1 著書
1992年 9月 インタビュー集 「アメリカ社会にチャレンジー活躍する日本女性たち」 (明石書店 東京)
1990年3月から1年間、「ニューヨーク読売living in the USA」に、「チャレンジするシスコの女性たち」を連載しました。その新聞コラムと新しく取材した女性たちのインタビューを集めたものです。 当時、アメリカでどう生きようか、と暗中模索していたので、女性たちからはエネルギーをたくさんもらいました。だいぶ前から絶版となっており、古本屋さんからも消え去っているのでは。。出版社の社長に「売れませんでした」とはっきりと叱られました。(笑)
1993年 12月 アメリカ・サウスダコタ体験記 「バナナとりんご」 (五月書房 東京)
リベラルで知られるカリフォルニアはバークレーから、超保守的なサウスダコタへ移ったときの、最初の1年の生活記です。生まれてはじめての田舎生活で、しかもアメリカ社会の極左から極右へというカルチャーショックの大きさは、日本とアメリカの違いどころではありませんでした。書いておいてよかったと思います。でも、これもずっと前に絶版です。古本屋さんにあるかなあ。。
1998年 1月 「アメリカインデイアンの現在 −女が見た現代オグララ・ラコタ社会」 (第三書館 東京)
サウスダコタに移ってよかったのは、インデイアン問題を勉強することができたからです。日本でインデイアンといえば、まだまだ歴史とか、スピリチュアリテイといった”おたく”的興味・関心が根強いように思いますが、私は、同時代を生きる同じ”人間”として、それも白人主流社会に対抗するインデイアン文化の意義、といった視点で書きました。住んでいたラピッドシテイから、オグラララコタの人たちが住むパインリッジ居留地までは、車を120キロですっとばして1時間半。時間を見つけてよく通いました。私が好きな本です。
2000年 9月 「日本の兵隊を撃つことはできない −日系人強制収容の裏面史」 (芙蓉書房出版 東京)
実は、この本もサウスダコタにいたからこそ書けた本でした。戦後60年、日系社会でタブーになってきたことがありました。同じように収容所に入れられたといっても、英語を話す日系二世が日本語を話す日系二世を切り捨てる、つまり同胞による裏切り行為があったのです。日系人の歴史というと、英語で書かれた文献が主になりますから、私が取材させてもらった日本語人の二世の人たちの声、気持ちは、アメリカの日系史からは完全に無視されてきました。今、この本をどうしても英訳しようと、第1歩を踏み出したところです。(英訳への趣意書)
2005年 9月 「大きい女の存在証明―もしシンデレラの足が大きかったら」 ((彩流社))
*「小柄な女は運がいい」(大和出版)の著者、中山庸子さんへの手紙
2008年4月 「観光コースでないシカゴ・イリノイ」 (
高文研 )
2014年4月 「Show Me the Way to Go Home」 ( Wren Song Press)
2000年に出した「日本の兵隊を撃つことはできない」をもとにして、10年をかけて英語で出しました。
単なる翻訳本ではありません。英語と日本語では読者が異なるため、翻訳のむずかしさに加えて、文脈の違いの調整が大変でした。
取材させていただいたノーノ―ボーイの大半はもうこの世を去られています。
かれらのくやしさをどうしても英語で表現し、アメリカ社会に残しておきたい、という一念でがんばりました。
出すことができて、ほんとによかったです。