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神戸、その後 

 

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(たくさんの人たちに、私の経験を話しての結果、わかったのですが)、というのも、私たちが悩んでいる(あるいは、つらい思いをしてきた)ということが理解できない、「そんな、(悩んでたなんて)うそでしょう?」「えっ、そうかなあ、背が高いほうがいいんじゃない?」と、怪訝な表情で問い返されることが意外に多いからです。

 

今の私が、ニコニコして元気にしゃべっているからなのか、はたまた想像力の欠如なのか、このような反応が一番多かった(ほとんど)です。「分かる気がする。」といってくれたのは、一人だけ。あと、同い年の女性が、「同じ体験をしたわけじゃないから、あなたの本当のつらさは、分からんと思うけどね。」といいながら、目に涙をためながら、聞いてくれました。あと、お姉さんが背が高くて悩んでいたという人は、理解してくれました。(やはり、身近にそういう人を見ていないと、分からないのかなあ?) 彼が、「日本は、みんなと同じということが、ある意味社会規範の役割を果たしていたと思う」といっていた人です。これは、もちろん背の高さということでなく、違うものを良しとしない社会の意識について話していたときのことばです。

 

また、オーストラリア人の男性は二人とも、日本にきた当初、外見や体型のことをずけずけ言われてびっくりしたことがあり、私の言うことを理解してくれました。「僕たちは、その人がどう見えるかよりも、その人がどう感じ考えているか、何に興味を持っているのかということに、より関心を持つよ」といっていました。そのうちの一人は、お姉さんがやはり背が高く、「姉は、背の高いことについて決して言わなかったけれど、姿勢がどうしても前かがみになりがちだった。だから、母や僕らは、もっと胸を張って姿勢よくってことをよく言っていたよ」といっていました。

 

 ということで、世間の多くの人は、私たちが、いかに傷つき悩んできたか、あるいは、今でも標準からはみ出た人たちが日本では悩まされているということを理解していないし、感じてもいないというわけです。

 

あの後も、何人かの人に話したのですが、「そんなに悩んでいたなんて・・・」「太っている人には、悪いから言ってはいけないと思うけど、自分の中で、背が高いことはいいことだという想いがあったから・・・」というのが、やはり多い反応です。これは、年齢や性別にあまり関係ないようです。関係があるのは、「想像力」つまり、人の気持ちに思いをはせる力」のような気がします。20代の若い子でも、話すと分かってくれます。彼女は、人の気持ちを思うことができる子です。

 

多佳子さんの本のこと、神戸での経験や、標準でない体型や考え方など人と違うことに対する日本社会の反応、背が高いことでどのような経験をしたか、そして今私たちが何とかそれを発信していきたいと考えていることなどを話したら、私のアメリカ人の友人は、 What you say is so true, that people must look beyond what a person looks like and see the person.  Your experience as a tall woman in Japan would be interesting for anyone who feels different from the "norm" including people like Jerome, black in a world that is mostly white, and the many hispanic people who speak English with an accent.  I would love to hear more and read what your group is writing and doing.  と、言っていました。

 

前回話した、オーストラリアの男性ですが、彼も多佳子さんのホームページが、日本語のみと知り、残念がっていました。

 

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