私の日本人・日本社会考
7.オゾン層保護と地球温暖化をテーマにした講演と演奏会での開会の挨拶
11.追記(金子喜一)
1.神戸移民船乗船記念碑
2 1) 日本の政治家が海外に出たとき
2) 移民学の学者論文から 「1」コミュニティの違いがもたらすもの
4 滝田祥子 カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学博士論文
The Tule Lake Pilgrimage and Japanese
American Internment
Collective
Memory, Solidarity, and Division
In an Ethnic Community (2007)より
1) キッコーマン
26.イメージ先行の伝統?
27.家族とは
34.内輪
35.ヒロシマの記憶
37 減点主義的発想
1. 勝ち組・負け組論
最近、「勝ち組・負け組」という言葉について、いろいろ考える機会がありました。しばらく前に、結婚していなくて子供もいない30代の女性を「負け犬」と呼ぶ本がベストセラーになったぐらいから、この「勝ち・負け」という言葉が日本社会をおおいはじめ、定着したような気がします。
「負け犬の遠吠え」という本については、著者が女性で、かつご自身が「負け犬」の条件を満たしていましたから、自らを貶め、かつ同性をそう呼ぶのは「女の裏切り」であり、そんな「裏切り」がベストセラーになるなんて、日本人・日本社会はなんと「ネガティブ」で、女には将来がないところだろう、みたいなことを、あるところで書いたことがあります。
その後、「下流社会」という本もベストセラーになって、社会に格差が広がっている、というコンセプトが蔓延し、その線上で「勝ち組・負け組」という言葉も流布するようになったようです。
売れないライターとしては、どんな本がベストセラーになるか、で、売れる本なるものの性格を分析?、そこから日本人や日本社会のあり方を考えるみたいな思考が身についたようです。「売れる」本はもちろん広告宣伝という販売戦略がものすごい力を発揮しますが、編集者なり出版社がどんな本が売れるか、売ろう、売りだそう、として販売戦略を練るのか、その思考には、一定のパターンがあると私には感じられるようになりました。それは何かというと、日本人のネガティブな心情をくすぐるというパターンがベストセラーになりやすそうなのです。
ここで、私が使う「ネガティブ」という言葉をはっきりと定義しておかねばなりません。少しでも誤解を生まないために。
普通の人が「ネガティブ」というと、どうやら、否定的、という意味で使われるようです。つまり人や物事に対して、否定的な見方をする、ということです。人の悪口を言うのは当然ネガティブでしょうし、そこまで明白でなくとも、たとえば、物事の進行や将来を「うまくいかないのでは」と悲観的にとらえるとか、いつもぶつぶつ愚痴とか文句を言ってるとか、といったことです。そういう意味では、私は完全に「ネガティブ」な人間です。たいてい何かに対して怒っているし、人をほめることなど滅多にないし、普通の人は、私をいやあな「ネガティブ」な人間、と呼ぶでしょう。
私は、それを別に否定しようとは思いません。ただわかっていただきたいのは、私が使う「ネガティブ」の意味はまったく違うことです。私は、その人なり、物事の全体のエネルギーの方向性が内向きなのを「ネガティブ」と呼びます。たいていの人は、日本人・日本社会のエネルギーが完全に内向きになっているとは考えないようです。だから私が、日本人や日本社会は「ネガティブ」だと言うと、みんな顔をしかめます。そして、そういう風に、日本に対して「ネガティブ」なことを言う「私がネガティブ」だと批判されます。
日本社会には、いつも当たり障りのない、人に対して優しい、絶対に人の悪口を言わない「ポジティブ」な日本人がきっといっぱいいらっしゃるでしょう。それでも私は、申しわけないですけど、日本人・日本社会を「ネガティブ」と呼ばざるを得ません。なぜかというと、日本社会は、人々のもつエネルギーが、日本という枠の外に出ることを基本的に許さない社会だからです。
どうして人はいつも「優しくて、前向きで、ポジティブ」でなければならないのでしょうか。その一種の強迫観念にも似た思いは、私には、必死で枠の中で生きるための"処世術"に映ります。「ネガティブ」に怒って、枠の外に出ることは許さない。出ないように、日本社会は必死で囲いこもうとします。脅し、批判、揶揄、あざけり、あらゆる手段を使って、囲い込もうとします。そのプレッシャーを打ち破れないのなら、いつもにこにこ、「ポジティブ」を"処世術"にするしかないのではないでしょうか。しかし、その「ポジティブ」なお面の下では。。。ああ、おそろし。。だから、私は「ネガティブ」と呼びます。(笑)
"ポジティブな処世術"の核となっているのが、他人との比較だと私は考えます。ひそやかに比較し、他人と「勝負」して、自分の居場所を見つける。。。だから、「負け犬」だの、「勝ち組、負け組」という言葉に人々は過剰に反応し、本はベストセラーになるわけです。つまり、他人と比べて、「ああ、私のほうが勝ってるわ」と既婚女性は"ほくそ笑み"、「負け犬、負け組にはなりたくない」と人々は焦るわけです。そこには、他者との比較から抜け出して、自分と、そして広い世界と勝負しよう、という外向きの気概はほとんど感じられません。だから、「ネガティブ」なのです。自分の居場所はあくまでも、限られた枠内にいる他者との比較からしか生まれないというのは、エネルギーが内向きな証拠です。
が、かつて一億総中流と言われた社会では、比較しても、格段の差があったわけではありません。差があっても非常に微妙なものだった。その微妙な差をいちいちリストアップして、あ、今、私のほうが勝ってる、あ、負けた、と心の中でぶつぶつ、でも顔はにこにこして「ポジティブ」に生きるーそれが日本社会という枠の中で生きる処世術と、処世術が生み出すエネルギーの質です。
ところが、長年、そうやって枠内におしこめられる内向きのエネルギーは、枠そのものの容量を大きくするわけではありません。そのため、押し込められるエネルギーは、いつしか枠の中で充満、飽和点に達します。そのまま放置されると腐りはじめ、そして、そこで生きる人間をも腐らせていきます。なぜ腐るか。枠の外に出るーつまりより広い世界への展望がないからです。あえて日本社会をほめるとすれば、どんなことをしても、充満し飽和点に達したエネルギーが爆発しないほど、社会の枠組みが非常に強固なことです。それは、長い長い歴史と伝統が培った「村意識」と呼べるものかもしれません。
枠自体を大きくできない「内向きのエネルギー」が鬱積し、下部から少しずつ確実に腐りかけた社会で、人々は日々、「今日はあんたの勝ち、勝たせてあげるわよ」「じゃあ、次は私に勝たせてね、よろしくね」と、ちまちまと「勝負」を時と状況に応じて、お互いにキャッチボールしているにすぎません。それが、展望のない「ネガティブ」な心情であり、その心情をうまくくすぐると、「負け犬の遠吠え」だの、「下流社会」だの、といった本がベストセラーになるわけです。こういう構図を外から眺めていると、ああ、日本ってなんとネガティブ、と、私は顔をそむけてしまうのです。
アメリカももちろん格差社会と呼ぶべき社会なのでしょう。しかし、アメリカ社会のエネルギーは外向きです。少しでも大きくなろうとする。そこで生きる人間のエネルギーも外向きです。他人と比較などせずに、自分で自分の道を切り開いていかねばならない社会だからです。確かに、日本人がそう定義づけたがるような「負け組」に属する人は当然いるでしょう。しかし、日米の決定的な違いは、「勝ち組、負け組」といった言葉がまことしやかに受け入れられ、人間にレッテルを貼り、メディアを通じて全米に流布し、ベストセラーを生むなんてことは決してありえないところです。他人を「負け組」と呼ぶ、そんな差別意識は決して許されないでしょう。「勝ち負け」なんて誰が決めるねん。何を基準にして決めるねん。お前、何をえらそうなこと言うてんねん、うるさいわ、あほか、ほっとけ、ばっか、それで終わりです。(笑)
私自身が売れないライターをしてますから、とりわけ敏感に感じるのかもしれませんが、日本人・日本社会の「ネガティブ」度をもっとも煽っているのは、出版界も含めたメディアではないでしょうか。メディアは権力者です。もし権力者が「ネガティブ」で腐りかけているのなら。。。。もうしわけないですけど、日本にはほんとに未来がないような気がしてくるのです。
2. 可視的存在としての在外邦人をめざしてー在米領事館への手紙
「ネガティブ」な日本がいやでいやで、とうとう日本を出る人もいるでしょう。たまたま、強固な枠組みから脱出する手段をもった人たちです。手段とは、お金かも知れないし、才能かも知れないし、たまたまの運かもしれません。私もその「たまたま」にのっかった一人でしょう。
日本社会は枠の外に出ることを嫌います。だからこそ、あえて出てしまった人間をどう見るか。。
私の滞米生活もいよいよ20年ですが、今までに在米日本総領事館に2度、抗議?!の手紙を書きました。ここに紹介したいと思います。なぜ抗議する気になったのか。「ネガティブ」な日本人の差別意識を感じたからです。なにをエラそうな顔してるねん、自分を何様や思ってるねん、ええ加減にせえよ、あっほ、だまっとれ、といった気分だったように記憶しています。(笑)
2−1 サウスダコタより 1998年11月13日付
在ーーーー総領事館 ○○様
前略
今日、お手紙をさしあげますのは、実は非常に不快な思いをしましたので、ご報告したいなあと思ったからです。もちろん、○○さんへの個人的な"愚痴"になりそうで、大変申しわけないからです。でも○○さんは、私のつまらぬ"愚痴"を、日本や日本人のために建設的なものに変える力をもつ立場にいらっしゃるわけですから、ぜひ聞いていただきたいと思いました。それに、前回お会いした時に、○○さんから、自治省が実施しているクレアのパンフレットを頂いたので、外務省の方にお手紙を書くのもそれほど筋違いではないかも知れないと考えたのです。
実は、おととい偶然スーパーで、日本人男性を見かけたのです。東京から私を訪ねてくれていた大学生が、いっしょにインディアン居留地に行ってくれる人を探していたので、もしかしてこの男性は、インディアンに興味があってここに来ている人かもしれない、レンタカーを借りているなら、彼女の同乗を頼めるかもしれないと思って、私が声をかけたのです。話をしてわかったのですが、クレアでここに10月31日から11月14日まで滞在している人でした。○○(日本海側の地方都市)からの人でした。
私は、個人的中傷をするために、○○さんに書いているわけではないことだけはご理解下さい。でも少し話しをしてみて、すごく驚いたのです。
この地に2週間いて、彼は時間をもてあましている様子でした。どうやら、ここの市役所内の外国人訪問者をケアするセクションが、彼と市長や市関係者との会合、会議に出席などのアポのアレンジメントをしたようなのですが、アポは一日に1つか2つらしく(日程表を全部見たわけではないので、この部分はいい加減です)、本人は「毎日暇です。ここの公務員も暇なようですね。会議とかいって、私をバッドランド国立公園に連れて行ってくれるぐらいですから」と言ってみたり、アポの時間が来ても「いや遅れてもいいんですよ、どうせアメリカ人相手だから」と平然としているとか、また私が日本語を教えていると言うと、横を向いて「ちゃんと資格をもって教えているのかどうか」とうそぶくとか、そのくせ「車で空港まで連れていってくれ.シャトル代ぐらいは払うから。領収書を切ってくれ。名前は会社にしてくれ」とか、実に態度が横柄で、まったく誠意が感じられず、すごくいやな思いをしたのです。そして、どうしても○○さんにお手紙を、と思ったのは、彼が「ここに来ても、知識は増えても、日本では一切役に立たない」と何度も言ったことです。それを聞いて、アメリカに13年いて、税金の使い道に目を見張る感覚が身につきだした私は、どうしても○○さんに書きたいと思いました。
私は彼のことをいろいろとりざたする立場にないし、また彼も気を許して、本音を言っただけかもしれませんので、彼を中傷するだけの気持ちで書いているのであはありません。ただ、旅行者として彼を見、その分差し引いても、やはり日本の税金を使って研修者としてアメリカに送られているのですから、やはり彼の態度は問題ありと見ました。そして、このまま問題を残したまま、ただやみくも(?)に税金を使って、人を送りこむだけなら、税金の無駄使いになると思いました。長年私的に、国際交流に携わってきた者としては、公金を使って国際交流を進めるなら、もう少し建設的なものにしていただきたいと思いました。ぜひともよろしくお願いいたします。
私が彼に見た問題点は、次の通りです。
1 現地の文化社会風土に関する情報とネットワークの欠如
2 現地の邦人に対する差別意識
3 国際交流という概念の欠陥(?)
まず、1に関して次のように考えます。以前、同プログラムで広島から来られた方からも聞きましたが、ワシントンでサウスダコタ派遣と聞いても、ダコタの情報は道路地図にのっている程度のことしかわからなかったとのこと。今回の人も、何も知らなかったようで、氷点下10度の気温だというのに、背広姿に、コーディネーターから借りた薄いジャケットを着て、歯をならしていました。コーディネーターはボランティアだそうで、彼にしても滞在期間の2週間ものあいだ、つきっきりの接待(?)はしきれなかったようで、なにやらほったらかし、彼は暇といった感じでした。
以前会った広島の人も、地元のコーディネータの人に、同性愛結婚はどう思うか、インディアン問題のことなどいろいろ尋ねたそうですが、何の返事もない、無視された、ここの人間は何も考えていないと怒っていました。
私は、ここは非常に保守的なクリスチャン社会で、同性愛など汚らわしく考えるので、人々は口にしないと伝えましたが、研修者に共通しているのは、現地の文化風土に対する認識不足です。こちらに到着する前に、いろいろな現地の情報ー少なくとも日本で知られているアメリカの都会人の生活・問題意識では測れないようなことーを彼らに与えるネットワークーたとえば管轄の領事館で話を聞くーとかが必要なのではないでしょうか。事前学習があれば、現地で違ったアプローチがとれて、それなりの成果があがるような気がするのですが。
広島の人は、インディアン問題に興味があると申請書に書いたら、サウスダコタに送られたとおっしゃっていましたが、今回の人はそんな希望もなく、ワシントンの関係者がアメリカ北部に"強い"ので、サウスダコタに人を送りたがるのだと言っていました。関係団体内の政治は無視できないとしても、政治だけで、確固とした目的のない研修地選択はやはり無駄の部分が大きくなってしまうのではないでしょうか。
これは、問題3とも関係するのですが、アメリカの知識は増えても、日本に帰っても何の役にも立たないでは、研修の意味は何なのでしょうか。姉妹都市などの国際交流をここで見てきて、私が感じてきたのは、日本人はどうしても抽象的な理想を掲げたがるけれど、それではアメリカ人に直接的に訴える力をもたないことです。というのも、アメリカ人は、姉妹都市交流でも、すぐに経済交流といった実際的な効果を期待し、その交流に自分が関わる価値があるかどうか判断するからです。今回でも、研修者が何やらほったらかしの感があるのも、研修の目的と市や関係者との関連性がはっきりせず、日本人が勝手に来ているだけ、みたいな感じをアメリカ人に与え、ボランティア任せにしたような部分があるからではないか、と私などは、勝手に想像しています。
これを避けるには、この地を選択する理由・目的をしぼりこみ、アメリカ側にはっきりと提示すること、たとえば農業・牧畜経済のあり方とか、過疎地の観光開発とか、焦点をしぼって、アメリカ人には「日本とつるんでおけば、何かうまい汁が吸えるかも」と期待させ引きこみ、日本側はもちろん「日本に帰っても役に立つ」情報交換をすることで、意義ある国際交流につなげてほしいと思いました。「知識を増やすだけで、役に立たない」レベルの、「お客様ごっこ」の国際交流だけは本当にもう卒業してほしいとつねづね思っています。
焦点をしぼりこむといっても、広島の人は現地のコーディネーターにインディアン居留地に連れていってくれ、と頼みましたが、もちろん白人のコーディネーターは無視しました。行きたくないし、どこへ行ったらいいかも知らなかったのでしょう。怒った彼は、自分でレンタカーをして出かけていきました。そのあたりも、やはり現地の状況を事前に学習し、アプローチを考えることが大事だと思いました。
またこんなこともありました。姉妹都市交流で、日本から教師が来たのですが、アメリカ人にアレンジを頼むと、市で一番裕福な地区にある学校だけを見せるのです。しかし、日本人教師の中で、社会科の先生でしたが、ご自分の足で、町の貧困層が集まっている地区の学校を見学に出かけられました。帰ってこられて、私におっしゃった言葉が今もって忘れられません。お会いしたのは、裕福層の地区の学校でしたが、彼は「多佳子さん、この学校が特殊なのがよくわかりました。今の日本の学校の様子は、別の(貧困層の)学校の子供たちと同じなんですよ」と。
「お客様ごっこ」で、アメリカの知識ーそれも一面的、かつ対症療法的なものばかりを日本に持って帰るのではなく、アメリカの「良い」部分が生んでいる「負」の部分もはっきり見据え、日本の進路を考えるような明確な問題意識をもった研修・交流に、貴重な税金を使ってほしいなあと思いました。
最後に2の部分ですが、この問題については、たとえば日本企業内の駐在員と現地採用の人間との待遇の差など、あらゆるところで顔を出す問題ですが、クレアの場合は公金で"研修"にこられているわけですから、アメリカに住んでいる人間なんて、日本に住めなくなった落伍者といった差別意識は持っていても、それをあらわにせずに、現地の人間から話を聞き、学ぼうという態度が持てる度量の大きい人間に税金を投入し、研修してもらうべきではないでしょうか。現地邦人を「便利屋」扱いするエリートぶった底の浅い態度に、私はむしろ彼を送りだした市とプログラムそのものの質を疑いました。
以上です。すみません。甘えて長々と書きました。確かに、今回の人はたぶん特殊なケースだと思います。しかし、もしかしたら、クレアのプログラム全体を見渡した場合、同様の問題の片鱗をここそこに見出せる可能性があるかも知れないとの思いから書きました。厚かましさをお許しください。
でも考えてみれば、自分一人でも"さざ波"を起こさねば、社会は変わらないということを私はアメリカから学びました。この"愚痴"も、またなんらかのお役に立てればいいのですが。(後略)
2−2. イリノイより 2004年3月14日付
在 ーーー総領事館 ○○様
前略
思いきって個人的にお手紙をさし上げることにしました。というのも、私はノーザンイリノイ大学の人事部で仕事をしておりますが、やはり仕事の真の成功というものは、相手の国籍や人種、職業や職場での地位、言語をはじめとする社会文化的背景の違いなどにかかわらず、誠意をもった緊密なコミュニケーションによってのみ達せられるものだと、日々実感しているからです。今回このようなお手紙をさしあげるのも、在外公館の仕事、職員の方々の職務遂行がよりより方向に改善されることを願ってのことでありますので、どうか誤解なきようよろしくお願い申しあげます。(中略)
実は、昨年9月5日、シカゴ歴史協会で催された日米150年祭のレセプションの場で、展示されていたパネルを拝見しました。そしてすぐに、パネルの中の記述に誤りを見つけました。
パネル3のペリー提督の説明文で、出身地が「ニューポート、ロングアイランド」となっていたのです。ロングアイランドは州ではありません。「ニューポート、ロードアイランド」(Rhode
Island) が正しいのです。この間違いは、単なるタイプミスといった性格のものではなく、明白な誤りであり、しかも日本国を代表する総領事館主催の、それも日米を祝うイベントですので、このまま誤りを放置しておくのは、俗な言い方ですが「恥ずかしい」と思いましたので、私はすぐに「間違ってますよ」と、会場のスタッフの若い女性に告げました。するとすぐに、中年女性の職員の方が出てこられましたので、もう一度「ニューポート、ロングアイランド」は間違いだと指摘しました。すると、その職員の方の開口一番が、食ってかかるような攻撃的な口調で、「なんでわかるんですか」「ロードアイランド、そんな州があるんですか」でした。こちらは、その問いの底の浅さに唖然として、すぐにニの句がつげませんでした。
ロードアイランド州ニューポートといえば、東部ではよく知られた観光地です。大豪邸や故ジャクリーン・オナシスの別荘などが立ち並び、ヨットレースの本拠地でもあり、アメリカ人なら常識の範囲と言っていいでしょう。「なんでわかるんですか」と問い詰められても、常識なわけで、ご自分の無知さ加減に気付くことなく、そういう問いを発することができる職員の方の高飛車な態度にはあきれてしまいまいました。さらに私の場合は、配偶者がニューポート出身なので、毎年のように出かけていました。ペリー提督の像も建っており、それこそ提督の縁で、確か下田だったと思いますが、姉妹年となっており、毎年夏には黒船祭が開かれています。去年は20回を数えています。
職員の方には、このような個人的な状況を話し、ロードアイランドの綴りを教え、ボストンの南、全米で一番小さな州です、とまで説明し、しばらく押し問答の感もありましたが、納得された様子もあまりなく、最後に「総領事には言わないでくださいね」との言葉を残して、その場を離れられました。
日米間の政治・経済関係、文化的交流が、今後より一層深まっていくことは疑問の余地がありません。それとともに、在米公館が現地で果たす役割はさらに大きくなっていくのは自明です。領事館が在米邦人にとってより身近な存在となること、また日米両国と両国民のための今後のより充実した活動を願って、今回の経験から私が考えたところの問題点と解決法を、以下の通り申し上げたいと思います。
1 職員の知識・教育の充実
「ロードアイランドなんて、そんな州、あるんですか」と平気で口にできる人は、在米公館で勤務する資格はあるのでしょうか、と尋ねては言いすぎになるでしょうか。
2 職員の対応・態度の改善
間違いだ、と指摘されて、確かにその指摘が正しいかものかどうか、その場ですぐに判断できないことは多々あると思います。そういう時は、指摘や"苦情"をいったんそのまま引き受けて、「あ、そうですか。わかりました。あとで調べて対処します。ご指摘ありがとうございました」と処理するのがプロではないでしょうか。「なんでわかるのですか」と、逆に相手に"食ってかかる"のは、不手際きわまりないと考えます。
3 過ちの後処理
「総領事には言わないでください」との言葉で、私の指摘がどのように処理されるのか、想像がつくように思いました。確かあのパネルは、その後デイリーセンターで1ケ月、領事館のインフォメーションセンターで2ケ月間展示されたと記憶しています。間違いの訂正をチェックするのが私の仕事でも、指摘の目的でもないので、その後2度とパネルを見ることはありませんでしたが、もし間違いが訂正されることなく展示が続行され、私がいやな思いをしただけで終わったのなら、非常に残念に思います。もしそうであるならば、それが領事館の体質というものなのでしょうか、と問えば、これまた言いすぎとなるでしょうか。あの夜も、「この間違いに何人の人が気付くかな」といった声が、別のスタッフから聞えましたが、やはり見に来た人が間違いに気付くか否か、ではなく、間違いのない仕事、たとえそれが領事館の仕事であっても間違いがあればすぐに訂正しようとする柔軟な態度でなければならない、と考えます。その後、私の指摘が受け入れられ、訂正されて展示がなされたことを願っています。
なおパネルそのものを見ることはもうないと思われますが、間違いは記録されています。レセプションで配布された小冊子のコピーを同封します。
4 在外日本人とそのコミュニティ、そして領事館の役割
私の滞米生活も20年近くなり、アメリカ人と日本人との決定的な差をはっきりと感じるようになりました。日本人は、自分が置かれている状況で、そこに集まっている人間に即座に上下関係を与えがちです。つまり、たとえば自分と相手とどっちが"上"かをすぐに"計算"し、態度を決めます。言いかえれば、相手が変われば状況も変わるわけで、そのたびに自分の態度をころころ変えます。アメリカ人の感覚からすると、それは、自分が拠って立つ原理原則がない、ヒエラルキーの中でしか自分の位置が確かめられない不安的な人間という印象を与えがちです。
ロングアイランドがニューポートのある州だと言って譲らなかった当の女性職員は、「どこの馬の骨とも分からぬ人間が、領事館の仕事にけちをつけるとでもいうの」と言わんばかりでした。誤りの指摘を非難するような傲慢とも思える態度に、領事館を頂点とする典型的在外日本人社会のヒエラルキーを感じました。
在外公館職員の態度や対応については、これまでもいろいろなメディアでとりあげられてきていますが、なぜか領事館で働いている現地採用の職員の方々は、自分たちは現地邦人コミュニティの中では「格が上」みたいな感覚をもたれることが多いようです。確かに、在外公館は国を代表するという特殊な機関ですから、そこで働くことで、「自分は特別」みたいな感覚をもつようになるのかも知れません。しかし考えてみれば、職業外交官は別として、現地採用の職員の方々は、ご自分たち自身が他の邦人同様、一在外邦人なわけですから、そのあたりご自分の立場をよくわきまえて、国の代表である外交官と日々ともに仕事をするという状況から生まれてくるらしい特権・ヒエラルキー意識を自ら意識して払拭、職務を遂行していただきたいものだと思いました。
私が海外に在住する限り、総領事館との付き合いはこれからも続きます。どうか今回のことが前向きに捉えられ、総領事館の今後の活動にポジティブに反映されることを切に願っております。
こうやって、二つの手紙を改めて読み返すと、私もいろいろやってきたなあ、とつくづく感慨にふけってしまいます。(笑) 当時の自治省なり(今もあるのでしょうか)外務省なり、お上を批判するような手紙を書いて、あほやな、と笑う"世渡り"上手な人もいるでしょう。手紙なんか書いて、あんたこそ何様なのよ、と批判する人もいるでしょう。こんなことしてたら、パスポートを更新してくれないかもよ、と"心配"してくれる人もいるかもしれない。私としては、相手がお上であろうとなかろうと、間違っているものは間違っているのであり、それははっきり相手に伝えるべきだ、という気持ちには変わりません。ああ、なんと頑固で、世渡りべたなことか。(笑)
それにしても、お上に手紙を書いたからパスポートを更新してくれないとか、カウンターでいやがらせをされる、みたいなことにでもなれば、あ、こりゃおもろいよ、やれるものならやってみな、受けて立ちましょ、と血が騒ぎます。(笑) これこそ、メディアが大好きな人権問題であり、お上相手に、「ああ、お前はなんと小さいんや」と闘う価値のあるものです。(笑) まあ私ごときが書いた手紙で(すぐそのままごみ箱行きになった可能性大なり)、お上が私にいやがらせするほど、彼らも暇ではないと思いますが(でも、ブラックリストには載ってるかもしれない)、問題は、「お上にたてついたら、パスポート更新してくれないかも」と考える、普通の人のメンタリティですね。ああ、なんとネガティブなことか。(笑)
手紙の中にも書きましたが、日本人は、その時の状況にかなったヒエラルキーの中で自分の居場所を確認しようとする、つまりお上ー一番上ーには頭を下げるしかない、と考えるところがネガティブな証拠です。ネガティブの人間の特徴の一つは、自分を外の権威によって守り、自分を権威づけようとすることです。学校なら校長に、会社なら上司に必要以上にすりよる人間です。上に卑屈なまでにぺこぺこする人間は、相手が自分より下と思うと、非常に尊大で、差別意識まるだしの態度をとります。自分の中に確固としたものがなく、肩書きが示すヒエラルキーに頼るしか自分が見出せないからでしょう。お上にはたてつくべからず、とは、そんなネガティブ度の骨頂かもしれません。
なぜ私が自治省の国際交流プログラムに苛立ちを覚えたか。お上が後ろ楯になっているからこそ、プログラムの参加者は権威づけられ、エリートなんだぞ、みたいな感覚が双方にあって、その気持ちと態度が、日々身を張って、時には殺されるかもしれない危険にさらされながらも、"国際交流"せざるを得ない、草の根の、名もなき無力の人間の営みを馬鹿にしているように感じたからではないでしょうか。
なぜ私が領事館の女性職員の態度に腹立ちを覚えたか。実は、私は若いときに、外交官試験を受けたんですよね。もちろん上級ではありません。中級か語学研修員試験だったと思います。霞ヶ関まで、2次の面接試験を受けに行きました。コの字型に局長クラスの男たちがずらりと7人ぐらい並んでいて、その真ん中に座らされて、「なぜ外務省に入りたいのか」と聞かれて、「理想主義者です」と答えて、7人の男たち全員に大声で笑われて、無事に落っこちました。(笑) あの時でも、一次試験を受けた人間が全国で3000人以上、一次に受かって、霞ヶ関の外務省で2次試験の面接に行ったのが100人、あの中から無事に外交官になったのは1年に一人か2人でした。要するに1500倍なり3000倍なわけです。外務省はもちろん家柄をいうと聞いてますし、女が外交官試験に通るのはほぼ皆無という状況でした。面接試験を受けにきていた女のコ(!笑)も、私を含めて5人もいなかったと思います。そのくらい外交官試験はむずかしい。中級でこのくらいですから、上級試験に受かって外交官になっている人には、私は心から尊敬の念を覚えます。(めずらし。。。笑)
ところが、在米公館に勤めている職員の中で、このむずかしい外交官試験に受かって、外交官をしているのは総領事だけぐらいじゃないのでしょうか。あとの職員は、日本の地方自治体から、地方公務員が研修の名目でやってきて「副領事」という名前をもらっているとか、現地採用の人間のはずです。私と同じ「普通」の人間なわけです。それが、領事館勤務というだけで、「日本国家」によって自分は権威付けられていると錯覚、「普通」の在外邦人に大してエラそうな態度をとるわけです。断固抗議します。外交官試験に落ちているからこそ、よけいに絶対抗議します。(笑)
なんで、お上にぺこぺこしなければならないのよ。お上を見張るのが我々の仕事なんじゃないの。ぺこぺこするのはお上のほうよ。役人だからと大きな顔するなよ、と、こういう感覚をもちはじめると、これはもういよいよアメリカ人になりつつあるということかもしれません。(笑)
3. 「死の壁」(養老孟司著 新潮新書)より
1) 「人非人」という表現があります。「人にして人に非ず」というのは、論理的にはおかしな話です。(中略) 上の人は自然人を示していて、下の「人」は世間の人を示しているのです。「人非人」とは、自然界の人間(現代的にいえば生物学的なヒト)ではあるが、世間のヒトではないという意味になります。(中略) 日本では世間の人であることが、ヒトであるというふうに考えたからでしょう。(中略) 江戸時代に「非人」と呼ばれた人たちはどういう存在だったか。彼らは、そういう(皮革を扱ったり、牛や馬の処理をしたりする差別されていたけれど、同時に職能集団としての権利と優れた技術をもっていた人たち) 職能集団とはまったく違います。都会に流れついてきた無宿者など、共同体からはじかれた人たちです。(90−93ページ)
2) 江戸時代にできた世間という円があります。現在の日本の世間の原型はここにあるのです。この円は、今ふうに言えば、一種のメンバーズクラブのようなものだと考えるとわかりやすいかもしれません。(中略) 武士の切腹というのも、メンバーズクラブからの脱会方法の一つです。(中略) 武士の一存で決めることは「腹を切って死ぬ」という行為そのものではなくて、それによってメンバーズクラブから抜けるということなのです。逆にいえば、そこまでしないと脱会は出来ない。死んだら抜けられるということは、裏を返せば、死ななくては抜けられないといういことです。(中略)そうまでして脱会する恩典は何かといえば、それまでのクラブ内での義理をチャラにしてあげましょうということです。(中略) 退会がそれだけ厳しいメンバーズクラブならば、入会だって相当うるさいのは当然です。生まれてきさえすれば即入会というわけにはいきません。だから、日本では「間引き」の伝統があるのです。すでにメンバーになっている側の都合もしくは判断で入会お断りとなる。すなわち間引きをしてしまう。(94−98ページ)
3) 医者という機能集団が進める議論というのは、その集団のなかではきちんと完結できる論理が組み立てられます。しかし、それでは他の村人たちには何かもやもやした気持ちが残ります。このもやもやした感じの底になるのが共同体のルールであり、暗黙の了解です。「非成文憲法」というふうに呼んでもいいでしょう。(村八分となる存在を全員一致で決めなければならないが)、表に出して議論して決めるというのはこれまた大変です。それまでは議論して出来たものではなく、明らかに慣習法、「非成文憲法」だったのですから。(105ページ)
「村のみんなの迷惑」というヤツは、当然追い出さなくてはいけない。その最終的な追いだしかたが死刑です。(110ページ) 共同体のルールにかかわることは、非成文憲法ですから、それを意識しないことで成り立っています。それをあえて表に出そうとすると厄介が生じます。(111ページ)
こういう文章を読んでいると、個人の意思で日本ーつまり共同体ーを出た人間は、「人非人」ということになりますなあ。。日本を出るというのは、一種の「武士の切腹」みたいなところがあるかもしれない。日本でのこれまでの”行状”はちゃらにしてやるから、でも、もうお前は日本人じゃないんだぞ、みたいな。それが、在外邦人が差別される歴史的背景なのかも。
とりわけ外国人と結婚した日本人女なんて、男中心の考え方からすれば、日本男児を”見捨てた”「女非女」かも。(笑) そのあたりの意識が、改正前の国籍法にはっきり出ていたのでしょう。つまり、日本男児と外国人女性とのあいだに生まれた子供は、自動的に日本国籍が与えられるけれど、日本人女性と外国人男性とのあいだにうまれた子供には日本国籍を与えない。だから、沖縄では無国籍の子供たちがたくさん生まれた。父親が日本人ならメンバーズクラブの入会資格があるけれど、父親が外国人なら入会資格なし、つまり”日本人”にはなれないわけで、なんとあからさまな「間引き」だったのでしょうか。確かに法律は改正されたけれど、これに似たメンタリティはまだまだ残っているのではないでしょうか。
しかし、共同体のルールはあえて意識しない非成文憲法である。だから、はっきり書こうとするともんちゃくが起きる。。。はっきり書いたからこそ、シンデレラ本は売れない。。(笑)
ああ、ネガティブ、ネガティブ。。いやだあ (笑)
4. 日本からのニュース(TVジャパン)よりーネガティブ考
毎日、日本語を聞いていないと日本語を忘れて、商売あがったりになるので、TVジャパンのニュースや情報番組はなるべく見るようにしていますが、このごろは、ニュースが教えてくれる日本人・社会のネガティブ度にうんざりしてきて、ニュースを見るのもいやになってきました。たとえば、
1) 介護自殺・殺人
高齢の妻や親を介護している夫や息子が病人を殺すとか、殺して自分も自殺するといった現実です。ネガティブすぎて、うんざりします。殺人や自殺を実際に実行するのは、男性が圧倒的に多いそうですから、かつ女のほうが男より長生きするわけですから、だいたい事件の被害者は母親もしくは妻、加害者は夫もしくは息子です。
従来から日本社会を表現するのに、「内と外をわけて、線引きする」みたいに言われ、日本社会の特殊性が強調されてきました。日本が島国で、外の世界と隔絶して存在しているのなら、特殊性だけをとりあげてうんぬんする人類学者の説も受け入れられますが、ボーダーレスの世界になっている今日に、これほどまでネガティブな現実を見せつけられると、日本の腐敗もいよいよ本物だと思ってしまいます。アメリカで介護自殺・殺人なんてほとんど考えられないような気がします。(調べたことがないので、はっきりとは言えません)
なんでそんな悲惨なことが起きるか。
テレビに出てた学者は、縦割り行政が生むとか解説してました。縦割りだと。。。げっ。。要するに、お上をトップにして、みんなへへえ、と水戸黄門さんの印籠でもおがんでいるみたいに、権威を楯にして自分の身の安全をはかり、コミットメントと責任を避けようとする典型的なネガティブな状況です。当然、横のネットワークは生まれません。横のネットワークは権威を必要とせず、同じ目的に向かって、互いに対等に助けあおう、つながろう、コミットメントしあおう、という同志意識から生まれるのですから。
日本社会って、「内の者」とお互いを認め合おうと、あれだけ擬似家族的状況を作り、お互いを見張りあうくせに、どうして悲惨な状況を救えないのか。どうやらそれぞれの個人の状況にあわせて、大きな枠組みの中にさらに小さな枠組みを作って、メンバーを選別していくようですね。で、日本社会という大きな枠組みには属してはいても、だんだんその中の小さな枠組みからはじかれていくと、もう自分の生き場がなくなるわけです。
日本の戦後社会・教育で一番の失敗は、やはり輸入した「個人主義」の解釈を間違えたことではないでしょうか。欧米の「個人主義」を、「みんな自由、自分の思うようにする」「人のことは関知しない」という風に解釈した、だけど社会には、「お上にすりよる」縦のヒエラルキーの枠組みは残した。。。縦のヒエラルキーとほんとの個人主義は絶対に共存しないような気がします。アメリカにいると、個人主義とは、自分の足で立つ、自律するの意味だという皮膚感覚があります。自立・自律しているからこそ、同じ境遇にある者同士はすぐにネットワークを作って、状況をシェア−しあい、助け合おうとする。それは、個人の自由意思にもとずく自然発生的なものです。決してお上の指示を待ったりはしない。むしろ、お上の役割は、自然発生している市民のさまざまな活動を、より効果的に社会に生かすための方針づくり、といったところでしょうか。見知らぬ他人同士が助け合うことは、決して他人を頼りにすることではない。そこにあるのは、自律した人間同士、ともに生きようという生への共感なわけです。
ところが、日本人のやり方・考え方には、助けあうとは依存を意味するのではないか、と思われるふしがあります。だから、その「依存」を嫌う人が出てくる。なぜ「依存」と考えるのか。エネルギーが内向きになった擬似家族的状況で、他人を「見張る」目が強烈すぎるからです。見張られてるから、その小さな共同体のメンバーとしてはみだしてはならないというプレッシャーが働く。そんなプレッシャーが形成する人との関係性は、見張りあう依存であり、外に突きぬける普遍的な原理原則ー生への共感ーで成立しているわけではないのです。ああ、絶望的にネガティブ。。
2) ペットブームと障害犬とサッカー
最近また顔をしかめてしまったのが、ペットブームにあやかって、障害犬が増えているというニュースでした。目が見えない犬とか、歩けない猫とか。。。障害犬だって。。。ぞっとします。人間の問題だって解決の道はほど遠いのに、障害をもった「いのち」を増やすなんて。。それもペットという、人間のエゴであやつられる「いのち」たちなわけです。障害があらわれる率は、アメリカでは12%、日本では47%だそうです。げっ、日本人のエゴ度、ネガティブ度にはほんとにぞっとします。。
番組によると、障害をもった動物が生まれる原因は、近親交配??(相姦ではなくー笑)を続けるからだそうです。たとえば、白い斑点があるダックスフンドがいたら、身体全体が真っ白になる犬が生まれるまで、そのダックスフンドを交配させるそうです。で、真っ白の犬が生まれたのはいいけれど、目が見えないとか歩けないとか。。。かわいそうに。。。ペットブームという誰かが仕掛けたに違いない金もうけのために、人々は踊らされ、いのちが粗末にされるわけです。それも動物ですから口がきけず、障害をもってるからと「間引き」されても文句は言わない。。。社会にそういう現実があるのに、いくら学校で校長先生が「いのちを大事にしましょう」といっても、効果はたいしてなさそうですなあ。。。
考えてみれば、一国をあげて「ブーム」が巻き起こる、なんてことは、アメリカではあんまりないですな。確かに、「スシブーム」とか新聞が書くことはあるかもしれないけれど、それがそれぞれの人の生活や考え方を総なめにして、社会を覆うみたいなことはほぼありません。日本人の「ブーム」にはネガティブなエネルギーが渦巻いているように感じられます。今回は、ブームがペットですから、そのネガティブ度が、障害といういのちを傷つける形になっているのでは。。。
障害犬のニュースを聞いて、私が思ったのは、持ち物で他者との差違化をはかろうとする日本人のメンタリティです。ペットブームが仕掛けられたら、よし、人が持っていないものを持ちたい、となるわけです。日本人の精神構造って二重になってるのかもしれません。まず、ブームが起きたら、「みんなと同じ」で、そのブームに自分も乗っていなければ不安になる。でも、みんなとまったく同じはいや、だから人と違うものを持ちたい、で、真っ白の犬を作ろう、売ろう、売れるぞ、買いまあす、「へへ、私の犬はそんじょそこらのとは違うのよ。どう、いいでしょ。」となる。。。ペットに限らず、バッグでも時計でも、車でも。。。持ち物を「比べて」、「勝負」して、「勝ち組・負け組」「負け犬」と”ほくそ笑む”。。。ああ、いやだあ。
アメリカで障害犬が生まれる率が低いのは、別にどんな犬を、どんな「物」を持ってるか、で、他人と「勝負」しなくてもいいからでしょう。勝負はあくまでも、自分自身の能力によるものです。
なぜ「持ち物」で比較するのか。日本では、人間の持ってる能力で堂々と正面切って勝負できないからではないでしょうか。どこかの本で読みましたけれど、学校の運動会でかけっこをしたら、ゴールはみんなお手手つないで、だそうで。。。ばっかですね。完全に間違ってます。人はそれぞれ違うわけですから、かけっこで誰かが一位になるのは当然です。絵のコンテストがあれば、将来デザイナーといった業界にでも進む能力のある人は、本能的にいい絵を描くのでしょう。コンテストや競争は、自分がどういう人間であるか、将来どういった分野での仕事が自分に向いているかを知るいい機会になると思います。1位にならなかったからって、劣等感にしなくてもいいんだよ、人間の価値には変わりはないんだよ、と教育は教えるべきなのであって、能力による本物の勝負自体の排除は、学校が人間社会の現実から遊離するという「学校の温室化」を推進するだけであって、教育は社会に通用しない人間を作るだけになります。
社会に出てみれば、「お手手つないでの平等」どころか、競争と差別だらけで、でもそれを真正面からとりあげ、かつ本気で闘うことは許されない。それで人はちまちまと「持ち物」で勝負するわけです。。ああ、ネガティブ。。
でも、能力で競争、勝負し、白黒はっきりつけることを許さない、社会の擬似家族的ぬるま湯に人々はどこか不満を募らせていて、それが、たとえばサッカーへの興奮度につながっているとはいえないでしょうか。サッカー選手を自分たちの身代わりにして、「勝負」してもらうわけです。サッカーが好きな人がW杯に夢中になるというのは十分に理解できますけれど、NHKの朝のニュースまで、W杯開催まであと何日、と日本中を煽るような言動が出てくるのは、アメリカから見ていると異様に感じられました。で、その後のニュースによると、電気製品業界は、このサッカーの試合でテレビやDVDといった新製品の売上げが増すと期待してたそうな。テレビを買い換えてまで、他者の、それも勝つことが命のスポーツ選手に「身代わり」させることでしか、自分たちの不満は解消できないのでしょうか。人々の、社会のエネルギーは完全に内向きになってますね。
5. 竹内一郎著「人は見た目が9割」 (新潮新書)
縄張りの中にずっといたがる人物は自信がない。(32ページ)
駄目な役者は、有能な人物の役についてもなかなか動こうとはしない。威張っているし、椅子にどっかりと腰をかけたがる。それが「自信のある人間」だと勘違いしているのだ。とはいっても、そういう役者を動かすと、かえってちょこまかと見えるから、始末に負えないのだが。(33ページ)
私はずっと「社会の枠組み」という言葉を使ってきましたが、「縄張り」という表現もいいな、と思いました。日本社会のエネルギーは内向きでネガティブとは、縄張りの中にずっといたがる、ということです。となると、日本や日本人は「自信がない」−そうでしょうなあ。。外交や国際政治の駆け引きを見てると。アメリカ相手だと、どっか「ちょこまか」してる?(笑)。。人間でも言えますね。知らない人といっしょだと静かだが、知っている人といっしょだとうるさいぐらい騒ぐ、といった感じの人ー申しわけないですけど、私は「ネガティブな人」と考えますが、言いかえると「自信のない人」ということだったんだあ。。自信がなければ、自分の位置が見出せる縄張りの中にこだわり、そこで必要以上に威張って「どっか」を演出したがる。で、縄張りの外に出るとおとなしい。。。ふ〜〜ん、演出された「どっか」で、縄張りの中の人を”裁く”わけですねー大足のシンデレラは女じゃない、結婚できない、みたいな。。(笑) ふんだっ (笑)
6.会員制とは
インターネットの世界でも会員制のブログとやらがあるそうです。そこの仲間に入るのには、すでに会員になっている人からの推薦?がいるとか。何やら私も2度ほど違う人から誘われたような気がしますが、どちらも断わりました。他人からの推薦がある人だけが入れるという閉鎖性、かつ「メンバーによって推薦された人」という何やら特権階級的資格・意識に対して、本能的な嫌悪感を覚えたからです。インターネットの世界だけでなく、日常生活でも「メンバーによって推薦された人」を資格条件にしているという団体がシカゴにもあるようです。
それで思うのですが、アメリカの団体にもそういう資格条件をもつ団体があるのかなあ。メンバーによって推薦されなければ、入れたらへんでえ、なあんて、アメリカ人の感覚からすると、かなりくらあいですなあ。というか、差別団体としてひっかかるかもしれません。
会員制のブログに入った女の人が言うのを聞いたことがあるのですが、「推薦がなければ入れないようにしてあると、変な人が入らないから安心」とのこと。変な人とは、おかしな書きこみをしたりして、ひっかきまわさない人のことを言うのでしょう。で、思うのですが、こういう発想も実に日本人的なネガティブな発想だなあ、と。
つまり、自分たちだけの縄張りを作っているわけですが、その”縄”がなんと人の目、人の口という人間関係なわけですよね。会員になる資格が、年収や年齢、職業といった客観的な条件ではないわけです。知っている人の知っている人という具合に、「私の顔をつぶすな」というプレッシャーをちらつかせて、「紹介しても私の顔がつぶれない人」を集め、「悪いことができないようにする」という囲いこみの発想でできあがっているわけです。ああ、ネガティブ。。。
7.オゾン層保護と地球温暖化をテーマにした講演と演奏会での開会の挨拶 (2002年3月30日、シカゴ郊外アーリントンハイツ図書館で開催、記念文集に収録されたもの)
はじめまして。簡単に自己紹介させていただきます。売れないしがないライターをしているデイ多佳子と申します。売れないけれど、仕事はけっこう楽しんでやっています。というのも、実は大きな夢があるからです。私は、世界中でたった一人の人の、たった一つの小さな言葉でも、世界を動かす力をもっていると信じています。だから、いつかどこかでそんな言葉をもつ人に出会ってーほんとはもう出会っているかもしれませんがーいい本を書いてみたいと夢みてます。
世の中にはいろんな人がいらっしゃいます。中には、たとえ小さな金魚鉢の中でもいい、大きな鯛になりたいと願う人もいるでしょう。でも私は絶対に、金魚鉢の中の鯛になりたいとは思いません。なぜか。金魚鉢の中で鯛になっても、しょせん腐るだけです。腐った鯛の言葉は、どんなに立派なことを言っても人の心には届きません。臭いだけです。私は、売れないしがないちりめんじゃこのままでいいと思っています。ただ、太平洋を泳ぐちりめんじゃこになりたいと思っています。確かに、太平洋を泳ぐちりめんじゃこの声なんて、波にのまれそうになってほとんど聞こえないかもしれない。でも、太平洋を必死で泳いでいるからこそ、どんなにかすかな声でも必ず聞きとってくれる人が現れるだけの力をもつことができると思っています。
実は、そうやって萩由美子さんと出会いました。私は、イリノイに来る前は、サウスダコタという地の果てみたいなところに7年間住んでいました。私は、シカゴのダウンタウンの高層ビルの谷間を吹き抜ける風にあたっていると、「ああ、生きている」と感じるような人間ですから、サウスダコタで、家の前を車が通る音がしたら窓にかけよるような生活は、ほんとに地獄みたいな時間でした。半分死んだようになっていましたが、それでも必死の思いで、「バナナとりんご」という本を書きました。「バナナとりんご」です。誰がそんなタイトルの本を読むでしょうか。編集者にいやだと抗議したけれど押しきられ、ライター仲間には「出版社が売る気がないのが丸ばれやな」と笑われ、しょぼんとしていたのですが、それでも読んでくれた人がいらっしゃったわけです。それが由美子さんです。
ある日、絵はがきが一枚来まして、「多佳子さんの『バナナとりんご』を読みました。今から会いに行きます」と書いてありました。私も、出版社を通じて、見知らぬ人から読者カードや手紙をもらいますが、今から会いに行くと言ってくださったのは、由美子さんだけでした。どんな人が来るんだろうなあ、と不安と期待に胸がどきどきしていたのを今でも覚えています。
あれから10年近く、普段は日本とアメリカに離れていますが、友達づきあいが続いて、今日こうやってシカゴまで来てくださり、講演会までしてくださることになりました。そして、由美子さんが来てくださったからこそ、こうやって今日みなさんともお会いできたわけです。ほんとうに人の縁とは不思議なもので、心から感謝しています。
今日、由美子さんの話を聞いてくださって、みなさんの心の中に、ちりめんじゃこの思いにも似た小さな灯りがともることを確信しています。そしてその小さな灯りを、私たちの忙しい日常の雑事で吹き消してしまうことがないよう、私たちがほんのちょっと心に留めることで、いつか必ずその小さな灯りは、ちりめんじゃこでも太平洋を泳ぎきれるような力のうねりとなっていくことを信じています。そしてそれが、これからの時代を生きる今日来てくださった小さな人たち、若い人たち、私が決して出会うことのない人たちを支えていくことだと思っています。
今日は、ほんとうに来ていただいてありがとうございます。土曜日の午後、どうかリラックスされて、由美子さんの話、彼女の話術、そしてバイオリン演奏をお楽しみください。
そういえば、ちりめんじゃこはもう死んでるよ、みたいなコメントをいただきました。(笑)あれから4年以上、今読んでも気持ちは変りませんが、狭い金魚鉢からとびだしたがる”ちりめんじゃこ”なんて、日本という金魚鉢に住む大小さまざまな”鯛”からは、迷惑千万な存在なのだろうな、とやはり思います。
8. ネガティブな人間とは
先日、友人知人と、昔の職場の話をしていて思い出したことがあります。ネガティブな人間(女)にいじめられて辞めた職場で、その(女)のことを思い出すと、いまだに腹が立ってきますが(もう5年も前の話です)、腹立ちの中で、私が言うところの「ネガティブ」のもう一つの定義が浮かびましたので、忘れないうちに書きとめておきます。ネガティブの人間とは、
自分が自分の力で、自分を大きくする力がないので、他人をいじめたり、けなしたり、侮辱したりして、他人を自分より下へひきさげる(と、本人は思っています) ことで、自分とその居場所を確保しようとする人間のことです。つまり、自分は定位置にとどまったままで、他者を自分の足下におしこめるー足をひっぱるというのでしょうかーことによって、自尊心を維持しているわけです。
昔の職場での経験から言うと、他人を自分の足下におしこめるためにどうするかというと、他者を貶めるウソを平気で言ったり、些細なことを大げさにしてみたり、校長といった権威にすりよることで自分を大きく見せようとしたり、へつらって人気とりをしてみたりと、とにかく自分をよく見せる、他人に「あの人はいい人だ」と言われるためにはなんでもします。そこにあるのは、自分のことだけを考え、自分だけを守ろうとする小さな気持ちだけです。自分に自信がないくせに、心のどこかで「自分は偉い」という慢心があって、他人への嫉妬心と底の浅い小さな自尊心のあいだでもがく可哀想な人のことです。ところが本人は、自分が他人から「可哀想な人」と見られているとは一切気付かず、その理由ももちろんわかりません。ということは、そういうネガティブな人間が「改善」される見込みは非常に望み薄ということでもあります。他者に寄生し、他者のエネルギーをむさぼり食べて生きてるくせに、まるで「自分が自分の力で、大きくなれた」とばかりに錯覚する人間は、ずっと錯覚したままで終わる可能性が大なわけで、ちりめんじゃこのまま太平洋を渡るぞ、と心に決めたものにとっては、そういうネガティブな人間とつきあうのは、時間の無駄ということになります。で、そういうネガティブな人間が、上司?にでもなれば最悪ですよね。。と、いうわけで、日本で終身雇用制度がなくなったのはいいことだと思います。(笑) でも、世間の不条理に我慢のできない人間も増えたようで、フリーターといった存在は大きな社会的問題となっているとか。。私なんか、フリーターの先駆けのような人生だったように思います。(笑) ここまで書くと、ネガティブな上司にあたっても、じっと我慢して生活を支える人々に敬意を覚えます。
9. 利益衡量
2006年8月25日付の「北米毎日」新聞に時事通信配信記事が載っていました。青色発光ダイオードの発明者として、2001年8月に元の勤務先を相手どり、特許譲渡の対価などを求める裁判を起こした中村修二教授のインタビュー記事です。その中の彼の言葉に、面白い、と思ったものがありました。
日米両国で裁判を経験した中村氏は、「日本では何が真実かではなく、国や企業などより多くの関係者の利益を重視する「利益衡量」の考えに基づいており、司法制度は腐りきっている」と、いまだに憤懣やるかたない様子。
このより多くの関係者の利益を重視する、という部分に、私は強固な枠組みの中に押し込められた村の体質を見ました。つまり、限られたスペース内での「和」の精神です。「和」は、誰か一人を突出させて「正」としてはならないのです。みんな仲良く、みんなが納得できるような妥協点を見出し、まあるくおさめることが「和」なのです。
実は私自身も、自分の人生を考えるときに、この精神を使います。つまり、今ある自分が立っている地点を考えるとき、過去を振りかえって、あの「時点」が悪かったんだとか、あそこで道を誤ったんだといった点の論理では考えようとはしない。すべて、その時その時に自分を取り囲んでいた、まあるいエネルギーの循環によってここまで導かれてきたのだ、というか、流されてきたと考えます。それは、自分という存在と自分を取り巻いている世界のさまざまな要素が「利益衡量」の考え方でもって、エネルギーを循環・交錯させた結果であり、それこそが時間の流れというものであり、自分の人生のありようだと考えます。だから、自分の人生を仕切る、何か突出した「正」なる一点があるとは考えません。利益衡量は、私自身の人生で起こるすべての事象の相互関係において成立すると思っています。
でも、この考え方を社会にまで押し広げれば、そこに生まれるのは、「なあなあ」という「甘え」の構造で成り立つ家族的社会でしょうか。まったく見も知らぬ人間と「利益衡量」をはかり、家庭的環境を生きられる人はいいのですが。。。そういう家庭的環境内の「利益衡量」にどんな目的があるのか、と考えると、やはりそれは枠組みを壊さないことかな。。。でももし、その枠組みを越えてしまうような目的というか、理想を追っていたら、時には利益衡量ではらちがあかないのではないか。。枠組を越える目的のためには、何か突出したものーつまり利益衡量ではおさまりきれないものーを持ち出して、枠を突き破るしかない。それがたとえば、中村教授の青色ダイオードの国際的価値みたいなものかもしれません。それは、私の人生でいえば、大足のシンデレラの孤独感が、どこまで国際的に共有・共感してもらえるのかといった疑問・好奇心だったかもしれません。(笑)
10.愛国心とは
以前から、ずっと気になっていた言葉なのですが、文芸春秋2006年7月号が「愛国心大論争」と名づけて、何やら特集記事をもうけていたので、普段は文芸春秋など読まないのですが、今回は購入して読みました。一応、気がついた文言を以下に並べます。
1 政府案は第2条で「わが国と郷土を愛する態度を養う」と記しています。制度としての国家と、ふるさとである郷土に分けることで、戦前の国家弾圧を想起するという公明党の反対に配慮したのでしょう。しかし、致命的な問題は「愛する態度」という言葉を選択したことです。「態度では、極端にいえば「愛するふり」もできます。本心は違っても態度だけ示せばいい、というのでは教育上かえって好ましくない。やはり「国を愛する心を養う」と表現すべきでした。
2 民主党案では、前文で「日本を愛する心を涵養する」としました。涵養とは、上から押し付けるのではなく、自然に、水がしみわたるようにという意味です。
3 民主党案が、「国」ではなく「日本」としたのを高く評価したいですね。この「日本」は歴史としての日本全体を含むそうです。「古事記」や「日本書記」に記された私たちの祖先の歩み、聖徳太子の国造りや、大化の改新でその理想を具現化した日本、それらすべてを含めて「日本を愛する」ことになる。もちろんそこには、皇室を中心にした日本、さらには男系男子継承による皇室の伝統も含まれます。 (以上95ページ)
4 日本の出版業界もテレビ業界も、世界に類例がないほど無責任です。誰でも買える本屋で幼児ポルノまがいのものを売り、誰でも見られるテレビでとんでもない番組を放送し、日本を代表する企業が堂々とスポンサーにつく。つまり日本の大人すべてに、自分たちもまた教育に携わっているのだ、という自覚がないのです。企業は売上重視、テレビは視聴率重視で、国際的にも稀な放縦な社会を作り、教育問題は学校と家庭におませ、というのが現状です。
5 いまの若い世代の「日本」に対する帰属意識は、サッカーのワールドカップや、オリンピックなどのようなイベントで、他国の同世代がのびのびと表現しているナショナリズムに接して触発されたり、韓国や中国でかなり横柄に日本に向けてくる敵意に直面して育ってきたもので、教育によるものでは全くない。 (以上102ページ)
6 教育基本法に「愛国心」を書くことはたしかに内心の自由への干渉ですが、書かないことも逆の意味での干渉になりうるんです。
7 愛国心に関して、私たちは一人で生まれ育ったわけではない以上、ふるさとや家族や国家を大切にしなければなりません。
8 たまたまアメリカ建国200年祭でした。アメリカ人が国を誇るさまを強く見せつけられたんですよね。翻ッテ、自分自身はどうか。なぜ日本人として国を愛するという思いが弱いのか。
9 国やふるさとは、どこか他所から与えられるものではない以上、自分たちが関わりをもって、より誇りを持てる国、愛するふるさとに変えていくことも、愛国心ではないでしょうか。「日本を愛する心」は今の日本国に忠誠を尽くせということではなく、過去の歴史も、これからつくる未来も含めての「愛国心」だと思いいたりました。
10 「国とは何か」を実感できるようになっていないのが実情です。5年生でも「地域」という言葉の意味がよくつかめず、君が今たっている場所から、この教室、つぎに学校の敷地全体、そして町、県、国というレベルまで一続きにつながっているんだよ、という説明をしなければならない。概念として「日本という国」は習っているものの、自分が属するとは考えたことがないんですね。同じように日本の歴史も、自分たちの祖先がそこに連なるものという感覚はない。(以上104ページ)
11 愛国心を論じること自体、「戦前への回帰」という論理で拒否する人がよくいます。私は、戦前のある時代の愛国心は道から外れていたと思います。それは過てるナショナリズムといっていいでしょう。しかし、今「戦前への回帰」というのは、戦後60年の日本人への侮辱だと思うんです。
12 まず、「戦前」とはいったい何かを考えなおす時期だと思います。「戦前」というと、日本は軍国主義で、侵略主義の加害者で、言論の自由がなかったというイメージが固定しています。、しかし、それは全て事実でしょうか。(以上105ページ)
13 「戦前」には大正時代の流れも含まれますから、当時の社会システムの健全さには誇るべき点もあると思います。しかし、客観的にいって、昭和のある時期から、ファナティックな国家主義に陥ったことは認めなくてはならない。昭和7、8年ごろから日本は変わりはじめ、国定教科書も大きく改訂されました。昭和12年には文部省が「国体の本義」を出して、皇民化教育に乗り出す。この時期は、日本の近代の歴史のなかで、明らかに異質な、イレギュラーなものです。
14 戦後60年間、あまりにも国を愛するという気持ちが否定され続け、歴史についても同じく、東京裁判以来、一方的に日本が悪いと裁かれてきたからです。 (以上106ページ)
15 私は、「愛国心」という言葉に代わる、適切な表現があればいいと思うんですよね。愛国心(ナショナリズム)と愛郷心(パトリオティズム)、国とふるさとは違うものです。本来、ナショナリズムという言葉はさまざまな意味を含みますが、日本の場合、戦前の、超国家主義や偏狭な民族主義という印象が強くなってしまった。ナショナリズムには、上部構造と下部構造があると思います。上部構造は国の政策、つまり国益をめざして政府が決定するナショナリズムです。下部構造にいは愛郷心も含まれますが、近代日本以前から続いてきた共同体の伝承も、ひろい意味でのナショナリズムでしょう。。。。この両方のナショナリズムを、うまく統合するような言葉があればいいのですが。
16 最近、若者が右傾化している、「ぷちナショナリズム」だ、というような議論があります。しかし実態は、つい最近まで、現実社会とはかけ離れた左のイデオロギーを教育やメディアの一部で通用させて、世界を見させてきた。それが90年代になくなってしまい、まったくの空白になってしまった状態が、従来の見方からは「右」に見えるだけなのではないでしょうか。かつての「左」の立場からは絶対に言ってはいけない、考えてもいけないと教えられていたナショナリズム的な言葉も平気で使う。けれども実際は、国家に無関心だし、逆にいえば個人の尊厳もないし、そのことを自覚できない。ある意味でなんの教育も受けていない世代です。
17 日本では、国を意識しないでも生きていけますから。日本ではクールな印象だったイチロー選手が、WBCの日本代表チームでは、あからさまに熱いところを見せました。あの変化は、アメリカに行って初めて、自分が日本人だということを意識せざるをえなかったからではないでしょうか。(以上107ページ)
18 私の下の90年世代になると、経済のグローバル化や、情報化のなかで、ごく自然に外国に接する機会が飛躍的に増えます。しかし自らの国家や文化についてはまったく空白のまま、いわば徒手空挙で出ていくので、非常に危なっかしいですね。武者修業のように肯定的に考えられているけれど、単に運任せなんです。
結果として、無防備にイラクに行って人質になてしまう。
中国に留学した仮装して馬鹿騒ぎをし、抗議されたのも同じことでしょう。あれは中国側が意図的に問題にしたけれど、日本人学生には悪気がなかったというのが、あまりにも無邪気すぎる。
17 健全な自己承認のためには、まず自分が属する社会や家族がなかなかよいものだと信頼できること、つまり、ただしい意味での愛国心が必要だと思います。
18 注意が必要なのは、日本は、「拝外」と「排外」のどちらかに、極端に振れ易い性質があることです。外国の文化を崇め奉るか、拝して遠ざけるか、時期によってどちらか一方に傾く。それが悪いというのではなく、そういう体質の国なんだなと自覚して、バランスをとっていくしかないと思いますね。
19 世界の八つの文明圏のなかでも、キリスト教、イスラム教、ヒンドウ教などに比べると、皇室を中心とした日本文明は、民族・国家・宗教においてすべて特異であり、他とつながりにくいと。その孤独さが、愛国心を「内向き」にする瞬間があったのは事実です。これからは、他国とも手をつなげる「外向き」の愛国心を模索するしかない。
20 教育基本法に何ができるのか。これまでは、さまざまな価値観に「序列をつけない」こと、あるいは愛国心や宗教といった特定の価値観を「教えない」ことに重点が置かれてきました。その極端な価値相対化が、日本の子供を。。。ある種のニヒリズムに陥らせてきたのではないか。それを打破するためには、日常的な利害を超えた、われわれに共通するある大きな価値観が存在することだけは、示しておいたほうがいいでしょう。その一つが愛国心です。
つまり、教育にできることは「これが愛国心だ」というものを教えるのではなく、「愛国心というものが存在する」ということを教えることではないでしょうか。(以上108ページ)
「若者がこの国を愛するために」 石原慎太郎
1 そもそも現行の教育基本法は「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示」すべく1947年にGHQの主導で作られた法律だ。故にも戦前の軍国主義、全体主義を排するあまりに、過度に個人主義を尊重するないようのものとなっていて、憲法同様にいびつな部分が数多く見受けられる。 実際、日本の戦後教育は、日本人としてのアイデンティティを自己否定するところから始まっている。そのため、公の精神を育み、日本人であることを自覚するという、この国に生きる人間としての基本的な姿勢をしっかりと示すことができずに、今日の荒廃を招いてしまった感がある。
2 改正案に盛りこむ「愛国心「の表記についてさまざまな論争が繰り広げられているのを見ると、正直言って、言葉に関する神経症的な、愚劣な議論だと思わざるをえない。
3 愛国心の表現は、以下の通り「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
(以上 110ページ)
4 最後の「態度」という言葉について、「心」では内心の自由に抵触するという意見があり、「態度」になったという。しかし、私に言わせれば「態度」の方が「心」よりももっと規制力のある表現ではないのか。。。。国旗掲揚や国家斉唱にしても、この言葉ならば、絶対的に行動を強制されることにもなりうる。
5 学習指導要領は、国語や社会、道徳といった課目の指導内容に「国を愛する心」「国土に対する愛情」「日本人としての自覚を持って国を愛し」といった愛国心に関する表現をすでにしっかりと盛り込んでいるのだ。これは最高裁の判決によって法的拘束力をもつものとなっている。だからこそ入学式や卒業式における国旗掲揚、国家斉唱についても同様に指導することが求められ。。。
6 成績表の中に愛国心についての採点の欄がある
7 今現在の「ナショナリスト」という言葉には、排他的で民族至上主義的な意味合いが込められていて、むしろ「パトリオット(愛国者)」と称すべきなのだというが、。。
(以上 111ページ)
8 「ナショナル」の起源は。。。つまり民族性の問題である。戦時中の日本の体制は、独善的なナショナリズムというよりもむしろ、一種のファナティズム(狂信主義)だった。…文化論、文明論の視点からいえば、「ナショナル」でないものでインターナショナルになったものなどありはしない。日本に限っても寿司や柔道、相撲もきわめてナショナルなものだからこそ、今、世界中に受け入れられているのではないか。。。。「愛国」という言葉にまつわる日本語と英語のニュアンスの違いは、実はこの本質的問題を妙にやっかいなものにしている。
9 「愛」という抽象的な言葉、よりわかりやすく表現すれば「愛着」といえる。我々は、家族や自分の住んでいる家や、使っているもの、あるいは自分の属する町、社会に対する「愛着」を抱きながら生きている。もちろん国そのものが「愛着」の対象になることもあり得る。それこそが「愛国」である。
10 サッカーのワールドカップ。。。まさに日本代表チームに対する「愛着」であり、「身びいき」の思いがあるからこそだ。。。。そういったスポーツの場面を除いて、国に対して心からの「愛着」を持ついかなる理知的な契機があるだろうか。愛着なりその逆の嫌悪なりの根底にあるものはその対象への関心に他ならない。関心の前提には認識がある。認識とは、とにかくそれについての知識を抱いているということだ。若い世代にこの日本への愛着が希薄なのは、この国について関心がないから。関心がないのは、この国について何も「知らない」からではないのか。知らなければ、国に対する思い、好き嫌いなど持ちようがあるまい。。
(以上 112−3ページ)
11 それは頭では考えたものではなく、まさにさまざまな経験、それによって造成された国との関わりについての情念感性が与えた感動、つまり極めて「肉感的」なものだった
12 平和の毒 (以上 114ページ)
13 日本人のほかにはないユニークな価値観、伝統、情念は、あるいはそれこそが人類最後の救済に役立つかも知れないと思うが、日本文化に対する理解は、すでにアインシュタインやタゴール、マルローたちの日本評価に現れている。なのに、多くの日本人は自らの属する国家社会やその伝統に自信と誇りを持ち得ない。。。。国家の存亡を前に、端的にいえばそれぞれの家族を守るために、国や家族への愛着を胸に抱いてその命を散らしていった。国家と人との関わり方は、そういうものだ。これからの日本を担う子供たちに、それぞれ何か愛着を感じるものを胸に抱きあんがら生き抜いてもらうためにまず我々がなすべきことは、「愛国心」という言葉の字面にいたずらにこだわることではなく、それ以前に、この国と自らの関わりをしっかりと抱けるような歴史教育の仕組みを整えること、そしてまずこの国について知り、関心を抱かせること以外になりはしない。(以上 117ページ)
やはり私にとっては、評論家や学者の言葉より、作家の石原氏のほうが論点がわかりやすいように思いました。論点を箇条書きにしながら、自分の考えも整理していこうと思ってます。そして、在外邦人(今のところー笑)として、どういう風に「日本人」として生きていくか、自分なりに道を見つけていきたいのです。
論点
1 国 vs 郷土
これについて友人とも話したことがありますが、「日本人」ではなく「長野人」なり「神戸人」というコンセプトに私は賛成です。「日本人」と呼ばれるより、「神戸人」と呼ばれるほうがうれしい。では、なぜ「日本人」と呼ばれるのがいやなのか。それが、評論家たちが危惧する「愛国心がない」ということでしょうか。私自身はそうは思いません。今私がもっている日本に対する気持ちを、「愛国心がない」と断定されたくはないです。と同時に、「いや愛国心なんだ」とも、自分自身で言いたくない、というアンビバレントな気持ちを持っています。のちの発言で、国と故郷は違う、愛国心ーナショナリズムーというと、戦前の印象が強くなるが、愛郷心ーパトリシヅム、はいいのではないか、というのもありますが、これにも賛成です。神戸という故郷に愛着心がある、ということでしょう。では、なぜあるのか。。そこで過ごした、自分のかけがえのない「時間」へのいとおしさだと思います。2度と戻ってこない時間への思い、です。
2 態度 vs 心
法律に使う文言ですが、態度のほうが強制力がある、という識者の言葉に同意します。態度は具体的な証拠としてあげられやすいものですから、「態度が悪い」で処分される可能性が高くなります。なぜ「心」ではだめなのでしょうか。「心」を使ったからといって、内心の自由が冒されたとは私は思いません。。愛は、何に対してであってもいいもの、ポジティブなもの、という合意は世界中でできているのではないでしょうか。石原氏は、「心」が内心の自由に抵触すると考えるのは、帰属感を求める人間の本性を理解していない、と発言していますが、これにも同意します。「心」のほうが、態度よりはるかにいい、理にかなっていると思います。内心の自由に抵触する、と考える人間は、極右と同じように、何かが欠けているように感じられます。というか、「愛国心」を非常に限定された意味でしか使っていない、のではないか。たとえ、「日本なんか大嫌いだ」と口に出して断言しても、「愛国心」がない、と他者には言えない、と思うのです。
3 国 vs 日本
同じく文言で、国という抽象的な言葉ではなく、あえて「日本」とはっきりと明言したのがいい、という発言があります。こうなってくると、私の何かがうずきはじめます。この「日本」という言葉には、日本の歴史すべて、それは皇室中心・男系男子継承の皇室の伝統も含まれるとか。このあたりがやはり文芸春秋らしさ、となるのでしょうか。要するに、伝統の名で変化を拒むようになると、エネルギーがひずむと思うのです。伝統の重要性は理解しますが、やはりある程度の柔軟性はもたせるべきだと思います。伝統のエッセンス、エスプリは抽出され、継承されるべきだけれど、伝統を「守る」ために、現状にあわなくとも伝統をごりおしするというなら、もうそれは「伝統」に依拠しただけの、右派の狭量さというものでしょう。
たとえば、以前、柔道着を国際的に白以外のものも認めるか否かでもめていたように記憶していますが(実際どうなったのかはわからず)、伝統として抽出されねばならないのは、柔道の精神であって、柔道着の色ではない、と思うのです。あとの石原氏の発言の中にも、寿司や相撲でも、ナショナルだからインターナショナルになれるのだ、という言葉がありますが、私は、その「ナショナル」だからというよりは、寿司や相撲、柔道、(アニメでもいいですけどー笑)の中に、日本という発祥地の枠組を越えられるメッセージがあったからだと思うのです。
たとえば、近年の寿司の受け入れはやはり健康問題への視点があったからではないのか、肉より魚のほうが身体にはいい、という合意が世界中でできたからではないのか。「”日本”で生まれたものだから誇りに思え」ではなく、その一つ一つのアイテムに、どれだけ国際的に通用する価値があるのか、それが伝統のエッセンスであり、その部分を抽出、誇りをもって、世界に伝えていかねば、と思うのです。「日本」という言葉に、かたくなな「伝統」意識だけがこめられるのなら、私は「国」のほうがいいかも、とか思います。(国という言葉も嫌いですが。。)
4 教育基本法に「愛国心」を盛りこむか否か
教育だから、当然といえば当然かも。。。別に、「愛国心」という言葉そのものに、私自身がアレルギーをもっているようには思えません。国旗や国歌、「仰げば尊し」とともに、小学校時代を終えましたが、別にそのことには何の疑問もありません。
5 忠誠心
今の日本国に忠誠を尽くせ、ということではなく、過去の歴史、未来も含めて。。。これは当然と思います。たとえ、日本に対して辛口でも、それが、忠誠心がない、ということにはならないと思います。
6 成績表の中に、愛国心についての「採点」欄がある
これはほんとでしょうか。こうなると、かつての国家主義?になると思いますが。。愛国心は、誰かが、とりわけ教師といった権威を背負う人間が、「採点」するものではないと考えます。採点するなら、自分自身ではないでしょうか。
7 日本文明・文化の特異性と外国人による評価
日本人であることを誇りに思え、というときに、外国人は長年にわたって評価してきた文化である、という声があがりますが、これに対しては私は次のように考えます。
1) 評価してきた外国人は学者であり、それは外国社会のほんの一部の特権階級の人間の意識であり、一般大衆の意識とは大きくかけ離れたものであること、ゆえに、今、日本人の「愛国心」という、日本人大衆の意識の問題を考えるときに、ほんの蚊の鳴くような人数の外国人が言ったことなどに依拠するのは論外なのではないか。一般大衆が誇りに思えることは、外国の一般大衆が評価できることと通底するものでなければならない、と思います。
2)
評価してきた外国人の目は、あくまでも、日本を「動物
園 のおり の中に入っている珍獣」のようにして見る視線をもって
はいなかったでしょうか。第三者の無責任な目です。そういう目線
で見られたことを、なぜ日本人は誇りに思わねばならないのでし
ょうか。無責任な目ではほめることも簡単でしょう。日本人が誇り
にしなければならないのは、珍獣に対する静的な評価ではなく、こ
れからの動的なベクトルの方向性でしょう。その意味で、学者が、
これまでは「愛国心を内向きにした、これからは他国とも手をつな
げる”外向き”の愛国心を模索」と表現しているのには、共感を覚
えました。
ただ、日本という国がもっているエネルギーを”外向き” にするのは何か、が大きな問いだと思いますし、私がずっと書いてきた、日本・日本人のネガティブなエネルギーを考えると、「伝統」への反逆にもつながる視点にもなるでしょうし、ここからが難しいと思います。
8 石原氏が、「(戦後教育は)日本人としてのアイデンティティを自己否定してきた。。。日本人であることを自覚するという「この国に生きる人間」としての。。。。。」という発言をしていますが、
「この国で生きる人間」の部分に、私は反応しました。「この国で生きる」とは、すなわち海に囲まれた日本という国土に住んでいる人間のことだけを指しているのでしょうか。となると、海外在住の、日本国政府が発行したパスポートを持っている人間はどうなるのでしょうか。このあたりから、海外在住の邦人を差別する意識があらわれていくような気がするのです。「この国で生きる」といった言葉を平気で使える意識、にです。海外在住の日本国発行パスポート所持者に対して意識がないような発言、にです。”海外在住の日本国発行パスポート所持者”を「日本人」と呼ぶのかどうか、呼ぶなら、待遇の違いをどのように説明するのか、そのあたりも考慮して、「日本人としてのアイデンティティ」なり「日本人としての自覚」について、論をはじめてほしいと思います。
2006年9月12日付「北米毎日」新聞に、東京発共同ニュースとして、次のような記事が出ていました。
「米同時テロでは、24人の日本人が犠牲になった。遺族には米政府から補償金が支払われたが、日本政府による支援はほとんどない。昨年末に策定された政府の犯罪被害者基本計画kも海外での被害者に触れたのは、現地の弁護士や通訳の紹介などごくわずか。。。米政府による補償金は外国人も対象で、日本人にも支給された。だが日本には、身体や生命に対する犯罪の被害者や遺族に対する犯罪被害者等給付金の制度があるが、海外での被害者は対象外で、テロの被害者には支払われていない。。。米国では、国内外を問わず自国民がテロ被害にあった場合、経済面だけではなくカウンセリングなども含めた緊急支援制度がある。英国の犯罪被害者支援制度も、昨年から欧州連合(EU)内での被害も対象に加えた。日本では現在、犯罪被害者等基本計画の具体的施策の検討会が開かれ、海外での被害者支援は大きなテーマの一つだ。)
日本国家にとって国民って何なんでしょうか。。日本に住んでいる人だけなのでしょうか。。日本でテロがあったら、外国人の被害者にも補償金が下りるのでしょうか。(なんとなく、ノーという感じですけど。。)一応、日本には犯罪被害者等給付金の制度はあるようですが、海外での被害者は、たとえ日本人でも今のところ対象外なら、いったん国を離れたら、日本人でなくなるのでは、という感じがします。なぜ、海外在住なら、取り扱いに差違があらわれるのでしょうか。
つい最近、在外投票ができるようになりましたが、海外の日常生活を送り、日本国に税金を収めないからでしょうか。なぜ差違があらわれるのか、そこのところから論をはじめてほしいものです。
海外に出ると、まるで「日本人」じゃないように扱うからこそ、たとえば海外で人質になると、「自己責任だ、切り捨てろ、日本の恥だ」といわんばかりの大合唱が国中から起きるのでしょう。では、日本政府がパスポートを発行するのは、一体日本人に海外で何をしてほしいからなのでしょうか。ただ「国に迷惑をかけないでくれ」ということではないでしょうか。
問題は、国家が国民に何をしてくれるのか、と、国民が国家に対して何をするべきなのか、国に迷惑をかける・かけないとはどういう意味なのか、その葛藤ではないでしょうか。
文芸春秋の記事にありましたが、「愛国心」には上部構造と下部構造があって、上部構造は国益をめざして政府が決定するもの、そして下部構造は共同体の伝承、という点です。これはその通りだと思います。それで、海外在住の日本国発行パスポート所持者に対しては、上部構造の部分で、国家は何も期待できないわけです。国を離れてしまっていますから、日本国家が「こうせよ、ああせよ」とは直接的に命令を下せなくなる。もちろん、税金も払っていないわけで。。すると、「守る」必要はあるのか、といった疑問に通じているのではないでしょうか。ギブアンドテークなんだぞ、金を払わない人間に対しては、守る必要なし。。と。
もし、戦争といった緊急事態になれば、「日本国民はスパイせよ」という密やかな命が、それこそ商工会議所や領事館から下るのかもしれない。そういう疑問はすでに経験済みで、日系アメリカ人の歴史の一部にもなったわけです。これまでのこと、そして日本という国がまだまだ非常にネガティブなことを考えれば、たぶん日本国家は、海外在住の日本国パスポート所持者には、見殺しを選ぶのではないでしょうか。そう考えておいて、間違いはない、と思われるのです。で、私の疑問は、そういう国に対して「誇り」を持てるかどうか、です。国土を離れ、税金を払っていない人間は守る必要はなし、と明確な態度を示す国を美しい、と思えるか、誇りに思えるだろうか。今の時点では、私の気持ちは、「小さい国だ、げっ」って感じになります。
上部構造では「見殺し」になると覚悟を決めましょう。しかし、我々は生身の人間ですから、自分たちが育った環境ー時間と土地ーつまり、郷土であり、郷土が属する「日本」という国に対しては愛着を持っている、となります。それが下部構造の「共同体の伝承」であり、ひいては日本文化の海外への普及の力となっていきます。その部分で、在外邦人個人が、自分のアイデンティティをどう捉えるか、が問われるでしょう。つまり、上部構造では「見殺し」にされるけれど、身体が持っている下部構造からは逃れられないというジレンマが、在外邦人にはあるわけです。
そのジレンマを少しでも軽減しようとしたのが、在外投票権獲得だったかもしれません。在外投票に関しては、在外邦人にはあまり利益があるものとは私には思えません。だって、日本でどんな政党が政権を握り、誰が首相になろうと、在外邦人の日常生活にはそれほど変化があるわけではないからです。しかし、「日本人」としての権利として獲得、権利を行使することは重要であり、当然のことと考えます。
「日本人の権利」を考えるとなると、上部構造と下部構造でなる「愛国心」問題とは、石原氏曰くの「肉感的」、つまり経験対首から上で考える理論との対峙とも言いかえられるかもしれません。そして在外投票権獲得とは、肉感ではなく、首から上が上部構造にもの申して獲得した理論的な結果だと。。しかし、肉感が伴いませんから、実質的には「見殺し」にされることには変わりないし、我々も国民の日々の義務ー労働による社会貢献と納税からは逃れられているわけです。
「愛国心」の問題を、肉感vs理論の構図で捉えると、何やら私にとっての「イチロー問題」も糸口が見つかるような気がします。「イチロー問題」のきっかけは、知人から、アメリカで日章旗がはためいていると、うれしくなるという言葉を聞いたことでした。私はうれしくなりません。むしろ怖くなります。こんなこと、してもいいの、みたいな。。。
文芸春秋の記事でも、スポーツ選手が海外で活躍するときに、選手自身、そして応援する側でも発露されるらしい「愛国心」を論じているし、私自身の周りでもそれを経験するし、はたまたスポーツ選手だけではなく、つい最近は馬ですらフランスの競馬場で走るとなると、「日本人」が日本の旗をもって応援に駆けつけるという状況がありました。が、私は、このような「日本人」なり「日本の馬?」を過度なまで応援する姿に、愛国心というよりは、何か別の非常にネガティブなものを感じます。そして馬でもスポーツ選手でも、「日本人として誇りに思う」対象となり、また応援することが「当然」と主張されると、鳥肌がたちます。なぜ、彼らが「日本人」「日本産?」だったら誇りに思う、もしくは誇りに思わねばならないのでしょうか。
私は、こういうときに使われる「日本」「日本人」という言葉に、国家の策略のようなものを感じてしまうのです。つまり、「国家の広告塔」として使える個人を祭りあげ、国民の士気をあげようという魂胆です。イチローや松井選手がなぜアメリカのチームでプレーしているのか、詳しくは知りませんが、在外邦人としては、アメリカのチームでがんばる彼ら「個人」の姿に、「わあ、がんばってるな、よかったな」とは思いますが、「日本人」として、「日本人だから」とかれらを「誇り」に思ったりはしません。イチロー選手の活躍は、アメリカで生きるアジア系への評価をよくした、という声を聞きましたが、それは一時的な、表面的なことかも知れません。なぜなら、イチローはアジア系アメリカ人としてプレーしているわけではないだろうし、またアジア系の人間への視点なんて、日本の日本人がもっているわけがないからです。
毎日、NHKの国際放送を見ていますが、イチローや松井の成績を毎日日本のニュースで流しています。「国家の広告塔」としては当然かも知れません。それでも、彼らが所属するチームの成績や勝敗にはほとんど関心がないのに、イチローや松井の動向だけが取り上げられることについては、日本でも批判の声が出ているそうですが、まだまだ少数派の声でしょう。何しろ政府が、イチロー選手に「国民栄誉賞」を与えようとしているのは、国家のお墨つき「広告塔」になれ、ということでしょう。イチロー選手は、これまでうまくかわしてこられてますが、いつまで可能でしょうか。できるものなら、必要以上に「日本人」を強調して、日本人の誇りをくすぐろうとする国家の策略から逃れて、個を貫きとおしてほしいものだ、と私なんかは思ってます。
国家のお墨つきを拒否、といえば、大江健三郎氏のことを考えます。いつだったか、ノーベル文学賞を受賞したから、あわてて日本政府が文化勲章を渡そうとしたけれど、大江氏は拒否。それ以後、政府との関係はあまりよくないように聞いています。聞いたところによると、カリフォルニアの大学で大江氏が講演しようとしたとき、領事館は「あの人はだめ」と、講演会のバックアップをしようとはしなかったとか。その話を聞いたとき、要するに、大江氏の仕事が国際的に評価されるメッセージをもっているということが評価されるわけではないのだな、と私は思いました。国なんて、自分ーといっても何でしょうかーに従順かどうかだけが大事なのだな、と。もし、大江氏の仕事が評価されるなら、文化勲章を拒否しようがしまいが、それこそ「日本人」だからと、領事館が大江氏を「日本人の誇り」だとして、講演会の後援をしてもいいのではないのでしょうか。
このあたりの違いを、友人は次のように話してくれました。スポーツは勝負がはっきりしているし、野球やオリンピックのような「外来」のもので日本人が勝つというのが、日本人の誇りをくすぐるのではないか。賞をもらうかいなかは非常に政治的なもので、勲章を渡すというのは「あなたを認めましょう」ということで、それを拒否したということは、「あなたには認めてもらいたくない」という意思表示だから、そういう形で拒否されたら、国が大江氏を認める理由はまったくなくなるのではないか、とのことです。なるほど、と思いました。で、その中間ぐらいにあたるのが、たとえばピアノやバイオリン、バレエコンクールかな、と思いました。西洋音楽や舞踏の世界で日本人が活躍する、というのは、やはり誇りをくすぐるのでしょう。といって、音楽やバレエでは、スポーツのように勝負が決まっているわけではなく、政治的なものがかなり入ると思われます。だから、一番てっとり早く「日本人」のすばらしさを謳いあげ、誇りに思えるのがスポーツ選手の活躍だというわけです。
ところが、同じスポーツでも、友人によると、柔道や空手はだめなそうです。というのも、もともと日本のものだから。日本人の誇りをくすぐるのは、西洋発祥のものでなければならない。西洋の土壌で勝てば、誇りに思える。そこに”味つけ”に利用されているのがやはり、敗戦国の劣等感のようです。というのも、もう名前も忘れてしまいましたが、ハワイ出身の力士が日本で横綱になっても、アメリカが「国民栄誉賞」を与えようとは考えないことは自明だからです。日本のような敗戦国へ行って、勝ったからといってどうなんだよ、日本なんかに負けたら恥ずかしいじゃないか、ぐらいにアメリカ人は思っているのかも知れません。それはやはり、どんなにあがいても、人間個人は、たとえば日米の国家の力関係からは逃れられないということでしょうか。
と、こういう風に考えてくると、私が、海外在住日本国発行パスポート所持者として、ほんとに「日本人」であることを自覚し、誇りをもてるようになるには、まず第1に、日本国には、「敗戦国」の劣等感から国民をいかに解放するか、を考えてほしいと思います。いつまでも、外圧ーつまり外からの権威づけ―で自分を評価するようなことはするべきではないです。だから、たとえば、野球という西洋発祥の分野で、本場のアメリカで活躍しているから、と、「国民栄誉賞」を与えましょう、などは、日本国がアメリカに対してもつ劣等感丸ダシのようで、みっともないことだと私なんかは感じます。個人がイチローを応援するのはけっこうなこと、しかし、国が賞を与えるなんてもってのほかだと思います。とりわけ、普通の在外邦人を「見捨てる」ことは当然とする土壌をもっているのならば、です。まず国は、国民を単に「利用」するのではなく、日本国民なら誰でも守る意思をもっていることをはっきりと提示するべきでしょう。
国と国民の関係の違いを私がはっきりと感じたのは、ここイリノイで、20世紀はじめに、鉱山事故のあった場所へ行ったときです。アメリカに産業社会が誕生した時代、人々は労働基準法もなく、苛酷な労働条件下で長時間働かされていました。その時代に、200人を超える死者を出す大事故が鉱山で起きたのです。私が訪ねたのは、その事故から100年近く経っていますが、事故のあった鉱山跡にはメモリアルが建てられ、そこに星条旗が翻っていました。それを見たとき、アメリカという国があたりに放っているメッセージをはっきりと感じました。「この国の発展のために命を投げ出してくれた無名の人々に感謝の気持ちをこめて。私たちは絶対にあなたたちを忘れません」 です。果たして日章旗は、これだけのメッセージを国民に対して示したことがあるのでしょうか。戦争の歴史や、今の愛国心論議も含めて、日章旗が国民に暗示しようとするのは、「ほい、お前は日本人だろ、日本に誇りをもたんか。愛国心がないのか」という、上からの非難めいた声だけではないでしょうか。
移民の国アメリカでは、世界中から集まってきた多種多様な人間が、「アメリカ人」というアイデンティティのよりどころにするのは崇高な理想・理念だけであるのに対し、日本人のそれは血統と先祖の土地とか。しかし、血統と先祖の土地への愛着は、愛国心の下部構造をなすものではないでしょうか。確かに、血統の部分については、国が決定する法律による部分―つまり上部構造をもっていますが、それでもこの国際化時代にあって、純血ーとは何かがまた問われますがーの日本人だけを日本人にする、という法は存在しないでしょうし、もはや許されないと思われます。日本人のアイデンティティには、愛国心の下部構造はあっても、元来上部構造はなかった、あっても血といった非常に脆弱なものだったのではないか。
政治家が「子供たちが誇りにできる美しい日本」といった美辞麗句の言葉を並べるのは簡単ですが、もしかして、「誇りにできる美しい日本」がどんなものであるのか、その概念も施策ももたないのは、実は日本国家そのものなのではないでしょうか。そういう状況下で、国民に対してのみ、ただ「愛国心」を持て、と美辞麗句を振り回すだけは無理があるでしょう。日本人は帰納的な発想で、まず美辞麗句を高く掲げ、人心を鼓舞し、それでなんとなくそのムードになって満足というパターンが多いと私は思っています。しかし、ムードだけで、各論が伴わなければ、実際にはなんの効果もありません。しょせん「愛国心」論争もその程度なのかもしれません。国家からは切り捨てられる可能性が高いけれど、しかし下部構造として自らの身体が日本という過去の時間に愛着をもたざるをえないものとしては、やはり演繹的に、まず各論をつみあげ、それから「愛国心」ーつまり国に対する愛着心をもたせるだけのどれだけの魅力を「日本」が内包しているかをもっと問うてほしいものです。
外から日本を見ていると、これまでは日本を誇りに思うようなことはそれほどなかったように思うのです。 文芸春秋の記事の中に、「健全な自己承認のため、自分が属する社会や家族がなかなかよいものだと信頼できる」という言葉がありましたが、信頼できる可能性の有無を考えると、アメリカは、その信頼感を与えることができる、与えていると感じられますが、日本からは感じられません。やはりアメリカでは、社会は国は自分たちが作るのだ、作るものだという意識がはっきりと根付いているからでしょうか。
国籍取得条件を緩やかにして、日本人を増やせば、つまり国民を増やせば少子化対策にもなる、といった文章もどこかで読みましたが、その一方で、在外邦人に対する国の扱いが今のような「侮蔑、切り捨て、見殺し」のままなら、小学校からの英語教育なんて、現代版棄民を推進しようとするものではないでしょうか。つまり、英語が達者、もしくは好きな人間を増やして、国外に「放出」すれば、国の負担を小さくできる、と。これもまた構造改革の一部かも知れません。(笑)
いろいろ書きました。私はまだ「愛国心」と呼べるものには到達していないようです。日本への愛国心なんて、到達する必要もなくなるかもしれません。すべて未定で、それゆえに生きていくのが面白いのです。ただ、日系人の歴史を調べたときにも思いましたが、万が一戦争になっても、国が自分を守ってくれるとだけは絶対に思ってはなりません。日米戦争のとき、収容所に入れられた日本国籍をもつ帰米二世のなかには、日本国が交換船を出して、自分たちを日本に帰国させてくれると信じていた人たちがいました。外交官や有力なビジネスマンたちは交換船で開戦後すぐに帰国しましたが、収容所に入れられた普通の市井の人間にまで、国がめんどうをみてくれるはずがない。それだけは胆に命じておかねばなりません。
愛国心をもつほどまで、日本を誇りに思えるような何か新しいことが始まればいいのにーたとえば、台湾の国会では、海外華僑の議席があると聞いたような気がするのですが、ほんとうでしょうか。在外投票権だけではなく、海外邦人の声も日本社会や国のありかたに反映させようと、国会に議席がもうけられるようになったら、私もそんな開かれた日本を誇りに思うようになるかもしれません。
日本人はよく「和」を大切にするといいます。それは直線的な思考ではなく、丸く円を描く思考です。円の内と外を分ける思考でもあります。排外的になりやすい構造です。いかにして円を大きくできるのか、そしてあらゆる多種多様なものを飲みこんでいけるのか、その器の大きさと私の「日本国への誇り」がつながっているような気が、今はするのです。
11 金子喜一とジョゼフィーン・コンガー
最近、20世紀初頭にシカゴに住み、社会主義フェミニズムの雑誌「ソーシャリストウーマン」を出していた日本人社会主義者、金子喜一やその妻、ジョゼフィーン・コンガーに関する論文を読んでいました。その中にこういう記述がありました。ここに記しておきます。
金子の妻コンガーは次のようにジェンダーを指摘している。
「女性には選挙権を付与すべきではない、なぜなら女性は武器を持つことができないからだ」といわれる。しかしもっと知的な議論をすべきだ。私は「男性には投票権を認めるべきではない」といいたい。なぜなら男性はすぐに戦闘の準備を整えるからだ。(略) 男性がトーチや銃剣を身につけて、「家庭のために、祖国のために」と謳いながら行進するとき、私たち女性はその言葉に感銘を受けない。なぜなら男性の「家庭」は家や地所を意味し、「祖国」は国王や支配者階級を意味してきたからだ。女性が同じような歌を謳うなら、私たちは家族全体の鼓動、両親、子供、つまり人間の鼓動を感じて歌うだろう。
コンガーは、「国家」や「家庭」といった言語には男性の占有意識、特権意識が潜んでいることを見抜いていた。
(大橋秀子 「金子喜一とジェンダー −アメリカ国勢調査(1900年)を通して」 「初期社会主義研究」2004年第17号 171ページ)
この文章を読んだとき、日本で今、教育基本法を改正しようという動き、「愛国心」論議が活発になっているのも、結局は、この男の占有意識、特権意識がなせる「国家論」に依拠しているのかもしれない、という思いが走りました。難しい政治思想・理論はわかりません。でも要するに、しょせん男の論理で成立している「国家」がいかに国民をコントロールしようか、その陰謀・画策を「愛国心」といった言葉は単に隠蔽しているだけではないのか、という思いです。コンガーが謳うところの「人間の鼓動」とは、上述した「愛国心」の下部構造となる人間的側面をなすものなんだろうなあ。でも、「権力」に目のくらんだ男たちは、人間の鼓動を聞こうとはしないのではないか。。。それにしても、金子喜一自身は、アメリカで人種差別を経験すると、やがて個人の自主、自じ、自由の思想といった、ナショナリズムを克服したアナーキズム思想に近似した言説を見せるようになっていったとか。組織に追随するのではなく、自由の個人の結びつきに依拠した社会主義者の連帯を構想した。そして、次のような詩の一説を残している。「私の故郷は私の生まれたところではない。私の古い記憶の残るところではない。私の故郷はヒューマニティが溢れるところ。」(大橋秀子「シカゴにおける金子喜一 −人種偏見と闘った「シカゴ・デイリー・ソーシアリスト」時代」 「初期社会主義研究」2001年第14号 86−88ページ)
私の故郷は私の生まれたところ、古い記憶の残るところではない、と言い切れる金子喜一をうらやましく思いました。特定の「国家」に属するのではなく、「世界」市民として生きるー金子がシカゴにいた時代から100年経った今も、その言葉に惹かれる私がいます。
12 愛国心って何ですか
(NHK国際放送 「クローズアップ現代」
2006年11月14日夜再放送分)
番組によると、論点は
1 法律に盛り込むか否か: 国の統制主義・軍国主義への不安
2 教育基本法とは: 理念のみ表現するもの
3 内面の自由は: 従わさせられるものなのか
4 教育の現場でどのようにして教えるのか
といったところでした。
番組を見ていて、私がびっくりしたのは、教育現場の様子でした。神道にのっとった教育をする私立学校では、毎日神宮遥拝をし、年に一度は「教育勅語」を書き写したりするんですね。書き写すというのは、無意識のうちに身体に言葉を刻みこんでいくことですから、教育勅語信奉者としては、いいなあ、と思いました。(笑) しかし、国や民族の違いを超えた「愛」を教えようとするキリスト教系の私立学校では、愛国心を教えるとは、自分の国のことしか考えないようになる人間を作るのではないか、といった懸念を表明されていました。これにも納得しました。
しかし、私が一番びっくりしたのが、愛国心を教える授業の様子でした。教えるには、やはり大人の一定の指導―つまり学校で教師が枠組みを与えるーが必要ということで、小学校6年のクラスでしたが、黒板に富士山の写真をはって、富士山はきれいねえ、だから日本は美しい国ですねえ、といった感じに、教師が子供に教えようとしていることでした。
四季のない国からやってきた外国人が、日本に四季があるのを知って、日本は美しい国だと言ったという前提です。それで、教師が「そうですね。日本は美しい国です。富士山は美しいですね。日本に住んでいてよかったですね。」みたいなことを言うわけです。これが「愛国心」だそうです。笑っちゃいました。(笑)
でも、小学生の中にも、頭のいい女の子がいて、「確かに四季がない国から来たら、日本の、たとえば秋はきれいと思うかもしれないけれど、日本から四季のない国へ行ったら、それはそれでその南国の風景を美しいと思うだろうから、日本だけ美しい、というのはおかしいんじゃないか」みたいな、要するに観念の相対性という本質を突く発言をしたわけです。ところが教師が、その発言に対して、なんと言い訳?もしくは説得していたか、あまりよく聞き取れませんでした。とにかく、その女の子の賢い言葉をまっすぐにとりあげることなくーたぶん、教師自身にその力がないのでしょう、というか、そういう賢い発言は邪魔だったと思いますが(笑)ー授業の最後には、クラス全員が、「富士山は美しい、日本は美しい国ですね。日本はいい国だと思いますか」と教師が問えば、、生徒たちが「はあい」と手を上げるという仕組みです。
「愛国心」が、こんな旅行者の眼が見た「日本の良さを教える」式の観光振興会並みのレベルなら、たとえ教育基本法が改正されても、あんまりたいしたことないかな、と思っちゃいました。(笑)
で、翻って、自分自身ですが、「愛国心」とはただ日本はいいところだ、とほめることだけなのでしょうか。もしそうなら、私なんかは、“国賊”もいいところ、ということになります。(笑) 「愛国心」とは何なのでしょうか。まだ私自身にも答えがでません。ただひとつ感じたのは、「愛国心」とは教室の中で教えるものではないのではないか、という思いです。
13 序列
友人から次のような言葉をいただきました。
閉鎖的な社会ほど序列が明確ですよね。序列の維持がムラの安定となります。
要するに、社会の枠組みを打ち破るとは、コミュニティを不安定にするわけなんですね。で、エネルギーが内向きの閉鎖的な社会は、不安定―不確実性を嫌う。なぜなら、不安定とは変化であり、エネルギーが外向きになることだから。それで閉鎖的な社会は、あくまでも新参者に序列を与え、序列の中に組み込もうとする。で、序列を与えるのが、他者―つまりすでにそこにいる人々と「比較」する視点ということになります。だから、日本人はいつも他者と自分を「比較」する。序列を崩さないように、維持するために、日本人が生まれたときから身につけさせられる技術かもしれません。で、その他者による比較の視点と序列が嫌いだと、枠組みを飛び出すしかないということかもしれません。
14 海外日本食レストラン日本政府認証制度
日本食まがいのものが海外で出回ると、日本食の評判が落ちるとか、「日本人旅行者が被害に遭う」といった理由で、海外の日本レストランを日本政府が認証しようという動きがあるそうです。(2006年12月)
で、とある衆議院議員のメルマガによると、認証事業に2億7600万円の予算申請があったとか。
こういうニュースを聞くと、ほんとに日本在住の日本人の発想というか、国のいやらしさをつくづくと感じます。
「日本食の評判が落ちる」といいますが、純な日本食を海外の非日本人が歓迎するのかどうか。。なぜ日本食まがいのものが出回るかというと、日本食まがいの、たとえば“派手派手”なのが、非日本人に受けるからですよね。ベニハナのテッパンだって、あの派手派手のパフォーマンスがアメリカ人に受けたわけです。
「侘びさび」は、日本通の外国人―これは、主流社会からは“変わり者のマイノリティ”ですーには理解してもらえますが、一般大衆はそっぽを向きます。だから、商売のためには客が喜ぶことをしなければならない。「日本食」が売れるとなると、韓国人でもベトナム人でも寿司を作る、で、競争が激しくなってくると、自分の店が売れることをしなければならない。そうなると、日本食でも食べようか、というリベラルな、知的な“変わりもの”の人間だけを相手にするのではなく、大衆も相手にできることを考えねばならない。で、日本食まがい?になっていく。。
日本人旅行者が被害に遭うということは、どういうことなんでしょうか。日本食だと思って店に入ったら、変なものを出すところだった、という意味でしょうか。でもそれは「被害」でしょうか。
「被害」だとは思わないし、たとえ「被害」だとしても、それがそんなに悪いこととは今では思わなくなりました。たぶんそれは、同じアジア系の人間として、一種の連帯感をもって他のアジア人の仕事を見る眼をもつようになったからでしょう。韓国人の作る‘寿司’と、日本人の作る“寿司”は違うかもしれない。でも日本人といっても、アメリカに来てから寿司作りの訓練を受けた人もいるでしょう。で、そうなると、アメリカに来る前、日本で板前さんの訓練を受けた人か、そうじゃない人かもを明確にさせようというのでしょうか。
業界の詳しい内情はわかりませんが、アメリカで板前の修業をした日本人と、韓国人やベトナム人のコックさんとどう違うのかな、とか思ったりします。もしかしたら、持って生まれた盛り付けの美的センスが違うかもしれない。でも、韓国人のセンスがアメリカ人に受けるのなら、それで商売が成り立つわけで、誰にも文句は言えないのではないでしょうか。
でも、日本に住む日本人なら、海外でも日本文化の「純」「伝統」を守らねば、と言うかもしれません。それは、残念ですけど、日本から外に出て、多文化とさまざまな価値観にもまれて生きるダイナミズムを知らない、井戸の中の蛙の発想です。多文化に触れると、必ず自らに変化がおきます。変わらざるを得ないわけです。それが、人間でも。日本文化でも、生き延びていく知恵なのですから。つまり、人間が大きくなってより広い世界に出ていく、文化が「広まっていく」ためには、変化はつきものだということです。
そういう状況下に、日本国家が「お墨つき」という形で顔を出すわけです。「お墨つき」という権威主義は、まさしく閉鎖的なくらああい日本人の発想ですね。ぞっとします。ところが、議員さんのメルマガによると、「新しい認証制度を設けると、事務所や人件費のために、毎年億単位の新規予算を請求できると踏んで、この制度創設に積極的」なんだとか。
こういうからくりを知ると、結局国って、自らの利益のためには、利用できるものは何でもしようという根性なんだな、と思ってしまいます。イチロー君に国民栄誉賞を与えようとした意識と、今回のレストランへの認証制度と通底するものがあるのをはっきり感じますが、それが何であるか、まだ言葉にできません。それにしても今日のように、日本人野球選手が多数アメリカに来て活躍するようになると、国民栄誉賞を与える、その査定の基準は何になるのでしょうか。同様のことがレストラン認証にも言えるのではないでしょうか。
「純」な日本料理は、日本で食べる限り、「純」なのでしょうから、日本国が沈没しないように、日本の農林水産省は、日本国内だけを見張っていたらいいのではないでしょうか。「日本国内」が「純」、日本を一歩出たら「雑種」、「純」の一本気の脆弱さ、「雑種」の強さを非難できません。そう、認証制度って、ジェラシー・被害者意識の強いネガティブな人間が、懸命に自分に力があると思いたがって振り回す権威主義にも見えます。農林水産省って政府の中でどんな力をもっているのでしょうか。
15 在外邦人、日系人とはー国際人とは、大和民族の誇りとは
2007年2月5日のニュースで、在外被爆者への健康管理手当てが全額支給、それも過去にさかのぼってまで支給されることが最高裁によって確定したと聞きました。思わず手をたたきたくなりました。
戦後62年、これまで広島県による医療費支援は、当初は海外在住との理由で拒否され、その後は、時効という理由で拒否され続けてきたとのことです。こういう話を聞くと、ほんとに、「国民」とは何なのか、何が「愛国心」を育てるのだ、と腹立たしく思いますが、今日の判決で、在外邦人に対する視点にも変化が生まれてきていることを実感、心の底から「よかったね」と思いました。
今読んでいる資料の中に、在外邦人に対する次のような声を見つけて、少し驚きました。大正4年6月4日―7日付の「中国新聞」に掲載された、アメリカ留学から帰ってきた日本人が、故郷で行った講演の内容で、「米国に於ける日本人」と題された記事です。
「今日迄、県民間になんらこれら(在外邦人のこと)に向かって、保護或いは善導の途も講じられていないのは実に不思議の感がある。単に移民保護機関の設備がないばかりでなく、海外に雄飛し小なる日本帝国を北米の野のかなたこなたに樹立し、日本領土を平和の裡に拡張しつつある、この平和の勇士を取り扱うに、或いは出稼ぎ人なり移民なりとして蔑視し、冷遇をなすにいたっては沙汰の限りである、干か(言葉が古すぎて、かの漢字が出ません、漢和辞典で調べたところ“ほこ”という意味だそうです、干か(かんか)とは武器という意味です)をとって戦う者のみが勇士でもなけねば、勇敢なる兵士でもない、今日の英大帝国を造ったのは実にかれアングロサキソン人種の世界的移民に依りたるものである、よろしく島国根性を去りて海外移住者に尊敬と名誉とをあたえられたいものである」(平成3年広島県発行「広島県移住史 資料編」 185ページ)
「いかに米国でも金のなる木はない、やはり辛抱する木(気)に金(神)が宿っているのである。。。。私の考えでは、米国にはたくさん金はある、しかし金をもうける点にいたっては何等日本内地と変わりはないと信ずる。」(186ページ)」
殊に天外異域に奮闘している平和の戦士をして不幸に陥らしむるよう事は大和民族発展の消長に関すれば、一層責任を以って月下の氷人の労を採って貰いたい。」(188ページ)
講演者がアメリカ生活を経験し、かつアメリカで学位をとって日本に帰ったエリートですから、視点には広がりが感じられます。それにしても、現代の移民との大きな違いは、そしてそれこそがもしかしたら私たちが戦後教育で失ったものかもしれませんが、かつては、在外邦人、移民を「大和民族の世界飛躍の大使命」を担った「平和の戦士」と呼べる“民族の誇り”があったことでしょうか。
大正4年といえば1915年です。1902年に日英同盟を結び、日露戦争に勝ち、日韓併合し、条約改正を完成させ、1914年に第一次大戦が始まると、できたばかりの中華民国に21ヶ条要求をつきつけて、と、日本が国際社会の大舞台に意気揚々とかけあがっていく時代です。その時代にあって、「大和民族」とは何だったのでしょうか。現代の「日本人」と同じ意味だったのでしょうか。
戦後教育では、「大和民族の誇り」なんて、聞いたこともありません。なぜだかまだわからないけれど、今の私には、「日本人の誇り」と言われるよりは、「大和民族の誇り」と言われるほうがしっくりするような気がします。自分も大和民族だ、と、素直に受け入れられるような気がするのです。「日本」という国名をつけられると、まるでお上にコントロールされる「道具」のような気がするのですが。。。。ましてや、「日本人の誇り」とやらを押し付けられると、こんなものいらねえ、とパスポートでも投げ捨てたくなります(笑)
辛抱する木(気)に金(神)が宿っているといわしめた(これはまったく正しい!) 「大和民族の誇り」とは何か、「日本人の誇り」との違いを探りたくなってきました。
この「広島県移住史 資料編」 の最後に、解説があって、在外領事の日本人移民に対する蔑視問題に触れています。以下の通り。。
「。。。移民を下等社会に属するものとする蔑視観念である。日本がおしもおされもしない経済大国になった最近でこそ、その様相は一変しているのであるが、かつて海外に働き口を求めて移住した人々は、がいして国内では経済的・社会的境遇に恵まれなかった人々が多かった。
今日の人権感覚からすれば、そうした人々こそ、冒険心と向上心にあふれ、大志を抱く人物として、あるいは、今日いうところの「国際化」をいち早く体現した人物として、積極的に評価することも可能であるが、社会的・経済地位を人物評価の重要なよりどころとしていた当時にあっては(今日でもその傾向は強いが)、移民に対する差別意識は避けがたいものであった。
もっとも、初期の移民に対する一般民衆の意識は、差別意識というよりも、羨望やねたみに似たものもあったかもしれない。多くの希望者のうちで選抜されてハワイに渡航することができた官約移民、厳重な渡航制限をかいくぐって渡航することができたアメリカへの移民については、とくにそういえるかもしれない。
これに対して、官僚、ことにそのなかでもエリートであった外交官は、当初から移民に対する差別意識が強かった。そこでは、。。。下層労働者からなう日本人移民のアメリカにおける存在が、アメリカ人に蔑視を招き、ひいてはわが国の対面を汚すことになるという見方をとっている。このような移民に対する外交官の態度は、同領事あるいは在米の領事にとどまらず、日本の外交官にほぼ共通するものであった。当時にあっては、海外に在留する日本人は、ひとにぎりのエリート(その代表が外交官)のほかは移民であり、両者の国内や現地での待遇には大きな開きがあった。。。。
一方、移民に対する一般民衆の意識は。。。当初は蔑視する風潮はそれほどなかったといえる。おそらく、移民に対する蔑視が一般に蔓延するのは、移民の性格が変化する1910年代以後と考えられる。当時の日本人は郷里に錦を飾ることを名誉する考えが根強く、そのため出稼ぎ型の移民から、永住定着を目的とした移民に変化するのにともなって、移民を社会の落伍者とみる風潮がひろまったと思われる。」(924−925ページ)
移民という言葉につきまとう暗いイメージを払拭するために、「移民像」が解決されねばならない、と解説は結んでいます。
この文章を読んで、いろいろな思いがよこぎりました。
「日本がおしもおされもしない経済大国になった最近でこそ、その様相は一変しているのであるが、。。。。。。今日の人権感覚からすれば、そうした人々こそ、冒険心と向上心にあふれ、大志を抱く人物として、あるいは、今日いうところの「国際化」をいち早く体現した人物として、積極的に評価することも可能であるが。。。」
そうですね。可能かもしれません。でもそれは、部外者としてのあくまでも好意的見方であって、やっぱり滞米当事者の気持ちの中には、立派な企業の名前を背負っていない「移民」への蔑視、日本社会の落伍者といった意識はまだ残っているのではないでしょうか。
立派な企業の名前か、それとも国が「国民栄誉賞」でもあげたくなるほど、アメリカ人と組し、競争して成功する才能の有無が、現代の「移民」の社会的・経済的地位を表わしているーそういえば、アメリカ人から見れば、企業の駐在員もアメリカで活躍する日本人スポーツ選手も、宇宙飛行士も、アメリカ人と同様に、アメリカ社会の公共サービスを受けている「移民」、共同体の構成員と見ていると思いますが、当の日本人たちは自分たちを「移民」とは考えていないでしょう。むしろ、「日本」「日本人の代表」としてアメリカに乗り込み、成功すれば、敗戦国日本の劣等感をふっとばし、「日本人のエゴと誇り」をくすぐってくれる「ヒーロー」と、太平洋の対岸から拍手喝さいを浴びる存在(ほんとは、国家の“広告塔”と書きたいところですが。。。笑)
―アメリカ人にすれば、「ヒーロー」も無名の日本人も、同じ「日本人」「移民」ですが、日本人同士の間では、さまざまな要素で成立するヒエラルキーをもちこんでいますから、日本人とアメリカ人のあいだには意識のずれが存在していると思います。ずれが存在している限り、日本人がほんとの意味で「国際人」になることはないのではないか。「ヒーロー」は日本人にとっては「ヒーロー」でも、アメリカ人にとっては???かも知れないのですから。(笑)
とりわけ今日のように、「何もアメリカまで行って苦労しなくても、日本で十分気楽に豊かな生活ができる」という経済大国の時代には、アメリカに残っている邦人への蔑視は逆に強まっているのではないでしょうか。「日本に帰れないかわいそうな人たち」みたいな。。。。
日本人の「国際化」への憧れと熱意は、国が経済大国になるまで、もしくはなってしばらくのあいだ、その大国ぶりを“宣伝”するためのものであったかも。バブルがはじけ、大国が新しいレベルに飛躍するチャンスーつまり一度は、「ジャパンアズナンバーワン」とまで豪語された経済力を政治力に転換させるチャンスを逃してしまったかのような今は目標を失い、国が一度は後押しした「国際人」も意味を見出せなくなっているのかも知れない。
かつて一世を風靡し、行政が予算を組んでまで推進した「国際交流」「国際化」「国際人養成」とは一体何だったのか、という問いが私の中で生まれています。単に「日本の広告塔」になれる人をつくることだったのでしょうか。日本に:“帰れない”“帰ろうとしない”「移民」は、「国際人」として賞賛される条件を満たしているのでしょうか。国際人の条件とは一体何なのかーどこかで大和民族の誇りにつながっていくような気がしないでもありません。
海外の日系人は、「国際人」移民の末裔でありますが、日系人に対する日本人の差別意識は、これまでにもいろいろと取り上げられてきました。「日本で食べられなくなった」落伍者の末裔という意識があったからでしょう。(そのくせフジモリのように、大統領になると、日本人の血を広告塔に使うんですよね)
それでも差別意識と同時に、日本人の血への一種の甘えもあったのでしょう。日本で働く外国人の待遇に関しては、日系人は特別に優待?されていると聞いたことがあります。ところが、最近(といっても、2006年9月23日付の北米毎日新聞ですー笑)、「日系人特別扱いやめる」という見出しを新聞記事で見ました。
入管行政の見直しを進めてきた法務省のプロジェクトチームが、就労目的で滞在している日系外国人のうち、定職や日本語能力のない場合は、在留資格の更新を認めないなど、日系人の特別扱いをやめるのが柱、とのこと。これまでは、日系外国人は、日本人との血縁関係が認められれば国内に滞在でき、ブラジルやペルー国籍を中心に約30万人が定住している。しかし、一定地域に集まり、周辺住民とのトラブルや犯罪に走るケースも目立つ。このため改革案は、日系人も一般外国人と同様に扱うこととし、血縁だけを理由とした受け入れは今後行わないことを明記した。
とあります。「血縁だけを理由とした受け入れ」−この部分に私は国家のエゴを見ます。「日本人」というラベルにこめられた「日本」という国家のもくろみ。“好ましい”人間だけの受け入れと管理、ではないでしょうか。人間を規定するのは血ではありません。その人が育った社会環境と受けた教育です。日本人の血が流れているからといっても、ペルーやブラジルで生まれ育ち、そこで教育を受けた人は、「日本人」とは一切関係がない。それなのに、血、を理由にした特別扱い。。。これって、もしかしたら、ナチスか白人至上主義者と通じるものがあるのかも。。。大和民族の誇りも「血」なのでしょうか。。血も国も超えて、ただの「人間」で勝負する。。。それは可能なのでしょうか。
*
さっそくアドバイスを頂きました。感謝です。「大和民族」という言葉は、沖縄あるいは北海道の人たちを区別、差異化する意味を内包していた用語とのこと。そうですかあ、では「大和民族」という言葉に、私の「誇り」は託せませんね。それから、日本は村落共同体意識が硬い社会で、横並びと慣習を尊び、異端を排する意識をもつから、それが移民蔑視や異端排斥とつながっているのでは、という指摘も頂きました。
異端排斥の意識は、2方向で考えなければ、と思います。つまり、村落共同体に入ってくる異端への気持ちと、村落から出ていった“かつての仲間?”への気持ちです。前者は、私もかつてその共同体の中で生活しましたから、よく理解できるのですが、理解できないのは後者です。ムラから出ていった“かつての仲間”が、共同体に再び入ろうとすると、前者の気持ちが待っていることもまだまだ多々あるのでしょうか。たとえばかつては、中学生の場合だったら、英語の先生の顔をつぶさないようにと、たとえば「英語ができる」ということを隠さねばならないと聞いたことがあります。このあたり、先生のほうから、「何々君は英語が上手だから、代わりに読んでもらおう」とオープンにその“異端児”の存在を認めたらいいのに、と、私なんかは、教師の小さな、ネガティブ度にうんざりした思いを抱いたものでした。今はどうなってるのでしょうか。。。
その一方、ムラを出ていって、ムラには帰ってこようとしない“かつての仲間”に対しても、すでに何度も書いてきましたが、2方向の態度があります。外で成功、外で認められた“かつての仲間”はちやほやし、自分たちとの共通点を強調して、自分たちもその成功にあやかろうとします。ところが、外で認められたわけではない、普通の、しかし一生懸命がんばっている“かつての仲間”に対しては、「自分たちとは関係ない」と、まるで、自分たちの裏切り者とでもいわんばかりに無視したがります。
この2重構造はどこから来ているのでしょうか。欧米に対する過度の憧れと、その裏返しがアジア諸国への蔑視という二重構造の“国際意識”をもっていた時代もありました。優越感と劣等感がないまぜになった感情に振り回され、確固とした自分が見出せない日本という国、「日本人」という人間に決定的に欠けているものー枠組みの内にいようが外にいようが関係ない、人間性という普遍性、本質的なものへの信頼感かなあ。。自分を中心にして、人間に、国に、何らかの理由でもって必ずヒエラルキーをつけて、比較しなければおられない意識、比較しなければ、自分の位置が確かめられない意識。比較して、優越感と劣等感に振り回される自分の小ささに嫌気がさしているのか、さしていないのか、それがわからぬ感受性の欠如と鈍感さ。。私は、「日本人」がつけるたがるくだらないヒエラルキーと優越感やら劣等感からきれいに逃れて、堂々と生きていきたいと思います。逃げきって、自分ひとりで立つぞ。。。(笑)
*
自分ひとりで立つぞ、なんて考えていたら、1人ではアイデンティティはない、という声を聞きました。共通点のある他人とつくるグループへの帰属をアイデンティティと呼ぶそうな。。そしてまた、信条・宗教、イデオロギーが国境を越えるとも。。そうですかあ。じゃあ、たとえばカソリック教徒なら、「日本人」にこだわらず、カソリックという世界に帰属し、それがアイデンティティになるというわけですね。。ああ、むずかしいなあ。。。要するに、私は世界でたった一人の私自身として生き、どこかのグループ、とりわけ権威を誇るグループー権威をもった時点で、グループは腐りはじめるからーには帰属したくないという気持ちが強いからです。となると、私が属しているのは私の名前の中だけかも。。。(笑)
どうしたものか、と自分の身をもてあましていたら、社会学者日高六郎さんの以下のような言葉を読みました。(日米タイムス 2007年2月8日付 共同通信より)
「(前略) そこにあるのは、日本の歴史は美しいというナルシシズムですね。でも、たとえばテレビ時代劇の背景にも5線譜で書かれた音楽が使われている。文字にせよ技術にせよ、外の文化なしに日本の文化が成立しないことへの認識が弱い。。。自分の姿に酔うのではなく。。。。時代にからめ捕られてしまうのではなく、1人1人の人間がリアルな認識を持ちながら、まず個人の次元で足場をつくる。そしてそこから小さな集団が生まれ、さらに外へとつながっていくようなあり方が、求められているように思うんです。」
外へつながっていくのはいいんですけど、集団を作らなくちゃなりませんかね。。あくまでも、アナーキーな人間同士が、グループを作ることなく、アナーキーに生きられる世界ってないんでしょうかあ。。
16 旗幟鮮明
旗幟鮮明という言葉を初めて知りました。2006年10月3日付「北米毎日」紙のコラム「霧笛抄」の中です。
著者は、世界中の「日本人町」の消長を研究する学者を紹介し、「日本人町」が消えつつある現実を嘆きながら、次のように書きます。
「日本人は順応性に富んでいて、すぐに環境に順化しやすい国民性だといわれる。。。。しかし華僑は世界中いたるところにチャイナタウンを創りあげ、賑やかである。消えてしまった話は聞かない。海外に出た中国人の数だけでは、その繁栄を測るものさしにはならない。。。
ニューヨークの日本人の少ない白人社会で活躍し、世界的名声を挙げた野口英世博士の、生涯のモットー
は「旗幟鮮明」ということだった。旗印をはっきりするということだが、野口博士はきっと日本人の旗印をいつ
もかかげて、人には負けないと努力してきたのだろう。
私たちの日本町も、日本人ここに在りという旗印を鮮明にして、親から受け継いだ日本文化の発信地にしなければ、アメリカに骨を埋めた先輩に申し訳がたたない。」
著者は、「日本人町」のど真ん中にいる、在米何十年?かの年配の方である。だから、だろうか。旗幟鮮明がなぜ「日本人」を旗印にする、ということになるのだろうか。「日本人」というアイデンティティの表現以外に、旗印にするものがないのだろうか。この著者のように「日本人」にこだわるとき、「日本人」の何が誇りに思えて、「日本人」が出てくるのだろうか。私が何かを旗印にするならば、自分が誇りに思えるもの、それも世界中に通じる本質的な普遍性をもつものを旗印にしたいと思う。
このあいだ、NHKの国際放送を見ていたら、マサチューセッツ工科大学で教える日本人教授が出ていた。彼が番組の中ではっきりと言った、「自分は凡人です、だから人の10倍も100倍も努力する」と。日本にいる日本人から見たら、アメリカは、マサチューセッツ工科大学で教えている、というだけで、「成功した日本人」だから、番組で紹介したのだろう。しかし、在日本の日本人には見当もつかないような言葉が飛び出してきた、「自分は凡人だ」という言葉である。その謙虚さには本質的な普遍性がある、と私は見る。アメリカ人にも通じ、アメリカ人も同意する価値観である。その「謙虚さ」こそを旗印にすべきなのであって、在日本の日本人から見たら“成功”した「日本人」だということなど、何の意味もないと私は考える。
海外で「日本人ここに在り」は、領事館・商工会議所を頂点に供えて回っている「日本人村」があるではないか。鮮明な旗印を掲げた「日本人ここに在り」は、日本人村を出なければ達成できないし、達成したときは、「日本人」なんてことはどうでもいいし、「日本人」の枠組みを超えてしまっているはずである。
それでもあえて言うならば、「謙虚」を重点的に?教える日本の伝統文化が普遍性をもっている面があるのだということを、もっと積極的に世界に向けてアッピールするべきなのだろう。そして、「積極的にアッピール」が過ぎれば、「謙虚」からは遠くなってしまうわけで、ああ、生きるのはむずかしいものですね。(笑)
ところで私は、野口英世博士が「日本人」を旗印にしていたとは思いません。もっと高尚・高度なものを掲げていたと思います。「日本人」にこだわるような小さな人間だったとは思いたくないです。(笑)
17. 間に生きる
いろいろなところで、ちょこちょこいい言葉に出会い、私の机の周りで漂ってますので、机の整理をかねて、ここに記しておきます。
1 「故郷ですか。場所じゃなく、一世への記憶ですね。」
私が「日本」という言葉を聞いて、思い浮かべるのも「記憶」でしょう。自分がかの地で過ごした30年という時間の記憶。。。身体はもうその土地から離れてしまっているのですから、実体験はなく、生き続けるのは、遠い「記憶」です。
2 つまり領土のような実体としての日本ではなく、時代的背景をもった文脈ともいうべき「日本」が問題となってくるのだ。このような「日本」に規定されて越境せざるを得ない民を、どのような存在として、日本社会は見てきたのか。そして現在はどう見ているのか。
このような「日本」に規定されながら、越境せざるを得ない民、と私は言い換えたいと思います。それが、日本を離れ、移民として長年海外で生きる、私自身も含めた人間の姿だと思うから。「越境せざるを得ない欲求」をどう捉えるのか。そんな人間を日本社会はどう見てきて、これからどう見るのか。「日本」の記憶をもっている限り、その視線を意識しながら、そして私自身は自分の位置をどう捉えるのか。答の模索は一生続くと思います。
3 。。安心して住まうことのできる家や場所を失った、そういう体験こそが自らの“故郷”となっている者にとっては、どこに身を置いても、誰とかかわっていても、それは落ち着かなさを増幅する要因にしかならない。。。。。鏡像と記号の間の斥力と引力がつりあっていれば、太陽の周囲をまわる地球の軌道に対して、人口衛星は旅の道連れースプートニクになれる。引力が強ければ衝突する。斥力が強ければ宇宙の闇に消えていく。力の釣り合いを可能にする微妙な距離を保てるか否か。その答えを出すことはできない。
なぜなら、完全に記号化されることのない物体としての私たちの身体は残り続けるのであり、そこに暴力と自己破壊の契機があり、安住の地から切り離された身体は、その地からの距離の取り方にとまどいながら、なお身の置き所を求め続けるからだ。(小森陽一 文芸時評 1999年4月27日付朝日新聞)
文学作品を論じた記事の一部ですが、安住の地とは、そこで一生を過ごすことに何の疑問も持たない、自分が生まれ育ち、慣れ親しんだ一つの国、言語、文化環境と考えると、この文章は、私の気持ち、立場を代弁してくれているように感じます。斥力と引力とは、私の中の「記憶の日本」と、現在の異文化の生活環境でしょう。両者との距離の取り方は非常に微妙なものでありながら、身の置き場所の探求にとっては決定的な力を持っています。記号化しえない身体とは、パスポートが示す「日本人」という国籍を記号とみなすならば、その記号だけにはおさまりきれない自己への焦燥感をもつ身体ということになります。まさしく今の私自身にほかなりません。
「暴力と自己破壊の契機」とは、個人の内面で模索しつづけられる営みが、外部からの強大な力で断ち切られるときでしょう。それが、日系アメリカ人にとっての太平洋戦争と強制収容、そして日系人同士の争いだったと思います。 国家という“化け物”同士のエゴのぶつかりあいに巻き込まれることなく、平穏に自己探求が続けられる平和な時代が続くことを願います。
18 祖国
昨年(2006年)7月かに亡くなった日系俳優、マコ・イワモトが主演したテレビドラマ「祖国」を見た。日本のテレビドラマで日系人が主役を務めていること、しかも彼が私と同じ神戸出身と知って、ますます驚いた。ああ、時代が変わりつつあるんだ、と感じ、うれしくなったが、それでも違和感を覚えたのが、「祖国」というドラマのタイトルだった。「祖国」なんて、長い長いあいだ聞いたこともない言葉である。
話の内容は、日本の若いビジネスマンが出張でサイパンかどっかで日系人のパイロットに出会い、のちにそのパイロットが日本まで訪ねてくる、というものである。訪ねてきた当初は、日本語が分からないという設定になっていたが(このあたりは、日系アメリカ人をありのままに受け入れている日本人の視点を感じて、心地よかった)のちにこの日系人は、特攻隊として鹿児島から出撃、アメリカ兵に助けられてサイパンに住んでいた、日本を訪ねたのは家族(母や妹)にもう一度会いたかったから、母は、自分がいなくなってからも帰ってくると信じて、鹿児島に引っ越し、毎日海をながめていた、その母を捜すために鹿児島まで出向き、母がなくなるまでいっしょに過ごした、というものだ。主人公の孫娘の語りが縦軸になっているのだが、私が奇異に感じるのは、こういう家族との絆、思い出をまさぐる人間の気持ちに、「祖国」と「国」をつけたがる精神風土である。
確かに、この主人公は「国」を背負って出征したわけだから、その当時は「国」を意識する気持ちは非常に強かったに違いない。しかし、戦後はずっとアメリカ管理統治地域(? サイパンやグアムがなんて呼ばれているのか、むかし国際法の本を読んだとき覚えたが、もう忘れてしまった。。悲)で暮らし、「日本」からは遠くなり、日本語すら知らない振りをするほどだったのに(確かに、そこにはいろんな政治的・社会的配慮が働いてはいただろうけれど)、それでも、日本の日本人たちは、主人公の気持ちに祖「国」を投影させたがるのである。なぜだろうか。主人公の、日本に残した家族を探す非常に人間的な気持ちに、なぜ「国」を背負わせねばならないのだろうか。まだ「祖土」ならわかるというものである。自分が生まれてくるまで、めんめんと続いてきた命が眠る土地という意味で。。でも、「国」といった権力機構の総称は、そんな命の記憶の場所とは一切関係ないのである。それなのに、どうしても「祖国」と呼びたがる意識に、日本国家が国民に強いている一種のマインドコントロールを感じてしまう。
と考えていたら、次のような文章を読んだ。
(アメリカの)「移民帰化局」、「移民」という名称を、日本の「出入国管理局」および「外国人労働者」と比較してみれば、その差異は一目瞭然である。日本では、日本民族の一員でない限り、たとえ帰化したとしても「日本人」として一般に認められることは難しい。「在日韓国・朝鮮人」という日本において100年近い歴史を持つ民族グループを、たとえばその歴史の長さにおいて類似する「日系アメリカ人」という名称と比較してみてもこれは明らかである。
(安藤幸一 「アメリカにおけるエスニックコミュニティの形成」 アジア系アメリカ人研究会資料 2001年9月19日号)
ということは、つまり「日本国」は「日本民族」を離さない、離したくない、というわけか。帰化しても、日本人の顔をしてなかったら、日本人としては認めがたいという排斥の風土は、裏返してみれば、日本人の顔をしていたら、いつまでも「国」がついて回るということでもある。これって、夫の心が自分から離れているのでは、と疑念をもっていても(日本民族が日本国の領土から離れていても)、結婚しているという法的地位(日本人の血が流れているという事実)に依拠し、夫に難癖をつけることで(海外で日本国家の広告塔になるように励まし)自分の保身を確保しようとする(海外で成功した邦人には、勲章やら国民栄誉賞などの国家のお墨つきを与えることで、国家に帰属させようとする) コントロールフリークの妻にそっくりだなあ。(笑) 権威主義、権威にすりよることで自己保身を図る、被害者意識だけが異常に強い。。。。こういう国なり人なりにつかまると、一生の不覚なのかも。。(笑)
人間的な「民」の心に「国」を付随させたがる事例で、日本人好み、メディア好みなのが「青い目の人形」の話でしょう。つい最近、友達が新聞記事(朝日新聞2007年2月27日付) を送ってきてくれました。見出しには、「拝啓渋沢栄一様」「人形大使 親善は今も」とか「一円募金 あふれた願い」とかあります。要するに、戦前にアメリカから送られてきた「青い目の人形」のお返しに、経済界の大物、渋沢栄一が音頭をとって、日本人からお金を集めて市松人形をアメリカに送った、アメリカでその黒い目の人形を探した大学の先生、それから今も黒い目の人形が日本に里帰りしているといった話である。
私自身が、この大学の先生に助けてもらって、サウスダコタで、この人形交流の話を使って、町で日本文化祭のようなことをしたから、あんまり悪くは言いたくはないのだが、結論は、この人形交流の話は、日本人の1人芝居ということである。で、その1人芝居を今もって日本のマスコミだけがやいの、やいのと騒ぎたてたがるから、ちょっと苛立つ部分もあるが、こういう話を載せても、別に誰かが傷つくわけでもなく、当たり障りのない美談には違いない。だから、骨のないマスコミが書きたがるのである。
私のサウスダコタでの経験は、本一冊分の文章にまとめた。活字になることはなく、お蔵入りになってしまっているが、原稿を書きながら発見したのは、ギューリック博士が始めた「青い目の人形」を日本に送るという行為は、国家とは一切関係のない、民間の教会を通してのものだった、しかもその行為を通じて、アメリカ人自身の啓蒙をめざしていたということである。ギューリック博士は「お返し」を望まなかったがーアメリカ人の啓蒙を考えていたのだから当然だろうーところが、日本人は、アメリカから送られてきたとなると、非常に歓喜して、学校を通して国をあげての募金活動をし、お返しに黒い目の人形をアメリカに送ったというわけである。それが、「人形を通しての国際交流、国際親善」と呼ばれる。そして、記事に紹介された大学の先生は、その黒い目の人形を探して、全米を旅行されたとか。今も、その黒い目の人形の「里帰り」とやらが企画され、日本に送り返されて、日本のメディアがカバーし、「国際交流」という美辞麗句がメディアに踊るという仕組みである。
現実はどうか。。アメリカ人にとっては、「青い目の人形」も、「黒い目の人形」も何の意味もなさない。サウスダコタに送られていた黒い目の人形なんて、何かの理由で日本に「里帰り」したときに、わざわざボーイフレンドという触れ込みで、黒い目の男の子の人形までが新しく作られ、古い人形といっしょになってサウスダコタに送りかえされてきたのだが、博物館のアメリカ人にしてみれば、「なんで、新しい人形がくっついて返されてきたのかさっぱりわからない」というのが実情だった。私が、こうこうで、と説明すると、あ、そうだったんですか、ぐらいなもんである。もちろん、その新しい男の子の人形を作るのにも、里帰りの際の施設で、募金活動が行われたのである。「国際交流」という美しい言葉に踊らされるかのように、人がお金を出しても、その思いはアメリカ人にはまったく通じていない。日本人の1人よがりの一方通行である。ああ、虚しいことよ。。。国際交流って何、国際親善って何?? 人形という痛くもかゆくもないものを使っての実のない「ムードづくり」だけが、日本の“十八番”である。
日本のマスコミがもっともらしい顔して騒げば騒ぐほど、その「ムードづくり」の虚しさが増すように私には思われる。もちろん、民間の行為が、日本からアメリカに移るときは、国という権威付けがなされているだけに、よけいに虚しい。権威づけがなければ、日本人は動かないのだろうか。そして、虚ばかり追いたがるマスコミにとって、実はどこにあるのだろうか。マスコミってほんとに馬鹿だよな、もちろん、マスコミに踊らされることを“成功”と考える人間たちも。。。
と思っていたら、2007年4月6日付のオンラインのニュースで、日本の財務相が、米大リーグの日本人投手が大活躍して、初勝利をあげたことを、「いい人材が新しい天地を求めるのはいいことだ」と評価しながらも、「この種のニュースをNHKが毎朝取り上げるのは公共放送としては問題がある」と発言しているのに、胸のすく思いがした。同感である。へえ、日本の政治家も捨てたもんじゃないなあ。。。(笑)
松坂投手がアメリカで活躍することはすばらしい。私にとってはそれだけである。それを「日本人の誇り」とは思わない。もうすでに何度も書いてきたように、マスコミがとりあげたがる、とりあげやすい、毒にも薬にもならない単なる美談、単に絵になりやすいからというだけの、才能にあふれた異彩の人よりも、地道にこつこつとがんばっている、普通の人の隠された強靭な力から私は学びたい。松坂投手にしろ、イチローにしろ、なんで日本の日本人が, いやアメリカ在住の日本人までがそんなに大騒ぎするのかさっぱりわからない。本物の力をもっている人間はどこでも生きていける、評価される、それだけのことである。確かに半官半民のNHKが放送したがるのは、またもや「国家の広告塔」を前面に出すことで、国民の洗脳―すなわち、われわれ日本人はすごいんだぞという意識をもたせ、松坂投手を個人として見るのではなく、国民統合のための道具として使っているーに手を貸しているのではあるまいか。
でもまあ、大臣がその傾向に異を唱えたということで、まあ、捨てたもんじゃないなあ、と思った次第である。(笑) 国もやはり時には、引き時を知っているようで、それは和食レストラン推奨制度に見た。
ここでも書いたが、海外の日本食レストランの認証制度を考えてきた農水省は、食材や味付けなどを基準に「推奨マーク」を交付する計画を提言したとか。やはり「認証」では、国家権力の締め付けを思わせ、「寿司ポリス」への反発がひどくなると考えたのだろう。レストランから申請を受けてから審査するとか。で、「推奨」があるレストランなら、食べに行っても、伝統的和食からかなり離れたとっぴな食事は出てこないだろう、という意味?? やっぱ、どこか枠組みにとらわれたような、疑問が残る発想ではある。。。
日本という枠組みを超えた発想で、かつ「祖国」という言葉が陳腐?に響くといえば、日系下院議員マイク・ホンダ氏が中心になって連邦議会に提出した「従軍慰安婦」問題だろう。「祖国」の罪を堂々と裁こうという心構えである。そこには、日本人が「祖国」という言葉に託したがるロマンチシズムの甘えはまったくない。
日本国内のナショナリズムに警戒感があって、提出されたのかも、とか。日本側の「狭義の強制性はない」との反論に、ホンダは証拠は山ほどある、と新聞記事で語り、この問題を持ち出せば、日米関係が悪くなるのでは、という懸念に対しては、くだらない、と一蹴、日本側から働きかけがあったかと問われれば、「あった、自分が何かすれば、アジア女性基金の延長をするとかなんとか、もう覚えていない、そんなことはできないし、するつもりもない」とにべもない。(Nichi Bei Times 2/22-28,
2007)
同じく日系の映画人、チズ・オオモリも、ホンダの仕事はすばらしいと新聞に書いている。(Nichi Bei Times 3/22-28,
2007) そして、記事の中で次のように疑問を呈している。もし、この従軍慰安婦のことを戦時中の日本国民が知っていたら、認めようとしなかっただろう、とか、日本国民の多くはこの問題について悪かったと考えていると信じたいとか、謝罪しようとしないのは男の政治家ばっかりだ、恥を知らないのだろうか、とか。。。ああ、オオモリさん、あなたはやはりアメリカ人です。日本で、女としてのセクシュアリティを拒否されて生きた私は、あなたの疑問なんて、何の意味もないことをいやというほど知ってますよ。戦時中の日本国民が知っていたら、ですって。。。知っていたら、誰も抗議なんてしなかったでしょう。お国のために命を投げ出している兵隊さんがかわいそう、チャンコロやチョウセンの女たちにやらせればいいんだって。。従軍慰安婦の存在は、当然と思うだろうと思いますよ。ビジネスマンや官僚を接待するのに、キーセン観光だの、ノーパンシャブシャブ接待をやってた国民ですよ。日本国民が、この問題を悪かったと考えている???とんでもない。「広義と狭義の強制性の違い」とうまく言葉を操ろうとして、問題をうまくさばけなかった国のトップを笑っているだけですよ。お上のすることに、日本人は抗議しないのです。お上という権威が日々生きていく上で必要なのは、日本人自身なのですから。戦時中ならなおさらでしょう。
ワシントンポストは日本政府をダブルトークと非難、北朝鮮の拉致問題と従軍慰安婦問題を同じコインの両側と見ているようだが、それは的を得た議論だと思う。一方、ホンダは日系人強制収容所に入り、選挙区は、シリコンバレーのあるサンノゼが中心で、住民の30パーセント近くがアジア系とのこと。選挙民を意識しての行動だろう。決議案支持派の中にはアジア系有権者が多いカリフォルニアやニューヨークの議員が目立つとか。(日米タイムス 2007年3月29日付)
人権問題となると、19世紀の奴隷解放問題と同じで、何やら政治家の私腹、名誉欲、権力を肥やす道具として扱われている感もぬぐいきれないが、それでも人権問題は、誰にも否定できない「格好の材料」であることには間違いない。
祖国??? そんな甘ったるいロマンチシズムを振りかざし、「日本民族」というエスニシティを楯に、人間を縛りたがる国家なんて、墓穴を掘るだけなのでは。。。マイク・ホンダにしろ、チズ・オオモリにしろ、彼らの祖国を日本と考えたがるのは、日本の日本人だけだろう。彼らの祖国はアメリカ、それ以外にどこがありますかー胸を張って答える彼らの顔が私にははっきりと見える。そして私。。。祖「国」は大嫌いである。祖「地」もしくは祖「郷」は神戸、そして神戸は大好きである。
追記1 友達が教えてくれました。多佳子さん、祖国って、motherland のことだから、故郷という意味だそうですよ。祖国に、stateという意味はないそうです。そうなんですかあ。。じゃあ、またちょっと考えなおさなくちゃ。。。
追記2 新聞記事で(2007年10月2日付日米タイムス?)で、亡くなった作家小田実の奥さんの言葉を読んだ。在日朝鮮人二世の水墨画家の玄順恵さん。「祖国とは、想像力で作り出す、こうあれかしと思える世界のこと。私たちが世界中で知り合ったすばらしい“市民”たちが作り上げる世界、“私の祖国は世界です”と言えるような世界を、私は夢見ているんです」 ちょっと観念的なロマンチシズムにはついていけないものも感じるけれど、在日ゆえだろうか、「私はどこから来た何者なんだろうと、考え続けてきた。答えを求めて「世界」へとつながる窓を一つ一つ開いてきた」―答えのない旅を続ける人を1人でも多く知ることは、生きる喜びである。
19 国民国家と越境性
いくつか考えさせられる言葉や文章に出会ったので、ここに記しておきます。
知人の元新聞記者、現在は大学教授の人が、インターネットで「日本の国民国家意識の強さ」という言葉を使っていました。国民国家かあ。。。私が先に書いた、日本人の顔をしていたら、いつまでも「国」がついて回るということ、と関係があるかなあ。。。国民国家って何?? ちょっと政治学を勉強しなおさねばならないなあ。。。
以下は、移民研究年報第13号(2007年3月)に掲載された岡野 宣勝の論文「占領者と被占領者のはざまを生きる移民―アメリカの沖縄統治政策とハワイのオキナワ人」から
移民に関する語りを「悲劇の物語」と「成功の物語」に分けるならば、両者の違いは一体どこにあるのだろうか。実はその違いは「結果」の違いであって、悲劇を生み出す要因も成功を生み出す要因も同じく移民が宿命的に内包する多元的な性質に基づいている。二つの社会・文化・言語を生きる移民がその多元的な性質ゆえに曖昧で不完全な存在として社会の周辺へと追いやられることもあれば、その同じ多元的な性質を積極的に活用し、バイリンガル・バイカルチュラルな存在として二つの世界を結びつける重要な役割を果たすこともあるのだ。したがって移民の社会過程は、多元性というマイナス要因の払拭―主流社会への同化―多元性の再評価とその活用、という段階を踏むことが少なくない。ところで、移民の多元性をポジティブに評価する際にしばしば用いられる概念に「越境」がある。上杉富之(2004)によれば、従来の「越境」をめぐる議論は人や文化が境界を超える事実を強調するだけに止まる傾向にあったが、移民が示すダイナミズムを的確に捉えるためには、国境を越えた多元的生活実践や複数の国への多元的帰属意識の出現に注目する必要があるという。本稿ではこのような視点に基づいて移民の多元的性質を社会的資源と捉え、その資源を用いて境界上で横断的な活動をする能力を「越境性」と表現する。この「越境性」は移民自身のみならず、移民が帰属する二つの世界にとっても有用な資源になりうることは言うまでもない。(3−4ページ)
著者は論の終わりで、政治的アイデンティティの文化的アイデンティティへの変換という表現を使い、かつ次のように書く。
(プログラムは) 移民が潜在的に内包している「越境性」という資質を国家権力が顕在化させ、政治的に利用しようとした事例とみなすことができるだろう。しかし、それはすでに見てきたように出来事の一面に過ぎない。「越境性」をもつ移民の存在は「境界線」のどちら側にとっても有用であり、(中略) 国際関係を調整するための「資源」としての可能性を移民が内包していることである。移民の多元的な資質を基に一定の条件下で発揮される「越境性」は、国家間や地域間、民族間に生じるほころびや亀裂を修復する可能性を秘めている。そして、そこで問われているのは、この能力を活用する際の目的と方法であり、移民自身のバランス感覚なのである。(中略) ハワイのオキナワ人たちは、アメリカ軍がかれらを利用する意図で与えたこのプログラムを、自分たちのポジションを主体的に獲得するため、そして故郷沖縄の発展のために最大限に活用したといえるかもしれない。(16−17ページ)
実際に「越境」した人間が読むと、やはり???を覚える文章ですねえ。(笑) 「移民」という動物園の檻に入った動物を見る研究者の目とはこういうものか、と思い知らされるような気がしないでもありません。(笑) 大層に書いてあるけれど、こういう論が内包、提示する問題は、従来から少しも変わっていないのではないか。だいたいですね、移民に関する語りを「悲劇の物語」と「成功の物語」に分けないでくださいませ。(笑) そういう二分論で考えたがるところにすでに、檻の外で、中の「動物」をしげしげと眺めている好奇心たっぷりの目を感じて、いやあな気分になります。だいたい、檻の外の人にとって、移民の悲劇と成功とは何でしょうか。そこの定義づけからはじめてほしいものです。
次に、二つの社会・文化・言語を生きる移民がその多元的な性質ゆえに曖昧で不完全な存在として社会の周辺へと追いやられることもあれば、その同じ多元的な性質を積極的に活用し、バイリンガル・バイカルチュラルな存在として二つの世界を結びつける重要な役割を果たすこともあるのだ。したがって移民の社会過程は、多元性というマイナス要因の払拭―主流社会への同化―多元性の再評価とその活用、という段階を踏むことが少なくない
の部分ですが、これなどは、移民がホスト国で帰属するコミュニティの分類と移民の世代性を無視してますね。
多元的な性質ゆえに曖昧で不完全な存在として社会の周辺へと追いやられることもあればーと言うならば、はっきりと主流社会の周辺、とはっきり記述するべきでしょう。ホスト国の言語が、ネイティブと同様の自由さで操れなかったら、当然「周辺」においやられます。もちろんその「移民一世」に、言語能力のハンディを差し引いても、ホスト国で「有能」と評価されるだけの能力と才能があれば別です。このあたりの「移民一世」の条件と差異は明確にしておくべきでしょう。
バイリンガル・バイカルチュラルな存在として二つの世界を結びつける重要な役割を果たすーここで、文章の前半との亀裂があって、論のつなぎがはっきりしていません。前半が主流社会を対象にして、「周辺」と書いたのに、ここではエスニックコミュニティの存在を無視して、突然「周辺」の人間でも重要な役割を担う、と考えています。ああ、あなたは「移民一世」の閉じられた世界を知らない。。。(笑) 二つの世界って何でしょうか。ホスト国と母国のことでしょうか。ホスト国で「周辺」に押しやられているのに、母国との関係で「重要」な人物になろうと思ったら、何が必要か。。エスニックコミュニティーつまりホスト国の中の「日本人村」で「重要」にならねばならないんですよ。「日本人村で重要になる」ことを無視して、「越境性」は移民自身のみならず、移民が帰属する二つの世界にとっても有用な資源になりうることは言うまでもない、ともっともらしく書くのは、アマちゃんすぎますね。。(笑)
で、多元性というマイナス要因の払拭―主流社会への同化―多元性の再評価とその活用、という段階を踏むことが少なくない
と来ると、なんで「多元性」がマイナス要因なの? 「周辺」に押しやられる人間は、どうやって「主流社会への同化」?が可能なの? 「多元性の再評価とその活用」は誰がするの、ホスト国? 母国? となってくると、この文章は表面だけをもっともらしくなぞった、虚の文章ってことになるなあ。。「越境」し、主流社会の周辺に押しやられる人間から見ると、多元性というマイナス要因の払拭―主流社会への同化―多元性の再評価とその活用 の図式が当てはまるのは、ホスト国で生まれ育つ移民二世でしょう。それを一世に可能と考えるのは、無意識下に押し込み、文章には出てこないエスニックコミュニティの存在を当然と思っているからです。で、このエスニックコミュニティの存在を当然と考え、かつ二つの世界を結びつける重要な役割といった感じにもちあげる精神風土に、私は違和感を感じるわけです。
筆者自身が、「越境性」という資質を国家権力が顕在化させ、政治的に利用した、と見抜いています。で、なぜ、しかし、それはすでに見てきたように出来事の一面に過ぎない、と、甘ったるくごまかすのでしょうか。
「越境性」をもつ移民の存在は「境界線」のどちら側にとっても有用であり、(中略) 国際関係を調整するための「資源」としての可能性を移民が内包していることである。移民の多元的な資質を基に一定の条件下で発揮される「越境性」は、国家間や地域間、民族間に生じるほころびや亀裂を修復する可能性を秘めている。
とんでもない。何をぐちゃぐちゃときれいごとを並べ、甘ったるい砂糖菓子をなめているんだろう、「移民」なんて、国家に簡単に飲み込まれてしまうのです。それが、第二次大戦中の日系人強制収容の歴史であり、今のアメリカでも続けられている「愛国者法」とやらの厳しい管理システムです。申しわけないですけど、こういう文章を読んでいると、いらいらしてきます。それも、移民学の専門誌で読んでいると。。。
そこで問われているのは、この能力を活用する際の目的と方法であり、移民自身のバランス感覚なのである。(中略) 自分たちのポジションを主体的に獲得するため、そして故郷沖縄の発展のために最大限に活用したといえるかもしれない。
はあ。バランス感覚って何ですか。いかに日本領事館に商工会議所や、領事をトップに据えた「日本人村」と距離をうまくとって、日本とつかず離れず、でうまくやって、「祖国」の為に尽くすことでしょうか。筆者の言うように、「日本人村」の動向が即白人主流社会での「日本人」の位置に直結し、それが「祖国」の発展と結びついたというのは、たぶん小さな島ハワイだったからでしょう。アメリカ本土にいると、サンフランシスコでもシカゴでも、「日本人村」の活動が、「祖国」の発展―国家間や地域間、民族間に生じるほころびや亀裂を修復する可能性を秘めているーとはとうてい思えませんね。。「日本人村」の活動は、あくまでも主流社会の「周辺」に押しやられます。なぜなら、日本に興味があるアメリカ人をひきこむ程度だから。で、日本に興味があるアメリカ人なんて、主流社会から見ると「周辺」ですから。「周辺」が「周辺」とまじっているだけなのに、なんで、バイリンガル・バイカルチュラルな存在として二つの世界を結びつける重要な役割を果たすこともあるのだ、と大層に言うかな。。。
問題は「二つの世界」でしょうか。どうしても、ホスト国と母国という「二つの世界」を前提としたがる意識。移民の多元的性質を社会的資源と捉え、その資源を用いて境界上で横断的な活動をする能力を「越境性」とするならば、ほんとの意味で「越境性」を持つ人間は、国を超えると思います。「二つの世界」なんかにとらわれはしない。なぜなら、1つの世界―母国―を出るきっかけとなった力、エネルギーは普遍性をもっていて、その普遍性は世界中どこにでも通用するものであることを、ほんとに「越境」する人間は身体で知っていると思うから。
アメリカにいても、いつまでも、いつでも「日本に帰りたい」と口にし、実際に帰る人はいっぱいいます。筆者が言うところの「バランス感覚」をもっている人とはこういう人のことをさしているのだろうか。。それなら、筆者がもちあげる「越境性」なんて大したことないなあ。。(笑)
で、どんな人が国家間や地域間、民族間に生じるほころびや亀裂を修復する可能性を秘めているとして、国からお墨付きをもらうのだろうか、と考えていたら、新聞記事がすぐに見つかりました。とりあえず、在サンフランシスコ日本国総領事館が授与した第90回緑白綬有功章伝達式の記事です。(2007年3月10日付北米毎日新聞) 受賞者はカリフォルニアで農業に従事、貢献し、かつ日本の市町村の姉妹都市、橋渡し役となり、学生交流の推進に尽力、また日本農業青年の国際感覚育成のための活動に長年携わったり、盆栽を通じての日米交流、日本文化の普及に貢献、などなど、とあります。やっぱりね。。いつまでも、どこまでも、「日本」と「日本文化」を背負わねばならないのです。。日本国家が、バイリンガル・バイカルチュラルな存在として二つの世界を結びつける重要な役割を果たしたとしてお墨つきを与えるのは「日本人村」のお偉いさんなんだろうなあ。。。「日本人村」を離れる本物の「越境性」をもつ人間がトラブルにでも巻き込まれたら、「自己責任」「お上にご迷惑をかけた」のバッシングかあ。。ああ、いやだ、いやだ。。国民国家と越境性―二つをつなぐ何かが、在日日本人、日本国家、それに移民研究者に欠けているのではあるまいか。
(工事中。。メモです。読まないでください。。笑)
宮川益治の言葉
Miyakawa shocked his clients by telling them not to rely on the Japanese government to intercede for them, but
to fight discrimination as American s, under principles of American law: “An
indivicual Japanese….cannot be called great and respectable simply because his
nation is great and respectable….
(he must here prove) that he can speak the English language better
than others, that he is more law-abiding than the others, more enlightened in
idea and his conception of things American than the others, and that he is
educationally, intellectually, morally, and industriously much stronger than
the others.” (日米タイムス 4・19−25・2007)
日本国家がどんな人を顕彰するのか、と考えていると、日本・日本文化に外国人をひきよせることを喜ぶようだーたとえひきよせるものが、主流社会ではなく周辺エリアであってもー日本文化や日本との姉妹都市とやらに興味があるのは、基本的に周辺なのである、その一方、日本・日本文化から離れ、普遍的なものを求めたり、主流にチャレンジしたものを顕彰しようとは考えない、そこにあるのは、日本国のジェラシーなのではないか。でも、野球選手が主流にチャレンジして勝つことは「国民栄誉賞」を与えようと考える、日本文化を広めるという形での外のもののとりこみか、それとも勝敗がはっきりしているスポーツ選手なら国家の広告塔になりやすい、でもじゃあ、イチローがアメリカに帰化するといえば、日本国家はどう考えるか??? なぜキッコーマンー主流社会にしょうゆを根付かせたーは、紅花のおっさんは顕彰されないのか。 主流に根付かせることによっての文化の変化・変容を嫌うのかーだから「純伝統」文化を広めたー要するに「とりこみ」―ことを称えるのか。。。なぜ、文化変容を経たコスモポリタンを嫌うのか。。。
在日日本人にとって、成功するとはー故郷に錦を飾るのメンタリティ? −つねに後ろ向きの姿勢がなければならない?−錦を飾るということが国のお墨付きをもらうということ?
コスモポリタンとしての成功は、国のお墨つきを必要とはしないー常に前を向いていたら、離れた国のお墨つきなど必要ない、いつも外へ、より広い世界と目を向けているから
2007年春の殊勲の受賞者(2007年4月28日付日米タイムス)
旭日大授賞:(読み方分からずで、じゅの漢字間違いー糸偏に受です) 米運輸長官と商務長官を務めたノーマン・ヨネオ・ミネタ氏、
旭日中授賞:スタンフォード大学政治学部教授の沖本巌ダニエル氏とか、ランド研究所上級経済顧問のチャールズ・ウルフ・ジュニア氏
旭日小授章: 1981年に発生したロス銃撃事件の捜査を指揮した佐古田・隆・ジミー氏、
旭日双光章: 日系コミュニティ医師会会長
大授賞は、天皇陛下から皇居で授与されるそうな。確かノーマン・ミネタ氏なんかは、日米航空協定締結などで、日本政府や財界と関わったかな。政治学とか経済関係の人なら、日本と関係があったのでは、と想像できる。ロス銃撃事件って、三浦和義が妻を撃ったとかなんとかの事件???とにかく、日本(人)のお役に立った人って感じですね、もちろん。かわいそうに、従軍慰安婦問題を議会に提出する、と、日本国家(人)に“迷惑をかけた”マイク・ホンダ氏は、どうあがいても、祖先の国―“祖国”日本の勲章はもらえそうにないなあ。。(笑)
(2007年7月6日付北米毎日より)
7月3日に、ワシントンの駐米大使公邸で、ノーマン・ミネタ前運輸長官への叙勲伝達式が行われた。
ミネタ氏は政界・実業界で活躍、米国の日系人の地位向上に大きな実績を上げた。挨拶で「すべての日系人が米国で積み重ねてきた努力が報われたと感謝したい」と述べた。日系二世のミネタ氏はサンノゼ市長、下院議員などを務めた後、クリントン政権で商務長官、ブッシュ政権で運輸長官を務めた。
日本政府が、日系人の地位向上を気にしているとはとうてい思えないな。それよりも、ペルーのフジモリ同様、日本人の名前、ミネタを通して、「日本」をアッピールしたという部分に感謝、じゃないの。だいたいクリントンにブッシュって、ミネタさんの支持政党はどっちなんだろう。
アナン前国連事務総長に対する旭日大授章の叙勲伝達式典は3日、ジュネーブの日本代表邸で開かれた。(中略)「大変光栄に思う。(在任中に)国連が日本の国民と政府から受けた財政、人道支援に深く感謝している」と述べた。(中略) 日本の常任理事国入りをあらためて支持する立場を示した。
日本の常任理事国入りをあらためて支持―これですね。勲章の根拠と目的は。。(笑)
広島県移住史―通史編―より
(p。636)日本人会は、日本人排斥熱の緩和、さらには日本人の地位向上をその大きな任務としていた。
(p。637) 日本人移民社会では、郷里への愛着に比例する形で同郷人の結合が強かった。。。しかし、同郷人の結合はとかく排他的になりやすく、とくに日本人会の役員選挙では県人会が集票組織となるなど、派閥・党派の温床となったことも否めない。そのため、外務省の評価は「県人会は縷々在留邦人間の軋轢内こうの原因なり」と否定的なものだった。。(ふ〜〜ん、これは知らなかったな。。まだまだ日本国の力が弱くて、移民の動向が国家関係に大きく響くときに(たとえば、移民禁止の条約が結ばれるとか)、国家が移民の日々の生活形態をコントロールしなければならないときの話かな。。。)
日本人内部の差別問題と民族差別とのかかわりについての解明は残された課題である。(日本人なるものは、他者との比較によってしか自らの位置を確かめられないというネガティブな意識を存在の根源に据える人間集団とするならば、差別問題の解明は不要ではないか。なぜなら、解明してしまえばーつまり他者との比較をしなくなったらー、日本人ではなくなるのである。。笑)
(p。638) 移住という個人の生き方の選択にかかわることがらに対し、国策として積極的な奨励策が取られ、大量送出が至上命題とされたところに根本的な問題があったと考えられる。しかも、国費によって移住を奨励することの理由付けとして、過剰人口問題の解消が掲げられたことの問題性も看過できない。(そういう日本が貧しい時代もあったんだ。。。でも、個人の生き方の選択に、国が積極的であれ、消極的であれ顔を出すのが、これまた日本なるものの本質?じゃないの。。。)
(p。639) 移民像をめぐってー従来の移住史研究においては、「棄民論」の立場からの研究が一定の蓄積を見ている。そこでは、苦難の歩みを強いられた移民の姿が明らかにされ、国の移住政策を中心にその責任が告発されている。その場合の責任とは、送出責任と保護責任であろう。。。。こうした「棄民論」の見地からの研究に対し、移民を国家の奨励・保護の対極にある存在、むしろ国家の規制をかいくぐり、富と自由を求めて活動した「国家を超えた存在」として位置づけようとする研究も行われている。。。こうした研究視角は、移民として海外に渡った民衆を能動的存在として位置づけ、移民の主体的活動の意義を重視するものといえる。
(問題は、「(日本)国家を超えた”日本人“」になれるのかどうか、それは国によって許されるのかどうか、許されるとはどういう意味をもつのだろうか、ということだろう。もし一歩間違えたら、の結果は、イラクで人質となった”日本人“に対する国をあげてのバッシングがいい例である。この部分について答えを見出せないのなら、「国家を超えた存在」として位置づけようとする研究なんて、学者のたわごとである。(笑)
(p。640) 出稼ぎ移民と挙家永住型移民、契約移民と自由移民、先進工業国への移民と農業国への移民、移民と植民。。。(個人の生き方の選択に、いろいろな分類がなされてるんだな。。。)
20 移民論、日本人論
1 神戸移民船乗船記念碑
2007年6月、神戸に戻り、大阪で開かれた移民学会に出席しました。「移民」って何、日本人って何、という問題意識を持っていました。
神戸港に移民船乗船記念碑があるというのは前から聞いていて、ぜひ見てみたいと思っていました。それで今回は、自分が抱えていた問題意識に“導かれる”ようにして、神戸港に足を運びました。1995年の大震災を風化させまいと、地震のつめあとがそのまま残された戸外展示の前を通って、海に向かっていくと、確かに記念碑がありました。防波堤の向こうに視線を投げかけている一家3人の像を見たときに、改めて自分が神戸出身であることを実感しました。ずっと昔から、私自身が、須磨海岸の水平線の向こうを眺めて、あの海の向こうへ行けば、また違った人生があるのでは、という思いを抱いて、長年生きてきたような気がしたからです。今の自分の姿は、なるべくしてなった姿ではないか、という思いがします。
手元に、この碑を建てるために募金を募ったときのパンフレットがあります。読むとものすごい違和感があります。そして思ったのです、ああ、この移民船乗船記念碑と私とは全然関係ないなあ、と。だから私は、やっぱり「移民」ではないのでしょうか。。じゃあ、私は何なのでしょうか。
募金募集パンフレットには次のように記されています。
なぜ海外移住者の記念碑?
海外移住者は、多大な苦難を乗り越え、移住先の国に根を下ろして国際化の先陣として、日本との架け橋になり、その国と日本のために立派に働いています。移住先国の発展や日本の国際化に大きな貢献をしている、これが現在の日本人移住者の姿なのです。
このたび、明治末から海外移住者の主流となったブラジルの日系人団体などから「日本の歴史の中に海外で活躍した移住者がいることを歴史上の証として“形”で残してほしい」との強い要望がありました。この移住者の方々の貢献に対し、志を同じくする人々が集まって、その功績を称える顕彰碑を神戸港に建立することを目指しています。
募金のお願い 趣旨
口を開けば「国際化」と言う時代です。その先陣を立派に果たしたのが海外移住者です。この偉業は人の口にあまりのぼらないが、まぎれもない事実です。
言葉、食べ物、環境、習慣、生き方など何をとっても日本と異なる国へ移住して生きることは大変でした。神戸港から船出して全世界に行った移住者の皆さんは、苦難を乗り越えて故郷を思いだしながら懸命に働いて、家族ともども幸せを目指し、日本人の存在感を示しました。これが日本のイメージを外国で高める結果になりました。(中略)
日本人のすばらしさを実証した人たちを肝に銘じて、日本人を考える場を提供するものです。(後略)
神戸と海外移住
海外移住者を顕彰する記念碑を神戸に建立するのは、神戸が戦前戦後を通じて多くの移住者を送り出し、その人たちの「心の故郷」になっているからです。
神戸は1868年の開港以来、世界の窓口としての役割を果たしてきました。国際港都として世界の国ぐにから人・物・情報・文化を迎え入れるとともに、世界に向けて発信しました。
今、全世界に日系人は250万人を超すと推定されています。これらの方々のルーツのほとんどは移住者の方々です。全世界に出ていった100万余のうち約40万人が神戸港から希望を胸に世界へ向けて出発して行きました。(中略)
移住者にとって神戸は「日本最後の都市」として、思い出の中に残っています。
*
誰が書いた文章か知りませんが、臭い文章ですねえ。気分が悪くなるぐらい、臭い。臭くて、臭くて、気が狂いそう。。。(笑)
国際化の先陣、日本との架け橋、その国と日本のために、移住先国の発展や日本の国際化に大きな貢献をしている、偉業、故郷を思いだしながら、日本人の存在感を示す、日本のイメージを外国で高める、日本人のすばらしさを実証、「心の故郷」、移住者にとって神戸は「日本最後の都市」として、思い出の中に残っています。
1 太字の部分に共通して流れているのは、まず「官製」の“日本”“日本人”賛美と言ってもいいのではないでしょうか。こういう言葉を並べてみると、「国」が人間をコントロールしている、いや人間というよりは、国民は「国」のために働かねばならない、働かせるのが「国」の役割なのだ、という感覚が満ち溢れています。ああ、いやだ。。。
でも、そうか。となると、移民の定義とはまず、国の外で「国」のために働く人、ということなのでしょうか。となると、私は「移民」ではないなあ。。少なくとも日本から見ると。。
しかし、ホスト国―私の場合はアメリカですがーから見ると、私はまぎれもなく「移民」です。どうして、移民の出自国とホスト国で、「移民」の定義が違うのでしょうか。
アメリカは誰でも入ってくる人間を「移民」とするが、出自国の日本では、日本に入国する人間を「移民」と呼ぶでしょうか。外国人労働者とは聞いたことがありますが、「移民」とは聞いたことがありません。
日本語では、「移民」とは、まず日本を離れた日本人をさすようなのですが、同じように日本を離れた日本人の中でも、「移民」と呼ぶ人間群と呼ばない人間群があるようです。とりあえず、国のために働くのが「移民」、私のように国とは関係なく、個人的理由で離れたのは「移民」ではない???
まず必要なのは、「移民」の定義でしょう。そして、もしかしたら、この「移民」の定義が、日本人が考えるものとホスト国−たとえばアメリカーが考えるものと差異があるかもしれないところに、日本語でいうところの「国際化」の問題がひそんでいるような気がします。
では次に、「国際化」とは何なのでしょうか。
2 このパンフレットの中で、唯一、私がうなづき、居心地がよかったのが、口を開けば「国際化」と言う時代、の部分です。確かにその通りです。「国際化」という言葉が気軽に使われるようになって、もう30年ぐらい経ったのではないでしょうか。でも、どれだけの人が、この「国際化」という言葉をきっちりと定義できるでしょうか。気軽に使って、かつ誰も疑問を呈しないからこそ、この国際化という言葉にトリックがあるのでは、という疑問をいつも私は持ってきました。
たぶん、神戸に生まれ育ち、「国際」が日常的な、個人的なことだったからこそ、よけいに「国際」に敏感に反応するのかも知れない。だからこそ、「国際化」とは何、という疑問があるし、それが官製のものとして、国が国民をコントロールし、国のために働かせる道具として扱うことを正当化させるものとして顔を出すのなら、ものすごい嫌悪感に襲われる理由かも知れない。そのあたりが、国際化の先陣、日本との架け橋、その国と日本のために、といった言葉に対する違和感・嫌悪感の源でしょうか。
「国際化」。。。。。の先陣を立派に果たしたのが海外移住者です。この偉業を。。。
国際化の先陣を切ったのが「偉業」だそうです。「偉業」とされる「国際化」って何なのでしょうか。とりわけ、「日本の国際化」に大きな貢献という言葉がありますが、「国の国際化」とは何でしょうか。
3、海外で国のために働く日本人が移民で、移民の偉業は「国の国際化」に貢献することーつまり日本人の存在感、日本のイメージを外国で高める、日本人のすばらしさを実証することーああ、それが「国際化」? それで、ノーベル賞をもらった大江健三郎は、日本人の存在感を外国で示し、日本のイメージを外国で高めたからと、「国際化」に貢献したからと文化勲章をあげようとしたわけ。。アメリカの大リーグで活躍する日本人野球選手も、日本人のすばらしさを実証して、「国際化」に貢献したからと、国民栄誉賞をあげようと考えるわけ。。。
では、外国に向かって“日本人”の存在感を示すとはどういうことなのでしょうか。外国人に勝つことでしょうか。それとも、日本国が、日本人が“プラス”と考えることで、日本人の存在感を示すこと??誰にとっての“プラス”??? もちろん日本“国”??
1) 問題意識の一つは、存在感、イメージといった抽象的な言葉が並ぶことです。 要するに、美辞麗 句は並べるけれど、中身からっぽ、ムード先行という日本人メンタリティが見え隠れしているように感じられます。具体的な評価対象の業績内容をあげようとはしないーそれは問題ではないでしょうか。
2)
たとえば、イラクで人質になって、全国からバッシングを受けた日本人はどうなのでしょうか。この日本人たちの行為は、日本の外から見ると、賞賛?されたのでしょうか、少なくとも、決して日本全国からいっせいに非難を受けねばならない事柄ではなかったのではないか。外から見ると立派な?行為に見えても、日本から見ると、「お上に迷惑をかけた」恥ずかしい行為となって、バッシングを受ける。
今だに「三馬鹿」という言葉がインターネット上で流れていました。ということは、 日本国が考える「国際化」というのは、国に迷惑をかけることなく、外国に向かって“日本人”の存在を示すということになります。
そういう「国際化」という言葉の定義は、「移民」の定義と全く同じで、日本から外へと向かう、というか、日本に還流することを前提として、外に向かう方向性しか持たない、非常に一方的なひとりよがりのものなのではないでしょうか。それが「国際化」なのでしょうか。 なにやらこれが、日本が絶対に「国際化」できない要因のひとつではないのだろうか、と思うのです。
個人的理由で日本を離れた日本人は移民ではない、国に迷惑をかけることもなく、国のために働いてもいないーつまり海外で有名になることもなく、日々平凡に生活している日本人は、「国際化」にも貢献していないことになる??じゃあ、そういう日本人は何?? やっぱり「棄民」??
2)
国に迷惑をかける、とはどういうことでしょうか。ここで問われるのは、国と国民の関係です。
アメリカにいると、あくまでも国を見張るのが国民であり、国は国民の足元にある、という感覚があります。ところが日本では。。国のほうが国民より上? なぜ? 国民がいなかったら国は成り立たないのに。。
昔、政治学をかじったときに、国の成立条件は、領土、人間、そしてこれらを動かすシステムー要するに政府となるものーが必要と読んだような気がします。国に迷惑をかけるとは、政府に迷惑をかけるということ? でも、政府を作る・選ぶのは人間なのであり、政府を交代させるのも人間。。人間のほうが、政府より上なのではないのでしょうか。それなのに。。政府ではなく「国」という言葉を使い、「国」という抽象的な実体のない化け物に、過大な権威を与えてしまっているのは、1)であげた、具象ではなく、イメージ、ムードを先行させる国民性による?
そこには、“私”という個人に対する客観的な距離感、存在を認めようとする包括的な視座、立脚点がまったく感じられません。それなのにムード先行の国民性が、「国」の祭りあげをさらに強固にしているような気がします。
「国」は、国民が「私」という人間の存在感をなくすまで、べたっと国民に張り付かねばならないものなのでしょうか。「私」以前に「日本人」というアイデンティティがなければならないぞ、みたいな感じなのでしょうか。
4 外国に向かって、日本人の存在感を示すことが「国際化」だそうですが、外国のどこに向けて存在感を示すかも、大きな問題だと思います。
移民学会で、大学の先生から聞いた言葉があります。コミュニティがなかったら移民ではない、コスモポリタンは移民ではない、という言葉です。コスモポリタンは移民ではない、というのは、社会学者の友達から聞いていたので、それほど驚きませんでした。ただ、なぜ、という疑問はずっと付きまとっています。というのは、先に書いたとおり、ホスト国から見ると、日本人村にどっぷりつかり、アメリカ人とはコンタクトがなくても、村から離れた一匹狼でも、同じ「移民」には違いないわけですから。
社会学者の分析は、やはり社会階級意識にもとづくものでした。つまり、教育も経済力もない人は、サバイバルのためには日本人村を作って、生活せざるを得ない。そういう人間の集まりを日本在住の日本人たちは「移民」と見たがるのではないか。ところが、ホスト国の言語、たとえば英語ができて、日本人村に依存しなくても生きていける人間は、日本在住の人間の「移民」の定義―つまり教育もなく経済力もない“哀れな”労働者階級の人間―にはあてはまらない、わけです。だから、コミュニティがなかったら、というより、コミュニティをつくろうとしない日本人は「移民」ではない、ということになるのでしょう。
では、ここで矛盾がはっきりと見えてきます。移民船乗船記念碑は、「移民」を記念するものですから、日本人・日本語コミュニティを作って生活した人たちのことです。で、この日本人・日本語コミュニティを作ることが、日本人の存在感を示したことになるのか、という疑問です。日本人・日本語コミュニティなんて、ホスト国の全体から見ると、小さな小さなエスニックコミュニティにすぎません。でも、それが「国際化」なのですか。矛盾していないでしょうか。
移民学会の先生方は、「そうだ」と答えられるかもしれません。戦前の台湾で「日本人村」を作った人々の研究をされてる先生の発表で、台湾に移住し、日本人村を作ることを、日本国家の発展のためと謳ったことを知りました。
アメリカに「移民」した私から見ると、日本人・日本語コミュニティ村を作ることが日本国家の発展だとはとうてい思えません。でも、日本の日本人にとってはそうなんだとしたら、国家の発展とは、海外に作られる日本人村を拠点にして行われるもの、かつ、日本人村では「日本人らしさ」「日本文化」が温存されねばならない、とされねばならないのではないか。そして、それが「国際化」なら、日本国家の発展とは、「日本」を海外に拡大するものであり、(島国としては、具体的な領土を拡大するわけにはいかないからーそれが先の戦争だったわけですからー)、ムード先行、イメージ先行の架空の「日本領土」を海外に見出そうとするものなのではないか。日本領土拡大ムード・イメージが「国際化」なのでしょうか。それが哀しくも「島国」国家が考える「国際化」ということなのでしょうか。
とにもかくにも、今回、感じられたのは、従来から考えられてきた「移民」という言葉に潜む、日本社会で食べていけず放出された「棄民」意識以外に、改めて「移民」の歴史とは国家主導で行われてきた歴史なんだ、、という新しい実感です。だから、神戸港に「日本の歴史の中に海外で活躍した移住者がいることを歴史上の証として“形”で残してほしい」との強い要望があって、記念碑が作られることになるわけですね。私なんか、どう逆立ちしても、私がアメリカに“移住”したことを“形”で残してほしい、なんて思わないもんなあ。。。つまり、集団で「移民」した人の意識の中には、お上に「移民させられた」「お上の言うことに従った」みたいな気持ちがあるというわけでしょうか。
「移民させた」みたいな罪悪感があるから、お上もうまく下手に出て、もちあげようとして、移民の偉業だの、故郷を思いだしながら、日本人の存在感を示した、日本のイメージを外国で高める結果をもたらしただの、日本人のすばらしさを実証した、「心の故郷」といった言葉を並べるのでしょうか。
要するに「移民」とは、集団で日本を離れ、それも国によって「離れさせられ」、ホスト国では日本人・日本語村を作り、日本国の海外発展―ムード・イメージ的領土拡大―に貢献しーつまり、村の中では伝統的日本人らしさ、日本文化を守る人のことかなあ。そして、それが「国際化」―伝統的日本文化・日本人の存在感を海外で示すことなのかなあ。
小さな島国根性の「国際化」だなあ。。要するに、ホスト国での主流コミュニティへの挑戦は、「国際化」には入ってこないわけだ。野球選手のように才能があふれていない、普通の人の挑戦は「国際化」とはみなされないのではないか。
で、私は考えます。それは間違っていると。普通の人の挑戦こそ「国際化」とみなされ、応援されるべきものだと思います。
それにしても、海外での日本国発展の拠点が、日本文化が温存されねばならないとされる日本人村にあるとしたら、そしてその村の構成員が「移民」とされるのなら、移民は「日本人らしい」人でなければならないわけです。。となると、日本を離れる時点で、すでに「移民」か否かは決まっているのではないか。つまり、私のように、日本を離れる前から、日本社会の外にいた人間は、決して「移民」にはなれないことになる。
で、移民学会の先生方が、科学として移民問題を研究される場合、数が必要になってくるとなると、やはり戦前に、集団で海の向こうに渡った「日本人らしい」人を対象にせざるをえないという意味でしょうか??? だから、一匹狼のコスモポリタンは、学者世界では「移民」とは見なされない? 研究対象になりえないから??? で、ほんとに「国際化」した人間は無視されるの??おかしいです。
そしてもう一度、私って何? どこへ行こうとしているのでしょうか。
Asianimprovさんより、下記のご意見をいただきました。ありがとうございます。ご意見には、移民への「心」と同時に、研究者としての客観的な視点とがバランスよくとられていて、私のぐちゃぐちゃな頭がすっきりする思いがします。感謝です。
1 まずこの「移民船乗船記念碑」の彫像は綺麗すぎますね。当時の写真によると、「写真結婚」した女性たちは着物姿で乗船したはずです。普通の渡航者も、なけなしのお金をはたいて渡航費用を捻出した。移民宿にも手数料を払った。総体的に貧しかったのです。ですから、モダンな神戸とはいえ、こんな洒落た洋服が着れた渡航者は多くはなかったと思います。横浜の移民資料館に展示されている移民トランクなど、粗末なものです。この彫像は、当時の移民をイメージした作品としてはペケです。美化しすぎている。
2 多佳子さんが怒られた通り、パンフレットに書かれた「移民像」は噴飯もので、国が、かつて移住者を騙したことに対しての贖罪をしているようにも読めます。移住者を理想化し、「国のために偉大な功績を残した人々」として祭り上げる。馬鹿馬鹿しいことです。移民のほとんどは一攫千金を狙った出稼ぎでした。「国際化」などというのは後で考えた理屈です。リアリティーがありません。
3 私が思うに、このパンフレットの言説は、現在勧められている、世界中の日系人を「ホスト国と日本の架け橋としての役割を担う存在」として位置づける運動(世界日系人大会などを運営している人たちやディスカバー・ニッケイのサイトもそう。背景には日本政府や日本財団(笹川財団)がついている)や立場とよく似ています。僕はこの「日系人架け橋論」が語られる度に強い嫌悪感を覚える(臭い!)ので、多佳子さんの感じる違和感も共有できます。自分たちが外国と上手につきあえないから、移民したひとたちに「架け橋になれ」と要求するなんて、こんな卑怯な態度はないですよ。私のブログでもこの問題を取り上げましたけど、日本政府は、先の戦争の前に、日系二世を政治的に利用しようとして失敗しました。それに懲りずに、今も、日系人を利用しようとしている。LAの日系人博物館の館長アイリーン・ヒラノは「日系人は米日の架け橋になる特別な存在だ」と朝日新聞に応えたそうな。これにはさすがに日系人のなかでも異論が出て「日米タイムス」紙上で論争になりました。シアトルのチズ・オーモリさんなど、「私たちがいくら寿司が好きで日本の文化を愛そうとも、私たちはアメリカ人です」と言い切っている。ところが、日本の右翼国家主義者は「マイク・ホンダ議員は日系人のくせに慰安婦問題で日本を非難するのはけしからん」と、そんなレベルです。(苦笑)程度が低い。ホンダ議員の慰安婦理解が正しいか間違っているかは別として、ホンダ氏はアメリカ人なんですから。特に、選挙民の支持を受けないと生き残れない議員さんなのですから、反日的なアジア系アメリカ人の要求を受け入れるのも議員としてのお仕事のひとつなのです。ホンダ議員の行動については、地元の日系人も、同じ民主党のイノウエ上院議員でさえ批判していますが、ホンダ議員の経験(収容所など)やアメリカ人の「人権意識」を考慮すれば、大騒ぎすることはないと思います。
4 海外から日本にやってくる外国人を「移民」とは呼ばず「外国人労働者」として扱うのは、日本人に移民を迎える意識が薄いのと、日本に法的整備がされていないからだと思います。たとえば、ブラジルから日系人に交付されるビザでやってきた「外国人労働者」が日本に「長期滞在」し、やがて子供ができて、「定住」を選ぶ。それでも彼らは「移民」とは呼ばれませんね。せいぜい「移住者」ではないでしょうか。日本は、海外から大量の外国人が定住目的で移住してくるということを最初から想定していない不思議な先進国です。GDP世界第二位でも難民は受け入れないし、途上国からの労働者に対して投げかけられる視線は冷たい。英会話学校の白人教師にはニコニコ対応するのにね。日本から出て行く日本人には「移民」というコトバを使うのに対し、日本にやってくる外国人を事務的に「外国人労働者」と呼ぶこの欺瞞。多佳子さんの違和感は的を射ています。こういう態度に対する批判として「共生」の運動がありますが、一般的にはまだまだ浸透しているとはいえません。
5 「国際化」についての議論に戻りますが、これも多佳子さんの意見に賛成です。補足説明しますと、「国際化」は英語ではInternationalizationですが、インターナショナルとは、つまり、国と国との間をつなぐという意味なのです。移民研究や社会学の対象としての移民社会と日本という問題設定をすると、インターナショナルになりますが、さすがにこれでは現在の極めて流動的で、超国家的な人間や企業や経済の動きを捉えることが出来ないので、いま流行っている概念がTransnationalです。特定の国と国の間ではなく、多文化を軽々と越えていく、コスモポリタン的な高い流動性を持つ人間として「移民」を捉え直す場合、トランスナショナルという用語がよく使われます。コトバの遊びのような感じもしますが、学問というのは如何に新しいコトバを発明するかですからね。(笑)「デイ多佳子はインターナショナルではなく、トランスナショナルな存在である」と書けば、なんかカッコイイでしょう?(笑)「移民」というコトバが表す「イメージ」も時代により変化していると思います。
6 話が拡散しますが、移民研究の場合、どうしても「社会集団」が対象になります。個として生きる人間の姿を追いかけるのは不得手です。そこで、今流行っているのが「質的研究」という、インタビュー(聞き取り調査)を方法論とする研究方法です。計量的に分析するのではなく、研究対象の人々の声を丁寧に記録し、その人生(ライフ・ヒストリーとかライフ・ストーリーとか呼ばれています)を再構成し、心理的社会的意味づけを行うという、ジャーナリスティックな方法です。但し、私の知る限り、本職のジャーナリストが書いたルポルタージュに迫るような面白い研究は少ないし、聞き取り調査はできても、単なる資料として残るだけという場合も多いようです。
7 「国際化」に戻りますが、ホスト国で「日本町」を形成するのは、生きていくために必要なことですから、それは自然なことですが、それはあくまでも「手段」であって、「目的」ではないはずです。「日本の存在感を示すため」に町を形成したのではない。厳しい差別から自分たちを守るため、安全な生活を送るため、仕事のため、福祉のため、経済活動のため、宗教活動のため、教育のために日本町が作られたのです。極めて実利的な理由です。日本人町や日系社会は、後からビジネス目的で訪れる日本人商社マンの商売がうまくいくために存在するのではない。ところが、先述の「架け橋論」だと、このあたりが曖昧で、日系人が「日本と米国」あるいは「日本とブラジル」の「架け橋になる」ということが、国家としての両国にとってどういう意味を持つのかは問われていません。それが「経済」なのか「文化交流」なのか「政治」なのかという問いかけもせずに、曖昧なままに、「日系人の在るべき姿」として「架け橋論」がさも当然のように語られるのには驚きます。多佳子さんが「臭い!」と喝破したパンフレットの思想こそ「架け橋論」なのです。移民を国の道具にするな!
8 これは、「移民」というコトバに秘められた様々な、そして重層的な意味に迫るもので、この問題意識から、いろいろ考えることが出来そうな気がします。また、「カタチにして残してほしい」と願う心性と「逆立ちしたってそんなことは思わない」という心性の違いはどこから来るのか、という部分も興味深い。これは、エスニック集団主義と一匹狼的コスモポリタンの違いというだけではなく、もっと本質的な問題を含んでいると考えます。基本的な「人間観」の差異というのか・・
9 最後に、「日本人らしい日本人」と「日本人らしくない日本人」というふうに論議が進み、「私って何?どこへ行こうとしているの?」となりますけれど、多佳子さんは、「根無し草」という意味でのコスモポリタンではないように見えます。自立した個人。共同体の論理に拘泥しない、集団のために個を犠牲にしたくない生き方をしておられる。拠点を構築されている。面白いのは、多佳子さんのサイトでは、日本語が使用され、長く暮らしている国であるアメリカ論より、日本人論や日本社会論、文化論、政治論が多く語られていることです。また「大女」論のように、こだわる時には徹底してこだわるという徹底した異議申し立ても、「水に流す」ことの多い日本人には珍しいです。
多佳子さんの生活の場は、保守的なことで知られる米国中西部ではあるけれども、多佳子さんの立ち位置は、米国と日本の間にピーンと張られたタイトロープの上にある。そこで、上下左右に揺れながらも、おそるおそる足を延ばして歩を進めておられる。時々危なっかしく見えるけれども、デイ多佳子は綱渡りを続ける。この弛緩した日本に居てはなかなか出来ないことです。多佳子さんがどこへ行こうとしているのかは私にはわかりませんけれど、「デイ多佳子が歩いているのは、下にセーフティー・ネットのないタイトロープの上である」というのを結論にします。
ありがとうございます。
私が一番“こたえる”部分は、やはり日本語が使用され、長く暮らしている国であるアメリカ論より、日本人論や日本社会論、文化論、政治論が多く語られているというところですね。日本が嫌いなら、もう日本のことを考えなければいいじゃないか、日本語なんか話さなければいいじゃないか、という意見は出てくると思います。言葉と食事―私の「日本の兵隊を撃つことはできない」でも書きましたが、身体的記憶はどうしても消せません。もし日本語を母語するのが日本人ということなら、私はどうしても日本人ですね。で、日本人なら日本のことをほめることしかできないのですか、と問い返すことはできると思います。で、私の娘のように、一応半分日本人の血が入ってて、日本国籍をもっているけれど、日本語はほとんど分からないというのは、日本人なのか??という問いも持ってます。一体日本人って何、私は何?、私は娘に何をしたの、という問いにつながってます。
*
2 移民論続き
1 日本の政治家が海外に出たとき
07年8月22日付北米毎日新聞より
1) 安部首相と夫人は、インドネシア訪問の最終行事として、同国独立戦争に参加した残留元日本兵などが埋葬されているカリバタ英雄墓地を訪れ、慰霊碑に献花した。首相夫妻はまた、元日本兵の1人の墓にも祈りを捧げた。。(中略)夫人は目に涙を浮かべ、首相は「長い間、ごくろうさまでした」との言葉を述べたという。。。(中略) 同墓地に訪れた歴代の首相で、個別に元日本兵の墓にも黙祷したのは安部首相が初めてだという。同墓地には、第二次世界大戦後に始まったインドネシア独立戦争に参加したインドネシア人兵士数百人以上が埋葬されているほか、元日本兵27人も葬られている。
素朴な疑問 1 第二次世界大戦後に始まったインドネシア独立戦争って何かな。勉強しなくちゃ。それは、日本の敗戦により、日本の植民地支配から解放されたあとの話?? そうじゃないと、残留元とはならないよな。。
2 「長い間、ごくろうさま」の意味は??
2) ブラジル訪問中の麻生太郎外相。サンパウロ市で日系人団体代表と懇談し、ブラジル移民の労苦をねぎらった。その上で「日本と中南米はアジアと違ってとげとげしことがない」と指摘。日系人らがはぐくんだ「善意の含み資産」を生かした中南米との関係強化を訴えた。また日本とブラジルはそれぞれの国民が思う以上に大国となっており、さまざまな場面で協力できる」と述べ、来年の日本人移民100周年を機に両国関係が新時代を迎えるとの認識を示した。一方、漫画好きとして知られる同外相は、アニメや漫画、テレビゲームがブラジルの若者にも人気があると紹介し、「伝統、歴史を大事にしながらも新しいものを入れることが重要」と強調。文化などソフト面の輸出の重要性を訴えた。
3) ブラジルに移民した静岡県出身者らでつくる「ブラジル静岡県人会」の創立50周年記念式典が19日、当地(サンパウロ)で開催された。静岡県から訪問団長として出席した石川嘉延知事は、「日本人移住者の方々の筆舌に尽くしがたい苦労、努力が実り、ブラジルの発展に多大な貢献をし、大変な信用を獲得したことを静岡県人として大変誇りに感じる」と挨拶し、移民らの長年にわたる労をねぎらった。式典には、移民一世を中心に、約400人が参加。。。(中略)ブラジル生まれの若い世代の県人会離れが進んでいることから、組織の将来に懸念を示した。訪問団には、知事のほか、県議会議長や。。。ブラジル人居住者の多い県内自治体の首長、経済団体代表など総勢約20人が参加しており。。。。「移民の父」と呼ばれ、移住地建設に尽力した県出身の平野運平氏の墓参りをするほか。。。(後略)
素朴な疑問 3 ホスト国によっても、移民への理解・態度?が違うはず。移民をねぎらうとしたらそれは、日本より“遅れている”と思われた国、たとえばブラジルーへの移民は、どこか“日本人”としての優越感をしのばせて、やっぱり筆舌に尽くしがたい苦労をしたでしょう、ごくろうさま、でしたね、となるよね。そしてもちろんホスト国の発展に貢献した、と。実際、日本人移民は貢献したのです。
一方、日本より“進んでいた”国―たとえばアメリカへの移民は、苦労したでしょう、とは言うだろうけれど、日本人のやっかみ・ひがみ根性(笑)をもってすれば、アメリカ国の発展に貢献しましたね、と言えるだろうか。言えないね、たぶん。もちろん、戦前は農業分野で日本人はものすごく貢献したわけだけれど、アメリカ国の発展に貢献したとねぎらわれたなんて、あんまり聞いたことがない。それよりも、戦前のカリフォルニア史における日本人移民の歴史なんて、なんで「アメリカ人に嫌われたか」の分析に多くを費やされてきたような気がする。日本政府自身が、日本人移民は汚いことをするから困る、みたいな通達を出していたはずである。これって、国力の差から来る劣等感がからんできてるだろうし、もちろん戦争の有無も要因の一つだろうなあ。。現代の感覚でいくと、アメリカ国の発展に貢献するとは、すなわちアメリカの多民族社会でそれなりの存在感を示すことだと思うけれど、とかく「日本人村」を出た日本人に対しては、やっかみが先に立つのか、無視しがち、というのが現実だもんね。移民を称えるときの大義名分、ホスト国への貢献をどう見るかは、日本とホスト国との力関係・国力の差とか戦争の有無が大きく関係しているに違いない。
4 それにしても県人会まで登場して、県人として誇りに思うですか。。う〜〜〜ん、ものすごくがんじがらめになるんだな、という気持ちにはなるけれど、日本人として誇りに思う、と言われるよりは、たとえば私なら、神戸人として誇りに思う、なんていわれたらうれしいかな。。言われることはないけど。。(笑) 国といった抽象的観念より、神戸といった自分が時間を過ごした土地への思いは、地に足がついた帰属感があるからね。。
4)となると、こういう日本人はどうなるのか。中森翔 米代表代替選手に 体操世界選手権 9月1日―9日ドイツで開催
中森選手は名前からしても、顔からしても、どうやら日本人の血をもっているようだが(父親も体操選手だったそうな)、スタンフォード大学に所属して、米代表代替選手だから、もう法的にはアメリカ人なんだろうなあ。。こういう人は、日本国から見るとどうなるの。アメリカ国の発展に貢献した、となるの???
そうなんだよな、日系人の表彰理由を見ていても、アメリカ国の発展に貢献したとは言わない、むしろアメリカにおける日本人の地位向上に貢献した、という。。でもブラジルでは、素直にブラジル国の発展に貢献したと言える。。つまり、ブラジル多民族社会では、日本人は一番優秀でトップ、といった気持ちがあるからじゃないの。このあたりの駆け引きは、移民は、日本という国の劣等感・優越感に付き合わされる?? いやだね。。そうなると、わたしゃ日本とは関係ないよ、と言いたくなる。。(笑)
2 移民学の学者論文から
小嶋茂 「北米タイコの新時代―第二世代の登場と新しいコミュニティの広がり」 研究紀要 2006年3月、第1号
小嶋氏は、数多く誕生している北米タイコグループの特徴を、コミュテニィ意識や帰属感、親和感を大切にしていること、そして分かち合いであるとし、これを、和を尊ぶと同時に、互いの差異を認め受け入れながらいっしょにやっていくという集団主義、個別性を認めた上での集団主義、日本的な和の精神とアメリカ的なデモクラシーを絶妙に調和させたような、大変心地よい集団である、とする。和太鼓との違いは、タイコを巡るその集団における関係性、人間関係にある、とのこと。(62ページ)
それでは、和太鼓を巡る集団における人間関係はどんななのですか、と小嶋氏に問い合わせたが、自分で勉強してください、と突き放されてしまった。。(悲笑) しかし、少なくとも、和太鼓にはない関係性、人間関係が北米タイコにはあるとのこと。それは、論文の中で述べられている言葉を使うと、「北米タイコ・コミュニティでは、みんなが知識やテクニックを分かち合い、共有し、コミュニケートするから」だと答え、そこが日本の太鼓の状況とは異なる、(65ページ)という。
何か違和感を覚えたのは、筆者が「コミュニティ」という言葉に何の疑問も呈さず、かつ定義をすることなく多用していることだ。
(65ページ) 北米タイコ・コミュニティのタイコや踊りに、新世界における新しいかたちのコミュニティの進展、広がりの可能性を感じとる人々、そして魅了される人々が増えていることは間違いないであろう。とくに、その分ちあい共有していく姿勢は、 北米タイコ・コミュニティの原点であるが、この運動が日系人の中から生まれ広がってきたものであることに注目したい。これはタイコ第一世代が自分たちの置かれた生活環境や日本文化の中から模索して築きあげてきたものであるが、それはまさに日本人初期移住者社会の姿、さらにはかつての日本社会におけるコミュニティの原型ではなかっただろうか。(中略) 日本における和太鼓の歴史については、。。(中略)民俗行事や祭りの場における太鼓の役割および地域の伝統文化を守るものとしての機能が指摘されている。。。(中略)和太鼓を巡るその場が、北米におけるようなコミュニティ意識やわかちあいといった関係性を築いているかは不透明である。コミュニティ意識の崩壊が急速に進んでいる日本で、その防波堤としての役目をタイコに期待するのは短絡的であろうか。(中略)われわれ日本人にとっても、日本文化の伝統とは何かを問い直すとともに、自分たちが受け継ぐべきものは何かを再考する貴重な機会を提供してくれている。
筆者の最後の問いかけー日本文化の伝統とは何かを問い直すとともに、自分たちが受け継ぐべきものは何かーを私自身も模索しているわけで、興味深く読んだ。ただ読後感は、やっぱり日本から見た視点で、日本の伝統文化である太鼓が海外で「発展」していることを自賛しているだけだな、という感触をもった。コミュニティ意識の崩壊が急速に進んでいる日本で、その防波堤としての役目をタイコに期待するのは短絡的であろうか、との筆者の問いかけには、私はあっさりと答えよう。はい、短絡的です。なぜならば、コミュニティが違うからである。筆者は、アメリカの「コミュニティ」も日本の地域も、単に「コミュニティ」と表現するだけだが、アメリカと日本ではコミュニティの性格、仕組みがぜんぜん違う。その点を考慮することなく、ただタイコが、新しくコミュニティを作る役割を担える、担っていると考えるのはあまりにも甘すぎるのではないか。
アメリカで「コミュニティ」といえば、そこには、くるものは絶対に拒まず、拒めないの精神である。自分が嫌いな人でもノーとは言えない。日本のコミュニティ?って何? その中に入れてもらいたいと思えば、メンバーの人に認められ、かつ嫌われないように努力しなければーつまり時には自分を押し殺さねばならない非常に閉鎖的な「内」の世界ではないのか。
私が移民学会の発表で聞いた言葉―日系ブラジル人は、日本生活が長くなればなるほど、日本語ができるようになればなるほど、日本に対して不満が多くなるというのは、それは、日本語がわかるようになればなるほど、日本社会がいかに外国人に対して閉鎖的なところかがわかるから、ということである。日本語ができるようになったからこそ、入れてもらえない、というのがわかるのである。
その反対にアメリカはー私自身の発表でも言ったことだがー、英語ができるようになればなるだけ、アメリカが居心地よくなる。必ず受け入れてもらえるからである。あるコミュニティのメンバーであるとは、You are always welcome
but I don’t need to like you.と言われる、つまりあなたはいつも歓迎されてますよ、でもメンバーだからといって、私個人があなたのことを好きになる必要はない、とはっきり言い、言われる世界である。そういう風通しのいい、外に向かおうとするコミュニティと、かつて日本の太鼓が守っていただろう閉鎖的な内向きの地域文化とはまったく性格が違う。そのあたりへの視点が、論文にはまったく欠けているように感じられる。
だから、「北米タイコ・コミュニティのタイコや踊りに、新世界における新しいかたちのコミュニティの進展、広がりの可能性を感じとる人々、そして魅了される人々が増えていることは間違いないであろう。とくに、その分ちあい共有していく姿勢は、 北米タイコ・コミュニティの原点であるが、この運動が日系人の中から生まれ広がってきたものであることに注目したい。これはタイコ第一世代が自分たちの置かれた生活環境や日本文化の中から模索して築きあげてきたものであるが、それはまさに日本人初期移住者社会の姿、さらにはかつての日本社会におけるコミュニティの原型ではなかっただろうか」という一段落は、完全に的はずれの指摘となる。
「新世界における新しいかたちのコミュニティの進展、広がり」とは何だろう。「分ちあい共有していく」北米タイコ・コミュニティの原点とやらは、アメリカの多文化社会では当然のことである。それがなかったらアメリカでは活動できないし、淘汰されてしまう。太鼓は日本の伝統文化だから、確かにタイコ運動?は日系人から生まれただろうし、そのことを特別なことのように注目したくなるかもしれない。しかし、そんな賞賛は、閉鎖的な、単一民族幻想をもつ日本に住んでいるからである。アメリカに住んでいる者から見れば、そんな賞賛はまったく意味がない。ましてや、日本人初期移住者社会の姿、さらにはかつての日本社会におけるコミュニティの原型ではなかっただろうか、なんてとんでもない誤謬である。
日本人初期移住者社会は、日本語人が集まったコミュニティだったはずだ。そんな閉鎖的な世界を、英語人の若い人たちが生きる、筆者が称える「新しいかたちのコミュニティ」の原型と考えるなんて、アメリカという社会をまったく知らない、ということになる。筆者は、太鼓という日本文化のあるひとつのアイテムを賞賛するあまりに、アメリカという多文化社会の枠組みの中でタイコを捉えなおす視点を完全に失ってしまっているのではないか。
私の理解では、北米タイココミュニティは、たぶんアメリカという国の縮図にすぎないのだと思う。メンバーにはいろんな人種、年代の人がいるに違いない。だけど、タイコを楽しむという共通目的をもって、みんながわいわいとやっているだけなのではないだろうか。その精神を、「より大きなコミュニティに関連して、いかに互いにコミュニケートし、分かち合い」(65ページ)と、タイココミュニティのリーダーの言葉が論文の中で紹介されているが、リーダーの言葉は、タイココミュニティというサブコミュニティとより大きな主流白人社会との関係性を見すえる言葉であり、その視座はあくまでもアメリカの多民族社会にある。それは、在日日本人が賞賛したがる「日本的な和の精神」とやら、「集団主義」と呼ぶものでは決してないと私は考える。「日本的な和の精神」のゆがんだ形、精神風土が、現代日本の陰湿ないじめ社会につながっているのならなおさらである。
私自身の問題提起としては、いったいタイコの中の何が、アメリカ人をそこまでひきつけるのかを知りたいものだ。もし、タイコもしくは太鼓に、日本におけるコミュニティ再生の力があるとするならば、タイコの中に普遍的な魅力としてひそんでいるものに答えがあるのではないだろうか、と思うからである。そして、アメリカという多様な人間とその文化が集まってできている国、社会を一つにまとめ得るのは共通目的の存在であることを忘れてはならないだろう。それは、アメリカにおけるタイココミュニティを論じるにしろ、むずかしい社会・政治史を語るのであれ、変わらないはずだ。
多民族・多文化社会で人々が共有する共通目的への視点は、この論文では「壁を乗り越え揺り動かす有機的な力があり、単なる楽しみではなく、他の人々やコミュニティにも影響を与えうる」(64ページ)というリーダーの言葉に表れていると私は思う。筆者はどうやら見逃したようだが。。
日系ブラジル人が日本語ができるようになればなるほど、壁を感じ、阻害されてしまう日本社会に目的ってあるのだろうか。筆者が太鼓に託したいコミュニティ再生には、社会を構成する人々が共有し、合意を得て、ともに向かっていこうとするコミュニティの目的がまず必要なのではないだろうか。
日米のコミュニティの差異を考慮することなく、太鼓・タイコというアイテムのみを共通項に、「海外発展」を論じるのは、一種の文化ナショナリズムと呼ぶべきものなのだろうか。
ニッケイアメリカ人の和太鼓(タイコ音楽)は、「鼓童」などから影響を受けたもので、日本の「オーセンティックな伝統音楽」とは関係がないのです。しかし、鬼太鼓座や鼓童が1970年代に始めた新しい様式が「日本の伝統」として、北米や南米で再生産されているところが興味深い。
アジアからの移民が米国にもちこみ、アジア系アメリカ人以外にも伝播して定着した3種類の音楽として、寺田先生(民族学博物館)は、「タイコ音楽」「ガムラン音楽」(インドネシア)、「クリンタン音楽」(フィリピン)をあげておられます。
タイコ音楽(カタカナ表記)は、日本の「和太鼓の伝統」と一旦切れたことにより、若い日系アメリカ人に「自分たちのルーツ音楽であり、同時に自分たちが創造できる音楽」として受け入れられた。そして、実際に自分たちの米国流の方法で育てあげ、別のフォームにしてしまった。ここに注目すべきです。もし和太鼓の世界が「家元制度」でがんじがらめになっていたら、ここまで普及はしなかったでしょう。この意味で、サンノゼタイコとロサンゼルスのキンナラタイコの果たした役割は大きい。
また、サンフランシスコ道場も、毀誉褒貶はありながらも重要な役割を果たしていた。サンフランシスコ道場では、タイコを叩くときに笑わないですよね。(笑)サンノゼタイコは、ニコニコしながら叩いている。まるでチアー・リーディング大会みたい。(笑)サンフランシスコ道場のスパルタ訓練と独裁体制をやめていった三世たちが、サンノゼタイコを結成し、民主的な運営と自由で派手なパーフォーマンスで知られるようになります。サンノゼタイコを見た鼓童のメンバーは、困惑しながらも「こんなやり方もあったのか!」と驚いています。(DVD“TAIKO IN
THE USA”参照)教える側だった鼓童が、サンノゼタイコから教えられる。こういうのが文化を創造するということです。単なる勉強や継承ではない。素人が見よう見真似で創造したのが北米タイコ音楽です。だから汎用性があり、中西部や東部、カナダへも飛び火した。日本からオーセンティックな和太鼓を学んだのではない。僕はここに、ニッケイ文化の創造と拡大と再生産を見る思いをします。
元サンノゼタイコのメンバーは外国ツアーをしています。去年は、ロシアー東欧をツアーしてきたそうです。ロシアの聴衆には、「日本の太鼓だ」と映ったでしょう。ここでは、「日本文化」も「ニッケイ文化」もありません。タイコ音楽というアートフォームとパーフォーマーがいるのみ、です。なお僕は、鼓童の裸にフンドシでマッチョにタイコを叩くやり方は嫌いです。でもああいうのが、海外では受けるんですねえ。
もちろん移民先で、日本の文化や慣習やライフスタイルが強固に保持される場合もあります。「移民=文化の越境」ではない。「越境」どころか「小さな日本」がそのまま維持されることもままあります。こういう極端な例が並立するのが、ニッケイ社会の特徴かな、とも思います。
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「日本の伝統から一旦切り離された」ことで、アメリカ人に受け入れられるようになった、というところが、すごく面白く感じられました。こういうときに、「日本の伝統」を強調すると、きっとニッケイ人たちの中には、私は日本人じゃない、アメリカ人なんだ、日本のまねなんかする必要ないじゃないか、とか反発する人も出てくるのでは、とか思いますね。。。日本人でも、アメリカが長くなると、日本に対して批判的になることもあるのですから。。(笑) あと「家元制度」。。これはアメリカ人にはなかなか受け入れられないのでは。。タイコ世界にもあるんですかあ。。知らなかったです。こういう風に深めていくと、申し訳ないですけど、私が最初に読んだ小嶋氏の論文はかなり???になってくるし、だいたい論文タイトルにある第2世代というのは、どこになるのでしょうか。そのあたり、はっきり定義されていないのも問題のように感じられます。一言でタイコ文化といっても奥が深いんですね。(多佳子)
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「北米タイコ・コミュニティのタイコや踊りに、新世界における新しいかたちのコミュニティの進展、広がりの可能性を感じとる人々、そして魅了される人々が増えていることは間違いないであろう。とくに、その分ちあい共有していく姿勢は、北米タイコ・コミュニティの原点であるが、この運動が日系人の中から生まれ広がってきたものであることに注目したい。これはタイコ第一世代が自分たちの置かれた生活環境や日本文化の中から模索して築きあげてきたものであるが、それはまさに日本人初期移住者社会の姿、さらにはかつての日本社会におけるコミュニティの原型ではなかっただろうか」という一段落は、完全に的はずれの指摘となる。
以上の部分に賛成です。「それはまさに日本人初期移住者社会の姿、さらにはかつての日本社会におけるコミュニティの原型ではなかっただろうか」と論文に書くのには、小嶋氏にもそれなりの根拠があるのでしょう。しかし、県人意識というか、リージョナリズムというか、村八分というか、当時の日本にあった偏狭なムラ社会は、移民社会にもスライドして存在したわけで、小嶋氏は、移民研究と移民を愛するが故に、移民社会を美化しすぎているのかもしれません。
北米のタイコ音楽には日本のような「家元制度」はありません。しかし、各団体により演奏や運営のスタイルは異なります。ただ、それは対立したり互いに批判しあったりするような閉鎖的なものではないというのが僕の印象です。(比較的閉鎖的なのがSF太鼓道場かもしれません)それを鼓童のメンバーは「ここまでデフォルメされたら、もはや太鼓とはいえない・・」と嘆いています(前掲DVD参照)が、僕に言わせれば、鼓童だって同じです。鼓童が鬼太鼓座から分かれたのも、内部で方向性の違いが出てきたから、カリスマ的な指導者が亡くなったからという理由があったからです。北米やハワイのタイコ音楽は既にそれぞれのやり方で進化しており、「もはや日本の太鼓ではない」とか批判したり、反対に「移民の原初的なものの再生である」と無理矢理日本側に引き寄せることに意味があるとは思えません。
もうひとつ重要なのは、タイコが持つ普遍性です。タイコは打楽器で、誰にでも始めやすい楽器です。正規の音楽教育も子供の頃からの練習も不要です。男性も女性も、大人も子供も、肌の色が違っていても、一緒に叩ける。勿論、和太鼓には和太鼓のメソッドがあって、太鼓の種類も多種多様ですが、そのサウンドはオーケストラのティンパニーともジャズのドラムセットとも違う素朴さとストレートさを持っている。他にもいろいろ挙げられますが、和太鼓の持つ潜在力が北米で開花したといっても過言ではないと思います。
なお、日本では和太鼓にも家元とか流派があります。そして、互いに仲が悪いそうです。(笑)和太鼓のビルダーも幾つかありますが、ライバル心は旺盛です。浅草の有名ビルダーは和太鼓の製作や修理作業を見せてくれません。秘密主義です。大阪のビルダーは無料で見学させてくれます。僕も見たことがありますよ。(笑)
ここで、ちょっと整理。
(1)僕はこのような流派とか家元制度を僕は頭から否定はしません。家元制度には家元制度なりの機能と意味があるのです。それが北米の文化に馴染むのかどうかは・・わかりません。実際、琴や三味線、尺八、茶道、華道の家元制度は北米でも機能しています。研究論文もあります。ただ、(2)非日系アメリカ人にこれだけ広まった日本由来の芸能は和太鼓だけです。
多佳子さんが興味を持たれているのはこの(1)と(2)との関係なのかも?
更に付け加えますと、その「家元」や「流派」に最低三カ所、トータルで10年間所属し、米国人初の和太鼓「名取」を得たのが我が畏友のケニー・エンドです。ケニーはオーセンティックな和太鼓を学んでいるので、奔放な北米のタイコに対し、やや批判的で、日本的なスタンスを持っています。しかし、LA出身で若い頃はジャズドラムを叩いていたケニーの音楽は、日本の和太鼓とは違うように思えます。彼は4枚のCDをリリースしています。
ここで面白いのは、何故ケニー・エンドーは10年の滞日期間に「みっつの流派」で修行できたのか、ということです。これは日本人なら不可能なことです。ケニー本人によると、自分が日系アメリカ人三世であるという立場が有効だった、とのこと。(笑)このみっつの流派はそれぞれ「この日系アメリカ人にうちの流派の和太鼓を教え込んでやろう」と企んだのだと思います。ケニー・エンドーも貪欲に吸収した。ここでは日系人の「越境性」が発揮されているともいえるでしょう。米国人であり日本人の血を引く「同胞」でもあるというマージナルな特性が、ケニー・エンドーという素晴らしいアーティストを生み出したとも考えられます。
彼はいま、ホノルルに自分のタイコ・センターを開き、活発に活動しています。LAのバンド「ヒロシマ」の最新盤にも参加しています。ケニー・エンドーは北米のどのタイコ奏者からも尊敬されている。彼の人柄と日本での経験が生きているのだと思います。
米国では二年ごとに全米タイコ・カンファレンスが開催され、毎回、地域やスタイルに関係なく、全米から多くのタイコ奏者が集まっています。ある日本の和太鼓関係者に尋ねたら「そういうのは日本では不可能です」と即答されたとか。この閉鎖性は筋金入りですね。(笑)伝統文化とはなにかと考える時に、この問題は常について回ると思います。
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ありがとうございます。 家元制度なんてものとは一切縁のない人生でしたから、ちょっと勉強してみなくちゃ。。それにしても、まあ、閉鎖的、権威主義的というのは十二分に想像できることだから、勉強する前に気分が悪くなって、投げ出しそうです。。(笑) 北米タイコは、なんで家元制度をぶっ壊すエネルギーがあったんでしょうね。やっぱり琴や三味線、尺八、茶道、華道に比べると、とりあえず誰でも叩いたら音が出るという若者文化だから??? 〔笑〕
小嶋茂 「日系人からの脱皮 新しいアイデンティティとしてのニッケイ」 アジア遊学
2005年6月号
小嶋茂 「日系人は何か “日系人”の総体を表す表現の変遷」 日本移民学会 2007年
第17回年次大会
先の論文と同じ筆者だが、今回の論文は面白かった。海外の「日本人村」の分析だからである。こういう論文を待っていた。
最初の論文で、筆者はまず、1997年、ブラジルのある州都の市長に、日系コミュニティでその存在がほとんど知られず、かつリーダーたちとも交流がなかった人が選ばれたことを紹介している。(やったあ。。笑) そして、日系人のアイデンティティ問題を紹介する。ブラジルでジャポネーズ(日本人)と呼ばれても、自分は決して日本人ではなく、日本のニホンジンとは違うと認識する人々の存在である。(当然だよね、生まれ育つ社会が違うのだから。。笑)
面白いと思ったのが、ブラジルにおける日系コミュニティの変遷がその一般的呼称に表れていることである。戦前は在伯同胞社会、戦後は日系コロニア、そして80年以降の出稼ぎが始まると「日系社会」と呼ばれるようになったとか。(106ページ) その定義は、
1 在伯同胞社会―あくまでも日本人としての意識をもち、ブラジルに滞在する同じ日本国民という観点から
2 日系コロニアーどうやらブラジルでは「ジャポネーザ・コロニア?」と呼ぶのを、日系コロニアと訳しているらしい。ブラジル社会の一員として生きていく日系人の総体として、 植民地を意味するコロニアを使う、一世が中心となって日本とのつながりが重視され、アイデンティティとしても日本人だった (コロニアというのは、どっちの国にとってコロニアー植民地―なのか、と最初は思ったけれど、たぶんブラジル社会にとって、離れ隔離された社会という意味だったのではないか。もしそうなら、コロニアを植民地と訳すのは間違いだろう。この日系コロニアは縮小化進行に伴い、その存立が危ぶまれる事態にまで至り、活性化のための様々な試みがなされているとか。(107ページ) なんで??なぜ活性化が必要なのか。日本国の出先機関が必要だからか。。現地主流社会からコロニアと呼ばれるようなコミュニティはなくなるべきなのである。。)
3 日系社会 ―コムニダーデ・ニッポ・ブラジレイラ 日系コロニアにアイデンティティをもたずにブラジル人としてのアイデンティティを獲得しいく人々 (コムニダーデ・ニッポの意味が分からないージャポネーザとの違いは何? 両方ともを日系と訳しているのが問題なのではあるまいか。移民社会としては、このコムニダーデ・ニッポ・ブラジレイラ が大きくなるのは当然だろう。
このような変遷を経て、かつ1980年代後半以降の日本へのデカセギ現象が加わって、「ブラジルにおいて、やはり他のブラジル人とは異なることから、。。。(中略) その曖昧性の中に固有なものを見出し、日本人が理解する日系人とは異なる意味で”Nikkei ニッケイ“という新しいアイデンティティを模索する三世も出現している。」(107ページ)
この”Nikkei ニッケイ“という新しいアイデンティティに私は大賛成である。固有なものとは何か、その抽出が大変だけど、それだけにやりがいのある仕事なのでは。。「高い山ほどゆっくり上れ」という言葉を、きのうのテレビ番組で聞いた。その通りである。
筆者は、ブラジルにおける、タイコをはじめとするニッケイ文化について、次のように書くー「日本文化の習い事として始まっているとはいえ、それは決して日本文化ではなく、日系人によるその固有なニッケイ文化の発露である。その究極の目的は決して日本文化の真似事ではない。そのニッケイ文化をとおして彼らはnikkei という独自なアイデンティティを主張しようとしているのである。」(108ページ)
「究極の目的は決して日本文化の真似事ではない」と喝破されることによって、先の論文で感じられた文化ナショナリズムは消える。そして筆者は次のように続ける。
「日系人という場合、あくまでも日本人の側から見た、海外の日本人移住者やその子孫の総称をさしており、その多様性は全く考慮されていない。しかし、ニッケイ・アイデンティティは、その当事者による自己定義であり、獲得していくものとしての性格を備えている。日本人から見て日系人という範疇に入る人が、すべてニッケイになるわけではないということだ」(108ページ)
あくまでも日本人の側から見た。。。その多様性は全く考慮されていない。。。胸がすく思いである。なぜ、多様性が全く考慮されないのか。日本人の視点・視座があくまでも、単一民族幻想に依拠しているからではないか。つまり、日本人を定義するものは一つのコンセプトしかない、という考え方である。単一民族幻想とは日本社会を構成する他民族を無視する、という意味だけではなく、日本人とは何か、の定義に、一つの答えしか与えようとしない精神風土ではないだろうか。一つの定義、というのは幻想であって、ほんとはいろいろな形の日本人がいるのが現実である。現実を直視すると不安にさらされるので、あえて幻想に固執しようとするのが、あくまでも日本人の側から見た、という一方的な視点を可能にしているのではないだろうか。
筆者の論理に違和感を覚えるとしたら、ニッケイ文化の誕生の要因として、グローバリゼーションという日本からの情報の流入と交流、そして各国日系人同士のヨコの連携をあげていることである。その視点は、日本国を中心に据えた人的・物的交流に向けられたもので、「国をまたがる日系人同士の接触はニッケイに共通した属性を見出す機会となり、日本文化に基礎をおきながらも、そこに固有なニッケイ性が垣間見られる」という論述にも現れているといえよう。欠落しているのは、ニッケイがおかれているそれぞれの国、社会の固有のダイナミックな状況への視点ではないだろうか。つまり、たとえば日本(人)とブラジル(人)、アメリカ(人)間の動き続ける力関係に大きく左右されて、アイデンティティも変化しつづけ、多様なものになるというダイナミズムである。やはり日本から見る眼は、「日本文化に基礎をおきながらも」と静的である。ニッケイのアイデンティティを物的にとらえた日本文化を基礎におくとするならば、アニメ大好きの白人もニッケイだと言うことも可能だろう。もちろん、アイデンティティが自己定義ならば、ニッケイ白人の存在も当然となるわけだが、日本人がそんなニッケイを認め、受け入れるかどうか。。ニッケイに共通した属性とは何なのか。そのあたりを曖昧にしたまま、かつ物的交流をアイデンティティの要因としたから、多文化社会のダイナミズムの中でアイデンティティを模索している者にとっては、違和感が残るものとなったのだと思う。
日系コロニアとは無縁の人間が市長に選ばれたことを、筆者は「ジャポネースとしての資質ゆえにブラジル社会で受け入れられた」と書く(108ページ)が、ジャポネースとしての資質とは何なのか。もう一歩踏み込まねば、国をまたがるニッケイ・アイデンティティの共通の属性にたどりつけないのでは。。
この論文の中で、もう一つ面白いことが指摘されていた。かつてブラジルで、嘲りの対象だった刺身や寿司は、1970年代後半からの健康食ブームによる日本食への関心から、尊敬すべき高級食に例えられるようになった、ということである。(105ページ) これなども、文化ナショナリズムから単に日本文化の発展を称えるのでなく、世界的な健康食ブームによって、という地球規模のダイナミズムへの視点を失ってはいけないと思う。寿司・刺身に普遍的な価値を見出したからこそ、ダイナミックに世界的に受け入れられるようになったのであって、決して「日本」という国家の優秀性?と結びつけられることがあってはならないと思う。
筆者の第二の移民学会での発表、「日系人とは何か」は、たぶん筆者自身が第一の論文で問題提起した「日系人という場合、あくまでも日本人の側から見た、海外の日本人移住者やその子孫の総称をさしており、その多様性は全く考慮されていない」への答えを、自らで探された結果だろう。研究者の仕事はすごいな、と改めて思った。私にはできない。で、私は単に研究者の労苦を頂くだけで、学んだこと。
1 筆者の問題認識のきっかけを知って、びっくりした。「教育熱心、教育程度の高いことで知られるブラジルの日系人が、なぜ日本で非行問題や教育問題を起こすのか」
これはたぶん、日本で聞かれた言葉だろう。筆者は、日系人に対する固定観念がある、としているが、私にしてみれば、ブラジルと日本とでは社会が違うのだから、問題が起きるのは当然だ、なぜ日本の日本人は、日系人といえばみんな日本人と同じ、と考えるのか。生きてる社会が違うと、違う人間ができあがるのだ、日本(人)を中心にしてしか考えられないほうが、よっぽどおかしい、多様性が想像できないあんたらは、ほんまに田舎者だね、と言いたくなる。(笑)
2 筆者は、次のように喝破しているー「日本志向の日系人を見て作り上げられた日系人像。日本の出先機関関係者の人脈が日本語を話す人や日本通に偏っており、圧倒的に日本志向の日系人から“日系人”像を作り上げていることが多い。」
ああ、ここまで書いてくださってほんとにありがとう。これからの私の仕事がやりやすくなります。(笑)
筆者はまったく正しい。心から同意です。日本志向の日系人は、日系人の中ではもうマイノリティなのです。それなのに、日本志向のマイノリティだけを、日本という国の国力でもって賞賛し、メディアに登場させて(たとえば政府から賞をあげて)力を与えることで、日本を志向する人間だけが日系人だと日本人を洗脳しようとするー国の策略にのせられた日本国民は、世界というダイナミックな動きからは取り残された田舎者のままで終わるー知らぬが仏、ということかも。。(笑)
3 立場による日系人の捉え方の違いで、筆者は「移住者」(一世)は、ホスト国で生まれた二世以降を日系人と呼ぶのに対し、在日日本人は移住者(一世)も含めて、日系人と呼ぶとか。つまり、日本に生活の本拠をおいているか否か、だそうな。となると、私はもう、日本から見ると、日系人だな。。でも私自身は日系人とは思っていない、ということになる。う〜〜〜ん、まだ日本人ですね。だから、悶々としてこんな文章を書いている。。(笑)
4 「海外在留本邦人」という言葉は、1889年から日本帝国統計年鑑で使われるようになったとか。
5 北米年鑑(アメリカ発行、1928)では、邦人、同胞という言葉が一番多く使われているとか。
6 日本移民概史(日本発行、1937)では、日本移民あるいは邦人移民という表現のみ使用されているとか。
7 「全米日系人住所録」(アメリカ発行、1965)では、日本国籍者と日系人の合計が在留同胞数とされているとか
8 海外移住100年の歩み(外務省、1968)では、移住者およびその後裔たる日系人の総数はすでに120万人を超える、在留邦人数の内訳は。。。日本国籍者を差し引いた現地出生の二世。。。は正確には在留邦人ではない、日本人の血を受けた外国人、いうところの日系人である
9 わが国民の海外発展(外務省 1971)では、日系人(移住者とその子孫)
10 「海外移住事業団10年史」(1973)では、日系人の定義が必ずしも明確ではないと記し、その添付資料(1962)によると、移住政策の人的対象範囲は、たとえ永住を目的としなくとも、海外に職を求め、一定期間海外に生活の本拠を移すいわゆる準移住者についても、その実質から見て類似性がある場合には、移住者と見なして。。。。
準移住者と移民の違いは何???
11 長期滞在者、永住者、日系人
12 ブラジル日本移民70年史(1980) 邦人という言葉は消えた、日本移民―日本人のブラジル移民を扱う歴史の部分と、ブラジルに在住する移住者とその子孫を含めた日系人という使い分け、
13 ブラジルにおける日系人口調査報告書(ブラジル発行、1990) では、日系人の定義は、日本人の血をひくものという血統による定義、新しく「個人日系度」という概念を導入するが、この概念にはなんら文化的な意味は含まれていない、とする、混血していないのは日系度1(混血率は4世で61.62パーセントだそうだけど、これって日系度何度??混血してないのが日系度1って、100パーセントの意味、それとも1番? )
13 Nikkei 2000, San Francisco
the term Nikkei is not
necessarily interchangeable with the
term Japanese American….. although the term literarily means “of
Japanese ancestry”….Nikkei is a state of mind, not a label defining
ancestry. It applies to those
who are simpatico with the Nikkei community and its people
14 CONPANI 2001 New York Nikkei is someone who
has one or more ancestors from Japan and/or anyone who self-identifies as a
Nikkei. 他人種の養子でも、日系人と自己定義する人に育てられて、自らを日系人と考えるのなら、その人を除外することはできない、とする
つまり、Nikkei とは、自らがそう定義するなら拒めない、という非常に開かれたものを持っているわけだが、そういうNikkeiを日本人や日本国家が受け入れられるものか。。その意味で、Nikkeiとローマ字(英語?)を使うのは正解だと思う。で、このNikkeiを日系とは訳してはならないのである。外国語としてニッケイとカタカナで表すべきでだろう。
日本の日本人は、一世の移住者も含めて「日系」としてしまうところが、海の外に出てしまった人間を差別する意識だろうか。 だって、日系人とは日本人の血を受けた外国人、という意味もあるのだから。つまり、もう自分たちとは同じじゃないという気持ち?? 移民と移住者とはどう違い、どう使いわけられているのだろう。。。道はまだまだだなあ。。
2007年8月7日 北米毎日より
海外在留邦人106万人 06年調査
外務省が6日に発表した「海外在留邦人数調査」によると、2006年10月1日現在、海外に在留する邦人(3ケ月以上の長期滞在者と永住者)は、日本企業の海外での事業展開増などに伴い、前年比5.1%増の106万3695人となった。
在留邦人の多い国は、米国が37万386人で最多。中国12万5417人、ブラジル6万4802人、英国6万751人などが続く。都市別では1)ニューヨーク〔61364人〕 2)ロサンゼルス〔59220人〕 3)上海〔43990人〕 4)バンコク(29919人)の順。
論文の筆者の小嶋氏に、氏の発表資料に出ていた長期滞在者、永住者、日系人の区分の違いを尋ねたのだが、この記事を読んで、ちょっとわかったような気がする。長期滞在者とは、永住資格を与えられないまま3ケ月以上在留している人らしい。もちろん1世である。では永住者とは、永住資格を与えられている人になるのだろう。となると、長期滞在者の中には、日本からの留学生(一世)が含まれるだろうし、永住者とは、移民一世をあえて対象にして呼ぶ言葉で、両方あわせて邦人かあ。。邦人とは1世のことらしい。じゃあ、日系人って何? 日本から見ると、日本に生活の根拠をおかない人をみんな日系人と呼ぶのではなかったのか。長期滞在者も永住者も、アメリカ社会から見ると、ニッケイである。その意識が、日本の日本人にもアメリカに住む邦人にも希薄なのが問題なのかも。。 日系人の定義がこれだけ混乱しているのだから、ニッケイを日系と漢字を使うことなく、カタカナにする、というのは意義あることなのでは。
横浜にある海外移住資料館が、学習プログラムをもっていると知りました。2007年8月には、参加型ワークショップが開かれたようです。ちらしによると、「小学校、中学校、高等学校において、“移民”をテーマにした教材開発や授業実践が進んでいる」とか。で、このワークショップでは、「移民を授業する」ための教材や実践を、学校現場同様の形で紹介しようとするものです。
どういう授業があるか、というと。。(ちらしによると)
1 盆ダンスで体感する日系文化―ハワイの盆ダンスと日本での盆踊りの違いを考え、日系社会のアイデンティティの表しかたについて考える
2 BENTOの写真からハワイ社会を読むー移民がもたらすハイブリッドな文化の豊かさに気づき。。日系移民の歴史的背景を学ぶ
3 演劇的手法を用いた強制収容擬似体験
4 レシテーション活動―日系の人たちの言葉―英語を用いた国際理解の授業における、日系の人たちのことばを使ったレシテーション活動を紹介する
5 ケータイで移民カルタづくり
「いろは48」枚の絵札の割り当てを決め、海外移住資料館内で展示品を携帯電話内臓のカメラで写真に撮って絵札をつくり、それにそった読み札を考える
6 ニッケイ移民トランクの開発
移民について学習するための教材を詰めた貸し出し用スーツケース
日本にいながら海外の、それも戦前の生活を紹介・追体験させながら、何かを教えようというのは大変だなあ、と改めて思いました。日々生活している者は、ただ自然に、というかしょうことなしに、なるようになるさ、って感じで生きてるだけとか思うんですけどね。(笑)
学習プログラムの目的は、日本社会に居住する外国人人口が増えて、日本も多文化社会になりつつあるから、異なる文化を受容・尊重し、共生に向けて社会参加ができる子供たちを育成しよう、そこでまずは、日本人の海外移民の経験を学習して、自分たちの身近な地域の多文化共生を考えようというものだ。「移住」というキーワードから、国際的な視野をはぐくむという。
なるほど、と納得した。自分が単一民族社会に住んでいると考える限り、どんなに“国際化”を叫んでも、それは机上の空論でしかない。必要なのは、自分は多様な世界に住む1人の人間という自己認識、アイデンティティだろう。「国際化」とは単に外向きになることではなく、自らの内向きにも目を向けること。現実に日本社会が多様性をもちはじめている今、異文化をもつ人々の生活や心情、苦闘を自分のものとして身近に感じ、考えるためには、まずは文献・資料が多く、長い歴史のある日本人移住・移民のことを学ぼうというわけだ。
移民の1人としては、自分の日々の経験が他者、とりわけ若い人たちにとって意味をもつようになるわけで、そういう学びの視点は有難いなあ、と思う。日本を離れて、好きに生きてきたけれど、なにやら無駄に生きてきたわけじゃないんだよ、みたいな安心した気持ちにさせてもらえるではないか。(笑)
他の国家や人々が日本人をどう扱ったか、その歴史を学ぶことで、日本とは違う他国の法律やら社会の違いも学べるわけで、確かに「移民」の経験は、「棄民」と切り捨てられることなく、日本社会に還流することで、将来に向けての前向きで積極的な役割を担うことができるのかも、と思う。ただ、まだまだその視点はマィノリティではないのだろうか。もちろん少しずつ、少しずつ気長に前進せねばならないわけで、だからこそ私も、なんでアメリカにいるのに、日本のことが嫌いなくせに、日本のことばっかり考えているの、と友人知人に首を傾げられながらも、こんなことを書いているのでは、と思う。(笑)そう、私たち日本人移民の経験は、最終的に日本社会を映し出す鏡となることで、日本人として日本に生まれながら海外に移住した人生に意義を見出させるのかも知れない!!(う〜〜ん、ちょっと元気が出てきたぞ。。笑)
森茂岳雄、中山京子「海外移住資料館を活用した国際理解教育の授業づくりー教師研修を通してみた移民学習の可能性」(JICA横浜 海外移住資料館 研究紀要 第1号)を送っていただいて、読んだ。論文の中で、グローバル時代における移民学習の意義が次のように紹介されている。
1)
グローバル教育と多文化教育のインターフェイスとしての移民学習
(前略) グローバルな価値の実現をめざして行動できる地球市民としての資質(global citizenship)の育成に加え、多文化社会の中で異なる文化を受容し、尊重し、共生に向けて行動できる市民としての資質(multicultural citizenship)の育成の両方が求められる。今日のグローバルな時代における国際理解教育は、このグローバル教育と多文化教育を包括するものとして構想されなjければならない。そのように考えると、「移民」についての学習は、人の国境を越えたグローバルな移動に伴う地球的な規模での相互依存関係と、一国内における多文化の共生をつなげて考えられるという意味で。。(後略)
2)多文化社会における人権教育・市民教育としての移民学習
(前略) 経済のグローバリゼーションは、国民経済を脱国家化(denationalize)し、それとは対照的に、移民は、政治を再国家化(renationalize)する。。すなわち、現在諸国家の間では、資本、情報、サービスの流れの国境管理を撤廃し、グローバル化を促進しようという合意ができつつある一方で、移民や難民の問題になると、多くの国民国家は自国の国境を管理する主権国家の権利を主張するのである。その意味で、移民をテーマに学習することは国民国家によって他者化された移民や難民の基本的人権の問題、基本的人権と国家主権との間の緊張関係や調整、多文化社会における人権や市民権のあり方といった民主主義の基本原理を学習する市民教育(citizenship education)の格好の機会ともなりうる。。(後略)
3)国際理解教育における本質主義的文化認識批判としての移民学習
(前略) 移民文化の特色は、「ディアスポラ性」と「ハイブリディティ(異種混こう性)」である。ディアスポラとは。。(中略) 国境を越えて移動するプロセスで生成された文化を指すようになった。ディアスポラという言葉には、またかつて自分が属していた文化や新しく属した文化とは違う新しい文化を創造し、発展させていくという積極的な意味が含まれている。さらにディアスポラは、「一つの“文化”から追放され、“文化”の“あいだ”を移動しながら独自のネットワークをつくりあげてきたがゆえに、支配的な“文化”に対するクリエイティブな批判ともなりうる可能性をもっている」 ディアスポラ文化の特色は、複数の文化が混合して形成された、まさに「ハイブリディティ」であり、それは絶えず変動し、更新されていくものである。
従来の国際理解教育(異文化理解教育)においては、ある国(地域、民族、人種)やその文化を「均質なもの」「非歴史的なもの」として実体化したり、本質化したりしてとらえることが多かった。今日の「移民の時代」といわれるディアスポラ的世界状況の中で、「「ハイブリディティ」という視点で文化をとらえることは、国民や民族、そしてその文化を固定的、本質的に捉えるような見方を批判的に見る上で重要な視点である。
この論文を読んでほんとによかった。自分の中でくすぶっていたいろんな問題意識がコンセプトを持っていることを知り、かつなにやら自分の能力で可能な範囲で整理できるような気がするからである。新しいコンセプトを学んだ。たとえば、地球市民としての資質(global citizenship)、多文化社会の中で異なる文化を受容し、尊重し、共生に向けて行動できる市民としての資質(multicultural
citizenship)、多文化社会における人権や市民権のあり方といった民主主義の基本原理を学習する市民教育(citizenship
education)、、「ディアスポラ性」といったこと。
移民学習の意義2)の市民教育と地球市民としての資質(global citizenship)とは重なりあう部分があると思うし、つまり地球市民を作るのが市民教育だと考えるし、で、百パーセント納得である。また3)については、移民文化のダイナミズムを積極的に捉える、要するに動的なものとしてとらえる視点に感激である。こういう視点を、海外のスシにお墨付きを与えようと考える農水省の官僚やら大臣たちに学んでほしいものである。
そういえば、2)では、ホスト国による移民の他者化が論じられているが、「他者化」という意味では、かつて、そしてもしかして今も、日本人にとって移民が「棄民」とされるのは、国民国家としての日本が、自国人すら他者化したということかも知れない??
1)と3)を組み合わせたときに、まだ自分に消化しきれないように思えるのは。。1)のグローバルな価値と、3)の本質主義的文化認識の接点について何も触れられていない点である。今の私の考え方だと、ある文化の本質にはグローバルな価値がある、と思っているから、というか信じたいと思っているから(笑)、確かに一つの文化を固定的に、もしくは北米タイコ文化は日本文化が基礎になっていることを誇りに思うべし、に近いようなナショナリスティックな視座に対しては、“本質主義的文化認識批判”はなされねばならない、と思うのだが、それだけにとどまらない何かがあるべきだ、という思いがあるのである。支配的な“文化”、というか、移民の出自国の文化に対するクリエィティブな批判がたどりつくところはどこなのか、という疑問である。
そう考えていると、移民コミュニティでは、たとえば100年前の出自国の文化が残っている、という言葉を思い出した。そういえば、補習校の校長だって言ってたではないか、ここには昔の日本が残っている、と。要するに、親や教師が受けた日本での教育をアメリカで再現しようとして、今を生きる若い生徒たちとかみ合わないのである。これなどは、出自国の社会・文化を固定的に捉え、時代の波にさらされて絶えず変化し続けていることを受け入れられていない証拠だろう。ディアスポラ性とハイブリディティ(異種混こう性)の波をかいくぐってでも生き残る、ある文化の本質の抽出―それが「グローバルな価値の実現をめざして行動できる地球市民としての資質」につながっているのでは、と思うのだけどな。。
4
The Tule Lake Pilgrimage and
Japanese American Internment
Collective
Memory, Solidarity, and Division
In an
Ethnic Community (2007)より
滝田先生とは、ほぼ10年前のツールレーキ日系人強制収容所巡礼でお会いした。あの時の経験は、私の本の中のエピローグに収めたが、先生はあの当時リサーチをされていた。その長年のリサーチの結実である博士論文を読んで、私が学んだことーというか、ちょっとは理解できたこと、かつ覚えていたいこと。(笑)
1 p。353−354 The late Yuji Ichioka−a prominent Japanese American historian and probably the only
one to this day who has utilized Japanese language sources to understand Issei
experiences-often criticized Japanese scholars who study the Japanese American
community and its history: “Many members (of the
Japanese Association for Migration Studies) have had no personal contacts with
or experience living among overseas Japanese. With little empathy for their subjects, they study the
Nikkei as mere ‘objects’ of
investigation, at times with paternalistic condescension, sometimes with thinly
disguised contempt” (Ichioka 2006:291)
そうですよ。イチオカ先生の本も読んでみなくちゃ。。だからこそ、私は一生懸命こちらから向こうに向けて発信しようとしてるんですけど。。力不足ですよね、能力がないから、肩書きもないしなあ。。(悲) いやいや、がんばるぞ。。歴史はその現場を生きた人間にしか存在せず、誰にもその存在―歴史を消去する力は与えられていないはずだから。。。国家権力をのぞいては???
2 p.350
Fischer (2005) examines liberty and freedom in American folkways-or what
Tocqueville called “habits of heart”.
Those two words had different origins.
The word liberty comes from the Latin libertas that implied separation
and independence. The word freedom
has Indo-European roots denoting belonging in a community of free people. The tension between them has been a
source of conflict and creativity throughout American history.
日本語の“自由”についてもっと考えねば、とずっと思っていた。そして、libertyとfreedomの違いも。日本語では、どちらも“自由”である。でも意味は全然違うようだ。Separation/independenceとbelongingでは、まったく正反対ではないか。でも日本語ではどちらも“自由”−問題おおありだね、これは。で、日本からのニュースで流れていた言葉―校則に従うか従わないかは、生徒の“自由”だ:この“自由”は、freedomのbelonging ではないことは確かだ。なぜなら校則は、学校というコミュニティのものだから。。となると、libertyのseparation/independenceということになる。そう、校則に従うか従わないかは“自由”と考える人は、学校からseparation/independenceすればいいのである。じゃあ、free peopleとは何ぞや。。福沢諭吉がなんと言っているのか勉強しなくちゃならないの??でも、校則がcommunityを規定するものである限り、たとえ校則に従うか従わないかは“自由”と考える人をfree peopleとする論理が成立しても、communityには属せないはずではないのか??
3 p。361 NOSEI a network of younger progressive Japanese Americans (Nikkei)
that was formed in 1999 at San Francisco J-Town. “Sei” means “generation” in Japanese and this group
claimed to have no specific generational affiliation and tried to create all
inclusive community that can define themselves as “my
generation”, including the Japanese newcomers, people of
mixed heritage, and Japanese American adults. The term also sounds like “no say” in English, which is how many younger Japanese Aemricans have
felt in their own community. In
2001, the Japanese newcomers branched off and formed US-Japan No War Network. The Nosei network was active up to
2003. Many network members
actively participated in the 2002 Tule Lake pilgrimage.
このNOSEIというアイデアは、NIKKEIをニッケイとカタカナで書こうというアイデアとともに、私は大賛成である。 Aianimproveさんのブログで、次のような彼の言葉を読んだ。曰く、「アイデンティティは、(日本語では自我同一性とか主体性、。。。とか訳されているが)所与の固定された概念になる。アイデンティティは個ヾ人が獲得していくものと同時に、個ヾ人の思い通りには構築できないのがアイデンティティで、アイデンティティは絶えず個と集団の関係において試され、鍛えられる。」
要するにアイデンティティとは、一つの枠にとらえきれない、変化し続けるものであり、かつその本人でしか規定できないもの、ということである。同じように二世といっても、娘のようにmixed bloodならどうなるのか。日系と、日本という漢字の国家名を冠することにより、海外のnikkei人の多様性を認められにくくなり、かつ日本志向の視点から逃れにくくなるのと同様、世代の世―seiなんて、もうどうでもいいではないか。
単にnikkei もしくはニッケイでいいと思う。
21 沖縄の記憶
日本という国の国民に対するダブルスタンダードを考えていたら、沖縄戦に関する記事が出てきました。「集団自決」で、旧日本軍による「強制」の記述に修正を求める教科書検定に対する、沖縄での広範な反発を扱った記事です。(北米毎日 2007年8月14日付 「戦後62年目の記憶 上」)
この記事の中には、私が読んだり、使ったことのない言葉が並んでいますので、ここに改めて記しておきます。移民論、日本人論への方向性を示してくるものと感じました。
(前略)
なぜ「集団自決」を「集団死」と言い換えるのか。(中略) 「沖縄の戦争の記憶は、日本との決定的な齟齬がある。「集団自決」は国の論理では、住民が崇高な犠牲的精神の発露で国に殉じる“殉国美談”。言葉から「自発性」の意味を取り除き、状況の強制性を明確にする対抗言語だった。」
(中略)日本の沖縄戦イメージの形成に、1953年の映画「ひめゆりの塔」が強く影響した。「ひめゆり学徒隊の物語は、映画では純真無垢な乙女の殉国美談として造形された。対米講和を経たばかりの戦後日本の国家意識に、そのイメージが重なる。現実のひめゆりの悲惨な実像とは違う部分で、日本の「国民の物語」に吸収され反復されていく」
それは、平和を愛しながら戦争の犠牲になったという戦後日本の国民の自画像にも重なった。(中略)「戦後日本が戦争の被害者として自らを位置づける際に、自己投影の対象として無力な乙女は格好の存在だった。“ひめゆり”は、平和を語る際も殉国を語る際も引用されるシンボルになる」
(中略)「軍が自分たちに何をしたのかという、“ひめゆり”的な記憶とは異なる身体化された記憶が噴出す」(中略)
「沖縄が国家に殉じたという強烈な意識と、沖縄を打ち捨てた戦後日本への激しい反感が同居している。だが、国家へ糾合される日常の心性が殉国の言葉をまとうと、その枠に収まりきれない思いは抑圧されてしまう」
「肉親をわが手にかけて殺したことの決定的な重さがある。なぜ殺してしまったかという、極限の「なぜ」がある。だからその記憶は長く“沈黙”の中に閉ざされてきた」 (中略)
生存者が「愛するがゆえに殺した」と語るほどの極限の心理へ、住民が追い込まれていく“強制的状況”−それは軍命の有無といった“事実性”のレベルでは本質はとらえきれない、被害と加害の痛恨の感情が複雑に重層化した記憶だ」(中略)
だがそれは、日本の一体性を前提にする「国民の物語」にとって受け入れがたい記憶だ。(中略)「軍隊が自国民を死に追いやるという、沖縄で実際に起きたことを、それは肯定できない。だから例えばヒロシマ、ナガサキの原爆被害は、唯一の被爆国という言い方で「国民の物語」に取り込まれるが、沖縄の記憶は排除される」(後略)
殉国美談と「国民の物語」という言葉、私には新鮮でした。こういう言葉の底に渦巻く沖縄人のジレンマ、国家に打ち捨てられた彼らの激しい反感を想像しながら、わが身を考えると、殉国美談って、移民をいったんは「日米の架け橋になれ」ともちあげ、奨励しながら、そのくせ自分たちの役にたたない、お上に迷惑をかける存在と規定したとなると、とことんバッシングしたり無視したりして、その存在を「殺して」しまった、そのくせなぜか今になって、「国際化の先陣を切った偉業」と跡付けしているのと同じじゃないでしょうか。
“ひめゆり”的な記憶とは異なる身体化された記憶は、移民の経験にも言えると思います。「国際化の先陣を切った偉業」と祭りあげられる体裁と、現実の生活とアイデンティティの模索―こう考えてくると、「国際化」推進もまた、単なる虚構の「国民の物語」を作る道具にすぎないのでは。。
22.日米交流の貢献
邦字紙には、この手の記事は必ず掲載されますから、どういう文言が使われているのか、一応書き出してみることにしました。
2007年8月14日付北米毎日紙では、
1 サンフランシスコ日本町に拠点を構える北加日米会は今年4月、日本人と日系人の架け橋となる重要な役割を果たしてきたことが評価され、ロサンゼルスの全米日系人博物館から「文化の大使賞」を受賞した。これは米国で100年以上活動している団体に送られる賞で、(後略)
2 北加日米会は日本文化を米国に広げ、日米の相互理解に貢献した人々をたたえる「文化栄誉の殿堂」の2007年度の候補者を募集している。(中略)第1回目の2006年度は日本舞踏や生け花、茶道などの分野で貢献した12個人・団体が表彰された。(後略)
3 サンフランシスコ日本町コミュニティに根付く文化の保存と発展のための基金「ジャパンタウン・ファンデーション」が10日、助成金を希望する団体の受付を開始した。(中略)SF日本町コミュニティの活性化に最も有益と考えられるイベントや活動を行う団体が選ばれる。(中略) ジャパンタウン基金は、昨年撤退した近鉄エンタープライズ・アメリカが寄付した50万ドルをもとに、同12月に設立されたばかり。(後略)
一日の新聞に3つ並ぶと、さすがに圧倒された感があります。日本国とアメリカ国の架け橋だけではなく、日本人と日系人の架け橋というのもあったんですね。で、お金の出元が全米日系人博物館となると、これは経団連がバックアップしている博物館ですから、要するに、アメリカに住む同じ日本人の血をひく人間同士なんだから、なかよくしてちょ、という日本からの声ということになる。。となると、慰安婦問題のホンダさんの件なんか、お金やってるのに、なんでコントロールできひんかってん、と経団連から文句が来ても、「すみません」と頭を下げるしかないということになります。
昨年文化栄誉の殿堂に入られた人の分野は、囲碁、書道、宗教、日本舞踊、生け花、日本庭園、太鼓、柔道、茶道、となってます。ここでは、日本文化を米国に広げ、日米の相互理解に貢献となってますけど、先に書いたとおり、文化を広げたとされる「米国」がどこか、が問題ですよね。しょせん、日本人村内じゃないの。。それって、米国に広げたことになるの???なあんか気長に、日本人村だけに住んで、村でこつこつと日本文化教室でもやってたら、お上に表彰されるという構図??主流社会に挑戦して成功でもしようものなら、なにやらやっかまれて、なかなか日本人村からは評価されないというのが普通だもんな。。
で、最後のジャパンタウン・ファンデーションは、やっぱり国の手先機関の保存をはかろうって感じ???要するに、日本から直接コンタクトをとろうとするときに、やっぱりジャパンタウンの長老者?に連絡をとるのが一番楽だろう、だから、ジャパンタウンがなくなると困るわけです。。。
こういう風に、日本人村を国が国民をコントロールするための国の手先機関と考えると、確かに日本人村と関わろうとしないー要するに日本国家のコントロールから逃げようとする日本人なんて、日本人じゃない、移民じゃない、となるんでしょうねえ。。
23.国民の虚構
「国民」すら虚構なのでしょうか。それは、人という実体をともなったものではないのでしょうか。
2007年8月15日付「北米毎日」の「戦後62年目の記憶―下―」より
(前略)
「靖国は神道という伝統を身にまとうが、根底にある論理は欧州の国民国家と共通する。戦死者を尊い犠牲としてたたえ、顕彰し、生者がその感情を共有することで「国民」という虚構を成り立たせる。靖国はそこで、遺族の喪の感情を名誉や喜びの感情に変える“感情の錬金術”の装置として機能した」
「戦後日本の国民意識は、戦死者の死を悼み、悲しむ膨大な遺族感情を背景に出発する。「死者の記憶は、苦悩や喪失より栄光の記憶として刻まれ、不都合な記憶は抑圧される。。」(中略)自国の死者を「尊い犠牲」として特権的に位置づける被害の共同体。それを「哀悼の共同体」と名づける。
(中略)
亀裂が入りはじめた「国民の物語」を修復するためにとられるのが、“実証主義”の装い。「だが、手段としての“実証主義”にすぎない。沖縄の「集団自決」でも軍の「強制」を否定しつつ、住民に手りゅうだんを配るなどの構造的な強制性を見ない。あるのは「物語」を維持するだけの欲望だけで、現実に何が起きたのかという、出来事への歴史感覚はない」(後略)
要するに、戦後の「一億一心」かな。。そんなことありえないのに。。。「国際化」の声も、「物語」を維持するだけの欲望にすぎない、という気がします。
24.インドと中国と日本
2007年5月19日付「日米タイムス」より
日本の産業発展のためには、祖国と海外を結ぶ連携が必要―日本人を海外へ送ることを指摘 本山康之さんが講演
(前略)
シリコンバレーがハイテク産業として過去20年間で急成長した背景に、インドと中国から移住した人たちの飛躍を本山さんは要因として見ているという。
インドと中国から移住した人らは、1970年代後半からシリコンバレー内で数々のネットワーク団体を設立。同エリアで活動する者同士で情報を交換し、社会的つながりを深めるだけでなく、祖国に投資して企(事?デイ)業を広げるなど、祖国とのネットワークも大事にして米国と祖国で産業を成功させていると説明があった。(中略)
シリコンバレーのアジア系米国人の人口は、インド系と中国系が日系人より圧倒的に多い。調査の結果、米国市民権を取得し、シリコンバレーで働いているインド系米国人と中国系米国人の多くは、米国での留学をきっかけに、そのまま移住している人が多く、最終学歴も米国の人がほとんどということが分かった。(中略)
日本の大学院生や研究生らは、海外へ出ると自分の研究が遅れるという懸念があるので、日本から出たがらない傾向があると説明した。(後略)
本山さんの努力?には敬意を表しますけど、これまで私が書いてきた“日本人が考える国際化”の中身と照らし合わせると、日本人はインド人や中国人のようには成功できませんね。。できるはずがない。そう、日本人が考える“国際化”は、世界には通用しないということです。
1 インド人がアメリカで優位なのは、英語ができることです。これは決定的なことです。
2 海外に出たインド人や中国人のアイデンティティは、たぶん日本人のそれとはまったく違うはずです。これまで書いてきたように、海外に出た日本人はもう日本人じゃない、みたいなメンタリティを、かれらは持ち合わせていないし、国もそのようなメンタリティを押し付けはしない。海外に出た、それもアメリカで博士号をとった人間は、祖国で尊敬の念であがめられるはずです。だから、祖国とのネットワークが維持できるし、それが祖国への貢献にもつながっているわけです。ところが日本人はどうでしょうか。コスモポリタンは移民じゃない、日本人じゃない、日本人村にいる人間こそが日本人であり、国家がコントロールできる国民である、アメリカの主流社会に挑戦した一匹狼に対しては、やっかみが先行して、ああ、変わりものだ、日本人じゃない、みたいな声しか聞こえてこないわけで、コスモポリタンの一匹狼を祖国が受け入れる土壌がインドや中国のようにないわけです。
これは決定的な違いです。
3 海外へ出ると研究が遅れる、というのは言い訳にすぎません。彼らの頭にあるのは、2に書いた、やっかみ風土です。つまり、海外に出たら、3年で忘れられてしまい(実際にアメリカの大学でがんばっている研究者から聞きました)、日本に帰っても仕事がない、それだけです。だから、日本にずっといて、丁稚奉公で教授に仕えて、仕事を確保しなければならない。それだけです。
4 日本人がもっている「内」と「外」を分け、「外」とみなした人間は絶対に「内」には入れないという壁を作る心理的、社会的、政治的風土―これがすべてを決定しているような気がします。
5 ふっと思いついたんですけれど、インドも中国も国内に多民族を抱えて、その多民族との戦い、統合・統一の歴史をもっていますよね。それが、インド人、中国人のアイデンティティの問題と深く関わり、かつ「日本人」というアイデンティティとの決定的な違いでは。。「日本人」のアイデンティティには、多民族征服の歴史が、第二次大戦中の朝鮮や台湾の人をのぞいては、ないのでは。。だから、柔であり、かつ非常に制限的な、小さなものになっている。。。
25.日本食レストラン推奨計画
2007年5月3日付日米タイムスより
海外日本食レストランに推奨マークを交付へ
お墨付き 民間主導で実施
「認証制度」から「推奨マーク」へ
「政府」から「民間」へ
日本食レストラン推奨計画 (農水省のウェッブサイト www.maff.go.jp/gaishoku/kaigai
1 海外の日本食の現状
プラス面 1) 日本食は健康的で、見た目が美しく、高級料理として評価が高い
2) 海外の日本料理は、現地の嗜好や調理人の創作が加わり、多様化、急速に普及している
マイナス面 1) 日本食と異なる料理を日本食と称して提供するレストランが見られる
2) 日本食を特徴づける食材が十分に使用または供給されていない
3) 生鮮魚介類の加工、食品を扱う技術や知識、流通体制が不十分。今後、事故が発生すれば、日本食全体のイメージが損なわれる可能性がある
4) 日本食の普及に伴い、日本食の技術や伝統を専門的に学んだ人材が不足
う〜〜〜ん、とりあえずの印象―「内」と「外」を分ける感覚をもってすれば、推奨計画を推進せざるを得ない気持ちは、ようく理解できますなあ。。(笑) 「内」の人間にすれば一番悔しいのが、マイナス面1)かな。。我らが誇る日本食―もう完全に「内」の感覚ですーを侮辱してる、というところでしょうか。日本は一つしかないわけです。昔、柔道着の色を白以外認めるのか否か、が問題となったような記憶がありますが、それと同じ???日本人が認められる日本の伝統は一つしかなく、他者はそれを守らねばならない。守れなかったら、それは「日本」を侮辱していることになる。。。「日本」を使って、金儲けになるのなら、させてあげたらいいじゃん。。(笑)
今後、事故が発生すれば、日本食全体のイメージが損なわれる可能性がある
ははは。これは典型的日本人感覚ですね。日本食全体のイメージだって。。イメージなんてどうでもいいよ。自分が好きなレストランが事故を起こさなければいいだけ。。どっかで事故が発生しても、そのレストランだけのことであって、日本食全体のイメージなんてぜんぜん関係ないよ。。イメージを心配するのは、「内」で生きることしか知らない日本人感覚の典型だと思います。外の人間はそんな柔ではありません。自分の判断で、自分の好きな食べ物、レストランを決めます。
2 推奨マークの基本的姿勢
世界的ブームになっている日本食の普及をいっそう推進
海外の人によりおいしい日本食を楽しんでもらう
民間の主導で実行、公的機関は情報提供を通じてサポート
現地の食事情と融合した多彩で幅広い日本食を考慮
排他的、差別的でない制度
ふん。ここは全部嘘くさい。。最後の2つなんて腐っている。(笑) 幅広い日本食を考慮するんなら、認証制度なり推奨マークなり、しょうもないこと、考えるな。同じ「日本」と銘打っていても、マークがついてるところとついてないところの区別は排他的、差別的でない、なんて言えるの???ばっか。。思うに、「日本」というアイデンティティに、ほんとの自信をもっていないということではないだろうか。自信をもっていたら、ごちゃごちゃいちゃもんをつけるだろうか。たとえば、日本で「アメリカ村」を開いた場合、その「アメリカ」は本物じゃない、推奨マークをつけよう、なんて、アメリカ人が言い出すなんて想像できるだろうか。ぜんぜんできない。「アメリカ」で金儲けできるなら、好きにやってちょ、で終わりだろう。なんで「日本」食はそういうわけにいかないのだろう。どういう力が、利権?が背後で蠢いているんだろう。
3 推奨マーク運営の体制
国内組織 計画の枠組みの決定と管理、現地組織間の連携と交流を促進、推奨マークの管理
現地組織 日本食に知見がある現地と日本で構成、現地の実情にあった推奨基準と審査方法の決定、推奨マークの交付と広報
ここで、ちょっと、何これ?みたいな気持ちが現れるのが、現地組織が、現地の実情にあった推奨基準と審査方法の決定をする、というところですね。推奨基準って何? 審査方法って?
ここで本記事の一部を。。。
「昨年11月初旬。。。松岡農水相は会見で「日本食が世界的なブームになっているが、中身が伴っていないのではないか。本物の日本料理を世界的に広めることができないか」と発言、「正しい日本食」を海外に広め、日本産農産物の輸出促進を図ろうと動いた。
しかし日本、海外各地から「差別的、排他的」や「政府が干渉すべきことではない」などの強い批判が寄せられた。また「認証制度」の対象や基準がはっきりせず、その結果、政府が関与する「認証制度」から民間主導の新組織が運営する「推奨制度」に修正された。
当初、海外の日本食に不満を見せ、本物の日本食の普及を目指した農水省は、現在は、海外の日本食を認める姿勢を見せ、推奨マークを導入して、海外で日本食レストランの発展に貢献する人を表彰したいと話している。
昨年末の政府予算案で松岡農水相が、財務省原案でゼロ査定された同事業への2億7600万円を、大臣折衝で満額を獲得したという背景もある。」
この松岡という人、もうこの世からはいない??? それにしても、「正しい日本食」の発想―まさに“内”の発想ですね。でも、もちろんそのスローガンの裏にはお金―日本産農産物の輸出促進―があるわけで。。で、最後は表彰かあ。。お上に従うかわいい人に。。なんかやっぱり発想が小さいよなあ。いやだ、いやだ。。この表彰のコンセプト・メンタリティも考えねば。。だって、アメリカでこういう“貢献”の表彰ってあるのかなあ。。そういえばアメリカ人って、ローカルのレベルーいろんな小さな地元のグループーでの表彰は多いかも。「よくがんばってるね、えらい、えらい」式の。。でも、国関与の表彰なんて、ほぼないのでは。。やっぱり、国と個人、そして個人が作るコミュニティ社会との関係の違いかなあ。。
4 対象とカテゴリー
「日本食レストラン」を自称し、自主的に審査を希望するレストラン、現地組織によって推薦されたレストラン、カテゴリーは「伝統的」「フュージョン」などに区別
5 推奨の基準
コメ、調味料(みそなど)、日本酒などの主要な食材や飲料を適切に扱っているか、経営者の調理人の日本食に関する調理技術や衛生管理の知識は十分か、店舗の雰囲気、接客、器、メニュー、調理、味つけ、盛り付けは日本食と呼べるか
ああ、いやだ、いやだ。。だいたいこのあたりに来ると、「食」を「人」に変えたら、まさしく移民論ですね。私なんか、「日本人」を自称しているけれど、日本語を適切に扱っているか、日本の知識は十分か、人間の雰囲気、接客、服装の趣味、器―つまり外見。。。は日本人と呼べるか。。はい、デイ多佳子は失格!だあ。(笑)
問題1:自主的に審査を希望、と現地組織によって推薦という差別化意識―だいたい審査を希望するレストランがあるなら、それはもともとから「お上に認めてもらえる」自信があるから、希望するんじゃないの。。「落っこちる」可能性があれば、だれも希望しないよ。現地組織による推薦なんて、推薦することで、もうお上に認めてもらえてるんじゃないの。。このあたりのプロセス、すべてお金と時間の無駄。。問題2 審査の方法―審査員の前で調理するの? 知識をテストするの? 店舗の雰囲気、接客、器、メニュー、調理、味つけ、盛り付けは日本食と呼べるか、なんて、どういう基準で決めるの。。
「日本人」とはなんぞや、で苦労してるのは、それぞれの項目の基準が定まらないからでしょう。個人の趣味と時間つぶしで考えてるのはいいけど、税金使って、そんな答えのないものを求めるのは税金の無駄使いである。
それにしても、こういう発想はやはり、「日本食」とは、日本という島国の中だけで通用するものが「正しい」という意識ではないでしょうか。在日日本人だって、「日本食」で新しいものに挑戦したりするに違いない。そういう「フュージョン」は「正しい」と許されるけれど、島国を出た「フュージョン」は胡散臭いから、認証制度やら推奨マークが必要と考える?? ああ、小さい、小さい。。
それはそうと、人間論でも「フュージョン」という言葉は使えるのかな。今までは、コスモポリタンという言葉を使ってきたけれど。。フュージョンな人間―フュージョンになると、変化が怖くないから、というか、変化が好きだからフュージョンになる?? フュージョンになるとは、どこでも生きていけるということ。どうやらアメリカに住んでいる日本人でも、日本食しか食べない、という人がいるようだけれど、それはアメリカに住んでいるということにはならないなあ。。時間の無駄の人生を送っていると言うに等しい。
そういえば、生物に詳しい人から、ベトナムの蚊取り線香は日本の蚊には効かない、と聞いた。やはりその土地独自の蚊の特性があって、蚊取り線香も、その蚊にあった植物で作らねば効果がない、とのこと。これって、人間にも当てはまると思う。アメリカにあう人間とあわない人間がいて、あわない人はすぐに日本に帰りたがり、また帰ってしまう。で、日本でアメリカの悪口を言う、そして、アメリカに長年住んでいる日本人は日本人じゃない、みたいな発想・言動になる??? (笑) 日本「食」推奨マークも同じ発想からである。。官による「国際化」推進も同じである。どんなに推進しても、「国際化」にあう人間とあわない人間がいる。あわない人間にとっては税金の無駄使いである。で、こういう一連の思考には欠けているものがある。欠けているために、それこそ「国際化」には絶対に通用しないものである。それは何なんだろうか。。何かが決定的に欠けている。。。
マクドナルドの世界戦略を勉強してみたらいいのでは。私がマレーシアで食べたマクドナルドは、香料がきつすぎて、食べられなかった。あれって、伝統的マクドナルドではない、と誰も文句は言っていないに違いない。伝統的って、アメリカのマクドナルドの味? だいたいマクドナルドは民間企業である。だから、利益になることをすればいいだけであって、民間のしていることに連邦政府がいちゃんもんつけるなんて考えられない。。それに比べると、日本「食レストラン」推奨制度って、民間がやってることに官が文句をつけたり、お墨つけを与える構図である。。ああ、いやだあ。我慢できない。。たまたま「日本」だから???げっ
フュージョンとコスモポリタンの違いとは。。フュージョンというのは、ローカルな地方的な混合と変化したもの? コスモポリタンというのが“世界市民”と訳されてるものならば、フュージョンの葛藤を経て、世界的・普遍的な価値観、社会をめざすもの? これって、普遍性と多元主義との相克にもつながってるなあ。。アメリカが世界に押し付けようとする“民主主義‘が他国で通用するか否かという問題のようでもある。。ああ。。。むずかし。。
カラオケと日本食との違いとは。。。地元紙「Sunday Chronicle 」(2007年9月9日付)に、シンシナチ市で開かれたカラオケチャンピオン男性部門で優勝して、アメリカ代表としてタイで開かれる世界大会に行く人の話が出ています。カラオケも日本生まれで、世界中に広がりました。で、思うに、同じように世界に広がったといっても、カラオケに対してはフュージョンだ、といった文句は出ていませんよね。(笑) となると、同じように日本生まれのものが広がるといっても、日本食との違いは何かなあ。。。う〜〜ん、柔道、剣道は??? 柔道はオリンピックの種目になってるけれど、剣道はなってない?なんで。。 柔道と剣道の違いは??
早速、剣道の先生から答の一部を頂きました。忘れないうちに、書き留めておきます。柔道は、1964年の東京オリンピックから種目になったそうです。これは、開催国が選べるという規定があるそうです。だから、韓国でオリンピックがあったときは、テコンドーが種目になったそうです。で、今の柔道は、講道館の柔道からはかけ離れたものになっているとのこと。テレビ受けするというので、柔道着は白と青になってるわ、えりがつかめなくなっているわ、一本とるということはなくなっているわ、で、柔道の本質からはかけ離れ、亜流レスリングのようになってしまっているということです。剣道は、そういう柔道の惨状を見ているので、世界選手権があるだけで十分だ、オリンピックに関わるとろくなことはない、という感触をもっているそうです。要するに、国際化で競技人口を増やすと、本質からかけ離れてしまう、とりわけオリンピック種目となると、国家事業のようになって、選手の生活がかかってくるような国や、青の柔道着で儲けている企業もあるわけで、いったん本道を離れてしまうと、もう歯止めがきかなくなるとのこと。。要するに、私が探しているのは、どんなに世界の多様性にふれても変わらない、日本人たるものの本質とも言うべきものかな。。
日米タイムス英語版(2007年9月6−12日付号)に、スシマスターズ2008年の地区予選?の記事が出てます。スシマスターズって何でしょうか。提供はカリフォルニア州サクラメントのアジアンパシフィック商工会議所で、スポンサーはカリフォルニア米コミッションになってます。う〜〜ん、米かあ。。こういうスシマスターズと推奨制度はどうつながるのかな。。ちょっとスシマスターズの詳細と目的をチェックしてみよう。
6 普及啓発
推奨マークのレストランをホームページやガイドブックで広報。日本食、食材について情報提供、日本食の調理技術や衛生管理などの講習会を実施
まあ、ここはこんなものでしょう。こういうことは誰でもやりたがるかな。。
7 今後の課題
推奨計画と農林水産物輸出促進施策との連携、日本産の食材が検疫問題などで輸入するのが難しく、また高価すぎて購入が困難という問題の解決、日本料理の認識を高めるため、講習会の実施や講師の派遣、日本食調理人の斡旋、海外の調理人が日本で研修できるワーキングホリデーのような制度を検討、日本人の調理人が海外で就労するための就労ビザや滞在許可を取得できるよう制度を改善、日本食レストランの発展に貢献してきた人を表彰する
最初の2つは、まるでブッシュが、自分の会社が戦争で大儲けしてるから、戦争をやめようとは言い出せずに、なんやかや「民主主義」やら「テロとの戦い」とか言葉を並べて、戦争を継続するのとおんなじメンタリティのような気がしますね。。「日本食レストラン推奨制度」なんて、かったるいこと考えずに、二つの目的を全面に出して、外国政府とまっすぐ交渉すればいいんじゃないの。。どうして、推奨制度といった衣をかぶせる必要があるの。。で、日本食レストランの発展に貢献してきた人を表彰するーキッコーマンの会社はいままで国に表彰されたことがあるのでしょうか。しょうゆこそ、主流社会に進出して、「日本食」云々とは別に確固とした地位を得てると思います。日本食レストランなんてないサウスダコタのスーパーにもおいてありましたから。。表彰されるべき本当の力をもったものは、日本食レストランの伝統?保持度?なんて関係ないのにさ。。やっぱりどこかずれている。
記事によると、2007年度中にマークを受けた店の登場をめざすとありますが、まだ聞いたことがないなあ。世界統一基準は見送り、推奨の基準は各地の嗜好や実情を考慮してつくられるとか。世界統一基準だって、ああ気色わる。。。「日本」がつくと、宗教じみてくるのだろうか。 フランスのパリではすでに、民間が自主的に「日本食レストラン価値向上委員会」を立ち上げているとか。これはたぶん、業界の日本人が危機感を感じて、自分たちでやってるんだろうなあ。。パリと近郊でレストランの数600店以上、日本人経営者は約50店だそうです。特色は、ラーメンやうなぎなど専門店が多く、スシが酢飯でないもの、だしがなく、みそを溶かしただけのみそ汁も提供、サケがスシであまり使われていない、とか。。みそを溶かしただけのみそ汁かあ。。私の料理みたい。。(笑) それは問題だって思う人もいるんだろうなあ。。みそが使ってあれば日本食じゃないの、とか、私なら思ったりもするけどね。。でもまあ、プロがやってるレストランでお金を払って、というのなら、問題ありかも、なのかな。。こういうことを民間が自主的に考えてやる、というのは理解できるけれど、なんで国が顔を出す、出さねばならぬ、と考えるのか、そこが臭いのかなあ。。
記事には何人かのレストラン経営者の声が載っている。推奨マークの交付は、あんまり興味ないね、創作性の強い料理に反対はしない、独創性にこだわるのも伝統的な味を守るのも自由、認証制度のアイデアとしてはいい、でもアメリカでそれを通すのは無理、日本政府がやる権利はないですよ、日本の伝統料理店も現代の味に変えていってる、現代の消費者に合うものじゃないと、と時代の変化を指摘、組織が干渉したり、束縛しないほうがいい、推奨マークは意味がない。。。と続く中で、びっくりしたのが、交付基準に、すしの調理人は日本での修業が必要という項目が検討された、ということです。この部分については賛否両論がある模様。板前としての技術を得るには厳しい修業も必要で、米国で日本食をつくる調理人も身につけるべきだ、と話すレストランオーナーもいるようで、このあたりはたぶん自負心と誇りがからんでるだろうなあ。自分が苦労してきたのに、こっちでメキシコ人が作る巻き寿司も立派な日本料理となると、腹が立つだろうなあ。でも、アメリカ人を日本に連れていっても、日本の厳しい修業なんて、けんかになりこそすれ、通じないだろうなあ。日本の伝統的?修業とやらは、師弟だか徒弟だか、人間のヒエラルキーで成り立っている。人間は自由で平等と考える人間に、ヒエラルキーが基礎となった修業は通じない。まあ、技術だけをマニュアルとして教えるのなら分かるけれど、中には恐ろしい料理人がいるだろうなあ。。それにだいたい金儲けで日本食レストランをやってる人たちに、修業なんて必要なの。。アメリカ人は自分が好きな食べ物を食べるだけで、その店が日本国家のお墨付があるかないかなんて気にしないのでは。。気にするのは、ブランド好きな日本人じゃないの。一つのブランドが流行れば右に倣え、で殺到する日本人―推奨マークの発想は、まぎれもなく日本人の発想である。どこか狂っている。
ただ記事の中で一つだけ、これは、と思った文章があった。「日本食とは健康食」という言葉である。これが日本食の本質ではないのか。
記事によると、日本調理師連合会師範の宮澤泉さんの言葉―米国の日本食で一番問題なのは、日本食の美徳である健康食という価値が失われていること、また日本食は素材の味を生かして調理することが特徴だが、フュージョン料理の中には肉や魚介類の上にこってりしたソースがかけてあったりして、素材の味が生かされていない料理が多い、と指摘ーう〜〜〜ん、この言葉には納得だな。。健康食だからはやったのに、今食べてるほとんどは健康食ではない、とのこと。なるほど。。これは本末転倒である。
宮澤さんは、基本さえ守れば、日本の板前と同じ仕事を強要することはしないとか。で、基本とは、食材の選び方、素材を生かした調理、そして健康食から逸脱しないこと。。なるほど、なるほど。。こういう言葉には、日本からの農水産物の輸出を増やしてやれ、といった金がらみの欲がきれいに消えて、日本食という日本文化の真髄への眼が見える。だから、言葉にぶれがなく、まっすぐ心に響き、納得できる。基本が何かをはっきりと明示できるのは、やはりその道のプロだからだ。
おおい、農水省の官僚さんたち、知恵をしぼって、財務省?から農水省用の予算をひきむしってきたようだけど、しょせんはっきり効果の出ない、税金の無駄使いになりそうだから、もうあきらめたほうがいいんじゃないの。。海外では不人気に見えるこの制度、予算の使い道がなくて、結局は官僚さんたちのポケットに消えたりすると、また、ああ、自殺だの辞任だの、とマスコミを騒がして大変なことになりますよ。おお、そういえば、この制度を思いついた松岡とかいう人、死んじゃったよね。ということは、同時にこの制度もなくなるの??2億の予算はどうなるの??もう、自分たちのポケットに消えたの?? 消費者にしてみれば、そんな推奨マークのついたレストランに行ったりしたら、ニギリは箸で食べるな、こうやって指を使って食べろとか言われて(昔、東京で、ニギリのつかみ方、口に入れるときの回し方が分からずに、それでも日本人か、と怒られた経験あり。。今でも、口に入れておいしかったらそれでいいじゃん、と思っている。。笑) 食べた気がせずに、それに第一、量が極端に少なくて、大枚を払ったわりには、おなかをすかせて出てきそうだから、推奨マークのついたレストランなんかに行きたくないね。。(笑)
友達からのコメント
1 インドカレーの店はどこにでもあるけれど、それは本場のカレーではない、と、インド政府から文句が来たとは聞いたことがないね。。
2 日本人はイタリアやフランスへ行って、料理を習ってきて、日本でレストランを開くよね。日本へ行って修行するというのもそれと同じじゃないの。
でも問題は、日本でレストランを開くのに、イタリアやフランスへ行って料理を習わなければならない、とイタリアやフランス政府が要求するかどうか、日本で開いたイタリアレストランに、イタリア政府が認証やら推奨するか、ということですよね。今のところ、聞いたことがありません。国名をつけて、政府から抗議が来て消えたのは、「トルコ風呂」ぐらい?? (笑)
さっき、エタノール問題を扱った新聞記事(2007年4月26日付 北米毎日)を読んでたら、こういう文面を見つけました。国産バイオエタノールの生産を進めようという話ですが、「中でも熱心さが目立つのが農水省。。(中略)。。。松岡利勝農相は、循環型社会形成に農業が大きな役割を果たすと力説するが、新たな省益確保の思惑もちらつく。。(後略)」
これですね、新たな省益確保。日本レストラン推奨制度も同じ穴のむじな。。死者にむちうつようなことはしてはいけませんが、省益って、しょせん自分たちだけの懐を太らせようという我田引水の考え方ですよね。。松岡という人、自分で死ぬ勇気があっただけよかったです。
2007年10月16日付 日米タイムスより
すしを国際化した新一世たち すし文化の移り変わりを語る
記事の中でなるほど、と思ったのは、日本でも巻き物の専門店が増え始め、米国ではやっているカリフォルニアロールやドラゴンロール、スパイダーロールなどが日本人の口にあい、人気が出ていると、欧米化したすしの逆輸入があること、サンフランシスコを訪れる日本人観光客や駐在員の食生活を観察すると、日本人の日本食の意識も変化していると分析、店に訪れる日本人を見ると、アルコールを好む客の増加に伴い、食事を締める「お茶漬け」を頼む客が減り、日本人の米離れも見られる、米国では労働ビザ取得が困難になり、日本人の調理人の減少は防げない、すしの発祥はタイで、地域の食材を生かし、文化が反映された地域名産のすしは数知れない、といった部分だ。
どこからどう考えても、この問題は日本国家が顔を出す場面ではないなあ。とりわけ、タイから伝わったすしが、日本国内でも、地域の食材を生かしたいろんなすしがあるとなると、誰にもアメリカのすしが間違っているとはいえないではないか。日本人のシェフしか認めない、といった考え方はアメリカでは通用しないから、アメリカ政府がすしシェフだけに労働ビザ規制を緩和するといったことをするとも思えない。もちろん、日米の秘密の政府間交渉があれば話は別だが。。ただ生魚を扱うことに、経営者のエスニックバックグラウンドが何であろうと、衛生観念と教育をしっかりしなければ、「日本」という名前をしょっている限り、レストラン業界にとって大きな打撃になるという気持ちは納得できるようになった。でも、それは個ごの店の経営にとっても同じではないのだろうか。食中毒が出た、では店は廃業に追い込まれる可能性もあるわけで。。
26.イメージ先行の伝統?
大東亜共栄圏と「美しい国日本」と国際交流
27.家族観
アメリカのフロンティア生活に見る家族の助け合いと日本の家族との違い
国会TVマガジン 号外 12/28
メディアの裏側(第二回) より
メディアクラシー
「メディアクラシー」という言葉がある。デモクラシーとメディアを合わせた造語だが、デモクラシー(民主主義)社会において、メディアが国民を動かす巨大な力を持つようになったため、メディアの取り上げ方によって政治の方向性が決まってしまう事を意味する。既にメディアによる国民の洗脳が始まっていて、民主主義を支えるべきメディアが社会の支配者として君臨していると言う人もいる。
国民は往々にしてメディアに登場する人物が一流で、その言論が正論であるという錯覚に陥る。それは新聞やテレビが常に公平中立で正しい報道をしているという顔をするからだ。大ベストセラーとなった「バカの壁」(新潮新書)で、著者の養老孟司氏はNHKが「公平・客観・中立」を報道のモットーとしていることについて、神でもなければ「ありえない」話で、それを「信じる姿勢があるというのは、実は非常に怖いこと」だと述べている。しかし国民はメディアで語られる「正論」を否定する材料を持ち合わせていない。だから信ずる。メディアが多様な見方を提示してくれれば、何が本当か考えることもできるのだが、どこを見ても同じような意見だと信じるしかなくなる。
民主主義社会において政治権力、司法権力、行政権力の三つの権力は、制度的に三権分立という仕組みの中で、お互いに監視と抑制を行うことになっている。ところがメディアという第四の権力は民主主義の根幹である言論・表現の自由を保証する必要から、あらゆる権力から自由でなければならないとされる。そのためメディアは自らが自らを律しなければならない存在なのである。しかしメディアが自らを律する厳しさを持たず、メディア同士が相互批判を行わなければ、メデイアによって民主主義が揺らぐ危険性が出てくる。
我が国で問題なのは、メディアについてほとんどその実態が知らされていない事だ。司法、立法、行政の三つの権力についてはメディアが克明に報道してくれる。しかしメディアの実態についてメディア同士の報道は殆どないのが実状だ。それは新聞とテレビが「記者クラブ」という「ムラ社会」の構成員で、お互いに都合の悪いことを明るみに出さない談合体質があること、また他の先進諸国では見られないことだが新聞とテレビが全て系列化されているという我が国の特殊事情による。
メディアクラシーに陥らないためにはメディを分散させることが必要である。多くのメディアが多様な物の見方を国民に提供し、相互批判を行えば国民がメディアに洗脳されることはない。そのために民主主義国家ではメディアの集中を排除する措置がとられている。
ところが我が国では一九五三年に開局した初の民間放送局が読売新聞社の系列下にある日本テレビだった。一九七O年代半ばには朝日新聞社が教育専門放送局のNET(現テレビ朝日)を傘下に収めて放送事業に乗り出した事から、全ての民放が新聞社と系列関係を結ぶようになった。以来、新聞とテレビの相互批判はなくなり、メディアのもたれ合い体質が強化された。
世界の民主主義国で新聞とテレビが全て系列化されている国などない。ワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズも、ル・モンドもザ・タイムズも、クオリティ・ペーパーと言われる新聞はテレビ局など経営してはいない。一方でアメリカの三大ネットワークを始め主要テレビ局で新聞社の系列下にあるテレビ局などない。それぞれが自立して相互批判を行える体制になっている。そう考えると日本にはクオリティ・ペーパーは一紙もなく、商業ジャーナリズムだけが存在していることになる。だから発行部数を競い合い、テレビ局を持ちたがる。読売新聞は一千万部という世界一の発行部数を誇っているが、ワシントン・ボストは百万部にも満たない。しかしその社説はおそらく世界中の政治指導者が目にしている。記事が世界を動かすこともある。テレビの視聴率と同じで数を競えば質が落ちるのは当たり前だ。ビジネスを追求すればするほど至る所に利害関係が生じ、自由な言論を展開しにくくなる事も自明である。
二OO四年十一月五日、わが国の新聞・テレビ業界に衝撃が走った。日本テレビが、同社の大株主である読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長名義の株式が実質的には読売本社保有のものだったとして、関東財務局に有価証券報告書の訂正を提出、それを受けて東京証券取引所は日本テレビ株が上場廃止基準に抵触する可能性があるとして監理ポストに割り当てたからである。日本テレビは、堤義明氏が君臨してきた西武グループの有価証券報告書虚偽記載が重大な「犯罪」に問われる恐れがあることを知り、慌てて訂正したものである
が、そのことを知った他の新聞・テレビ各社もまた大慌てに慌てた。記事を書く前に自分たちの会社に同じ問題がないかどうかを確認せざるを得なかった。それほどに新聞・テレビ業界では第三者名義で地方テレビ局やラジオ局の株式を保有することが常態化していたのである。その結果、読売新聞だけではなかった。朝日も、毎日も、日経も、産経も、中日新聞も名義借りの事実を認めざるをえなくなった。テレビ界ではテレビ東京以外のキー局がすべて地方局の株式を第三者名義で保有していることが明らかになった。他人名義で株を保有していたのは民主主義の基本であるメディアの集中排除の原則に反すると非難されることを恐れたからである。有価証券報告書の虚偽記載は資本主義社会の基本ルールを無視した犯罪である。
しかしそうしてまでも弱小メディアを大マスコミが系列支配する様は、いかに我が国のメディアが民主主義と資本主義の基本から逸脱した存在であるかを物語っている。(続く)
こういう文章を読むと、なぜ日本社会が、日本人が多様性を受け容れられないか、十二分に理解できる。日本では、メディアという権力システムが多様性を許さないように機能しているのである。それって、権力が権力の本質たるものを厚顔無恥にもあらわにしているのであり、その力は巨大すぎて、人々は自分たちがいかに洗脳されているのかすらわからなくなる、ということである。ただただメディアにからめとられて、人々は同じことを考え、行動し、エネルギーは内にこもり、煮詰まっていくだけだ。。ああ、恐ろし。。。
29 褒め言葉だろうか日本人離れ
2007年9月14日付北米毎日新聞に掲載された「仲畑流万能川柳」で、標題を読んだ。褒め言葉だろうか、と疑問視しているのがミソだと思う。個人的には、褒め言葉に決まってるではないか、と言いたいところだけれど、在日日本人にとっては、まだまだ褒め言葉ではないのだろう。それで、褒め言葉だろうか、と疑問を呈しているわけで。。。ああ、まだ日本はその程度なのだ。。(悲) 日本人離れした体格とか性格とか、そこに見えているのは、「日本人」ならこういう体格でなければならない、体格のはずだ、といった規制、枠組みである。げっ、げっ、げっ。。そういえば、あの人は“アメリカ人離れ”してるね、なんて言葉を聞いたことがない。“アメリカ人”はこうだ、ああだ、そうでなければならない、という定義はないからである。それに比べると。。。「日本人離れ」が褒め言葉だろうが、やっかみ・嫌味であろうが、非難であろうが、「日本人離れ」といった、枠にとらわれる小さな気持ちが表出した言葉が、人の口にのぼらない社会を作るべきだと思う。
国際化と日本人離れー2007年10月16日付の同川柳で、また「日本人離れ」という言葉を読んだ。曰く、「日本人離れをしてるのが美人?」である。 ああ、何の問題意識も持たずに「日本人離れ」という言葉を使える在日日本人たち。。。考えようによっては幸せな人たちなのだ。「日本人」とはこうあるべし、という枠組みの中で、枠組みに従順に生きていける人たちなのだから。。同川柳では、次のようなのも掲載されていた、曰く、「5人いて皆おいしいと言うテレビ」−枠組みに疑問を呈する感覚をもっている人もいるのだけれど、テレビがこの調子だからなあ。。洗脳がメディアという権力をもってなされる場合、もう大衆にはなんの力も残されていないのではないか。(悲) 5人いて、全員が同じように「おいしい」と言うことはありえない、という現実感覚を維持しなければならないのに。。みんな自分にどこか「嘘ついて」、というかきれいに言えば「自分を演じて」生きている???
もう私は、そういう空気が満ち満ちた場所には我慢できなくなってしまったが、こういう文章も読んだ。ある大学の教授不当解雇事件をめぐる意見交流のサイトである。国際化を論じる中で、筆者は次のように書いている。
「(前略)教育機関としての責任を考えているならば、“同質になったときから廃頽が起こる」と昔から言われている言葉を思い起こして欲しいものです。松下幸之助氏は、会議で自分が提案したことに全員が賛成したことはやらなかったと言われています。全員が同じ考えをもつことを一番恐れていると言っておられたと聞いています。そのようなことはありえないことだし、もしもそうなったときは、それは権威に服従しているか、社員が考えなくなったときで、その時はもはや会社の進歩、繁栄は望めないからだ、と言っておられたと聞いています。(中略) 「同質にしようとする人たちは、目先に快適さを求め、本当は人間や組織を進歩、繁栄とは反対の方向におし戻す働きをしているのだ」ということを、知識人ならば、そして国際化に役立つ人材を育成しようとするならば理解すべきだと思います。(後略)
こういう文章を読むと、松下幸之助という人はほんとにすごい人だったんだな、と思う。、「5人いて皆おいしいと言うテレビ」なんて、目先に快適さを求めすぎ、すでに頽廃がはじまり、日本が進歩、繁栄しなくなったまさしくその証左ではないか。国際化という言葉が聞かれるようになって久しいのに、まるでその言葉に逆らうようにして日本社会はその逆を求め、同質性はさらに強固になり、「日本人離れ」という言葉は生き続けた。「国際化」と「日本人離れ」は相反するコンセプトだったんだ。
キッコーマン
米国進出50周年と食文化輸出の難しさ
(2007年6月8日付 北米毎日より)
しょうゆが米国の食生活をどのように変えたのか。キッコーマンは1957年、米国進出の拠点としてサンフランシスコにキッコーマン・インターナショナルを設立、しょうゆの認知度を上げるため、簡単なレシピを開発して消費者に働きかけるなど、地道なマーケティングで市場を広げた。「今ではすしを超えて、日本食以外でもポン酢や白味噌が使われる時代になった。しょうゆを含め、いかに日本食が浸透しているか実感している」と斉藤賢一社長。しょうゆは複雑で深みのある味が魅力といい、料理の風味を引き立てる調味料、使う機会がどんどん増えていると、フュージョンレストランのシェフ。茂木友三郎会長は、今後の米国事業は、高付加価値の新商品や、しょうゆを使う料理のレシピを開発し、さらなる成長につなげるとする。
2007年9月28日付 北米毎日より
その茂木会長が、「食文化ナショナリズムの押し付け」と内外で批判された、海外日本食レストランに推奨マークを交付する「日本食レストラン海外普及推進機構」の理事長に就任。曰く
「日本食で生魚の食中毒があっては困る。安全、安心(の調理法)を広めようという方針が元にある。(推進機構は)出発点で誤解された。(“推奨”については)日本人の考えを押し付けないこと。。。推奨制度を好まない地域もある。そういうところに変に押し付けると誤解を招く。。。。各国、地域の実情にあった推奨基準を決める。日本食を広くとらえ、かたくなに考える必要はない。てんぷらだってもともと日本食ではない。現地の実情に合わせた料理が、日本料理かどうか疑わしいものがあってもいいじゃないか。。キッコーマンが米国に進出して50周年になるが、米国では日本人の意見を聞かず、(米国人の)家政学者を雇って開発させている。日本的な発想はだめ。現地の料理に使ってもらうことが基本。。。。(後略)」
キッコーマンは、日本食レストランなんてあるはずもないサウスダコタのスーパーにもおいてありました。一体誰が使うのだろう、と思ったものです。それを見たとき、キッコーマンのすごさを思ったし、同時に、この国に初めて来たときのキッコーマンのセールスマンさんたちの苦労を思うと、なにやら涙が出てくるような気がしたものです。私が生まれてからわずか2年後に、アメリカに来ていたんですね。すごい! ちょうど日本が高度成長期に向かって走りだそうとするその助走時代でしょうか。私が子供のとき、ロバのパン屋さんが家の前の道を通っていたもんなあ。。もちろん、国際化時代という言葉すら存在しなかったあの時代にすでにキッコーマンはアメリカに来ていた。すごい。。。日本なんて、ふん、って感じの時代に、しょうゆを使った簡単レシピを作って、アメリカ人に「どうぞ食べてみませんか」って声をかけてたんだあ。。えらいなあ。。やはりそうやって苦労した人の言葉って、やっぱり重みがあると思う。で、日本人の意見を聞かず、(米国人の)家政学者を雇って開発させている。日本的な発想はだめ。と。その通りだ、と私なんかはひざを打つ思いだけれど、理事がそんな発想で、国が音頭取りをしている日本食レストラン海外普及推進は大丈夫なんだろうか。現地の実情に合わせた料理が、日本料理かどうか疑わしいものがあってもいいじゃないか。。では、日本食まがいのものが海外で出回ると、日本食の評判が落ちるとか、「日本人旅行者が被害に遭う」といった理由で、認証制度をはじめようとした政府の意図とはあわないのでは??? とにもかくにも、これからどうなることやら。。それにしても、人間にとって一番保守的なもののひとつが食べ物だと思うけれど、過去50年のあいだに、しょうゆが単に日本食と関連するものとしてではなく、一般的な調味料として洋食にも使われるようになったということは、健康という人間が普遍的に求める価値が、日本食への認識を広めるのに役立ち、それによって、その中のしょうゆが普遍的な調味料の一つとして認められるようになったということである。私も“しょうゆ”になりたいものだ。それは、人は何を普遍的に求めているのか、その答えを私という存在が用意しているのか、という問いかけでもある。ああ、道はまだまだ遠い。。たぶん死ぬまで続く。。。
30.敬語と公務員・談合メンタリティ
いつの新聞記事かわからない。(悲) たぶん2007年のだとは思うけれど。
文化審議会は、これまで「尊敬・謙譲・丁寧」の3分類が一般的だった敬語を「尊敬・謙譲I・謙譲II(丁重)・丁寧・美化」の5つに分類、それぞれの用法を解説した「敬語の指針」を伊吹文明文部科学相に答申した。新たな分類について同審議会は「現代の敬語の用法や働きを、より的確に理解するのが狙い」としている。。。(中略) 答申では謙譲語について「伺う」「申し上げる」など、自分の行為の相手への敬意を示す言葉を「謙譲語I]に分類。「参る」「申す」などは、以前は「謙譲語I」と同じ働きをする表現だったが、現在は自分の丁重な気持ちを表現する用法bに変化したとして「謙譲語II]に分けた。
また丁寧語のうち「お酒」「お料理」などは特に誰かに敬意を示したり、丁重に述べたりするものではないため「美化語」として区別した。(後略)
アメリカに来たころ、いや来る以前から、日本語を母語としない人たちに日本語を教えていた。尊敬、謙譲語を習うのは、初歩コースの後半である。どういう風に教えるか。自分の位置が中心である。で、自分より地位が上の人には、尊敬語を使いましょう、自分より地位が下の人には、こういう言葉でいいですよ、と教えるのである。たとえば、自分より上の社長には「さしあげます」、自分と同じ人には「あげます」、自分より下と思えば、「やります」でいい、という具合である。げっ。昔は、こういう人間ヒエラルキーに何の疑問も抱かず、平気でそんなことを教えていた。今から思えば、欧米人の学習者たちはどういう気持ちで、そういう説明を聞いていたのだろう。今はもう、そういう自分を基準にして、人間に平気でヒエラルキーをつけ、自分より上には、下には、という意識が大嫌いで、日本語なんて教えたいとも思わなくなってしまった。今の私なら、自分以外のすべての人に、丁寧な言葉を使いましょう、と教えると思う。猫相手なら、えさをやる、でいい、なんてぞっとする。相手が猫であろうが、人間があろうが、えさをあげる、食べ物をあげる、でいいじゃないか、と思う。相手が社長でも、面と向かってでなかったら、食べ物をあげた、でいいじゃないか。まあ、面と向かって、しゃちょう、このキャンディ、あげる、は、ちょっとまずいかも、だけど。。(笑)
職場にいる日本人は、よく、「やる」を使う。「連れてってやる」「私が、誰それの給料をあげてやった」という具合である。その言葉を聞くたびに、いやあな気がして、心の中で、逃げなくちゃ、という気持ちが生まれる。「やる」という言葉がもっている傲慢なネガティブなエネルギーから逃れよう、という気持ちである。「やる」を使う人間には、無意識かつ本能的に、自分の立ち位置の決定を人間のヒエラルキーに依拠しようという気持ちがあるように感じられる。そして私は、人間のそんなネガティブなエネルギーには絶対にからめとられまい、とられてなるものか、という防衛本能が働く。彼女は、公務員の職場で、それなりに仕事をした人間である。他人に対して「やる」を平気で使える人間が、公務員世界で成功するんだろうな、という感覚が今の私にはある。つまり、人間のヒエラルキーが大好き人間である。大好きだから、職場でも上司との関係作りが上手になる。だから、成功するのである。公務員世界は、仕事の質を問わない。なぜなら、誰でもできる仕事だからである。仕事の質は、誰がやってもそう変わらない。では、何が人を出世させるか。上司との関係である。もしかして、これは民間も同じかも知れない。でも民間企業は、利益を上げるという目的をもつことで、枠組みを壊すエネルギーをもっている。商売が儲かれば、枠組みも大きくなる。公務員世界には、枠組みを大きくする可能性、その可能性を生むエネルギーをもつ人間を評価するという仕組みをもたない。与えられた予算は決まっているから、上司のすることは必然的に予算の取り合いでしかない。予算の取り合いーそこにあるのは、内向きのネガティブなエネルギーである。要するに、いつも同じ変わらぬ枠組みの中での自分の領土のとりあいである。そこで成功するのは、内向きのエネルギーをもっている人間だけだ。つまり、質のいい仕事をする人間は、自分たちを悪く見せる都合の悪い人間と考える人間たちである。枠組みそのものを大きくしようとする才覚・知恵、エネルギーがない彼らが考えるのはただ一つーいかにして他人から領土をとりあげ、自分のものにするか、それだけである。他人から領土をとりあげる政治能力が出世能力でもある。でもまあ、いつも“取り上げる”ことばっかりもできないから、彼らがするのは談合である。今回、私にさせてくれたら、次回はあんたの番だよ、あんたにさせてやる、の談合メンタリティである。(誰それがして)くれると(誰それにして)やるー他者に依存するメンタリティである。そこに、談合メンタリティがあらわになっている。過去を振り返って、あの時、自分が給料をあげてやった、っていつまで言うのだろう。。。ああ、いやだ。。
それにしても、人間のヒエラルキーを言葉で表し固定化するという差別的構造をもつ敬語を日本語の特徴のようにするならば、日本人と日本社会、日本国家そのものがネガティブな公務員・談合メンタリティなんだろうな。記事にある「敬語の指針」では、「やる」をどう扱っているのだろう。知りたいものだ。日本で日本語を教え、外国人の日本人化に貢献している人には、現時点では何も言うまい。でも、アメリカで日本語を教えなくなったことーそれは私の誇りである。
つい最近、アメリカの大学で日本語を教えている先生に、「やる」について聞いてみた。彼女は「やる」を教えないそうだ。やったあって感じ。まあ、花に水をやる、というのはあるそうだけど。尊敬語も、人間ヒエラルキーの上下関係ではなく、相手との距離だそうな。要するに、自分より遠い人、そんなに親しくないと思うと、敬語を使うみたいな。へえっ、そうなんだあ、と思った。なるほど。。日本語も確実に変わっているんだろうな。もうちょっと勉強しなくちゃ。
31.「世界」考
2007年11月3日付「日米タイムス」より
人生の根源を絶妙に描く「源氏」英訳者の講演盛況
源氏物語の英語全訳に成功した3人目のロイヤル・タイラーさんの講演会で、コメンテーターの1人、沼野充義教授の言葉:源氏物語は三度の英訳で世界文学になったのだと思う。(1人目のアーサー・)ウェイリー訳は立派だったが、源氏物語をある意味、英文学にしてしまった。一方、タイラー先生の訳は日本の文脈の中で理解できる。源氏物語が日本の枠の外に出て、英語圏の読者でもちゃんと読めて、しかも英語圏とは違う世界であることが分かる。それこそが世界文学なのだと思います。」
記事によると、ウェイリー訳は世界中に源氏物語が知られるきっかけをつくったが、あまり原文に忠実ではなかったとか。近年では、次第に「プレーボーイの物語」とか「ソープオペラである」と受け取られがちになり、「情事」が強調されるようになっていたらしい。二人目のサイデンスティッカー訳は原文に忠実だったようだ。ウェイリー訳はたぶん、キリスト教世界の価値判断がなされてしまうほどまでに、ストーリーが英語世界に置き換えられてしまっていたのだろう。となると、源氏物語の価値はわからなくなるに違いない。タイラー氏曰く、「源氏物語には、恐ろしいもの、おぞましいもの、あさましいものなど、人生経験の根源にあるようなものが絶妙なタッチで書かれている。豊かな物語で、機知にも富んでいる。。。」 人生経験の根源にある“恐ろしいもの、おぞましいもの、あさましいもの”とそれを乗り越える“機知”こそが、時と場所を超えられる人間をめぐる普遍性ということだろう。で、源氏物語を“人間”に置き換えると、「日本の枠の外に出て、英語圏でもちゃんと通用して、しかも英語圏とははっきりと違い、日本の文脈で理解できるもの」をもっている人間になりたいと思う。それがコスモポリタンだと。「英語圏の読者でもちゃんと読めて」とは、英語圏の人間にも理解してもらえるだけの技術―つまり言葉―と、日本の文脈から生まれて、かつ世界に通じる“普遍性”を持ちたいな、と。ああ、道は遠い。。。(悲)
32.階級・階層と個、身分制と民主主義
友人たちと雑談していて、何かの拍子に、「私は日本が嫌い、階級があるから」と口にすると、すぐに、「アメリカにもありますよ。多佳子さんは、アメリカのいいところしか見てないのよ」式のことを言われた。で、アメリカにも階級があるのに、ないような振りをするのは、アメリカのダブルスタンダードじゃないか、と、皆のあいだでアメリカ批判の声が強くなった。反対の声を納得させられるだけの論理をその場で思いつかなかったので、私は口をつぐんだ。それでも、あれからずっと私は、違うんだよな、という気分で過ごしてきた。何が違うのか。。突き詰めねば、と思うけれど、一応以下は、いつもの通りメモ書きである。(笑)
確かにアメリカにも上流階級なるものがある。要するに、金持ちである。ロックフェラーだの、フォードだの、ゲイツさんなり、たぶん「風とともに去りぬ」を書いたマーガレット・ミッチェルの親類縁者もみんな上流階級だろう。自分がどれだけお金をもっているか分からない、資産が資産を生んで、なにやら訳が分からなくなっている人たちである。確かに、平凡な普通の人間が、そんなお金にアップアップしている上流階級の人間とさしで会う機会はほとんどないけれど、でも、何かの拍子で、私がロックフェラーの名がつくおじさんと会ったとしよう。私がそのおじさんに、まるで隣のタバコ屋のおじさんに声をかけるかのように、挨拶したとしよう。問題は、その時に、私の隣にアメリカ人と日本人がいたとして、かれらがどのような反応をするか、その反応の違いである。
アメリカ人なら、私がロックフェラーさんにどんな挨拶をしようとも、知らぬ顔をしているだろう。なぜならば、ロックフェラーさんが私のことをどう思うとも、「失礼なやっちゃ」と私を嫌おうが、「おお、おもろいおばはんやな」と面白がろうと、それはあくまでも私とロックフェラーさんとの個人的な関係であって、横にいる他人がいちいち口をはさむことではないからである。
ところが、これが日本人だったらどう反応するだろう。アメリカ人並みに、知らぬ存ぜぬができる人は、たぶん日本人村ではすでに、あれは、ちょっとね。。。と顔をしかめられる存在になっているかも知れない。(笑)普通の日本人なら、「まあ、多佳子さんって、ロックフェラーさんにあんな口の利き方をして。。ああ、なんと恥ずかしいことか。日本人の恥だ。。あ、あんな人とおんなじ日本人だと思われるのはいやだ」とか、なんとか口うるさくなるのではないだろうか。
つまり、日本人の頭の中に、自分たちで作った階級か階層があるのである。(階級と階層の違いは分からず。。。悲)で、その集合的階層意識から、ロックフェラーさんをあがめるわけである。たとえ、日本社会に公なる階級だか階層はないとしても、(戦後、財閥は解体された? 貴族院はなくなった?)日本人は、自分たちの意識の中でヒエラルキーを作りあげる。それによって、自分の立ち位置と他者への態度を決める。自分が所属する階級・階層意識を自分たちで作り、それが個を飲み込んでしまっている。
一方、アメリカ人の場合は、個が階層・階級を超えていると思うのである。確かに、金持ちの上流階級は存在する。しかし、だからなんやねん、私は私やで、相手が金を持ってるからといって、何でこっちがぺこぺこせなあかんねん、私のほうが偉いんや、ぐらいは、面とは言ってのけなくとも、アメリカ人は、考えていると思う。権威やら力に抗する個の意識は強固である。
もちろん、たとえば職場では、実際は、昇進やらその他いろんな利害関係がからんでくるから、権威・権力に抗するにも限界があるだろうが、それでも卑屈になる必要はない。自分をいかにどこまで主張して、給料やら昇進を勝ち取るか、その交渉は自分次第である。交渉しなければ、手に入らない。効果的な個の主張が必要とされる。だから、他人がロックフェラーにどんな口を利き方をしても、別に自分が損するわけでも、得するわけでもなし、我関せず、であり、恥ずかしい、なんて思う必要はさらさらない。
ところが、日本人だと、ロックフェラーの名前を聞いたとたん、ぱちぱちと頭がヒエラルキーを計算して、へへえ。。と、水戸黄門の印籠でも見たみたいに頭が下がる。下げない日本人は、礼節を知らない日本人の恥、日本人ではない、みたいな感覚になる。 日本人はこうあらねばならない、と、強い固定観念にとりつかれた、「日本人」という集団意識の強固さであり、かつ単に集団であるだけでなく、階級意識が根強くある。 こんな集団的階級意識が、アメリカにはない、と私は友達に言ったのだった。
さらに、この集団的階級意識は、階級を固定化させてしまうものだと私は思っている。つまり、アメリカ人の場合は、事業に失敗して、一文なしになってしまえば、上流階級から転落である。お金が腐るほどあるかどうかが、上流か否かを決めるものさしであり、かつ個が階級を凌駕しているから、一文なしの個は、上流ではない、ただそれだけのことである。
ところが日本の場合は、名前で階級を固定させてしまう。だから、太宰治じゃないけれど、「斜陽」とかなんとか、その名前を持っているだけで、その階級に属しているという心理が残るのではないだろうか。で、いつまでも人々は、実体のない「名前」に向かって、ははあ。。。となる???アメリカには、没落した上流階級は存在しないと思う。
名ばかりの、実体のない階級。。と考えていたら、テレビ番組で、名ばかりの管理職という言葉を知った。入社してわずか2ケ月ほどの若者を、店長という管理職にして、過労死やら、うつ病にかかったりして、仕事ができなくなるまで時間外労働をさせる、というやり方である。要するに、管理職というタイトルを与えれば、残業代を払わなくてもいいから、とか。ああ、恐ろし、人を人とも思わず、ただただ物と同じで、使い捨てするだけの企業。個より、実体がなくても「階級」にこだわる集団的階級意識を利用しているのではないだろうか。
アメリカでは考えられないだろう。「階級」と実体―給料は比例する。私が今の職場で学び、腹が立つのは、特定の個に給料を上げるために、「階級」が口実とされ、わざわざ「階級」を作るときである。だから、階級には、必ず実体―お金が付随する。個がいなくなると、そのポジションも消える。
日本のように、実体のない階級が、個を飲み込むなんて考えられない。
と、ぶつぶつ考えていたら、またテレビで、今度は、「派遣(社員?)が社員食堂でカレーライスを食べると、正社員より100円高い」と聞いて、またまたびっくり。なんで??? 人権感覚ゼロ丸出しではないか。カレーライスは誰が食べても、同じカレーである。同じ実体なのだから、同じ価格でなければならない。 それなのに、なんで派遣の女性が食べたら高くなるのか?? ここにも、派遣と正社員のあいだの階級・階層意識が顔を出している。階級によって、カレーライスの値段を変えるーそれもである。正社員のほうが階級が上ならば、上らしく、カレーにより高い値段を払うべきではないのか。それが“上流”階級の誇りとでも言うべきものである。
ところが、実際は逆。ああ、なんと小さな日本人。自分より“低い”と思われる人間に、“罰”を与えるのである。”罰“を与えることが、自分たちの階級の権利だといわんばかりに。これでは、奴隷をこきつかって喜び、奴隷が怠けたといって、鞭をふるう人間と同じである。
アメリカでこんな風に、相手によって価格を変えるようなことをしたら、まず「差別」だとして、集団訴訟に持ち込まれるだろう。
と考えていたら、地元の新聞daily chronicle 2007年11月7日付けで、個より集団を強調する社会では、民主主義は阻害される、といった記事が出た。大学の人類学の先生の新発見のように書いてあるが、アメリカに住む日本人としては、目新しいことは何もない。トンガ社会(人)を研究した教授曰く、トンガ人は、個の平等性の観点から、自分たちを考えることに慣れていない。う〜〜ん、慣れていないどころか、考えられない、といったところが現実なのでは。。日本人は、戦後60年の教育の中で、「個人」「個性」やら「平等」といった言葉はいやというほど聞かされてきたが、「派遣のカレーは、正社員より100円高い」で、戦後教育が失敗したことは明らかだ、ぐらいに私は思っている。個人?平等?民主主義? とんでもない。
そういえば、民主主義って何かな? 国民が選挙権を持ち、自分たちの代表を選挙で選ぶ? でも、どこかで読んだ、今の日本社会は江戸時代に逆戻りだと。つまり、政治家の子供は政治家―今の国会議員や首相たちの多くは二世、三世議員、とか。士農工商の「士」という身分制が代々続いているんだと。さもありなん、である。何のための戦後教育だったの。。ますます、げっ、げっ、げっ。。(笑)
33 小国喜弘 「戦後教育のなかの(国民)−乱反射するナショナリズム」〔吉川弘文館〕
ちびちび読んでいる。読みながら、ぎょっ、ぎょっ、ぎょっと思いながら読んでいる。本の表紙や帯を見て、心が躍った。
「(日本人)は学校で生まれる
戦後教育が人々に植えつけた、ナショナリズムの閉塞性を問う」
日本の教育は、なぜ空疎な「愛国心」に拘泥し続けるのか。
戦後教育のなかで、均一の(日本人)像が官民一体となって創りだされてきた。
閉鎖的なナショナリズムを解き放つ
本を読み終えて考える。閉鎖的なナショナリズムを打ち破ろうとする視点は、たぶん移民への視点も変える可能性を含んでいるのではないか。移民学にも、閉鎖的なナショナリズムの視点が深い影を落としているのではないか、と。
刺激された。忘れないようにメモ書きである。
p。1 「日本人」というナショナル・アイデンティティ(国民的同一性)の創造の論理、ナショナル・アイデンティティが広く人々に受け入れられるようになるのは1890年から1900年
これにはびっくり。日本史のはじめからあると思っていたから。要するに、日清、日露と対外戦争をはじめるようになって、「日本人」という国家統一の思想が必要になってきたということだ。
p。2 (クニとか方言とか)現実には錯雑たる混交的文化を、あたかも調和的で均質な「国民文化」であるかのように人々が無意識のうちに見なしてしまうような認識枠組みを提供したり、「国民」の標準的文化と軌範の獲得を人々に動機づける上で、歴史上大きな役割を果たしたのが学校教育、1900年の第三次小学校令で、「国語」という新たな科目を設置。。標準語の強制と方言の矯正によって。。。
日本語教師をやってたとき、私の関西弁のアクセントは拒否されたが、そのあたりの思想背景も、国家権力のなせるわざー国に個人はつぶせない、が、民主主義ではなかったのか。ふん、ますます海外での日本語教育とやらに、疑惑の気持ちがわいてきた。。(笑)
p。3 教育を通して「日本人」を創出するという理念を、官民一体となって支持してきたのが「戦後」の教育史
p。4 戦後の「国民」創出のための教育の重要な点は、閉鎖性の強いナショナリズムを人々に内面化しようとした点。。。国籍保持者は「日本民族」のみなのだという幻想を共有しようとした点。。。そこでは、「愛国心」を誇るべき文化的・民族的他者は、日本列島内部には存在しないかのように考えられていた。。ゆえに学校教育を通して子供たちに伝達される具体的な「日本人」像についてはきわめて空疎だった、しかもその空疎さが、時として過剰なまでの国民化を促す原動力としても機能してきた。。「愛国心」の重要性が自明視されるなかで「愛国心」を誰に伝えるべきなのかという他者像はさらに希薄になっていった。結果として、ますます閉塞性が強く、そして空疎なナショナリズムが、子供たちに教育を通して内面化されることになっていった。。
要するに、愛国心を振りかざそうにも、振りかざす相手を国内では認めようとはしなかったということだ。1人相撲では、さぞ空疎であろう。アメリカの多民族社会の状況を考えると納得
p。5−6 日本には均一化された「日本人」と「日本文化」以外に存在しないかのような、精緻に組み上げられた「日本人」像・「日本文化」像が巷間に流布しているが、それは日本という閉塞的な言説空間において、ナショナリズムが乱反射する中で創りだされた虚像にすぎないのではあるまいか。。。学校教育においてナショナリズムが複雑な屈折を遂げ精緻な日本人像が創られる仕組み。。。
列島内部の多様性や固有性が、いかにして「国民文化」のなかに総括されるようになったのか。。。
p。7−8 ADスミスは、ナショナルアイデンティティを構成する要素として「歴史上の領域、もしくは故国」「共通の神話と歴史的記憶」「共通の大衆的・公的な文化」「全構成員にとっての共通の法的権利と義務」「構成員にとっての領域的な移動可能性のある経済」があると指摘。。日本内地の学校教育に大きな影響を及ぼしたのは、法律と歴史的記憶の改訂、より具体的には教育基本法策定と国民の正史の書き換え。。。
p。8 文部省がGHQに提出していた英訳版教育基本法と帝国議会に提出した日本語版教育基本法との齟齬。。。「戦後教育」が理想としてきたことが何だったのか。。
p。8 共通する歴史記憶がナショナル・アイデンティティの統合と確立の上で重要な役割を果たすのだとすれば、敗戦を契機として、記紀神話に代わる国民の起源を何にするのか、天皇に代わる国民の統合原理を何とするのか、新たな共通の神話と歴史的記憶が求められることになった。
政策当局者によるいわば「上からの」歴史の書き換えではなく、むしろ教師や市民による「下からの」歴史の書き換えである。
p。10 個ヾ人の歴史的記憶の固有性と、国民の歴史として共約化された歴史的記憶との相克
タイコ論の時から、日米のコミュニティの違いをはっきりと自覚して、何事も論じなければ、と考えていた。すると、この「コミュニティ」の違いがいかに無視されて、戦後教育がなされてきたかを知って愕然とした。民主主義、自由、個人、個性。。これらの西洋輸入コンセプトは絶対に日本では存在しえない。それらはすべて頭の中で理解しようと努力されるだけの机上の空論にすぎず、口達者なルーザーたちが、論客に向かって言い訳に使い、あたかも“正しい”ことを言ってるかのようにして相手を煙に巻く、すなわち「頭でっかち」なものにすぎないからだ。決して、日本人の皮膚感覚として獲得されることはなかった。なぜか。その原因を、この本で知った。
p。17 1945年の敗戦を画期とし、その敗戦前を教育勅語体制、戦後を教育基本法体制と区分
p。25 教育基本法 第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない
p。26 教育の地方分権に強い熱意を燃やした総司令部の意向を受けて創られたとされるこの第10条に、地方分権の明確な定義がなされていないのはなぜだろう。。。「教育は教育者だけのものではなく」という留保がつきつつも、「国民全体のもの」という定義によって、地方分権の発想を後退させ、代わって国家官僚による教育統制に道を開いているように思われる。GHQが承諾を与えた英訳版の教育基本法と、帝国議会を通過した日本語による教育基本法との比較対照
p。27−28 帝国議会提出案として、1947年3月27日に総司令部に示した英語版第10条(の一部)は、次の通り
School Administration:
Education shall not be subject to improper control, but it shall be
directly responsible to the whole people.
日本語版は次の通り
第10条 教育行政 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われなけれるべきものである。。
問題は、国民全体をthe whole people、教育行政をSchool
Administrationと訳していること
教育基本法第10条にかぎらず、文部省が英訳した文章では、基本法中の「国民」はすべてpeopleと表記されている。英訳版教育基本法を見たGHQは、果たしてpeopleを国籍の有無に関係ない「人民」として理解したのだろうか、それとも国籍保持者としての「国民」として理解したのだろうか。
もちろん人民だろう。
1946年3月20日に総司令部に提出された米国教育使節団報告書の日本語訳で、the peopleの訳語は、「国民」となっていることもあるが、「民衆」「住民」「人々」と揺れていて、むしろ「民衆」「住民」といった「国民」以外の訳語が多く使われていた。
使節団報告書を読む限り、日本国家の教育について建言したのではなく、占領地である日本列島に住む人々の教育をどう構想するのかをめぐる建言になっていて、使節団は「the people」を「国民」という文章で使用したのではないように見受けられる。ゆえに、使節団報告書を骨子として教育再建を指導していた総司令部が第10条第1項のthe
whole peopleを読んだとしても、それは地域に住む人々全体、という文意にとった可能性が高いように思われる。
この「国民」をthe peopleと訳して総司令部の目をごまかした点は、日本国憲法成立過程においても共通している。
p。30 マッカーサー草案には「外国人は法の平等な保護を受ける」「すべての自然人は法の下に平等である」との二か条があったのに対し、政府とGHQとの協議の下で、前者は完全に削除、後者は主語の「自然人」を「すべて国民」に変更することに成功した。
p。31 教育基本法第10条は、まず総司令部によって草案を示され、文部省側がそれを翻訳して一度日本文を作成し、今度はその日本文を教育刷新委員会・枢密院・帝国議会などでの審議過程を練り上げつつ、その時々に英文へと翻訳して総司令部の承認を受けるという複雑な手続きをとって成立した。Peopleを国民へ、さらには国民を再びpeopleへと訳し替えるなかで、総司令部に対しては学校教育が「人民全体」に対して責任を負うのだという文章を文部省が策定していると印象づけることが可能になったのだろう。
ああ、いやだ。
p。32 もし「国民」ではなく、the whole peopleという「人民全体」が教育権の主体になるのだとしたら、外国人を含めて教育を受ける権利を保障するという教育行政が展開されていた可能性も、実は我々の戦後史にはあったのである。教育が責任を負う対象としてのthe
whole peopleという英語は、コミュニティ内部における多様な利害と関心を持った人々の「全体」という意味と解釈することもできる
p。33 文部省が米国教育使節団報告書を英訳した際には、school administration を学校行政、educational administrationを教育行政と明確に訳しわけていた
P。36 第六条の日本語正文 。。
学校教育 。。。法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。。。
この部分の帝国議会提出案として総司令部に手交わした文書
Teachers of the schools prescribed by law shall be
servants of the whole community
p。37−39 従来、この第6条の「全体の奉仕者」の「全体」は国民全体のことであるとされてきた。。。英訳版を見るならば、教員が地域コミュニティ全体に対して責任を持つ、と規定していると考えるのが素直な読みであろう。そもそも米国教育使節団報告書にも「community」という単語が出てきっるが、文部省はこれに対する訳語として「協同体」「地域社会」「社会」「地域」といった訳語をあてている。「全体」とか「国民全体」と訳した箇所は一箇所もないのだ。
使節団報告書中、「community」を使用している箇所で、この第6条に近いのは次のようなくだりである。
School should be integral parts of the
communities which they serve. The
experiences within the school which constitute the curriculum should be closely
related to the out-of-school experience of pupils.
文部省による日本語訳は
学校はその奉仕する協同体にとって必要かくべからざる要素である。
これを前提として改めて基本法第6条第二項の英語訳を読み直してみるならば、地域社会には性・信条・肌の色など、さまざまな差異をもった人々が存在しているのであり、その差異性を尊重し、少数者の不利益にならないように、教員は地域社会全体に貢献すべきなのだと定義していることになるだろう。
日本国憲法においても同じような問題がある。すなわち第15条第2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」の「全体」もまた英訳では次のようにthe whole communityと表記されているのだ。
All public officials are servants of the whole
community and not of any group thereof.
日本国憲法の審議が教育基本法よりも先で、教育基本法第6条はこの憲法大5条の英語訳を踏襲したともいえる。教育基本法は政府が日本語で原案を作成し、時々に英語に訳しながら案を練っていったのに対し、憲法の場合はマッカーサー憲法草案が先に存在していた。この草案ではthe whole communityとなっている。
p。40 公務員の本質規定について、総司令部案の方向づけを巧妙に修正しようとしたと推定される、日本政府官僚の努力のあとが認められる
憲法第94条の「地方公共団体という抽象的な概念の採択と、全体の奉仕者の全体という観念的、抽象的な概念構成の採用が、。。ドイツ国法上の制度と理念に結びついている。。。
要するに、アメリカに占領されて、アメリカの理念で法律を作ったように見えて、実際は、その内実は戦前と同じドイツなの?? ああ、内と外に分けるという日本人のお家芸??
コミュニティ全体(the whole community)への奉仕とは、コミュニティを構成する成員の多様性をふまえたものであるべきだということになる。
p。41 国内向けと総司令部向けの文書を、翻訳を通して巧妙につくりわけながら、教育基本法は日の目をみることになった。法律的に実効性を持つのは、日本語正文のみであることはまぎれなき事実である。
占領下において、総司令部が承認した英訳版教育基本法と、帝国議会が承認し実際に法的効力を発揮した日本語正文の教育基本法、というふたつの基本法が1947年時点において存在していた
標準語の強制と方言の矯正の制度化
p。49 教師たちの戦後責任とは、みずからの生活者・労働者としての皮膚感覚を、地域住民と共有した上で子供に何を教えるべきかを考え行動しなかったことにあるだろう。彼らは「国民全体」=国家の奉仕者としての職責に忠実でありすぎたともいえる。英訳版基本法では「奉仕」すべき対象は「国民全体」ではなく「コミュニティ全体」であった。
P。50 愛国心の涵養が仮にも不十分だったのだとしたら、それは日本国籍保持者のみを教育権の主体に据えてきたこと自体が、ことさらに愛国心を強化する必要を生まなかったからだと考えることもできるだろう。アメリカなど多民族国家において、多民族への権利保障と同時に、その多民族の統合原理として愛国心に涵養が必要とされている。それと対比するならば、日本の場合は単一民族国家であるという幻想の下に、日本民族以外の人々の権利保障の問題を事実上無視してきた。はじめから日本民族しか存在しないという想定の下に行われる教育において、ことさらに愛国心を語って民族統合を促進すべき理由など存在しなかったのである。
p。63 歴史を書く主体が「国民」であること、そして歴史の内容が「国民の歴史」であること、歴史的記憶を国民化すること自体をめぐる困難、主体となるべき「国民」内部の容易に折り合えない分裂と対立、対象となるべき「国民的歴史」内部の容易に単一化しえない多様性
p。89 固有性を極力捨象することなく、共有しうる部分をゆるやかに探るといった方向性
p。98 1945年12月31日、GHQは、修身・地理とともに国史の授業停止を指示した。国民の起源をめぐる新たな物語をいかにして創出するのかという課題に、日本のナショナリズムは直面していたのである。
p。102 みずからを戦争に駆り立てた背後に、大東亜戦争を肯定し皇国の持続的発展を正当化する、公定的な日本史像が潜んでいた。。
1953年は、いわゆる戦後の「逆コース」といわれた時期
p。118 戦前の日鮮同祖論は、日本と朝鮮の祖先の共通性を強調しつつ、日本民族の朝鮮民族に対する優位性を正当化する言説として機能、
ふ〜〜ん、そんなものがあったんだあ。。
p。160 歴史意識を「国民」の単一化された正史へとすぐに回収しようとするのではなく
p164 沖縄―境界域をめぐる地理認識は、国民統合の強化のためにしばしば利用される、戦後日本の国民統合にもっともよくとりあげられたのが沖縄
p166 琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男
ああ、このヒエラルキー意識。この差別化はどこから来るのか。。
p174 国民化教育においてしばしば機能―本土を親、沖縄を私生児とみなすメタファー
p177 私生児というメタファーは、過剰なまでの同化教育を背後で支える機能を果たしていた
p180 沖縄における「日本国民」あるいは「日本人」としての自覚化運動は、「本土」における1950年代からの「国民教育論」と思想的、運動論的に明らかに通底する
p181 国民としての一体性を強調するメタファーとして、身体が用いられるようになったのは1960年代、ひとつの魂と連帯のきずなとを持っている民族
だいたい、このあたりに来ると、移民論とつながるような気がする。日本の海の外に出ても、一つの魂と連帯感―日本語の使用じゃないだろうか。
p182 身体というメタファーを利用して、国家あるいは国民の統合を主張する手法自体もまた、上田萬年が国語を日本人の精神的血液にたとえ、日本国民の一体性を主張したように、戦前期から人口にかいしゃしていたという点である。しかし、「日本」あるいは「日本人」という「身体」の一体性があえて強調される背後には、すでに上田萬年の時代において、台湾をはじめとする植民地の存在があったことは疑い得ない。
身体メタファーを用いての沖縄復帰闘争は、「日本人」を一個の「身体」にたとえ、その全体性・統一性の回復を訴えていた
だから移民村が大事? 身体の一部?
p197 教育基本法日本語版を作成した文部官僚たちが暗黙の前提としたナショナリズム、日本の閉塞的言説空間におけるナショナリズムの乱反射
p198 現在の教育基本法改革は、ナショナルアイデンティティを強化して、意識面での国民統合を進めつつ、他方で国民内部における学力格差に応じた事実上の教育の複線化を進めようとしている。。。自己責任や受益者負担といった名目で公的補償を縮小するなかで、学力格差は経済力格差とこれまで以上に結びつきつつある
p200 個々人の記憶を国民的記憶として共約化することの困難さ、歴史的記憶も多様かつ固有、
p202 歴史教育は、「本土」を「母」とし、沖縄を「長男」とみなした戦前の歴史表象を引き継ぐ
移民学にもいえることではないのか 母国
p203 必然的に国家に還流しなければならない??、子供たちは教育の材料ではない
移民は、国家の「国際化」の材料ではない!!!
p209 歴史を学ぶとは、国民国家の歴史を学ぶことと同義??国民の歴史に回収されることのない自分史や文化史
p213 個々が無意識裡に内面化しているナショナリズムを相対化することの難しさ。強固な内なる壁
p215 他者と出会い共生の作法を学ぶことは、彼らが持つふくそう的な文化の拡がりとその固有性に気づくこと、そしてそれらの混交的な文化の歴史性に気づくこと、
ニッケイ文化も変わっていくんですよね。
p216 「日本人」以外の他者との対話を拒み、自閉的で空虚なナショナル・アイデンティティに固執する「日本人」を育てる学校から、多様な文化と歴史を備えた人々が共生する社会に生きる、「日本人」という集合的アイデンティティも含めた多重のアイデンティティを持った市民を育てる
う〜〜ん、これだあ。。これなら、コスモポリタンも、日本人移民として認められる? 私も「日本人」のままでいられる??(笑)
p221 (社会に経済格差が広がる中で)いかに国民的な一体感と規範を維持し、さらに強化していくか、
p222 経済格差から生まれつつある不平等感から人々の目をいかにそらすのかという観点から、擬似的な運命共同体としての「日本人」創出は、教育改革においてますます重要な課題となりつつある。。さらに憲法改正による戦争のできる国家への転換を見据え、愛国心ある兵士の予備軍をいかに国民内部から調達するのかという課題が加わって、学校での「日本人」創出の課題が議論される
擬似的な運命共同体としての「日本」「日本人」とは、いっしょに沈まないぞ。。(笑)
34 内輪
テレビ番組で、外務省がスポンサーになった海外安全情報というのを見た。その時のアナウンサーの言葉に、はっと胸を突かれる思いをした。長いあいだ、聞いたことがなかった言葉だけれど、これこそ、日本社会のネガティブ性を象徴する言葉ではないか。「内輪」である。内の輪―他者を入れない内側の輪。
外務省が注意を喚起したかったのは、たとえば、外で夫婦喧嘩をしたり、子供の頭をたたいたりしたら、ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)やら児童虐待として、警察に通報されることがある、日本のように「内輪」のもめごととしてみなされない場合があるから、注意するように、ということだった。で、ここで「内輪」という言葉を聞いて、そうかあ、と思ったわけである。
日本では、「内輪」だけで通用するルールがあるというわけである。ところが、海外、少なくともアメリカには、「内輪」は存在しない。いや、あるけれど、「内輪」の枠を突き通すルールがある。「内輪だから」と見逃してはくれない。 その「内輪」はプライバシーとも別物である。どう違うのか、まだ私には分からない。(悲) ところが日本では、いったん「内輪」に入ってしまうと、プライバシーがなくなるようなところがある。内輪は、外のルールを排除してしまう閉鎖的な空間となり、かつ、「家庭的な雰囲気で」という美辞麗句に飾られて、プライバシーを失ってしまうようなところがありはしないか。よく言われてきたように、確かに日本社会はムラ社会だと思うけれど、なにやらこういう風に書いていると、日本社会がカルト社会のようにすら思われてきた。「日本人」という名の宗教である。
私が模索するのはただ一つ。「日本人」という宗教からは逃れながらも、「日本国」が発行する旅券を持っている自分と、我である自分のあいだに心地よい距離を保って、自分の居場所を探し、立ち位置を決めること。「日本人」という宗教団体内だけで通用する「内輪」には、絶対にとりこまれない。でも、日本語を話す自分がどうしても「日本人」という宗教に追いかけられ、しかも信者に求めるものがあるとするなら、それは宗教の掟の一つである「日本語」だろうなあ。「日本語」に、「内輪」のルールを突き崩す普遍的なルールがあれば、「日本人」という宗教に追いかけられても、私ももう少し居心地がよくなるということだろうか。「日本語」は、「内輪」の外をめざす普遍的なルールを内包しているかなあ。。非常に疑問である。なぜなら、「内輪」の外からやってきたルールはすべて輸入語―翻訳語として、「内輪」にとりこみ、自分たちのカルト社会に受け入れやすい形に変化させてしまったから。つまり、オリジナルの意味からはほど遠いのである。日本語を話しているあいだは、やっぱり「内輪」かなあ。。ああ、いやだ。。
35 ヒロシマの記憶
「オルタ」2007年10月号から 東琢磨のインタビュー記事より(32ページ)
「反核」「国際平和」を謳う大文字の「ヒロシマの思想」が、日本国の「アリバイ」に使われてしまい、空転しているのではないか、と批判されていますね。
(前略)オフィシャルな立場から認められる広島の平和運動は「反核運動」なんです。。。そういった反核運動は、国家への信頼と法への信頼、科学技術の統御への信頼というのを前提にしてしまう。だから、「世界平和」というときも、国家と国家との外交による国際平和を想定している。平和運動の構想力が、国民国家の枠にはまってしまっているんです。
さらに言うと、「反核兵器」は誰が言っても正しいことに聞こえるので、行政からも予算も出ます。その意味では、核兵器が世の中にある限り、反核運動は永続的な活動を保証されている。。。しかしそれでよいのか。「日本の平和都市・ヒロシマ」という、日本国のアリバイに使われ続けていることにもう少し自覚的になったほうがよい。。。。「法と政治」ではない言葉で平和を考える、政治を考えるということを練り直していかないと、法と政治そのものも変わっていかない。。(後略)
日本国の「アリバイ」という言葉にはっとしました。移民も、日本国の「アリバイ」に使われてきたなあ。。「国際化の先陣」だとか、「国際交流」とか「国際人」とか。。確かに、空転してます。移民も、国民国家の枠にはまってきたし、はまらない人間は当然のごとく切り捨てられてきた。とんでもないことです。著者が、ヒロシマは、加害、被害という二項対立から脱却して、新しいアイデンティティを探すべきと主張するように、私も「国民国家」の枠組みから逃れた、新しい日本人像を模索したいです。
36 「グローバル」との付き合い方
「オルタ」2007年10月号より 廣瀬 純 (22ページ)
(前略)アントニオ・ネグりとマイケル・ハートは、。。。この「グローバル」を帝国と名づけ、その存在論的な基盤であり、なおかつそれに対する抵抗の主体にもなりうるものを「マルチチュード」と名づけた。。。それは、「帝国」そのものをその内から支えるものであると同時に、この同じ「帝国」を内から突き崩す抵抗主体ともなりうるといわれるわけだ。。。(中略)「グローバル」との付き合い、すなわち「グローバル」に対する抵抗は、ぼくたち1人1人の(生)を貫くその質的な強度を実感することからしか始まらない。「グローバル」の作用点、すなわち敵対性が生起しうる点は、ぼくたち1人ひとりの身体と脳そのもにあるということ。このことをぼくたち1人1人っがそれぞれの(生)の只中において実感することからしか闘争は始まらない。(中略)世界を実質的に包摂する資本のグローバル(大域的)な運動は、その運動がぼくたち1人ひとりの(生)という無数のミクロな点においてローカル(局所的)に反復されるときにしか成立し得ない。。(中略)ぼくや君の(生)は、世界という「全体」に対してその「部分」をなしているのではない。むしろ、それぞれが個ゝに「全体」をそっくりそのまま反復するものとしてあるのだ。「グローバル」と付き合うこととは、したがって、きみがきみ自身とつきあうこと、要するに自己統治の問題なのであり、自己触発の問題なのだ。
新しい日本人像を模索するということは、自己の中に世界のすべてをとりこむことが大事とずっと感じていた。国家が押し付ける「日本人」という宗教と、他者と共有する「日本人」という記憶ではなく、私自身が、日本とアメリカと、そして私自身がこれまで経験してきた「世界」をすべて自分の中にとりこんで、新しい自分を創りだすこと。日本国家(人)が考える(押し付ける)「グローバル」像を突き崩せるだけの「マルチチュード」なるものを自分の中に築くことー新しい自分、新しい「私という日本人」をめざす。
37 減点主義的発想
2008年2月13日付「北米毎日」新聞のコラムで、以下の文章を読みました。
「日本の人気女性歌手が、ラジオ番組で失言し、大バッシングを浴びています。その発言を取り上げてお祭り騒ぎをしているメディアは、報道するたびに同じ事を繰り返して発言しています。その繰り返しの発言のほうが、よっぽど不快に思うのですが。日本人は人の良い面はなかなか積極的に取り上げませんが、悪い面はこぞって取り上げるように思います。減点主義的発想は変えていくべきだと思うのですが。皆さんはどう思われますか。」
減点主義的発想という言葉を久しぶりに聞いて、ああ、これも枠にはめられた人間の発想だな、と思ったので、ここに書きとめておきたくなりました。要するに、枠いっぱいが100点と考え、あとはその枠内での生き方を問うだけなので、どうしても減点主義になるというわけです。欠如しているのは、枠を突き抜けて、120点をめざそうという発想でしょう。で、枠内で100点をめざして上手に生きるやり方はどういうものか、というと、いかに他者も自分も傷つけることなく、うまく「かわすか」という発想になるようです。このあいだ、この部分で「失敗」?しました。(笑)
こちらで知り合ったばかりの日本人の知人に、私自身はそちらの方向に何の用もないのに、土曜の朝7時に空港まで車を出してもらえますか、と尋ねられて、普通の日本人なら、簡単に言い訳を考え「かわす」だろうに、私はあいも変わらず、
「土曜の朝にそれを頼むのは、よっぽど仲良しじゃないと。。春休みに飛行機に乗って、遊びに行く余裕があるのなら、そのあたりもきっちりカバーされたほうがいいですよね。お金で解決できるものなら、そうされたほうがいいですよ。タクシーがあります。そうじゃないと、お金で手に入れられないものを失います。」「それよりも、へんに甘えられたくない、という気持ちのほうが強いかな??この国で生きる人間の基本は、人に甘えずに生きる、まずは人の助けを借りずにやってみる、です。だから、「甘えさせていただく」ときは、相手からのオファーを待つしかないって感じが私にはあります。こちらから、「甘えてもいいですか」みたいになると、嫌がられる、という感覚を持ってます。嫌がられたら、元も子もなくなるので、たいていの場合、私は人には頼みません。オファーがあれば別ですけど。」
とやっちゃいました。(笑)要するに、“かわさない”“かわせない”のです。で、こういう生き方を、「不器用」だとか何とか呼びたがる人もいるでしょうけれど、「不器用」と考える人間も、枠の中で生きてる、生きようとする人間だな、という感覚を私は持っています。枠を突き抜けたい、120点、150点をめざしたい人間は、たとえばこの知人が、私をそのままに受け止めてくださったら、それほどうれしいことはありません。でも、受け入れてくれずに、私は嫌われてしまったとしましょう。でも、そのことは、嘆かわしいことなのでしょうか。この知人に嫌われまいと努力して、うまく「かわす」ことに成功したとしても、そうやって「かわす」という儀礼?的な人間関係を通して、この人と私はほんとうのいい友達になれるのだろうかという疑問が、私にはあります。
たぶん普通の人は、この「かわす」努力にそれほどエネルギーを使わないのかも知れない。枠の中で生きる知恵?処世術を身につけている人にとっては、「普通」の簡単な所作なのかも知れない。でも私にとっては、「かわす」エネルギーにはものすごいものがあります。とりわけ、自分自身の心に対する負担。。自分の心をうまく取り繕ってしまうという負担。。私の身体的欲求は、どこまでも高く高く突き抜けたい、というもの。たとえ、この知人に嫌われるようなことになっても、私がまだ見たこともない高い高いところには、この知人よりはるかに大きなエネルギーをもってる人がいる、その人にめぐりあうべく、私の自分のエネルギーを使いたい。。減点主義的発想で、人とうまく「かわし」あうことにエネルギーを使って、それで???しょせん誰が一番最初に100点満点になれるかどうかをみんなで競いあうだけ??。ああ、枠の中という小さな池の水が腐って、臭いが漂ってきそう。。。(笑) 自分に常に言い聞かせることー自分は小さい、でもつねに加算?発想で、1から2へ、2から3へ、100から101へと、常に突き抜けていたいのです。減点主義的発想は、湯船の中でぐるぐる回っているマッサージ用のジェットの流れと同じです。それはそうと、減点主義の反対は、と考えて、はたと困ってしまいました。加点?主義???。そんな日本語、私は聞いたことがないです。私の勉強不足でしょうけど、日本(人)の減点主義的発想というのも、かなり根が深いような感じ。。。
38 中山元国交相の発言について
新しい政権が発足してすぐに、中山国交相の失言が続き、大臣はすでに辞職している。(2008年9月28日の時点)
数日前のその発言内容が、オンラインで流れていた。私にはむずかしいことはわからないけれど、あえてこの発言を(抜粋) 使って、自分の考えを書き残しておきたいと思う。
《成田空港》
(滑走路の)1車線がずうっと続いて日本とは情けないなあと。「ごね得」というか、戦後教育が悪かったと思うが、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった。
成田空港の歴史はぜんぜん知らないので、その部分は何も書けない。ただ私が、読んで、ああいやだ、と思ったのは、「公のためにはある程度自分を犠牲にしてでも」の部分である。やっぱりまだこういう考え方が生きているのだ。なんで公のために、自分を犠牲にしなければならないのか。公とは、自分がその中で生きている社会のことである。社会は、自分たちで作っていくものである。個人が社会のために尽くすのは、絶対に「犠牲」ではない。それはinvolvement―自発的、積極的関わりであり、自分が社会のあり方に責任を持つことである。草の根の市民が、社会を変えていける、という信念である。戦後教育が教えたのは、もしかしたら、戦争の美化への反省から「個人的な犠牲は不必要」という一方的な考え方だったかも知れない。“一方的”と書く意味は、個人的な犠牲はしなくてもいいが、ではその代わりに、というalternativeな考え方を示さなかったという意味である。Alternativeを示すことができなかったのは、確かに戦後教育の失敗の一つかも知れないと私は考えているが、よりよい社会の建設のために、自分たちが納得するまでは住民たちが戦うのは当然のことで、その草の根の気持ちと動きを、「ごね得」と評したのは完全に間違いである。
「個人の犠牲」という言葉が、いまだに政治家の口から出てきて、草の根の住民の運動が「ごね得」で一刀両断されるメンタリティに、日本という国の怖さを見る。戦後政治が、戦前から少しも変わってこなかった証左ではないか。
《単一民族》
外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。
内向きという言葉が、政治家の口から出たことは、私は評価したい。そう、非常に内向きなエネルギーが渦巻いている、小さな 小さな閉じられた国である。「単一民族」の部分であるが、アイヌの人たちは抗議したのだろうか。思うに、こういう言葉は、抗議に使うものではない。抗議に使うと、心にもない謝罪の言葉を聞かされただけで終わるからである。相手に謝罪を要求するのは、戦略としてはまずい。それよりも、こういう言葉を大事にとっておいて、次回に、自分の要求をつきつける時に、勝つための武器として利用するのである。謝罪させてしまうと、あとで勝負に出るときに、「もう、そのことは謝った、いつまでほじくりかえす気や」と逆に切り返されるだけである。それよりは、あのとき、この大臣はこういった、ああいった、とメモをとっておいて、自分たちが具体的な要求事があるときに、そのメモを取り出してきて、あんた、あの時、こう言ったで、こんなことしたで、どうする気や、出るとこに出よか、と強気の交渉の道具に使わねばならない。相手の弱みを握らねば、勝てない。「単一民族」と大臣が言った、だから何やねん。ほら、言うた、言うた、と喜んでメモをとるぐらいの戦略家じゃないと、勝つための戦いには出ていけないと思う。
そういえば、日本の野党の政治家たちって、大臣たちの失言があるたびに、したり顔にむずかしい顔をして、すぐに謝罪せよ、だの罷免だの、責任をとれ、とか言ってるけれど、その程度の戦略でいいの。。。へたしたら、たとえ自分たちが政権をとっても、結局は同じレベルの揚げ足取りにも似た作戦で、結局は政権を失うだけじゃないの。そうやって、戦後日本はこれからもまったく変わらないのではないか。。。(悲)