「日米関係を考える」

1994年6月 産経新聞の正論に掲載

 

今、私の手元に、薄い和紙の巻紙に墨で書かれた次のような手紙がある。

 

 「(前略)私達は平素どんなに平和を希ひましたでせう。ワシントンやヴェニスで平和会議が催されると聞いてさへ小さい頭にも快く響く位ですから平和の使が来られたことは此の上もない喜です。(中略)どうぞ此の使が着きましたら私達がお国からのお使と親しむ様に愛してやって下さい。さうして未来永劫平和に暮らしませう」

昭和二年十月、鳥取県のある尋常小学校の女生徒が、米国から贈られてきた「青い目の人形」へのお返しに日本が贈った答礼人形に添えた手紙である。

 

 人形に託された思いは、その後に続いた昭和史の暗黒時代や現代にも続く日米間の摩擦や悲劇を考えると、あまりにも哀しい。何が人々の心を無残にも踏みにじっていくのか。私は米国に住み、「日米関係」が日常の皮膚感覚になっている。身体で両国間の友好や緊張と摩擦を感じとる者にとって「日米関係」とは、生命の危険を冒しながら、両国民の心のざらつきや認識ギャップとたたかって築きあげていくものである。

 

しかしながら日本にすむ日本人には、私たちの「たたかって築き上げる日米関係」という感覚が、果たしてどれだけ理解されているのだろうか。日本の米国報道量は、米国の日本報道量の12倍という報告があるが、在米日本人の目には、日本がどんなに米国を報じようと、日米が歩み寄れない厳然とした壁がはっきりと見える。それは、共感から生まれる連帯感の欠如という心の壁である。

 

太平洋の両側にあって、一見共通項のないような日米の国民が互いに共感しあい、連帯していくには、膨大な情報力と、人々を啓発していく力をもつものが必要である。マスコミこそがその使命を担えるし、担うべきものと私は考えるが、果たして現実はどうだろうか。

 

日本のマスコミの意識や態度は、閉鎖的な日本社会や文化、日本人の意識にとらわれたままのことが多い。彼らからは、米国報道を通して自らを振り返り、かつ国際社会への貢献を模索するといった開かれた視点と理念が感じられない。言いかえれば、日米関係とは単に「日米」という二国間の単細胞的な「摩擦」の関係のみでとらえられがちなのである。しかしそれでは、日本人の米国に、いや世界に対する見識の狭さを増長するだけではないのか。

 

米国の「移民の国」という壮大な実験は、多民族共存という世界の理想をめざしている。人種・民族対立、貧困、教育、犯罪と困難な問題や葛藤からは逃れられないが、それを世界の多様な現実を内にとりこんでいける米国の勇気と底力と考える時、賞賛はしても「対岸の火事」と傍観することは、もはや日本人には許されないだろう。外国人労働者を社会の一員に迎えるようになった今、むしろ、日本が米国の未曾有の実験と成果にどう関わっていくか、それが日本人の国際貢献とどうつながっていくか、と考える広い視野が、これからの日米関係に望まれるのである。二国間にとらわれない視点をもった日米関係報道が、日米間に共感と連帯を生んでいくのではないだろうか。

 

最近のいくつかの日本人留学生射殺・銃撃事件への日本のマスコミの対応は、米国民に自らの病根を突きつける好機となった意味で非常に建設的だったが、もう一歩踏みこんで私は、日本の日本人に次のように問うてみたい。即ち、米国で日本人だけが特別視されることに何の疑問も抱かないのか、と。

 

フロリダでヨーロッパ人観光客が連続して殺されても、州知事や大統領、大使たちによる謝罪や哀悼の記者会見はなかった。もちろん、米国人が殺されても何も起こらない。「日本人だけ特別」に対する米国人や外国人の疑問や反感は、やがて「日本叩き」の温床となり、最終的には在外日本人の頭の上にはねかえってくることを、日本の日本人には理解してもらいたいと思う。

 

一方的に日本事情を訴え、米国に自省を促すのではなく、米国に生きている人間の気持ちもくみとり、ともによりよい社会、世界をめざすのだという共通の目的意識・理念を打ち出した、バランスのとれた報道にとりくんでほしいと思う。

 

米国の敏感な反応が日本からの観光客減少を食い止めるためという経済的動機ならなおさらそうである。その意味で、安易に日本で「銃狩りを日本のマスコミが促進させ得るのか。粘り強いキャンペーンを期待」といった声が聞かれるのは、むしろ危険なのである。

 

 私は今、答礼人形に託された40通あまりの手紙を英語に翻訳している。70年近くたって初めて、幼い日本の少女たちの心が、ここ中西部のアメリカ人に届くように。そして、メディアのセンセーショナルな一言で、私の小さな「日米関係」が一瞬にして砕かれてしまうことがないように、切に望みながら。