ衣をかぶせられるような「自分」を晴らせるわけではない。自分の身に振りかかることは、全て自分の行為の結果であり、言い訳はしないー私は14歳の時にすでに、そんな生の重荷を本能的に感得していた。以後30年、私は濡れ衣そのものではなく、濡れ衣をかぶせられるような、世渡り下手の惨めな「私」を背負い続けた。
この30年間、私を支え続けたのは誇りだった。私は揺るぎなく潔白であり、正しいという確信が誇りとなり、私の盾となってきた。
しかし、14年のアメリカ生活と子育てを経て、40路も半ばにさしかかるようになると、私は、自分の心のひだにうっすらと赤みが差しはじめたことに気がついた。そして、私が30年間こだわり続けたあの誇りが、実は自分に自信がなく、人が信じられなかった、若き日の小さく狭い心の裏返しであることを悟った。「先生の負けよ」とほくそえんだ、あのゆがんだ笑いには、教師の過ちを喜び、失墜した権威を軽蔑することでしか、社会の中で自分を確認できない、反抗的で不遜な私がいた。もしかしてあの時から、真実を打ち明けるのに、長く待てば待つほど、教師をより深く罰することができるだろうという、無意識の残酷な計算が働いていたのだろうか。哀しく、ひしゃげた14歳の私だった。
今、あの日の私の年齢に近づこうとしている娘を前にして、私は切に願う。できるものなら、もう一度青春をとり戻し、娘といっしょに生き直してみたいと。かたくなな心が自分からしょいこんだ重荷をすべておろし、身軽になって朗らかに笑い、将来を夢見、人に心を大きく開ける人間になりたいと。
今になっての教師への真実の告白は、私が30年かけて心のどこかで待ち続けていた復讐の成就である。本当に私が、濡れ衣をかぶせられるような自分を、自分の手で罰する勇気があるならば、濡れ衣は死ぬまで自分の胸の内にとどめておくべきだろう。が、私はどうしても自分自身を、過ぎた30年を取り戻したかった。そのためには「復讐」を乗り越えねばならなかった。
昨夏の終わり、中学時代の友人から居所を聞いた教師に宛てて、私は手紙を書いた。一字一字紙に刻みつけるような思いで、私は文字を並べた。
「あなたの事はよく覚えています。当日の事も忘れたことはありません。長年にわたり苦しめたことに、心からお詫びを言います。」
先生へ。私こそ、30年という卑劣さと身勝手を謝らねばなりません。どうかあの日の夕方の時間はもうなかったことと忘れていただけますように。
先生の哀しみを背負うことができる私が、今、ここに在る。