第1回 新学期が始まった

 

 

アメリカの教育事情は州・町・校区・学校によってさまざまである。ここで紹介するのは、筆者の5年生の娘が通う、中西部の農業州サウスダコタにある人口6万人の町、ラピッドシティの一公立小学校の一事例にすぎないことをまずお断りしたい。

 

6月上旬からの3ヶ月もの長い夏休みがやっと終わり、新学年・新学期が始まった。夏のあいだ、宿題は一切出ず、子供たちは全然勉強しないのが普通である。親としては、3ヶ月のあいだに前学年で勉強したことをすべて忘れてしまうのでは、と心配するが、これも日本人ゆえのようで、そんな声をアメリカ人の親からは聞いたことがない。長い休みにさすがの子供たちも時間つぶしにへきえきし、新学期の初日は嬉々として学校に向かう。

 

娘は、近所の子供たち7人ほどと連れ立って、歩いて学校に行く。スクールバスか親が毎日車で送り迎えしなければならないのが普通であるアメリカでは、友達と「歩いて」学校に行けるのは貴重な喜びであり、また親にとってもこんなにありがたいことはない。

 

新学期が始まったといっても、始業式で校長があいさつするといった全校行事はない。ふだんとまったく同じで、朝8時にベルが鳴ると教室に一番近いドアの前に子供たちは整列する。外部からの不審者の侵入を防ぐために、外からは校舎に入れないのである。教師が中からドアを開けて、子供たちの一日が始まる。

 

1クラス28人。一日の時間割は、算数や社会、理科といった主要科目は50分だが、英語や音楽、体育などは25分、スペリングや休み時間などは10分刻みである。1日に休み時間は昼食を入れて2回、計50分。1日を15項目に分けたスケジュールで、子供たちは追い立てられるから、朝8時から午後3時まで学校生活は結構忙しい。

 

教室にはアメリカ国旗が常に掲げられている。子供たちは毎朝必ず、授業が始まる前に立ち上がり、右手を左胸に置き、星条旗に向かって国家への忠誠を誓う。日本では、君が代斉唱や国旗掲揚がまだまだ難しい問題を残しているので、近所に住むPTA会長のローレン・マイルスさんに誰もファシズムを疑わないのか、と尋ねてみたが、笑いながら首を振った。「日本と違ってアメリカが戦争を始めたことはないからね。国旗に罪悪感hな持っていないよ」という答えが返ってきた。

 

教師の役割も日本とはかなり違う。教師は教科を教える専門家とみなされ、教科以外のいわゆるしつけや社会的規範は教えない。

教師は自分の教室を持ち、自分の持ち味で教えるから、時に教室の飾り具合が子供たちのあいだで人気を左右することもある。ミッキーマウスが好きな教師は、教室中をミッキーマウスで飾り立てるので、親心で、「来年はこの教師に担任が当たりませんように」と願ったものだ。というのも、専門家としての教師は、毎年同じ学年を繰り返し教え続けるからである。たとえば、今年、娘のクラスを受け持つマクナベ先生は、5年生3クラスの算数と担任クラスの英語を担当、5年生のほかの教師2人は、それぞれ社会と理科が専門で、子供たちは教科ごとに担当教師の教室へと移動する。

 

担任教師との家庭的な人間関係やクラスへの所属感が重視される日本と違って、ここでは教師と児童がはっきりと分離されている。家庭訪問などもちろんない。また昼食でも、教師は子供たちといっしょに食べない。子供たちは、1学年3クラス、82人全員がいっしょに多目的ホールで、家から持参したものか給食を食べる(昼食や休みの時間は学年ごとにずれている)。静かに食べるように監督するのはボランティアの親の仕事だ。

 

アメリカの子供が教科書を家に持って帰らないのは日本でもよく知られているが、教科書が学校の財産で、毎年子供たちに引き継がれていくことはご存知だっただろうか。娘が今使っている算数の教科書など、1990年から使用した子供の名前が書いてあって、「なんとまあ」と驚くと、娘は勝ち誇ったように「お母さん、去年の本なんか、名前が書ききれずに本からはみ出すし、ぼろぼろだったんだから」と言う。教育予算削減の結果なのか、教師の負担を減らすためなのか。。。

 

犯罪大国アメリカで、教育の荒廃が叫ばれるようになって久しい。荒廃なのか、単なるシステムの違いなのか、筆者にはまだまだ首をかしげることが多すぎるが、ただひとつ確かなのは、「勉強」というプレッシャーは学校からも友人からも一切ないこと、そして教育を生き抜く力に変えられるものは、ただ本人の自主・自立性、そして人生に対する確固とした目的意識と意志だけだということである。