リンカーンの国から
(33)ケンタッキー州スプリングフィールド
ケンタッキー北部、レキシントンから南西方向に、スプリングフィールドという小さな村がある。人口3000人のその村に、リンカーンホームステッド州立公園がある。リンカーンの祖父母が最初に定住した場所で、のちにリンカーンの両親がデート!した場所としても記念されている。有名になると、親のデート場所までとりざたされるようになるのだから、有名になるのもなかなか大変である。
リンカーンの祖父、アブラハム・リンカーンがバージニアを離れて、この地にやってきたのは1781年か82年ごろ。リチャード・ベイリーから100エーカーの土地を買って、家を建て、家族を養った。子供は5人、男3人、女2人である。
そのアブラハム・リンカーンが子供たちと畑で働いているときだ。森から突然インディアンが出てきて、アブラハムを撃ち殺した。その時、8つだった3男のトーマスは、倒れた父親にしがみついた。インディアンがそのトーマスに近づいてきて、あわやの瞬間に、15歳だった兄が家から持ち出してきた銃で、インディアンを殺した。兄に命を救われたトーマスが、のちの大統領の父親である。
今、この地に2つの丸木小屋が立っている。一つは、祖父母が建てて、リンカーンの父親トーマスを含めた5人の子供を育てた家。トーマス自身も25年間ここに住んだ。もう一つは、リンカーン家に土地を売ったリチャード・ベリーの兄、フランシス・ベリーの家である。このベリー家に、バージニアから来た若い女性がいた。ナンシー・ハンクスである。
やがてトーマス・リンカーンとナンシー・ハンクスは恋に落ち、このベリーの家でデートをしたという。言い伝えられたところによると、この家の大きなリビングルームの暖炉の前で結婚を申し込んだとか。
実際に見ることはできなかったが、このリビングルームには、二人の結婚証明書のコピーが飾られているらしい。証明書には、トーマス・リンカーンとリチャード・ベリーの名が記され、トーマスが50ポンド払って(このころ、ケンタッキーではまだイギリスの貨幣、ポンドとシリングが使われていたそうな!) 1806年6月10日にトーマスとナンシーが結婚したということを証明するというもの。ふ〜〜ん、残っているものは残っているんだ。私自身は、別の博物館でこのコピーを見た。
8つのときに、インディアンに父親が殺されたトーマスは、その後大工の腕を磨き、1803年には、スプリングフィールドから更に西へ行ったエリザベスタウンで、118ポンドを払って、288エーカーの土地を買った。寡婦となった母親と、姉とその夫がそこに移ってきて、いっしょに住んだ。1778年バージニア生まれのトーマス、25歳のころだから、わざわざスプリングフィールドに戻ってきて、ナンシーとデートをしたのは、実家に兄弟でも残っていたのだろうか。
1784年バージニア生まれのナンシーが、なぜ、いつスプリングフィールドに来たかは謎のままである。どうやら親戚はケンタッキーにいたらしい。ナンシーの父親は分からずじまいだが(一説によると、母親ルーシー・ハンクスとプランテーションの所有主とのあいだに出来た子供らしいとか)、なんらかの理由で、リチャード・ベリーがナンシーの後見人になっていた。
トーマスとナンシーが結婚式をあげたのは、そのリチャード・ベリーの家で、だった。花嫁22歳、花婿28歳。結婚後、二人はトーマスが土地と家をもっていたエリザベスタウンに移っていった。