和田アキ子さんについて
〜UNDER CONSTRUCTION〜
2006年1月はじめ、友人たちとシカゴの日本人コミュニティにあるカラオケバーに遊びに行きました。旧知の友人とバーのママさんが話をはじめました。ママさんは、私の顔を見て、言いました。「この人、和田アキ子みたいね」ほら、来た。。心の中に、いつもの冷たいこわばったものが浮かびました。私は、いつもの通り、そ知らぬ顔をして、何も言いませんでした。まああえて言えば、「こいつもおんなじだ」ぐらいでしょうかあ。。(悲)
そのときには、すでに本を読んでくれていた友人も、何も言いませんでした。後日、彼から届いたメールによると、ママさんの言葉を心苦しく聞いていたとのこと。そして、その翌日にもママさんに会う機会があった友人は、ママさんから言われたそうです。「きのうは、悪いことを言ったかしらね」と。それで友人は、「そうですよ。ああいうことは言うべきじゃないですよ」と言ってくれたそうです。
あの夜のバーのママさんの件ーつまり非常に個人的な出来事ーはこれで一件落着かもしれません。しかし、私の心にいろいろな思い・考えが残りました。いろいろ思っていたから、エネルギーが呼びおこしたのでしょうか。ふっと思いだしたのです。確か、2005年のNHKの紅白歌合戦では、和田アキ子は白組で出場したんだったよな。と。なんでやねん。。と思ったのが、その後の”ばたばた”をひきおこすきっかけになりました。(笑)
私はどうやら一生「和田アキ子」からは逃れられないらしい、という一種の諦念から、もう一度本気(?笑)で、私にとっての「和田アキ子」を解題したいと思いました。
以下は、私が感じたところの疑問点です。
1 私はどうやら一生「和田アキ子」からは逃れられないらしいけれど、なぜだ、という疑問。
2 なぜ、友人も私も、言われたあの場ではっきりと「そういうことは言わないでください」といえなかったのか、という疑問。
3 なぜ、和田アキコは白組で紅白に出たのか、という素朴な疑問
4 和田アキコのファンとは何を魅力と見ているのか、という疑問
5 和田アキコがメディアで体現しているものは何なのか、という疑問。
こういう問いはぐるぐる回って、結局同じところに戻ってくるような気がします。でも、すくなくとも自分で答えを見出そうとして、いろいろな人の意見を聞くことで、また新しい地平線が開けていくかもしれません。。新しい地平線は、私の過去50年と、これから残されている人生に違った光を投げかけてくれるかもしれません。少しずつ、前を向いて進むしかありません。地平線の向こうに浮かぶ、夜明けの強烈なオレンジ色の太陽の光を求めて。。
1 「和田アキ子みたい」はほめ言葉なのか
–
メディアとイメージの変遷 −
–
同じ背が高くても、有名なモデルや女優さんの具体的な名前を使って、たとえば「川原亜矢子みたい」と言われることは絶対になかったけれど、「和田アキ子みたい」はずっと言われてきたよ、と友人に言うと、「そりゃ、年齢でしょ」と言下に答が返ってきました。そうですかあ。。そう言われるとそうですなあ。。(笑) 50歳の人間に、いくら背がある、といっても、20歳代の女優の名前を並べるわけにはいかないというわけで。。。(笑) となると、今でこそ、背の高い女性がけっこうメディアーテレビーに登場するようになっているけれど、私が成長(?−笑)してきた過去30年においては、「大きな女」のロールモデルは、和田アキ子しかいなかったということでしょうかあ。。でもそういえば、楠田理枝子という人は、私が日本にいるときからいましたよ。。あの人、年齢、いくつでしょうかあ。。若くはないと思いますけど。。大きいけど、美人で売ってたような気がします。。。やっぱり「楠田理枝子みたい」といわれたことはないなあ。。。(笑) 要は、メディアでの露出度ーつまり人気と美醜の序列とのしのぎあいかなあ。。。。(多佳子、1/28/06)
アメリカでも私の顔を見て、「和田アキ子みたい」と言ってのける人は、どちらかといえば年配の感じ、という感触はもっていましたが、和田アキ子さんも少しずつご自分のイメージを変えてこられていると知りました。「大きい女」だから「怖い」というよりは、「ご意見番」として、歯に衣を着せずに話すから「怖い」というイメージだそうな。。となると、私の顔を見るなり、「和田アキ子みたい」とは、かなり旧態然としていることになりますなあ。。(笑) もうそれほど気にしなくてもいいのかも。。。(やったあ。。。笑)それよりも、最近のアンケートによると、和田アキ子さんって、「いざとなるときは頼りになる人」「理想の女性上司」の上位に選ばれているそうで、そうなると、「和田アキ子みたい」なんて、「かっこいい」の同義語ですねえ。。。そういう意味で言われるようになれば、それは誉め言葉なんだあ。。。(やっと到達したって感じ。。。。笑)
ただご意見番としての「タレント和田アキ子」が、彼女本人が望んだイメージかどうかについては、ファンの人たちの中には疑問に感じている人もいらして、そこに和田さんのプロ意識と、歌手として、人間としての悩みのせめぎあいを垣間見る思いがあるとのこと。。ファンというのは有り難いものだと思いました。和田さんもたぶんそう思ってることでしょう。。。優しくて、思いやりがあって、泣き虫で寂しがり屋。。。なあんか私、そっくりかも。。。(笑 あ、ファンの人に怒られそう。。ごめん。。笑) 「和田アキ子みたい」と言われても、気にしなくてもいいような気持ちになってきたことは確かです。感謝です。。
あと、できるものなら、ご主人に会いたいものだと思うようになりましたた。和田さんより背も低く、足のサイズも小さいそうな。「和田アキ子みたい」と言われて、長年悩んできた者です、と紹介すれば、どう反応されるでしょうか。(多佳子、2/4/06)
2
言われて嫌だと思ったら、なぜその場で言い返せないのか
まず、考えられるのは、言い返すことで、その場の雰囲気を壊したくない、という配慮が瞬間的に働くことでしょう。場を大切にするのはアメリカ人でも同様でしょうが、とりわけ日本人の場合は、「自分の意見を言う」が行動形態として根付いていないせいで、とりわけ、言わないでくれ、といった批判めいた「自分の意見を言う」は、ますます言いにくくなります。これが、英語世界だと、はるかに言いやすいです。
あと、もちろん相手にもよります。この場合、言ったのがバーのママさんで、こっちは客なんですから、バーのママさんの言動が不快であるなら、堂々と言えばよかったのですが、やっぱりあの時、一番に思ったのが、言われることに対する諦念と、同席している友人たちに不快感を与えたくない、という思いでしたね。。自分一人なら、「ちょっと、そういうこと、言わんといてくれる」「気分悪いこと言ったんだから、この勘定ただにしておいてよ」ぐらい、言えたかもしれません。。(笑) これが、職場の上司なんかがからんでくると、もう絶対に言えなくなりますね。上司の前で、ましてや上司に言い返したりして、「なんや、お前、人がせっかく楽しんでるのに。ぶち壊しやがって。。責任をとれ」などと、問題の本質はそっちのけで、すごまれたり、「叱られたり」したら大変です。
日本人の精神構造は、原則論として、言ってはいけないこと、言ってもいいこと、が決まっているのではなく、社会のヒエラルキーで「言えるか言えないか」が決まりますから、ぞっとします。要するに、すべて「状況次第」というわけです。それは、何かあったとき、対処に柔軟性をもたらす利点がありますが、「風見鶏」となって自分の位置が決まらない、ということでもあります。自分の位置が決まらないとどうなるか。つまり、「自分」を決めてくれるのは他者ということになります。
言い返せない原因の一つとして、「恥の文化」をあげてくれた人がいました。つまり、たとえば、バーのママさんに恥をかかせるわけにはいかない、というわけです。でも、こっちが客なんですから、バーのママさんに恥をかかせてなんぼのもんやねん、という風にはいかないのでしょうか。恥の文化が身体的エネルギーにしっかり沁みついているとなると、言い返すエネルギーも生まれないかもしれません。
最近、以下のような文章を読みました。
「日本は、本当の自分をさらけ出したら排除される、”人の目社会”である。”いい子、いい人”と認識されることが重要で、日本の教育は”人間それぞれのにおいや色という個性を排除した、さらさらとした透明な存在”を育てる傾向がある。それは、個性豊かな”かけがえのない自分”を否定することでもあり、”自分はとてつもなく交換可能”という自己認識を生むという。日本は、”見ている人が正、不正を決める恥の文化”である。」(文化人類学者、上田紀行氏講演より、「北米毎日新聞」2006年1月26日付)
見ている人が正、不正を決めるなんて、最悪ですね。。たとえば、メディアがいっときある人物を祭りあげたところでー正なわけです、その人物が犯罪者だとわかると、今度は「手のひらをかえしたように」今度は平気でバッシングをはじめるー不正となりますーそこには、祭り上げたことに対する責任感も、「手のひらをかえす」みっともなさへの自己認識もまったくない、ということです。いったい「恥」とは何なんでしょうか。自分に対する「恥」の意識は一切ない。それは、ただ「人といっしょじゃないと恥かしい」ということでしょうか。「見ている」とは一時的な状況にすぎず、一時的な状況に振り回されるとは、そこには本質を見抜き、自分の中に自律の筋を通す、という地道な行為への配慮はいっさいない、ということになります。
島国という限られた地理的状況に膨大なエネルギーを鬱積させ、鬱積されたエネルギーはネガティブに変質し、そのネガティブなエネルギーにとりこまれきるだけで、本質を見ぬけず、ただ表面的な事象に踊るだけの「哀れな」姿をさらけだすー「日本語を母語とする人間」である限り、そのネガティブなエネルギーからは逃れられないということでしょうか。というのも、「言い返す」とは、身体に沁みこんだ、「見ている人が正、不正を決める”人の目社会”」から逃れえてはじめて可能なような気がするのです。(多佳子、2/10/06)
3 紅白白組出場について
なぜ、昨年2005年の紅白歌合戦で和田アキ子さんは白組から登場したか、について、歌合戦の制作担当者から返答をいただきましたが、ホームページへの掲載許可をいただけませんでしたので、以下の通り、私の言葉でご報告します。
つまり、単独で白組から出場したのではなく、m-flo(loves)Akiko Wada という、男性二人のユニットM-flo
のゲストシンガーとして出場したとのことです。男性が主役だったから、とのこと。Dream Come True のような男女混合グループは、男性が混じっていても、紅組から出場というわけで、混合の場合は誰が主、誰が脇役かで決まるようです。担当者からの返答には書いてありませんでしたけど、m-flo(loves)Akiko Wada というCDがヒットしたので、出場が決まったという声も聞きました。
というわけで、和田アキ子氏のトレードマークのようにされてきた「男っぽさ」は、白組出場とは一切関係がなかったようです。(ほっ 笑)
4 和田アキ子さんのあるファンクラブからの声
私の名前で検索をかけたら、和田アキ子さんの一(いち)ファンクラブのサイトに出会いました。ファンの一人の人が、本屋で私の本を見つけ、「和田アキ子の裏切り」の章を”立ち読み”してくださったそうなのです。
感想は、「一言で言うと,たぶん著者は「大きい女」をゲテモノ扱いしないでくれ,ということを言いたいのだなと思いました。」と喝破してくださってますが、やはりファンの方には一面的なものの見方と映ったようです。当然でしょう。そして、和田アキ子について書くなら、細部を検証し、本人に取材をしてからにすべきだ、とも指摘されました。それも当然でしょう。できるものなら、私もそうしたいのですが。。(悲)
というわけで、、以下の文章を、そのファンクラブに投稿しました。和田アキ子さんにファンがいらっしゃるのは当然ですけど、そういえば、この30年、一度もファンの気持ちなど考えたことはなかったなあ、と思いいたりました。ましてや、掲示板から判断するに、女性ファンが多いらしい、ということにも心底びっくりしました。女にとって和田アキ子の魅力は何なのか、彼女たちの声が聞いてみたい、と思いました。
「和田アキ子みたい」と言われ続けて人生の大半を過ごしてきましたが、その言葉がいつかほんとうに「誉め言葉」になって、私の心に響くことがあるのだろうか、あってほしいものだ、と今、思っています。
私の本を読んでくださった方がいらっしゃるとのこと、感謝です。和田アキ子さんを取り上げるならば、細部の検証をすませ、本人への取材をした上で、とのご指摘はもっともで、私も望むところなのですが、無名のライターではかないません。(悲)身長176センチの私自身は、和田アキ子さんが嫌い、というわけではないのですが、若い時からずっと今日まで(もう51歳です)人に会えば必ずというほど「和田アキ子みたいね」と言われ続けてきて、ファンのみなさんには申しわけないですけれど、いやあな思いをしてきた者です。本を出した今は、「和田アキ子みたい」という言葉をなんとか「誉め言葉」と考えられるようになって、Tall is Beautiful が社会全体に広がり、大きな女を見ても、「和田アキ子みたい」だの(今は、お笑いの南海キャンディーズの静ちゃん、という人も背が高くて人気があるそうですね)「何を食べたらそんなに大きくなるの」といった、「大きい」ことを奇異な目で見るぶしつけな言葉が消える社会をめざしたいと思ってます。和田アキ子さんに直接に会われているみなさんや、できるものなら和田アキ子さんのご意見も聞きたいものだ、とか思っているところです。よろしくお願いします。
ご意見ありがとうございました。一番びっくりしたのが、ファンとしての気持ちの中には、和田さんの背の高さといった容姿への意識はない、という部分です。ええっ、って感じでした。たぶん他にもそういう気持ちの方はいっぱいいらっしゃるのでしょうね。。おっしゃってるとおり、ファンとそうじゃない人との違いだと思います。つまりファンの人は、そういう外見を超越した人間和田アキ子を見ている、ところが世間のファンじゃない人は、和田さんを単なる見世物の「物」かのような目で見るから、それを「大きな女」ー少なくとも私に対しては長年ーへの揶揄の道具に使うわけですよね。ということは、ファンの方々が見抜かれている和田アキ子さんの人間的な、女としての魅力がもっともっと前に押し出されたら、揶揄に使われることも少なくなるのではないでしょうか。もちろん和田さんに大きな女のすべてを代表してもらおうというわけでは決してないんですけど、発言力、影響力の大きい和田さんだからこそ、「普通」の大きい女を助けてほしい、と思っているのです。本の中にも記しましたー「身体や足が大きいことをコンプレックスにする社会のあり方を変えることに、マスコミで生きる和田さんの巨大な力を使っていただきたい」と。。また、皆さんのご意見やお知恵を借りられたらうれしいです。
その後、ファンの前に立つ実際の和田さんは、テレビに映る姿とは違って、本当に細く、小さく見える、とファンの人から聞いて、ますます混乱(!−笑)しています。一度、ステージを見に行かねば、と思っているところです。やはり、そのギャップはメディアのトリックということでしょうか。メディアの功罪は思っていた以上に大きそうです。(多佳子)
*
Click to link
5 寄せられた声
和田アキ子と、静ちゃん
(匿名、主婦、40代、1/24/2006)
和田アキ子と、南海キャンディーズの静ちゃん。
長身の女性ブームは来てるようですね。モデル出身の伊東美咲ちゃんなんか大人気ですもの。
和田アキ子は、彼女の個性で、ある種の尊敬(?・・チョット適切な言葉がみつからないんだけど)にも似た人気を得ているように思います。彼女の場合は、長身であることが、概ね「肯定的」に捉えられているように思いますよ。昔のことは知りませんが最近は。
でも・・静ちゃんはどうかしら?
(注)静ちゃん
*吉本興業
*
長身女性も出来るだけ身長の拘りを捨てて幸せの選択肢を拡げた方が良いと思う
(翔龍、40代、自営業、1/27/2006)
和田アキ子さんに関して、和田さんのキャラが視聴率アップのための経営戦略に利用されたと感じています。本来の和田さんは外見はともかくとても女性的な人だと思ってるのですが、時代背景・家庭環境などで偽りの自分を作り上げてしまったとみています。悲しい事です。人の個性を面白半分に扱う事を公共の電波で流すのは良くないですね。それに不感症になってる日本人も問題だし・・・
大林素子さんが出ていたバラエティ番組でも司会者(女性)が「でっけ〜」と言っていたのには辛いものがあります。自分は素子さんのファンです。いつも思うのはあれだけ素敵な女性なのにお相手がいないのは悲しいところがあります。残酷な現実ですが182の素子さんが自分より背の高い男性を捜すのは困難、もし彼女に身長に対しての拘りがなければ簡単に素敵な男性に巡り会えると思うのです。少しでも彼女たちが身長コンプレックスを持たなくてもいい社会を目指したいですね。
近所のおばちゃん達との会話でも嫁さんの話題になると「どんな女性が良い?」「長身女性!」「贅沢言うな!」これは相変わらずの押し問答長身女性=モデル体型・美形という方程式も辛いです。長身女性の中には身長以外で外見のコンプレックスをお持ちの方多数いると
思うし、その捉え方ではモデル体型でないといけない強迫観念に縛られる事により悪循環に陥る女性が出て来ます。その方程式・価値観を変えないと長身女性はいつまでも苦しい思いをすることになるし、また長身女性大好き男族もイコール変態?ある意味面食いだとか身の程知らずとか・・・酷い扱いされるおそれもあるし@@少なくとも背の高い低いが、髪が長い短いぐらいの違い程度に扱われる感性が普通であるような社会になるようにしたいですね。
自分が長身女性大好きだから言うわけではありませんが長身女性も出来るだけ身長の拘りを捨てて幸せの選択肢を拡げた方が良いと思う今日この頃です。
和田アキ子という歌手
(ヤヨイ、33歳、派遣、1/27/2006)
和田アキ子さんは、男性のように扱われることを「芸」としているではないか、それで売っているではないか、という反論があるかと思います。しかし、私は紅白の和田アキ子は正直痛々しかった。白組として出ることについて、彼女の本音を知りたいと強く思います。「それで売っているんだろう」という言い返しをするような人が、彼女の容姿を常に攻撃し、「男女」という神輿を用意し、とうとう「男として」白組デビューさせてしまった。あれはそんな結果に映るのです。下記のHPになかなか鋭い考察が記載されていました。
↓
和田アキ子という歌手はどういう存在か。
彼女はひとことで言い表せば「大女の悲哀」を持った歌手だ。
いつも男みたいだといわれ、どこに出ても3枚目。泣いたところで絵にならず、可愛らしく笑っても似合わないといわれる。男にすがろうにも、男は冗談じゃない気味が悪いといって逃げる。
そんな女がどうなるか。演技としての男性性を身につけるのだ。あえて、男っぽく振舞う。わざと暴力に出る。男なんていらないとポーズをつける。
――でもそれは、はったりなのだ。
そうしなければ自分が可哀想すぎるから身につけたそれだけのものであって、ただの処世術にすぎない。彼女は本質的には弱い歌手であり、女々しい歌手だとわたしは思っている。
それは、彼女のメディア内での振る舞いを見ていればすぐにわかる。彼女の行動にはいつも自分の情動をキープできない弱さが常につきまとっているのだ。
和田アキ子という存在
http://wagamamakorin.client.jp/wada.html
↑
蛇足ですが…
スピリチュアルカウンセラーの江原孝之と美輪明宏がホストの心霊相談番組があるのですが(「オーラの泉」というタイトルです)、そこに和田アキ子が出演した時に美輪明宏が「血を吐くような色々辛い思いをしたのよね」と言っていました。和田アキ子が在日韓国人ということと、容姿について周囲から攻撃されてきたことを言っているのだなと分かりました。その差別されたが過酷な状況が彼女にR&Bを唄わせるのだそうです。
しかし特に表現したいこともない、小地味に生活してゆきたい一般人はどうしょうもないです。知名度の高い和田アキ子のような人が、容姿のことを言われるのがどんなに辛いか芸能界を引退する時でいいからせめて一言でも訴えてくれればなーと思ってしまいます。
南海キャンディーズ・山崎静代さん
(翔龍、40代、自営業、1/27/2006)
南海キャンディーズ・山崎静代さん、彼女の芸そのものを見たことは一度もありません。関連サイトではお顔を拝見して知っていますが、その程度ですので詳しくは知りません。個人的に言えば、好きだしありがたい存在です。何度もメールに書いてきたことですが、近所のおばちゃん達と嫁さん探しの話題で好みの女性像を聞かれ、「長身女性好き!」と言えば必ず「贅沢言うな!」と返ってきます。これは和田アキ子さん達など特殊な才能の持ち主は別として長身女性が持つコンプレックスを脱するにはモデル並みの容姿になるしかない道はない・・・そういう脅迫観念を生み出す時代背景・固定観念等を年配の人達さえも何の疑いもなく受け入れてる。これが(感心できる言葉ではありませんが)身長以外にもコンプレックスを抱く女性達を苦しめてきました。また自分のような長身女性大好き男族も同じです。
女性が思うほど長身女性大好き男族は長身女性を狭く捉え見ているわけではありません。広く捉えているのも関わらず、長身好き=モデル系女性好きという誤解をされ、身の程知らずとか贅沢だとか罵声を浴びせられる・・・
長身女性が好きであってナイスバディや美人が好きだと叫んでるわけではありません。苦い思いをしている同胞が多いと自分は感じていますが・・・モデル体型にならなければ救いがない・・・こんな脅迫観念から長身女性を解放する。彼女の存在はその閉塞状況から一歩前進させることに大きな意味があるのではないでしょうか?
彼女は今凄い人気だしいろんな意味で行動が流行に反映されるでしょう。それが恋愛に限らず長身女性を苦しめている呪縛から解放に繋がれば良い思っています。今後の彼女に注目したいですね。そして山崎さんが小柄で有能な男性と結婚し幸せになることを事を祈ります。
長身女性の幸せの選択肢を拡げるために。
誉め言葉として捉えられません
(あつこ、30代、アルバイト、2/4/06)
まあ、私が言われたとしても決して誉め言葉として捉えられません。
大前提としてパブリックイメージがあって、その最大公約数的見解をイメージしてしまうからです。ということは、私の和田アキコさんへのイメージも決していいものではない、ということになってしまうのですが…。
それは和田アキコさん本人の演出方法のせいですかね?
同じ長身のタレントさんでも「楠田枝里子さんみたいですね」とか「大林素子さんみたいですね」と言われれば、最大の誉め言葉とは思いませんが、(これも高飛車で失礼ですね)まだ少し感じ方が違いますよね。好意的に見るファンの方がまれで、たいていそのような発言を軽々しくする人はそんなにいい意味では使っていない気がします。
つかまえて逐一「あなたにとって和田アキコとはどんな存在か」と問いただすわけにはいきませんから、やはり想像するのは世間一般で流布している「和田アキコ像」が基準ですよね。
単に身長が高いタレントの名前が思い浮かばなかっただけなのかもしれませんが。
このあいだ、職場で飲み会があって珍しく参加したのですが、そこの居酒屋が「お客様のイメージのカクテルをおつくりします」という店でした。周囲の女性たちが酔ってそれを次々と頼むものだから、私ものせられて頼むハメに。嫌な予感はしていました。そうしたら案の定…ビヤジョッキに入れられて!どす黒いカクテルが運ばれてきました…(泣)
もううんざり。 わたしよりも20kgぐらい体重が重そうな女性がいたのですが、身長が低いためにバーボンを飲むようなグラスで。細い華やかな女性にはガラスでできた、女性のくびれを連想させる徳利に赤いカクテルが。でかくて地味な私はビヤジョッキでどす黒い液体ですよ…
さすがに気の毒に思われたのか一瞬周囲がシーンとなってしまったので、また私は気を使ってはしゃぐ素振りをしなくてはなりませんでした。もう絶対にイメージカクテルなんて頼まない!!!(泣)
しずちゃんですが、実は私は好きな方です。私には女性らしく可愛らしく映ります。
和田アキコさんのように無理している痛々しい感じがあまりないのです(本当はあるかも知れないですが)。
まあ、男性の捉え方は違うかもしれませんがね…
それに結局、「大きい女が、女の子らしい言動をしているのが滑稽だ」という大前提で、笑いをとっているには変わらないのですから。
5
私の本からー彼女へのメッセージ