イリノイこぼれ話
No Gods and No Masters
古いシカゴ新報を見ていて、へえ、と思う見出しにぶつかりました。「サンガー夫人に入国禁止 過剰人口に苦しんでも 産児制限の訪問は許されず」です。日付は1950年2月17日付。1950年といえば、日本がまだアメリカに占領されていた時代。“産児制限の訪問”を許さなかったのは日本ではなく、進駐軍です。記事によると、サンガーさんは、読売新聞と女性初の国会議員、加藤シズエさんの招待で訪日、産児制限に関する講演をする予定でしたが、アメリカ国内のカソリック教会の反対により、マッカーサー元帥はサンガーさんの入国を許可できなかったとのこと。占領行政は、アメリカ国内の政治に思いっきり左右されてたんですねえ。なんといっても、日本は負けた国ですからねえ。。お上の内輪もめは横目で見て見ぬふりするしかなかった??(悲笑悲)それにしても、60年後の日本は少子化社会だなんて、さすがのサンガーさんも想像だにできなかっただろうなあ。。(笑)
1951年、マーガレット・サンガーさんは、シカゴの富豪、キャサリン・マコーミックに資金提供を依頼して、避妊ピルの開発に乗り出しました。マサチューセッツのピンカス博士が、シカゴの北、スコーキーにあった製薬会社、GDシール社の薬を使って、黄体ホルモンが生殖に及ぼす影響を調べる一方で、シール社の研究者コールトン博士は、避妊ピルに不可欠な、経口投与で黄体ホルモンの活性を失わないステロイドの合成に成功、新薬“Enovid”が誕生します。当初サンガーさんたちは、法の抜け穴を利用して、月経困難症の治療薬として新薬の承認を求めますが、1960年、全米でまだ30州が避妊を禁止していた時代に、とうとう経口避妊薬として“Enovid”を販売する許可を食品医薬品局から勝ち取りました。
そりゃあ、現代のキリスト教とイスラム教の対立に負けず劣らずの戦いだったでしょう。でも、一生のあいだに18回も妊娠したカソリック教徒の母親の姿を見て育ち、かつ長年、看護婦として、貧困女性たちの多産と困窮ぶりをまのあたりにしてきたサンガーさん、今から100年も前に、岩をもうがつ信念で、No Gods and No Masters―女の体のことは女が決めると決心して、1912年、避妊教育活動を始めます。以後、8回も逮捕されながら、ほぼ半世紀後に、やっと夢の経口避妊薬を手にしたわけです。彼女の命を張った信念の戦いのおかげで、それから3年もたたぬうちに、450万人もの女性たちが避妊ピルを買い求めたといいます。無神論者のサンガーさん自身は、息子二人娘一人の母親でした。
それにしても、進取精神に富むシカゴですねえ。避妊ピルといい、ピルを毎日飲み忘れないようにと、曜日別の薬ケースを発明したのもジニーバの人だそうです。さすがあシカゴ、1953年に雑誌「プレイボーイ」が生まれた土地柄だあ。(笑)
1930年代、日本が満州に進出・侵略する道をたどった一因は、1924年にアメリカが日本人移民全面禁止を打ち出したのちの、「産めよ、増やせよ」の時代の過剰人口にありました。一方、1919年に渡米、サンガーさんに共鳴した加藤シズエさんは、帰国後に産児調節運動を開始しています。その動きに呼応して、サンガーさん自身が、1922年に日本にやってきましたが、日本政府は、産児制限は国策に反するからと、公共の場での宣伝演説を禁止して、横浜上陸を許可しました。
ところが敗戦したとなると、日本の人口政策は180度転換。今度は、人口増加防止のために、日本人の海外移民奨励やら産児制限が打ち出され、「産むな殖やすな」運動へ。マッカーサーは、1949年に「人口制限問題は占領業務外である。産児制限は個人の判断と決定に待つ」とまっとうな発言をしたのに、アメリカからの政治的プレッシャーに押されて、翌年のサンガーさん入国は認めなかったわけです。なんやねん、これ。。(怒笑)
丸6年の占領期を経て、日本が再び独立国となった1952年10月30日、サンガーさんは無事日本入国。2年後の1954年4月、再来日。5月15日付シカゴ新報によると、サンガーさん曰く、日本はもしこのままで行けば、10年先には人口一億に達するが、そうなれば生活程度もいよいよ低くなるので、この際日本は出生率と死亡率を同様に引き下げ、10年間は現状のままで人口の増加しないようにせねばならぬーサンガーさんの懸念に抗して、日本は一時は“ジャパンアズナンバーワン”と呼ばれるまでの経済発展に成功、「一億総中流」と呼ばれる時代を経験しています。やったああ。(笑)その後、サンガーさんは55年と59年にも来日、5度の来日で、日本と深く関わりましたが、お説どおり、出生率と死亡率が同様に下がったおかげで、今日の日本の少子化・高齢化社会、人口減少による国力低下への懸念を知ったら、何と言うかなあ。(悲) そして今は再び、 “子供手当て”といった国策で、「産めよ、増やせよ」の時代?
シカゴが生んだ世界的雑誌「プレイボーイ」は、若者たちのリュックサックで戦場まで運ばれ、一瞬先の死と隣あわせの青年たちに、性と生の厳しい拮抗を突きつけたのでは、と私は想像しています。いつの時代も国家のエゴが生む、若い男性たちの死を許容する戦場といい、高齢女性があふれかえっているかのような高齢化社会の現実といい、国策で男と女の身体を翻弄できると考える国のエゴとはいったいどんな顔をしているのか。No Gods and No Masters―シカゴからこそ、避妊ピルのいらない女たちが一国を元気にできる「プレイガール」創刊を!!(笑)