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トールクラブ 「ひまわりの会」 会報 第9号

                            2013年3月

  春よ来い、はやく来い

  皆様にとって、今年一年いい年でありますように

今年の冬は、大雪のニュースがたくさん飛び込んできました。桜の春が待ち遠しいですね。

 

 

1 会員の近況

くるみさんから

去年の11月に3人目の孫が誕生しました。相変わらず仕事も忙しくしてますが、孫たちの笑顔に癒されています^^

4月から末っ子が進学のため家を出て夫婦だけの生活になりますが、主人の母も老いてきて、引き取ることになりそうです。腰痛と胃痛と戦いながら、今年も頑張ります(^-^)


バンダママさんから

 

6年間アルバイトとして勤めた会社で、今年2013年から社員にしていただき、今までより1日2時間、勤務時間が増えました。
私と同じマルファン症候群でも、症状が重い人は、疲れやすくて短時間しか働けなかったり、若くして何度も手術を受けたりしている人もいる中で、私は今のところ元気に働くことができて、ありがたいと思っています。
家では、娘が通う学童保育が来年度50周年を迎えるので、その記念誌作りの担当の一人として、昔の記録をまとめたり、色々楽しく忙しく、寝不足の日々を過ごしております。


じゃんぼさんから

 
水耕栽培のパートおばさんをやっています。通勤片道2時間弱。電車の中の時間を何とか有効に使おうと、奮闘中です。あと、今月から、月1のペースで、一人暮らしの母を訪ねることにしました。幸い、義父母は80を超えても元気なので。実家には一泊、片道新幹線を使っても6時間ほどかかりますが、こちらも何とかやってみます。 
この頃の教育関係のニュースには、腹を立てることがあります。子供を一人前の人間としてみてない態度、「あんた(先生)は何様のつもり?そんなに、おまえは偉いのか? この言葉、よく考えると、人の外見をとやかくいう人にも、そのまま当てはまりそうです。相手をもっと尊重した言動ができないのだろうか、世の中、そうじゃない人が多すぎるのでは、なんて、いろいろ考えてます。

 

 

ビビアンさんから

 

私は元気に暮らしております。

まだ肥満の域は抜けないもののだいぶ以前より身軽になり気持ちも外向きになりました。精神的にこんなに楽になれるならもっと早くダイエットに本気で取り組めべ良かったと()

少し痩せたことにより世間の目もだいぶ変わったような気がします。

しかし、身長はどんなに努力しても小さくなれませんので今まで2つ抱えていた問題を1つに絞りこめたような気がしております。

また皆さんにお会いして色々とお話しする機会がありますように・・・

 

 

ハッピーさんから

 

元気でやっています。実母が病気で入退院を繰り返していて心配事も多いのですが、子供のおかげで毎日笑って過ごしています。

2歳の息子を春から保育園に入れて、私も仕事をする予定です。これから色んなことがありそうで、不安も半分、でも楽しみです! 入園式で着るスーツや靴をまだ探していない! ちょうど良いのが見つかるといいなぁ〜。

 

最近、身長のことで嫌な思いをすることも滅多にないのですが、保育園に初めてちょっとした相談に行ったときのこと。通された部屋に入るやいなや、まだドアも閉めていない、中にいる園長の顔も見てないってのに、園長から「ものすごく背が高いんですねぇー」の声。失礼なカンジでした。こちらも相手の顔も見ないまま、「ハイそうですね。」とさもどうでも良さそうに無愛想〜に答えました。すると、それ以上はまったく何も言われませんでした。やっと私も愛想笑を卒業できたかもしれません〜 正直一番!と思います。

 

 

 

2“WHO IS THE CHICAGO CINDERELLA!”―今から120年前のシカゴから

 

テキスト ボックス:  シカゴには「シカゴトリビューン」という新聞があります。19世紀中ごろに始まった伝統ある新聞です。その「シカゴトリビューン」の1893年2月11日付を見ていたら、なんと「シンデレラコンテスト」の記事が目に飛び込んできました。“誰がシカゴのシンデレラ?―シカゴ女性の足の悪評をはねかえす絶好の機会”とあるではありませんか。19世紀のシカゴの女たちは、足が大きいという評判でもたっていたのでしょうか。とにもかくにも、一番小さな足の人に、白のサテン地に、つまさきに真珠の美しい刺繍を施した靴と金貨25ドル、次に小さい人に金貨15ドルが贈呈されるというコンテストです。ストッキングをはいた右足の、かかとからつまさきまでの長さと、つまさきの回り(1−2)、ウェスト(3−4)、それからインステップ(5−6)を自分で測り、クーポンに記入して、新聞社の係宛てに送付。中国の纏足や“うさんくさい”のは審査から除外されるとのこと。候補者には、記者が直接訪問して、サイズを確認するそうです。ニューヨークでも同様のコンテストが行われている、とあるから、やっぱり小さな足は、憧れの的だったのでしょうか。

 

 

3 ああ、やっぱり、老人ホームで。。。

 

以下に、私の母が入居していた老人ホームにいる、いろいろお世話になったソーシャルワーカーの男性に書いた手紙の一部をご紹介します。今から思えば、母が亡くなってから1ケ月で、まだ気が立っていたから書けたのでしょう。今は、書けると思いません。書けるようになるまでに、1年ぐらいかかったかも知れません。書いておいてよかったとつくづく思います。

 

テキスト ボックス:  (前略)以下の件も、残念に思ったことです。個ゝ人を非難するつもりはありません。かれらにとっては思いもつかなかったことでしょうし、もちろん悪気はなかったと言えば、それですまされることだとは百も承知です。。。。さんがソーシャルワーカーだからこそお話するのであって、ソーシャルワーカーとして問題意識をもって、これからの貴施設の環境がよりよく改善されていくよう、スタッフの方々の教育にも努めていただきたいと考えています。

 

何があったかというと、母が今にも息を引き取ろうとしているとき、そして息をひきとった直後のことです。。。。医師やら館長が母のベッドサイドに来て、母が大きい、ということを何度も何度も口にされたのです。「お母さんの年齢にしては大きいですなあ」「大きな手ですなあ」うんぬんです。

 

母は、若いときから、見知らぬ人間や周囲の人に「大きい、大きい」と言われていやな思いをしたことを私は知っていました。だからこそ、「大きいですなあ」という言葉で、母を送りたくなかったのです。よっぽど。。医師や館長に「やめてください、大きい、大きいと言うのは」と、口先まで出かかりましたが、母の臨終に、かれらが思いもよらなかったことでガタガタするのはいやだったし、母も、私が言い返すと、「もうええ」と言いそうな気がしたので言えませんでした。でも、人生の最後の最後まで「大きい、大きい」と言われ続けた母のことを、かわいそうに思っています。

母が息をひきとったあと、看護士の一人が、キモノに着替えさせてくれたのですが、。。医師だったか館長だったか、とにかく「大きい」を連発されたものだから、看護士が「見てください。キモノもこんなに短いですよ」みたいなことを言いました。キモノは足首まで届いていませんでした。ふくらはぎの真ん中ぐらいまでで、母がはいていたソックスがかわいらしく見えたのを覚えています。

 

お棺の中で、母の頭は窮屈そうにお棺にくっついていました。これを見て、。。医師なり館長、もしくは他の人が「わあ、大きいから、頭が棺にまっすぐ入ってないよ」みたいなこと言えば、今度こそはっきり言おうと覚悟していましたが、覚悟のかいがあったせいか、有難いことに言わずにすみました。ほっとしました。

もう一度書かせてください。できるものなら、母を「大きいですなあ。大きな手だ」みたいな言葉とともに送りたくなかったです。。。。臨終まぎわにまで言われるのは酷なことでした。。(後略)

 

  ソーシャルワーカーには、母のいたホームだけでなく、他の介護施設にも、身体的特徴を面と向かって口にしないという教育を広げていくつもりで仕事をしてほしい、と書きました。これだけみんなに、大きいとは言わないでくれ、とはっきり伝えようと呼びかけているのに、自分の番になると、言えませんでした。ごめんなさい。私の意気地のなさを笑ってください。偽善的、自己欺瞞と批判されてもどうしようもありません。思い出すに、「言わないで」が口の先から今にも出そうになったとき、頭は、この臨終の緊張の瞬間に、そんなことを持ち出してもいいのか、という計算が働いてしまったような気がします。臨終の悲しみと、現世的な“そんなこと”への怒りとを天秤にかけたような感じでしょうか。普通の状況じゃなかった、それが私の言い訳です。でも、普通の状況じゃないからこそ、たとえ他人だとしても、人の死という厳粛な緊張の瞬間に、大きい、大きいが言える第三者の厚顔ぶりを考えると、やっぱり怒って、短くても「やめてください」と言うべきでした。「大きい、大きい」と言われるのがいやだった母の気持だけを考えると、やめろ、言うな、と、たとえ相手が年上の男性であっても、鋭く言うべきでした。母の気持を考えずに、自分が置かれている状況への配慮を優先させたような感じです。このあたり、私はまだまだ日本人ということでしょうか。(笑悲怒)今も、私の心の中には、母を守りきれなかったという不全感と後悔がずっとあります。最後の最後、母を守ってやりたかったです。(たかこ)

 

編集後記―ほぼ1年9ケ月ほどのあいだに、11回太平洋を往復しました。そのあいだ、一度もオフ会ができませんでした。申し訳なかったです。オフ会の開催をしたいと思いますが、やはり場所の選択が壁となります。2010年10月は東京で、2011年12月は大阪で、2012年7月は名古屋だったので、今度は東京寄りに静岡かその先あたりぐらいではどうでしょうか。何か面白いところはないですか。あったらまた教えてください。またお会いできるのを楽しみにしてます。(デイ)

 

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