イリノイこぼれ話
紫煙の鐘
鐘を初めて見たとき、ほんとにびっくりしました。よくまあ、わざわざ作って、アメリカまで送ってきたよなあ、これこそが“真の国際交流”と呼ぶべきものではないのだろうか、と。現代の「たばこ奴隷」のつぶやきです。(笑)
紫煙の鐘―今から120年近く前の明治日本からです。「この鐘はもとたばこの奴隷となり、いまハ自由の身となりたる一千有余の人々のきせるをぢがねとなし、一千八百九十二年十二月十日、東京において津田仙の鋳造せしめたるものなり」
一千有余ですかあ、よく集めましたねえ。立派な鳥居から吊り下げられた、小ぶりではあるけれど、重い鉄の鐘には、この日本文とその英訳文も刻まれています。すごい。信念ある明治日本人女性の気迫に圧倒されて、思わず紫煙をたちのぼらせてしまいました。(笑悲)その近くには、立派な書も掲げられています。「酒煙草 雲いの上に必要はなしとのたまう民ぞ幸ある」やばい。。。現代の「酒・たばこ奴隷」は、正直言って、息が詰まりそうになって、そそくさと出てきてしまいました。すみません。(笑悲)シカゴの北、禁酒の町として知られたエバンストンにあるフランシス・ウィラードの家でのことです。
フランシス・ウィラード。1839年ニューヨーク州生まれ。1857年にエバンストンにあったセミナリーに進学、同じ頃に家族もエバンストンに引っ越してきました。卒業後は、教職から社会改革運動に身を転じ、1874年にオハイオで設立された女性キリスト教禁酒同盟(WCTU)を19年にわたって率いました。エバンストンを本拠地に、禁酒から女性参政権、社会浄化(売春反対)、国際平和そして政治運動にまで関わった女性です。会員数20万人と、WCTUを当時最大の女性団体に育てあげたスローガンは、なんと「女性らしさを第一に、あとはお好きなように」。家庭こそが神聖な場所という女としての純な気持ちを“白いリボン”に託し、会員は白いリボンを胸につけて活動したといいますから、その硬軟おりまぜたフランシスさんの戦略に思わずうなってしまいました。
女に参政権はなく、教育を受けても、仕事といえば、教師か宣教師にしかなれなかった時代に、「家族を守れ」という社会から女に与えられた役割とまっこうから対立するのではなく、むしろその役割を「家族を守るために」と運動参加へのきっかけに転じさせ、そこから力を蓄積、男性同等の市民としての地位を獲得して、社会を変えていくー信念に裏打ちされた女たちの戦略と実行力に触れると、参政権も職業選択の自由も、幸福追求の権利も、既得権益として享受することしかできない現代の「酒・たばこ奴隷」は、自分に嫌気がさして、またもや紫煙をたちのぼらせてしまいました。(笑悲)
1883年に訪れたサンフランシスコのチャイナタウンで、アヘン、酒、ギャンブル、売春と、人間の業の実態を見たフランシスさんは、まもなく万国WCTUを設立、活動を海外に広げます。フランシスさん自身はアジアに足を踏み入れていませんが、万国WCTUのメアリー・レビットが1886年に日本へ。東京でも婦人矯風会がつくられました。ウィラード家の部屋の壁に飾られている明治33年(1900年)の「未成年者喫煙禁止法」の文面や、根本しょ、あずま・もり、そして矯風会の会長として“日本のウィラード”とまで呼ばれるようになった矢島かじ子といった日本女性たちの写真やメッセージを見ていると、昔、私が関わった「国際交流」に欠けていたものがはっきりと浮かんできました。それは、聞く耳に優しい「友愛」やら「国際人養成」といった抽象的な美辞麗句が醸し出すあまあいムードとはまったく縁のないものです。それは、国境を越える、越えねばならない一つの明確な目的、ゴールを共有し、それに向かってともに働こうと呼びかける「パートナーシップ」への具体的な戦略です。
日本がバブル景気に浮かれていた頃、ある小さな地方自治体が、わざわざ税金を使って「国際交流」を推進、姉妹都市交流を始めて、日本から老若男女を送ってきたことがありました。でもアメリカ側は、「国際交流」に税金を使ったりはできません。日本から市会議員や町の有力者たちが大勢やってきても、接待は、たとえば地元のマクドナルドが、無料で朝御飯を提供するといったコミュニティからの寄付が頼みの綱となります。税金で経費を賄う「国際交流」と、草の根の善意が支える「国際交流」では噛みあうはずがありません。姉妹都市交流を通して、「日本」・日本人を地元に呼び込び、なんとか自分のビジネス拡大に、と考えるアメリカ人と、「国際人」「人類みな兄弟」式の美しい総論にまきとられるだけで、具体的な成果へのビジョンをまったく持たない日本人。そんな体質の違いにどれだけ苛立ったことでしょうか。(怒笑)
でも、この紫煙の鐘は。。。。一国・一文化普遍主義の危険性は十二分に承知です。でも、同じようにたった一度の人生なら、これぐらいの信念と実行力が持てたらなあと、また思わず紫煙を浮かべてしまいました。(笑)
20世紀にはいると、WCTUの運動はピークをすぎ、何よりも男性主導の禁酒運動によって、1919年、憲法修正第18条が通過、禁酒法が成立します。が、すぐに禁酒法撤廃の動きが。。もちろん撤廃賛成の女性たちがいました。1933年、憲法修正第21条により禁酒法は廃止となります。やっぱりなあと、現代の「酒・たばこ奴隷」は、また紫煙を。。。(悲)
テロ撲滅、地球温暖化問題。。現代世界には、「人類みな兄弟」といった抽象言辞ではなく、具体的な戦略を共有する「バートナーシップ」が必要な地球規模の問題が山積しています。第二の「紫煙の鐘」は可能なのか。
連邦議事堂に、イリノイ州代表として彫像が立つウィラードですが、黒人差別・リンチ反対運動を訴えた黒人女性活動家、アイダ・B・ウェルズからの協力要請には一切応じようとしませんでした。ウィラードでも、人種差別・隔離意識からは逃れられなかったのです。人間なるものの業の深さ、人間社会の現実の厳しさを思うと、また紫煙が。。。。(悲)
「あの鐘を鳴らすのはあなた」という歌を思いだしました。「あなたには希望の匂いがする。。人はみな悩みの中」−紫煙の鐘は、どんな響きなのでしょうか。