「リンカーンの国から」
プロローグ
早いもので、私が渡米してからいよいよ20年を迎えようとしています。この20年近くのあいだに、カリフォルニアはバークレーからサウスダコタ、そしてイリノイと、広大なアメリカ大陸を東へ、東へと移動してきました。私の気持ちもカリフォルニア時代からは大きく変わりました。いよいよアメリカに同化しつつあるというか、アメリカの歴史に興味が出てきたのです。まるで、自分が人生の半分以上を過ごそうとしているこの国のたどった姿を、なんとか自分の中にとりこみたいといわんばかりに。。。
イリノイは、Land of Lincoln 「リンカーンの土地」と呼ばれます。この地に来た6年前、その理由がわからず、いろいろな人に聞いてみました。リンカーンはイリノイで生まれたから、という人もいれば、いや生まれてない、でもじゃあなんでやろ、と首を傾げる人もいました。が、はっきりとした答は誰からも返ってきませんでした。
リンカーンが生まれたのはケンタッキーです。観光ガイドブックによると、ホッジェンビルという町に、リンカーンが生まれた丸太小屋が大理石の神殿に保存され、国の歴史史跡に指定されているそうです。じゃあ、なぜイリノイがLand
of Lincolnなのか。私が思うに、リンカーンを大統領にまで育てたのがイリノイだからです。両親に連れられて、ケンタッキーから西へ、西へ、と移動してきたものの、このイリノイでリンカーンは一人だちを決意し、両親から離れ、自分の道を歩みはじめたのです。
イリノイ各地の小さな村や町に、リンカーンのさまざまな痕跡が残されています。イリノイ人がリンカーンを誇りに思い、称えるその気持ちは、たとえリンカーンが立小便をした、というだけでも、そこに記念碑でも建てたいといわんばかりの勢いです。その”一途な思い”にはちょっと臭さを感じますが、リンカーンのイリノイでの時間を少しずつときほぐしていけば、イリノイを、ひいてはアメリカを少しでも理解できる手がかりになるのでは、という思いが私にはあります。
リンカーンは、ある日突然、「人民の人民による人民のための政治」の名文句を口にしたわけではありません。リンカーンの足跡をたどりながら、シカゴのシアーズタワーでも、日本人選手が活躍しているときのカブスだのホワイトソックスでも、アルカポネでもない、市版されている観光ガイドブックには登場しない、もう一つのイリノイの顔をのぞいてみたいと思っています。