イリノイこぼれ話
ホワイトシティ
ベストセラーになったノンフィクション小説「The Devil in the White City」(Erik
Larson 著)を夢中になって読みました。面白かったです。
舞台は1893年、シカゴで開かれた世界コロンビア博覧会です。ミシガンの青い湖水を借景に、現在のジャクソン公園一帯、56番街から66番街までの10ブロック、600エーカー以上の土地に出現した、現代でいうところの大エキスポ会場です。人工的にミシガン湖の水をひきこんで、内湾やら池、運河を造り、その水路を取り囲むようにして新しい建物が200以上も建設されました。シンメトリーとバランスを強調するヨーロッパのクラシック建築様式で造られた巨大な白亜の建築群の名残りが、今日も健在の科学産業博物館です。
小説は、この博覧会に理想の街建設の夢を託した建築家、ダニエル・バーンハムが、苦悩や焦りとともに東奔西走する姿を描く一方、建設ラッシュの陰で密やかに蠢いた、“イケメン”連続女性猟奇殺人者H・ホームズのどす黒い欲望の話です。薬剤師か医師だかの資格をもっていたホームズは、博覧会見物に地方から出てきた女性たちと次々に関係し、時には偽装結婚、重婚と思いっきりもてあそんだあげく、自分が経営するホテルにガス室を作り、女性を閉じ込め、断末魔の声を楽しんだのです。一度射られたら、逃げられなくなるというホームズの優しい(そうな。。笑)、深く蒼い目を想像しながら読んでいると、いつのまにやら、シカゴのメンツをかけた夢の街「ホワイトシティ」建設のドタバタはどうでもよくなりました。(笑)1896年、ホームズは告白しています。「自分は悪魔とともに生まれてきた。やめられなかった」と。「ホワイトシティ」を取り巻く現実は決して「ホワイト」ではなかったのです。ああ、まるで白無垢姿の花嫁の「明日」みたい。。(笑)
なぜ博覧会は「ホワイトシティ」になったのか。工期が二年ほどと短すぎて、建物の色なんか考えている余裕がなかった、だから、ええい、めんどくさい、白一色にしておけ、となったそうです。納得。(笑)
「ホワイトシティ」建設には、4000人以上の労働者が関わり、その中にはウォルト・ディズニーのお父さん、大工で家具職人だったエリア・ディズニーもいたそうです。お父さんは、きっと20世紀生まれの息子に自分の仕事、夢の街の話をしたのでしょう。著者ラーソンは、ディズニーランドに、「ホワイトシティ」の面影を見ています。(Larson p.373)
そして、日本人。日本人がこの「ホワイトシティ」を書けば、必ず登場するのが、明治政府が50万ドルを投じて参加、宇治の平等院のそれに似た鳳凰殿を建てたこと、そしてその鳳凰殿に影響を受けたのが建築家フランク・ロイド・ライトだったという話の流れです。
でも、私が「ホワイトシティ」のもうひとつの意味を知って、“鳳凰殿とライト”以上にピンと来たのが、その当時から認められていたらしい日本(人)の名誉白人的国際的地位です。
伊藤一男著「シカゴ日系百年史」によると、博覧会の女性委員会の会長(もちろん白人女性です)は、明治天皇の妃と日本婦人会の会長に招待状を送り、委員会に日本人女性の代表を一人送ってほしいと要請、そして「女性館」に日本女性の手になる美術品の出品展示を求めたといいます。(40ページ)へえ、明治維新から25年、日本女性の国際的地位はそんなに高かったのでしょうか。すごい。
一方、同じ女性委員会の会長に、何度も手紙を書いて、私たちの存在を認めて欲しい、委員会に私たちの代表をおいてほしい、私たちのアメリカ社会への貢献を認めてほしい、私たちの作品を展示するスペースを許可してほしい、と懇願してもしても、けんもほろろに扱われ、無視され続けた女性たちがいます。黒人女性です。
「ホワイトシティ」の建設現場にいたのは白人ばかりで、それも多くが英語も満足に話せない人間だったといいます。黒人が雇われることは決してありませんでした。「ホワイトシティ」を下支えしたのは、低賃金で働くヨーロッパからの移民だったのです。博覧会の理事会に黒人代表がおかれることはなく、それは女性委員会も同じでした。そう、だから「ホワイトシティ」です。
そんな「ホワイトシティ」に昂然と立ち向かった女性がいました。アイダ・ウェルズです。1862年、ミシシッピ生まれ。14歳で奴隷だった両親を失くしたアイダは、テネシー州メンフィスで教師やら新聞発行を経験したあと、シカゴにやってきました。まさしく1893年のことです。そしてすぐに、「The Reason Why the Colored American is Not in
the World’s Columbian Exposition」というパンフレットを2万部発行して、博覧会の黒人隔離・排斥、雇用差別に抗議しました。その前書きは、フランス語とドイツ語でも書かれています。日本人やらジャバ人、スーダン人にエジプト人、エスキモー人と世界各地から“珍人種”を招待しているのに、なんで全米800万人の黒人の存在が拒否されねばならないのか。世界にこの不平等を訴えたいーアイダの怒りと熱い決意のほどがわかるというものです。
このパンフレットに「The Reason Why」という一文を寄せたのが、シカゴ最初の黒人新聞、Chicago
Conservatorを発行していた弁護士のフェルディナンド・バーネットです。アイダは、1895年にバーネットと結婚、その後1931年にシカゴで亡くなるまで、黒人に対するリンチ反対を訴え、黒人の地位向上や女性の参政権獲得に向けて、精力的な活動を続けました。
現在、シカゴのマーチン・ルーサー・キング・ドライブにあったアイダの家は大切に保存されています。そしてアイダは、夫とともに、かつての「ホワイトシティ」近くのオークウッド墓地に眠っています。
アイダにとって、「黄色い日本人」ってどんな存在だったかなあ。。と想像すると、アメリカで生きる「私」がこれからも往かねばならぬ、終着点の見えぬ長い道が目の前に浮かんできます。それは、かつて「ホワイトシティ」の内湾で、ミシガン湖を背にして、夢の街を威圧しながら、西(内)向きに立っていた65フィートもの金色に輝く女神像、Statue of Republic、通称“BIG
MARY”が、今や3分の1の大きさになり、それもかつてとは逆方向に、つまりミシガン湖に向かって、東(外)向きに立っている像の視線と重なっていくものかも知れません。。。国家も人間も自画自賛に陥ることなく、現実の偽善・欺瞞に目をつぶることもなく、でも夢と理想をめざして、対岸の見えないより広い世界をいつも目指すこと―
それはそうと、「ホワイトシティ」で日本の鳳凰殿が建っていた島は、今は自然保護公園となり、公園の木々のあいだの隠れたところに、鳳凰殿の名残りの小さな石の灯ろうが一つ残っているそうです。おお、これから国際舞台に乗り出すぞ、と、気合十分の明治日本ですね。わっ、探しにいこう。。(笑)